午後降る雨の如く優しく

作:しにを

            




「なんなんですか、あなたの格好は」
「あれ、変かなあ」

 心配そうな顔をするアルクェイド。
 自分の着ている物を見下ろして、わからない様子で首を傾げている。
 うーん。
 変と言えばこの上なく変だけど、どうにも真正面からはそう言い難い。
 何よりどういうつもりでソレを身に纏っているのかがわからないから。
 わたしは当惑して彼女を見つめ、結局否定はしなかった。

「いえ、まあ、似合っていると言ってもいいでしょうかね」
「ああ、よかった」

 嘘は言っていない。
 端的にアルクェイドとソレの組合せの判断すれば、確かに似合うと思う。

「でも何でまた?」
「ええとね、シエルはいつもカソック着てくるって聞いてたから。ちゃんとお
墓参りするんなら、それに相応しい礼服がいいのかなと思って」
「礼服?」

 あ、わたしの眉がぴくりと動いた。
 彼女の言葉に反応して。
 でもアルクェイドはそれに気づかず、得意そうに言葉を続けた。

「シエルは教会の人間だから、それを着ているんでしょ?
 でも、わたしがそんな服着るのは変だし、シエルだってきっと嫌がると思っ
て、それは却下」
「まあ、抵抗はありますね。と言うか、カソック着た真祖なんて考えるだけで
頭が変になりそう……」

 冒涜です。
 異端です。
 却下です。
 そう叫ぶより先に眩暈がした。
 幾らなんでもそんな真似をされたら、わたしは卒倒すると思う。 
 そうでしょうとアルクェイドは頷く。
 少し得意そうな顔。

「だかから、なんだっけ郷に入りては郷に従え、だったっけ」
「Cum fueris Romae, Romano vivito more, cum fueris alibi, vivito sicut ibi.」

 ローマにいる時は,ローマ人のように暮らしなさい、他の土地にいるときは、
そこに住む人のように暮らしなさい。
 
「ああ、そっちの方がわかりやすい、それね。だから、日本風にした方がいい
かなあって思ったの」

 にこにこと笑う。
 ……ふぅ。

「なるほど、発想は理解できました。それで言うと本当は私も場違いもいいと
ころなのですけどね。
 でもアルクェイド、正確にはそれは神道の……」

 そこまで言って、口ごもる。
 ……。
 変わったものですね、わたしも。
 昔なら、あらん限りの皮肉や侮蔑の表情でアルクェイドに接しただろうに。
 馴れ合い。
 そんな言葉が浮かぶ。
 ああ、そうかもしれない。
 今のわたしにはとても「それはおかしい」と言う事が出来ない。
 こんなアルクェイドの笑顔を前にしたら。

「うん? ねえ、喜んでくれるかな」
「まあ、あなたが黒い喪服に身を包むより、喜ぶかもしれませんね」

 努めて表情を平らかにする。
 ともすれば懐疑的な表情になるのを抑え込む。

 形はどうあれ、アルクェイドなりに考えての行動。
 その姿を死者への礼として選んだのなら、それはそれで誰にも否定出来まい。
 でも、いったい何をどうしてここに行き着いたのだろう、この真祖の姫君は?

 改めてまじまじとアルクェイドを見つめる。
 白と紅で構成された服。
 白と金色のアルクェイドには、意外とマッチしている。
 そのシンプルさより儀礼的な構造の服の形も彼女には似合っている。

 だけど、白衣と緋袴。
 巫女服を身に纏った吸血鬼、真祖の姫君。

 くらくらと眩暈がしそうだった。

 ……なまじ似合っているだけにかえって異次元の姿に思えるのかも。
 何着ても似合いますからね、不公平な事に。
 そう言えば前に遠野くんが言ってましたっけ。
 カソックやシスターの姿はアルクェイドにどうかな、なんて。
 あの時は、何を言うんですと遠野くんに文句を言いましたけど、正直……。
 いえいえ、そんな事を考えるのも神への冒涜と言うもの。
 似合おうが似合うまいが、アルクェイドに着る資格は無いのですから。

