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12月3日 どようび  はれ時々くもり  (その3)

今日は珍しく、昼から曇っていて少し涼しい。
大きな通りから細い路地に入り、
あるビルの中に入ると
迷路のような路地を歩き2階へ上がった。
少し奥に入っていくと
楽器屋さんのようなところがあった。
店の入り口にジャンベが数台置いてあり、
ジュンジュン(ジャンベと一緒に演奏する太鼓)や
バラフォン(西アフリカの木琴)も置いてある。
店の中に入ると少し広くなったところがあり、
そこにソーリーの友達がいた。
肌が真っ黒でドレッド・ヘアーに
ビーズをつけていて、
いかにもミュージシャンといった風貌だ。
「○▼※
◎♂♀
ソーリーが俺のことを
日本のドラマーだと紹介してくれたようだ。
「トム、セッションだ。」
「よーし!」
お店の人もふたり加わり
平塚さんも入って5人でセッションが始まった。














♪ドドンカ・ドン  ドドンカ・ドン♪
セッションの風景





















ドレッドの人がリズムを教えてくれ、
そのリズムをキープする。
♪ドドンカ・ドン・ドドンカ・ドン♪
ゆっくりのテンポから始まり、
周りの音を聞きながら
リズムを合わせてゆく。
♪ドドンカ・ドンドン・ドドンカ・ドン♪
そして、リズムがノッてくると、
ドレッドさんがソロをアドリブで始める。
♪カカーン・カンカン・ンカカン・・・♪
俺がドラムを演奏するとき、
ドラムソロになると、
ついつい『俺はこんなにも凄いんだぞ〜!』
とでも言いたいかのように、
これでもか〜っと音を詰め込む。
しかし、ドレッドさんの叩くソロは
テクニックのひけらかしなどでは無く、
俺たちの叩くリズムの上に
彩(いろど)りを添えているような叩き方だ。
それはあたかも、どこまでも広がる
大地の上を歌を歌いながら飛び交う
小鳥のようだ。












その音を聞きながら、今は亡き石川晶さん
(ドラマー アフリカン・リズムの第一人者)
の言葉を思い出していた。
『私が太鼓を叩くとき、
 リズムの向こうにサバンナの景色が広がる。
 それはアフリカに行って、アフリカに触れて、
 アフリカを呼吸した者だけにしか叩けない
 リズムなのです。』
その言葉を聞いた当時は、
俺にとってアフリカは遠い国であったが、
昨日までマリのあちらこちらを旅しながら、
果てしなく広がる大地に感動し、
大自然に囲まれ、
自分も自然の一部に過ぎないんだと感じてきた。
そして、今こうしてアフリカ現地の人と
セッションをしながら、
石川さんの言葉の意味が
初めて解ったような気がしていた。
♪ドドンカ・ドンドン・ドドンカ・ドン♪
自分の叩いているリズムと昨日までの風景がダブり、
繰り返されるリズムが
どこまでも果てしなく続いていく大地のようだ。
その上で美しく歌いまわるソロ・・・
そして、少しずつテンポが上がり始める。
 スゴイ、スゴイ!!! 
どんどんテンポが上がっていき、
あまりの速さに手が疲れてきたけど、
日本男児としてここで止まるわけにはいかない。
平塚さんも必死で叩いている。
そしてしばらくすると、ブレイクのリズム
(これで終わりだということを示すリズム)
が聞こえてきた。
ダンッ!
「おぉ、ジャポネー! 
 なかなかいいリズムじゃないか〜!!!」
「ありがとう!」














その演奏を聴きつけて、
黒いエレガントな民族服を着た女の人が入ってきた。
どうやら唄ってくれるようだ。
「ジャポネー、今度はジュンジュンを叩いてみろよ!」
ジュンジュンはジャンベと一緒に
アンサンブルする太鼓で、
これも大地のごとく
ベーシックなリズムを出す。
♪ドンカラカンカン・ドンカラカン♪
歌が聞こえるように
少し小さめの音で演奏を始めると、
その音に合わせてジャンベが入り、女の人が歌う。
歌詞はなんて唄ってるのか解らないけど、
なんともアフリカっぽい節回しだ。
そして歌が終わると、
また少しずつテンポが上がり始める。
♪ドドンカ・カンカン・ドドンカ・カン♪
リズムはどんどん早くなり、
大音量の大盛り上がり。
だんだん気分が高ぶり、ドレッドさんが奇声を発すると、
リズムも最高潮だ!
ウォォォ〜、グレイト アフリカ!!!














