TRIP
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ゴレ島の景色 |
12月6日 かようび はれ (その2) しばらく行くと、ゴレ島行きの船着場に着いた。 昨日と同じようにチケット売り場に行くと、 やる気のないネーちゃんが切符を売ってくれた。 中の待合室で日記を書きながら船を待つ。 昨日に比べると今日はかなりたくさんの人が ゴレ島に行くようだ。 今日は奴隷の家が開館していることを、 みんなよく知っているのだろう。 9:50には乗船が始まり、 今日も天気が良いので二階のデッキに行った。 船はやっぱり気持ちがいい。 約30分でゴレ島に到着! 昨日よりも日差しが明るくて、海が輝いて見える。 昨日食事したレストランでは ピエールがすでに働いていたので、 気づかれないように そ〜っと通り過ぎた。 |
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海に通じるドア |
島の地理は昨日でだいたい解っていたので、 そのまま奴隷の家に行くと、 昨日はしっかり閉ざされていた門も 今日はちゃんと開いていた。 入り口で入場料の500CFA(100円)を払い 門から中に入っていくと、 外の穏やかさとは打って変わって 重たい雰囲気に包まれた。 真ん中の階段を挟んで 両側にいくつもの小さな部屋がある。 たぶんそこに今から奴隷となる黒人が、 アメリカに向かう船を待つ間 入れられていたのだろう。 きっとギュウギュウに詰め込まれていたに違いない。 そして、真ん中には海に通じる小さなドアがあり、 そこから大勢の黒人が舟に積み込まれ、 見果てぬ地アメリカに出発したのだろうが、 今では薄暗い中にポッカリと口を開けたような その扉の向こうに青い海が見える。 その風景が妙に穏やかであればあるほど 昨日の青年の歌声のように、 昔の出来事の悲惨さがよりいっそう強く感じられた。 |
奴隷が入れられた部屋 |
今ではピンク色の建物も・・・ |
正面中央辺りから円を描くような階段を上ると 二階は博物館のようになっていた。 フランス語と英語で書かれているので ほとんど解らなかったが、 当時のこの建物の写真が展示してあった。 今ではピンク色に塗りかえられているこの建物も、 当時はかなり汚く、壁も黒くて、 今にも臭いが漂ってきそうだった。 かつて聞いた話によると、 定員の何倍もの黒人が船にギュウギュウに詰め込まれ、 食事もろくに与えられることもなく、 アメリカに着くまでの何十日もの間、 もちろん風呂なども無く トイレもなく垂れ流しの状態で衛生状態もかなり悪く、 アメリカに着いた頃にはかなりの人が 死んでいたのだそうだが、 その様子がこの写真からうかがえる。 当時を想像しただけで気分が悪くなりそうだった。 |
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階段を降り、離れの建物に入ると、 たくさんの観光客相手にガイドさんが フランス語で説明していた。 もちろん何を言っているのかは解らないが、 当時の奴隷たちにつけられていたと思われる 足かせと重りについて説明しているようだった。 説明が終わった後でその重りを 実際に持たせてもらったけど、 とても重くて片手では持ち上がらない。 両手でやっとという重さだった。 |
かつてはこんな感じ |
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壁に描かれた奴隷貿易の風景 |
壁には足かせのみならず、首も鎖で繋がれている 黒人の姿が絵にして表されていたが、 こんな時代があったということが 今の生活からはあまりにかけ離れていて、 唖然とするほか無かった。 |
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そういった昔の悲惨な展示物の中に、 一枚興味深い写真があった。 白人と黒人の手が大きくアップで写され、 仲良く手を繋いでいる。 今では白人も黒人も、肌の色に関係なく 世界中の人々が仲のいい友達なのだ と言っているようだった。 昨日は閉館していたので、 このまま見ずに日本へ帰ろうかと思っていたけど、 やはり今日も訪ねてきてよかった、そう思えた。 |
手を繋ぐ写真 |
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のどかな家並み |
奴隷の家を後にして、 今度は島の反対側のミュージアムに行くことにした。 奴隷貿易のことがとことん知りたくなったので、 何かそういった類のものが 展示してあるかもしれないと思ったからだ。 細い裏道をのんびり歩く。 奴隷の家から一歩外に出ると本当にのんびりしていて、 足取りもゆっくりになってしまう。 小鳥のさえずりが耳に心地いい。 今では観光地となったこの島にも もちろん住んでる人もいるわけで、 建ち並ぶ素朴な家の中の様子をそ〜っと窺(うかが)うと、 親子の会話が聞こえてくる。 「も〜、あんたはいつまでもグズグズして、 さっさと片付けなさい!」 「いいじゃんか〜」 「うるさい! 早く片付けないと お昼ご飯は抜きだからね!」 「なぁ〜んでやぁ〜!!!」 もちろん現地の言葉なので 何を話しているのかは解らないけど、 なんとなくそんな会話を想像してしまい 微笑んでしまう。 |
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そんな家々を通り抜けると、 ようやくミュージアムが見えてきた。 大きな円筒状の建物は、 昔のお城かなにかを造り替えたようだ。 入り口で200CFA(約40円)を払って中に入ると、 ほとんど人はいなくて閑散としていた。 展示物を見てみると、 昔の遺跡から掘り起こしたものや写真が展示してあり、 奴隷貿易とは関係ないようだった。 一通り見学して建物から出ると、階段がある。 どうやら屋上に上がれるみたいだ。 階段を上ると大きな大砲があり、 昔は海から侵略してくる船等を撃っていたのだろうか。 そこを過ぎると大西洋が広がり、 ダカールの街並みも一望できる。 いいね〜!!! |
街角の絵描き屋さん |
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ミュージアム |
そこへ、先ほどの階段から フランス人の男性が上がってきた。 「やぁ、きみは日本人? 中国人?」 今では中国人に間違われても、気にならない。 「日本から来ました。あなたはフランス人?」 「そうだよ。日本とダカールは どのくらい離れてんの?」 「いや〜、解らんね〜。セネガルは楽しい?」 「もちろんさ! すごく楽しいよ!」 「そりゃいい! よいご旅行を!」 「ありがとう、きみもな!」 いったい何語で話したのかも覚えてないけど、 これだけの会話ができたことがすごくうれしかった。 言葉なんてたいして解らなくてもなんとでもなる。 本当に俺は何でもできる気になってきた。 |
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ミュージアムを出て、今度は海岸線を歩いて戻る。 今日もレストランのところで船を待ってもいいのだが、 昨日結局ピエールの家には行かなかったから、 なんとなく気が引けたので、 きつい日差しを避けて木陰で船を待つことにした。 しばらくすると停まっていた船が警笛を鳴らし始めた。 出発の合図のようだ。 レストランの横を通り過ぎるとピエールが話し掛けてきた。 「日本に帰るんだよな!」 「うん、今夜ね。」 「またおいでよ。日本に帰ったら電話して!」 「いろいろありがとう。じゃあ、さようなら。」 船に乗り込み2階のデッキに上がると、 朝とは違い人は少なかった。 12:00少し過ぎて出港! ゴレ島ともお別れだ。 |
ダカールへの連絡船 |
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