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1997年 7月 9日 (水)


 今日はインターラーケンへの移動日。荷物をまとめてチューリッヒ中央駅へ向かう。とりあえずチケットを確認すると、途中、ベルン駅を経由してインターラーケンウエスト駅へ向かうようだ。駅の案内所に日本人スタッフを見つけて、乗り場を聞くが、時刻表に載ってますからと冷たい返事。時刻表見てもわからないから聞いるのに!(怒)。なんで、スイスで出会う日本人は私たちに対してこうも冷たいのだろうか?(悲)。ヨーロッパの駅は日本と違って改札というものがない。その代わり、車内で車掌さんが必ずチケットを確認しにくる。


 なんとか、時刻表にそれらしき列車と乗り場を発見し、事なきを得る。車窓は、はじめのうちアルプスらしい可愛らしい家々を映し出す。ベルンを過ぎてしばらくすると風景は牧草地や山並みなど広々した大地へと移り変わってくる。


 インターラーケンウエスト駅に到着すると、まず、ホテルへ向かう。インターラーケンは、トゥーン湖とブリエンツ湖に挟まれたスイスのリゾート地。(インターラーケンの名は”湖の間”という意味)。宿泊先のシャトレー・スイスはリゾート地のホテルらしく、日本人にお馴染みのアルプスの宿といった外観。室内もとっても可愛い造りで妻は大満足。妻はさっそく、絵葉書を買ってホテルから自宅宛に手紙をしたためる。


 今日は、おみやげの買い物と明日のユングフラウヨッホ観光の下調べの日と決め、街をぶらつく。おみやげ屋に”日本人ガイドいます。”の看板を見つけ入店。何も買わずに、お話しを聞くのは失礼かと数点おみやげを選び会計へ。支払いを済ませ、ユングフラウヨッホへの登山鉄道の始発駅インターラーケンオストへのバスについて尋ねるが、またまた、”私は乗ったことないからわからないわ”との返事。一番の観光スポットのことも知らないで観光案内所の看板上げるなよな〜(怒)。


 しかたないので、とりあえず歩いてインターラーケンオスト駅へ行く。40分以上かかって駅に到着。駅でユングフラウヨッホについて片言の英語で尋ねると、言葉の通じない日本人に駅の職員さんは丁寧に教えてくれた。現地の人の方がよっぽど親切。バスについての情報もバスのドライバさんからなんとか教えていただけた。


 夕食は、はじめてスイスらしい食事(オイルフォンデュ)を堪能する。さあ、明日はいよいよユングフラウヨッホだ。

      7月 10日 (木)


 朝、目が覚めベランダで煙草を吸っていると、外から日本人観光客の会話が聞こえてくる。どうも中年の婦人がハイヒールしか持ってきてなくて、ツアコンの人にユングフラウヨッホはハイヒールでは危ないと言われているらしい。たしかに、ガイドブックには”ハイヒールでも行ける!?”なんて書いてあるけど、ちょっと強引じゃない?。こうやって鵜呑みにする人もいるので、ガイドブックの編集者の皆さん、表現には十分注意しましょう。


 インターラーケンウエスト駅からインターラーケンオスト駅までバスで移動。インターラーケンオスト駅からまず、ベルナーオーバーランド鉄道(BOB)に乗ってラウターブルネン駅へ。乗り換えがわからず日本人観光客の後をついて行くとケーブルカー乗り場に着いてしまった。これは違うと気付きあわてて引き返す。ヴェンゲルアルプ鉄道(WAB)に乗り換え、クライネシャイデック駅へ。クライネシャイデック駅から見える景色は雄大。そこから、ユングフラウ鉄道(JB)に乗り換えて、ユングフラウヨッホへ。途中、垣間見えるアイガー北壁は迫力十分。景色を堪能したいなら、進行方向に向かって座ること。
ユングフラウヨッホに到着。駅はトンネルの中にあり、駅舎の中には氷の宮殿がある。力士や色々な氷像が展示されている。トンネルを抜けると突然、雄大な風景が広がる。日本のスキー場などで雪山は見慣れているつもりだが、スケールが違う。感動、感激。駅舎には世界一高いところにある郵便ポストなどもあるので、記念に手紙でも書いてみると思い出になるかも・・・。


 WABとBOBをうまく使うと、山を一周できるので、帰りは反対のルートで戻ることにする。クライネシャイデック駅に着くと、無茶苦茶寒い。回りの観光客は皆、一様にトレーナやセータなどを取り出し、重ね着をはじめる。そんな用意のない、私たちはしかたがないのでここに来た記念としてトレーナを購入した。クライネシャイデック駅からBOBに乗り換え、今度はグリンデルヴァルト駅へ向かう。ところが、1駅前のグルント駅で間違えて降りてしまった。この駅は引き込みになっていて、ここでスイッチバックするので注意!。


 インターラーケンオスト駅に戻り、今回の旅の第一目的は無事終了。明日は、最後の宿泊地ジュネーヴへの移動日だ。


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