「いや〜、いい演奏だった! すごいな!」
「ありがとう!」
「ところでフレンド、
 今叩いているそのジャンベ、いい音だろ!」
「ほんとですね。」
「それは、プレイヤー用のジャンベなんだ。
 それがあればコンサートホールで
 いつでも叩いて演奏できるぞ、買わないか?」
「う〜ん、そうだな〜・・・いくらなの?」
「70,000CFA(約1万4千円)だ、
 安いだろ?」
確かに日本で買うことを考えれば
これでもかなり安い。
しかし、日本に帰って
 最初のうちは叩いていても、
すぐ叩かなくなるような気がした。
「やっぱり辞めとくよ。」
「どうしてだ、これはいいジャンベだ。
 いつでもコンサートに使える。
 じゃあ、60,000CFA
(約1万2千円)でどうだ?」
そう言いながら少しずつ値を下げていく。
「じゃあ、50,000CFAでどうだ?」
「う〜ん、そう言われてもな〜・・・」
「何が不満なんだ?いい太鼓じゃないか!」
「う〜ん、そうは思うけど・・・」
「いいか、お前はソーリーの友達だ。
 そして、ソーリーは俺の友達だ。
 だからお前と俺も友達だ!
 日本のミュージシャンとマリのミュージシャンが
 お互い音楽で結ばれるんだから、
 ぜひこのジャンベを買って帰ってくれないか?」
「そうだな〜・・・」
「こうなったら、ケースをつけて
 40,000CFAでいいよ!」
8,000円か〜、日本じゃ
考えられない値段だな〜。
どうしよう、困った!
「う〜ん、解ったよ。40,000CFAだ!」
「オォー、フレンド!」
そういってお互い握手を交わした。
それにしても、うまいこと言うな〜・・・














ウヒョ〜、楽しい!!!
セッションの風景











































わぁ〜、だんだん早くなってきたぞ〜!
セッションの風景






















「フレンド、これからこのジャンベを調整して
 もっといい音にするから、
 もうしばらく待っていてくれ。」
「じゃあ、他のみやげ物を見てるから。」
「上野さん、もうしばらく掛かりそうだから、
 先にラフィアに帰っておきますね。」
そう言って平塚さんは店を出ていった。
部屋には楽器以外にも置物やブレスレット、
ネックレスなどいろんなものが置いてある。
『あっ、あの置物よさそうだ!』
手に取って見ていると、店の人が説明してくれた。
「これは“マザー・オブ・アース”だ。」
「マザー・オブ・アース?」
「そう、人類はどんどん先祖をたどっていくと、
 ひとりの女性に行き着くんだ。
 それがマザー・オブ・アースなんだ。」
「なるほど〜・・・」
“マザー・オブ・アース”
その言葉の響きが気に入った。
よし、これと、ジャンベを模った
ネックレスを買っていこう。
いつもの調子で、かなり低い値段を言ってみると
「お前はアフリカ人みたいな奴だな!」と、
笑われてしまった。














こうして、無事ジャンベと
いくつかのお土産も買うことができた。
足りないお土産はセネガルで買おう。
買い物が終わる頃ジャンベの調整も終わり、
出来上がったジャンベの仕上がり具合を
叩いて聞かせてくれる。
♪カーン、カカーン♪
かなり紐をきつく張ったらしく、
乾いたとても心地いい音がする。
「どうもありがとう!」
「日本で叩きまくってくれよ!」
出来上がったジャンベを持とうとすると、
ソーリーが手を差し伸べてくれる。
「もうソーリーはガイドじゃないんだから
 自分で持つからいいよ。」
「俺たちは友達だ。」
「ありがとう。」
「じゃあ、ラフィアの近くまで送っていくよ。」














