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2000年 5月 1日 (月)


 朝、8:30に宿を出発。今日は元会津藩の城下町、会津若松市に向かう。「グラ」ちゃんに乗り、ナビの目的地を”鶴ケ城(若松城)”にセットする。磐梯町から河東町を抜け、国道294号から会津若松駅近くで日光街道(国道118号線)に出れば、後は道なり。標識に従い、鶴ケ城へ。朝早かったためか渋滞もなく、すんなりと鶴ケ城の駐車場に到着。


 敷地内の桜は見事に満開。昨日の喜多方の桜もよかったが、敷地内の至るところで今が盛りと咲き誇る桜は、本当に素晴らしい。鶴ケ城の天守閣は、1〜4階が郷土博物館になっており、戊辰戦争当時の資料や文化財が展示されている。これらの中で、一番心に残ったのは白虎隊士の肖像画の数々。こんな子供たちが戦いのすえに自刃したのかと思うと、痛ましい思いでいっぱいになる。最上階の展望台からの眺めは素晴らしい。桜を真上から見るということはあまりないことだけど、まさに桜の海(会津磐梯道中記トップページの写真)といった感じ。


 敷地内には滝廉太郎の「荒城の月」の碑がある。鶴ケ城はこの歌のモデルとなった城らしい。この碑のそばを抜けたちょっとした高台にこの季節に写真を撮るのに絶好のポイントがある。桜の木々の間から鶴ケ城がのぞめるのでもし機会があれば是非ここで記念の1枚を。


 車を鶴ケ城に置いたまま、歩いて七日町駅方面へ向かう。七日町駅付近は、元城下町の中心地で当時の面影を残す老舗の数々が軒を連ねており、「会津楽市通り」という名で呼ばれている。その風情はなんとも言いがたく、心休まる気持ちにさせられる。あちこちの店先で写真を撮りながら、のんびりと歩くのが楽しい。(ただし、交通量が結構多いので写真を撮る時は車に轢かれないよう注意!)


 会津楽市通りを散策した後は金看板史料館へ。ここは、神禧堂薬局という今でも現役の薬屋さんなのだが、まず、店内が昔ながらの畳座敷になっていて思いっきりレトロ。2階に明治時代の金文字の薬看板が展示されている。次に、会州一蔵品館へ。ここは、会津のお酒「会州一」の蔵元なのだが、酒蔵の一部でコレクションの茶道具や雛人形などを展示している。(もちろん利き酒もできる。・・・2日続けて、こんなことしてていいのかな〜。)


 昼食に”田季野”というお店で輪箱飯(わっぱめし)を食べる。薄い木を曲げて作った容器に、色んな具が入った蒸篭ご飯。これは本当においしかった。(お腹もいっぱい。女性にはちょっと量が多いかも。)駐車場に戻ると、朝とはうって変わって車でいっぱい。天気もよいので、たくさんの人が花見にくり出したようだ。


 再び、「グラ」ちゃんに乗り、飯盛山へ。ここは鶴ケ城下の戦火を落城と思い込み、白虎隊士19名が自刃したことで有名なところ。しかし、すっかり観光地化されてしまっていて、そういう歴史上の悲惨な出来事とは無縁といった感じ。厳島神社脇の池に残る、白虎隊士が追っ手をのがれるための抜け道として使ったと言われる戸の口堰洞穴が唯一、歴史をしのばせる。


 宿に戻るが、今日も露天風呂はおやすみ。がっかり。

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