完全に目が冴えてしまった。こうなると時刻表を眺めながら車窓に流れる駅名を読むぐらいしか、過ごしようがない。 そうしているうちに「社台」の文字が視界に入った。ん、社台?どこかで聞いたような…。そう、競馬ファンにはすっかり おなじみだが、あの社台ファームの社台である。確かに社台ゆかりの地である白老の隣の駅になるのだが、まさか 駅名すなわち地名だったとは思わなかった。ちなみに社台ファームや系列の白老ファームなどは遠く離れているので、 放牧されている姿は見ることができない。 20分ほどして苫小牧に到着、1つの選択に迫られた。ここで岩見沢方面に乗換えると、日高山脈を越えて帯広・釧路 方面に向かうことができる。しかし今回は北海道自体が初めてということもあり、札幌へ向かうことが決まっていたので、 そのまま乗車し続けた。空が明るくなってきたが雲に覆われていて、残念ながら天気はあまり良くないようだ。6時31分、 新宿から実に31時間22分掛けて札幌に到着した。 札幌駅は1988年11月に高架化され、その規模はホームが5面で10番線まであり、阪急梅田駅(10面9線)に匹敵する ぐらいの大きさだ。さすが北海道の中心駅だけある。一度改札を抜け、コインロッカーにボストンバッグを詰め込んだ。 身軽になって整備された北口に出てみると、目の前にコンビニを発見した。朝食におにぎりとお茶を買って、再び改札を 通ってホームに上がった。 にエンジンを積んだものである。この列車に乗って北海道での第一目的を果たそうとしている。 離れ、札幌競馬場を右手に見ながら札沼線へと入る。この札沼線は、ここ数年沿線人口の増加によって、複線化や 高架化が進み、札幌近郊の重要な通勤通学路線となっている。昼間でも約20分毎と地方路線としては本数が多い。 車窓を見ると住宅が立ち並び、札幌のベッドタウンと化していることがわかる。途中石狩川を渡り、札幌市域から 外れ、終着駅石狩当別に到着した。 ここからは単行(1両編成)気動車でさらに先を目指す。ここからはそれまでと違い、完全なローカル線となる。車窓 には住宅がほとんど見られなくなり、それどころか建物自体もまばらになる。しかし私にとってはそういう景色の方が 非常に魅力的である。あまり高い山もないので、いかにも原野の中を走るといった感じがする。時刻表を見ると、 対向列車(石狩当別行き)と交換するらしい。15分以上停車するようなので、ホームに降りて軽く身体を動かすことに した。その交換駅石狩月形に到着した。 駅前に出てみるとバス停と住宅が数件あるだけで、店の類はまったくない。ホームに戻って付近の風景を撮影して みる。同じようにカメラを持った人が数人ホームに降りていた。おそらく「お仲間」だろう。10分ほど経って線路の向こう から石狩当別行きがやって来た。到着すると対向列車の運転士があるものを持ってきて、こちらの運転士に手渡した。 これはまさしくタブレット(通票)!信号の自動化でほとんど見られなくなったが、まだまだ現役で働いているようだ。 実物にお目にかかるのはまったくの初めてである。簡単に説明すると、この場合石狩月形から先の区間はタブレットを 持った列車だけが走れるシステムになっている。例えるなら通行手形のようなものだろう。 となる。それゆえに最初に乗車しておきたかったのだ。札幌を出ること2時間半、終点の新十津川にたどり着いた。 かつてはもっと大きな駅だったのだろうが、線路が撤去されてホームが1面の簡素な構造となっている。当然無人駅 である。今でこそ終端駅となっているが、1972(昭和47)年6月まで留萌線の石狩沼田までの31.8kmの路線があった。 だから「札沼線」なのである。しかしその面影は草が生い茂る線路跡ぐらいでしか見ることができない。 列車はここまでなので、本来ならそのまま折り返すところだが、新十津川駅は函館線滝川駅から4qほどしか離れて いない。しかも幸いなことに滝川方面へのバスがあるので、それで移動することにした。駅から5分ほど歩くと、町役場 の前の交差点にバスが信号待ちしている。予め調べた時刻より早かったが、小走りでバス停に向かった。途中石狩川 を渡り、15分足らずで滝川駅そばのバスターミナルに到着した。時計は10時に近づいていた。 |