ありがとう、ソーリー!
ソーリーと一緒に


















いつの日にか、また会おう!
俺たちはブラザー

























店を出て先ほどの道を引き返す。
「ソーリー、本当にいろいろありがとう。
 俺の旅はとてもグレイトだ。
 楽しい旅ができたよ。」
「どういたしまして。
 そう言ってもらえると、俺もうれしいよ。」
ふたりで肩を並べてバマコの町を歩く。
こうして一緒に歩くのもこれが最後だ。
「そういえば、トムの蚊帳を
 俺が預かったままなんだ。
 明日なんとかラフィアに持っていくから。」
「今夜はホテルの蚊帳を使うから、
 それで大丈夫だよ。」
「そうか。よし、ここをまっすぐ行けば
 ラフィアに着く。
 俺はこのまま帰るから、ここでお別れだ。」
「手紙書くよ! それから写真も送るからね。」
涙がこみ上げてきたが、
昨日の“ハーフ事件”もあったので、
泣かないように必死で我慢した。
「俺たちは友達! 俺たちはブラザーだ。」
「ソーリー・・・」
抱き合うとまた涙がこみ上げてきた。
必死に我慢しようと思ったけど、もうダメだ。
涙でソーリーの顔がにじむ。
もう、一生会うこともないかもしれない・・・
いや、いつの日にかまたきっと会うことができる、
そう信じてソーリーを見つめた。
ソーリー、本当にありがとう!!!














ジャンベを持ってラフィアに向かう。
その姿を見て子供が近寄ってきて
ジャンベを叩く真似をしてみせる。
遠くから小さな女の子が走りよって握手を求める。
相変わらずの人気者だ。
ホテルの中庭に入るとボクンさんがいた。
「おぉ、トム! 買ったのか〜、よかったな〜!」
「買っちゃいました。」
「これで日本でジャンベをプレイできるな!」
「はい!」
と言ってジャンベを叩く真似をすると
ボクンさんは目を細めて笑っていた。














今でも叩いてますよ!
買って帰ったジャンベ








私がマザー・オブ・アースよ!
マザー・オブ・アース






















部屋に戻ると、平塚さんは本を読んでいた。
「ジャンベ、いい感じになりましたか?」
「ええ、バッチリですよ。」
ドラムの話や、西アフリカの音楽の話、
マりの社会事情など、話は尽きなかった。
「先ほどのジャンベの店で足の不自由な人、
 見ませんでしたか?」
そういえば、平塚さんが帰った後、
片足を引きずるようにして歩いている
男の人に話しかけられた。
「お前はどこから来た?」
「日本です。」
「そうか、日本は俺のような障害のある人には
 保障があったり、
 いろいろ優しかったりするらしいな。
 マリは何の保障もしてくれない。
 仕事も思うようにできないんだ。
 俺たち障害者はどうやって
 生きていけばいいんだ?」
「・・・」
何も答えられずにいると、
その人は笑いながらどこかに消えていった。
マリは日本よりも自由な国だと思うけど、
そのぶん障害のある人に限らず一般庶民も
自由な中に放り出されているとも言える。
それは確かに障害者や貧しい人々にとっては
優しくないかもしれないが、
『自分の力で生きていく!』
ということに関して言えば、
どちらがいいのか俺には解らなかった。
「俺は身体が不自由な人ではないから
 そういった人の気持ちは
 想像することしか出来ないけど、
 日本のように保障されていても、
 それを有り難いと思うか当然だと思うかで
 えらく違ってしまうと思うんですよ。」
「う〜ん、そうですよね〜。難しいですね〜・・・」
同じ事柄でも、その人の捉え方によって
善くもなるし悪くもなる。
それもやはりその人の感じ方次第なのだろうと思う。




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