熱闘甲子園


1.プロローグ
 1994年8月17日…、それは寝ボケ眼でテレビを見たことから始まった。夏休みを取って2日目だっただろうか、
8時過ぎに目が覚めて、朝食を頬張りながら高校野球中継を見ていた。そして突如それまで感じたことのない
衝動に駆られた。「そうだ、甲子園に行こう」すぐさまそばにあった時刻表をめくって、今はなき
南近畿ワイド周遊券の存在をつかんだ。身支度もそこそこに、当時住んでいた会社の寮から飛び出すように
出発した。

 翌朝8時過ぎにはもう甲子園のスタンドに腰を据えていた。当時は8時試合開始だったので、残念ながら試合
開始には間に合わなかった。それから約10時間、それまでテレビでしか見たことのなかった、選手たちのひた
むきなプレー、観客の歓声と暖かい拍手、甲子園の偉大さを肌で感じ取ることができた。試合がすべて終わり、
家路を急ぐ人の流れの中、密かに誓った…「毎年見に来よう」と。


 それから8年、既に甲子園を訪れること6回、観戦した試合23を数えるまでになった。昨年(2001年)夏は未踏の
地を中心に旅していたので、甲子園に行くことはなかった。そういう意味でも今年こそは甲子園、と数ヶ月前から
計画を立てていた。今回は青春18きっぷ(以下18きっぷと略す)で行くことにしていたので、必然的に乗る列車
が決まってくる。そしてその日はやってきた。


2.眠れぬ夜
2002年8月17日(
 20時30分、品川駅7番線ホームに4ヶ月ぶりにやってきた。そう、実は今回も桜花賞のとき(以下、前回と記す)と同じ
列車に乗ることになるのだ。「ムーンライトながら」の指定席券が取れそうになかったのと、大垣に1時間早着する
この列車を最初から目をつけていた。車両も前回と同じなので、詳細については桜花賞の項を参照すること。
しかし前回と違うのは、混雑度が桁違いだったということだろう。

発車3時間以上前(20時40分頃)だというのに、もう先客が…。
品川駅7番線ホームにて(停まっている列車は回送列車)

 上の写真の通り、ホームには数人ずつ停止位置に列を作っている。もっともこの日は夏休みの土曜日、そして
18きっぷの有効期間ということで、混雑するのは当然である。したがって並んでいる人の大半が青春18きっぷ
ユーザー(以下、18キッパーと記す)であることが推測される。今回は後々のことを考えて、3両目の後ドア前に
荷物を置いて陣取った。すぐそばにホーム屋根を支える柱(上写真の中央)があるので、荷物が見える位置で、
楽に座って待つことができた。

 23時10分、前回と同じ時刻に列車が入線した。前から5人目の位置に並んでいたので、座席自体は確保でき
そうだ。今回は向かい合わせの4人ボックス席の窓側前向き(←基本)を確保した。車内は見る見る間に座席が
埋まり、デッキには数人が立ち始めた。あんな所(トイレの前)に立ってジャマだなと思いつつ、列車は品川駅を
離れていった。

これより2002年8月18日(
 川崎・横浜と過ぎ行くうちに、車内はますます混んできた。降りる人も多少いるのだが、それ以上に乗ってくる。
品川出発直後から持ってきたCDプレーヤーでCHAGE&ASKAのオリジナルCD(ベストアルバムからCD-Rに編集
したもの)を聞きながら、本を読みつつ眠くなるのを待った。1時を過ぎ小田原を出発した頃、寝る前にトイレに
行っておこうと、席を立って通路を見ると、通路が人で埋まっていた。座っているならまだマシだが、
中には寝転がっている輩もいる。これではトイレに行こうにも歩けやしない。さて困った、反対側なら何とか歩け
そうだが、トイレは更に隣の車両を歩かなければならない。無理にでも突破しようかと考えていると、約30分後に
到着する沼津で20分停車するのを思い出した。他にも用事があったので、沼津まで待つことにした。

 1時47分定刻通りに沼津に到着、降りてすぐに改札そばのトイレに駆け込んだ。用を足したところで、もう1つの
用事を済ませようと、ホームの端まで”ある人物”を探しにいった。なかなか見つからず元の車両付近まで戻る
と、右手にテレビのリモコンを一回り大きくしたような機械を持った人物が!見つけた。近寄って18きっぷを取り
出して一言「すいません、日付入れて下さい」。車掌を見つけ出して18きっぷに日付とスタンプを入れてもらった。

 ここで解説すると、18きっぷは乗車する最初の駅で日付を入れてもらわなければならない。ではなぜ出発して
5時間以上も経ってから日付を入れてもらったのか?18きっぷは0時を過ぎて最初に停まる駅から、24時を
過ぎて最初に停まる駅まで有効なのである。つまり1回(日)分は厳密に24時間しか使えない。この場合、出発
したのが17日の夜なので、18日になって最初に停まる駅、この場合は川崎から有効にするために、川崎までの
切符を買って17日の分を”節約”していたのだ。これは18キッパーなら必ず知っている、いわば定石である。
ちなみにほぼ同じ時刻で走る「ムーンライトながら」は川崎に停車しないので、”日付変更駅”は横浜となる。

 発車時刻が近づいたので、、座席に戻った。すぐには眠れそうにないので、またCD(ハイヌミカゼ:元ちとせ)
を聞きながら本を読み始めた。9曲目の「君ヲ思フ」までは起きていることはできなかった…。ふと目が覚めると
見覚えのある駅に停まっている。時計を見ると3時近く、どうも静岡らしい。この次に停車する浜松とよく似た駅
なので、駅名板がないと間違えることも。(寝ぼけ眼なのでなおさら)また眠りに就き、目覚めたときはもう豊橋
だった。いつもそうだが、豊橋まで来るともう眠れなくなる。ここで「ムーンライトながら」を置き去りに、まだ夜が
明けきらない三河路を西に進む。豊橋から48分という新快速並みの驚異的なスピード(途中無停車)で名古屋に
到着。3分の1ほどの客が降り、ようやく通路が通れるようになった。


3.大垣”席取りバトル”
 木曽川を渡り岐阜を過ぎたところで、席を立ってデッキに移動した。そして5時55分終点大垣に到着して、ドアが
開いた瞬間、乗換階段を目指して一目散に走り出した。階段はさながらマラソン大会のスタート時のような、壮絶
な光景が繰り広げられた。知る人ぞ知る大垣の席取りバトルである。大垣〜米原間は列車の本数が少なく、
しかも早朝なのでなおさらである。それ故に普通列車を乗り継いで少しでも遠くを目指す18キッパーたちにとっては、
当然同じ列車を目指していくことになる。(実際、数時間経っても同じ人に会うことが多い)したがってどうしても同じ列車に
集中してしまうので、このような光景が18きっぷ期間は毎日繰り返される。ただあまりにもすごいので、いつケガ人が
出てもおかしくない。余裕があるときは、次の列車(約30分後)を待った方が無難だ。

 持っていたボストンバッグを目指す座席に向かって放り投げて、席取りバトルに勝利した。何とか窓側前向きの
座席を確保した。通路やドア付近があっという間に人で埋まり、さながら朝のラッシュの車内と化した。(下写真)
ここでふと考えた。米原で新快速に乗り換える18キッパーたちでまた席取りバトルが展開される。(今度は同じ
ホームの反対側)むしろドア付近に立っているほうが有利なのではないか?それにこのまま乗り継いで大阪に
たどり着いても、甲子園に到着するのはどうがんばっても8時30分頃。それではもう第1試合が始まってしまって
いる。(試合前のあいさつはもっと早い、ここから見なければ意味がない)それらすべてを考慮して、米原で18
きっぷを”捨てる”ことにした。

18きっぷ時期はこれぐらいが当たり前。
大垣6時発姫路行き列車内

 米原の席取りバトルを尻目に、新幹線改札口に向かった。18きっぷでは特急・急行に乗車することができない
(乗車券の代わりにも使えない)ので、当然新幹線にも乗車できない。出発してわずか7時間で”反則技”を使って
しまったが、しかし8時頃までに甲子園の観客席に入るには、これしか方法がない。米原〜新大阪間の乗車券と
特急券で4300円も投資することになった。しかしもし「ムーンライトながら」に乗って、名古屋で新幹線(同じ列車)
に乗り換えていたら5670円も払わなくてはならず、さらに1370円も余計に払わなければならなかった。朝食を調達
しようと、前回使った売店を探すと、何とまだシャッターに閉ざされていた。7時開店と書いてあり、6時50分発
なので、とても待っていられない。しかたなく空腹のまま新幹線に乗り込んだ。米原を出ると、寝不足が響いた
せいか、気づいたときは京都を発車しようとしていた。目の前には軽食を売る売店が!もっと早く気づけば朝食
にありつけたのに…。列車は無情にも京都駅のホームを離れていった。

 新大阪に到着したと同時に、東海道線のホームを目指して走り出した。少しでも甲子園に早く着くためである。
新大阪から1駅の大阪までの5分間が長く感じた。大阪到着後、大阪駅南側の阪神電車のりばに向かって再び
走り出した。改札に着いて脇のコインロッカーにボストンバッグを置いていこうとした…が、100円玉がない!
おまけに両替機もない…。もう時間が1分でも惜しいので、そのまま重いボストンバッグを持って急行電車に乗り
込んだ。座席に座ると、一気に汗が噴き出してきた。走りっぱなしだったから当然か。15分後、2年ぶりに甲子園
球場のツタが目に飛び込んだ。

 球場入りする前に朝食を調達しようと、甲子園駅前のコンビニに入ったところ、4,5列あるレジには既に
長蛇の列が!これを待っていては試合開始に間に合わない。球場に向かって突っ走りながら、値が張るけど
球場内で朝食にするしかないと思っていたときに、弁当の店頭販売が目に飛び込んだ。これ幸いと弁当を
買って、再び甲子園球場に向かって走り出した。


いざ出陣!2年ぶり7度目の甲子園へ