 まあ、いいでしょう。
 別にアルクェイドのファッションや巫女服について語り合う為にここ迄来た
のでは無いのですから。

「行きましょうか」
「うん」

 少し、笑みを消してアルクェイドは大きな花束を手にする。
 わたしは水桶を手にして、一緒に目的の処へと歩き始めた。
 小高い丘の上にのお墓。

 自然と無言になる。
 アルクェイドも哀悼の意を表すように、口を噤んでいる。
 そうでしょう。
 ぺちゃくちゃと喋りながら訪ねて良い処ではない。
 この数十歩の間は、沈黙が望ましい。

 ただ、足を動かし、彼の人を想い浮かべる。

「志貴……」

 小さくアルクェイドが呟く。
 悲しげな響き。
 わたしも口にせずに遠野くんと呼びかける。

 また、やって来ましたよ、遠野くん。
 あなたの魂に安らぎあれ。
 
「さすがに、いつ来ても綺麗にしてありますね」
「妹は?」
「今日はお二人でどうぞって言ってましたよ」
「そう……、まだ怒ってるのかな?」

 奇を衒わない自然な、だけど立派なお墓。
 秋葉さんの想いがうかがえるようなお墓。

「まあ、会えば恨み言の一つも言うかもしれませんが、ぜひ帰りに訪ねて下さ
いとも言われてます。やっぱりあなただけが知る遠野君の事、秋葉さん達も直
接聞きたいんでしょうね」
「うん、行く。私も会いたい。でも……」

 心配そうなアルクェイドの表情。
 彼女がこんな顔をするのは珍しい。
 え?
 むしろわたしの顔色を覗うみたいな……、何だろう?

「なんです?」
「シエルも一緒に来てくれる?」
「もちろんですよ」
 
 ほっとしたような顔をする。
 うーん。
 まあ、わたしはともかくアルクェイドが秋葉さんに対峙するのをちょっと躊
躇うのはわかりますね。

 持って来た花を捧げ、改めて二人で遠野くんの墓石を見つめる。

「来たよ、志貴」
「遠野くん、元気にしていましたか?」

 遠野志貴、ここに眠る。  
 簡単で、そして深い墓碑銘。

「遠野くん、久しぶりですね、今日はアルクェイドも来てくれましたよ」
「ごめんね、志貴。私……」
「人間ってあっけなく命を失うんだね。
 わたし、志貴に会うまでそんな事思った事も無かった」
「まだ遠野くんが死んでしまったなんて信じられない……」

 死をあれほど目にしていながら、親しき人の事は素直に受け止められない。
 人としての心の動きだろう。
 いんちきじみた生を生きるわたしやアルクェイドには、よりいっそう信じら
れない。
 遠野志貴が、もうこの世にいないと言う事を。

 でも、それは歴然とした事実。
 既に月日は流れている。
 いつしか思い出に変わるのだろう。

 わたし達は今この場では、思い思いに彼を偲んでいる事しかできない。
 しばし無言でそこにいない彼と対峙する。

 と、アルクェイドが声を掛けた。
 少し思いつめて、少し躊躇いがちに。
 わたしへの懇願。
 何とも珍しい事態。

 だが、その内容。
 頬が赤くなるのがわかる。
 あまりに真剣さを見せている彼女の顔がなければ、わたしは恥ずかしさから
転じて怒り出していたかもしれない。

「ねえ、お願い。
 こんな事、シエルにしか頼めないし……」
「でも、ですね」
「何でもするから。
 シエルが言う事何でも聞くから、だからお願いします」

 何処で憶えたのだろう。
 跪いて、さらに土下座をしようとする。
 まじまじと見つめて、はっとして止める。
 そんなアルクェイドを見たくはなかった。

「わかりました。わかりましたから、おやめなさい」
「じゃあ、してくれるの?」
「……ええ」

 露骨に嫌な顔で、しかし同意する。
 しかしアルクェイドの顔はぱっと輝く。

「本当にやるんですか」
「うん、志貴が喜んでたっていつも言ってたじゃない」
「でも……」

 何でそんな事を憶えているのだろう?
 確かに事実で、しかも彼女に告げたのはわたしだ。
 でも売り言葉に買い言葉というか……、自業自得か。
 どれだけ遠野くんを愛しているか、遠野くんに愛されているか。
 そんな懐かしい言い争いの中で、嬉々として語っていたのだから。
 しかし、何て恥ずかしい真似をしたのだろう、昔の私は?

「シエルはいいよね、もう何回もそうやって志貴を悦ばせてあげられたんだか
ら。ずるいなあ」
「ああ、もう、そんな顔をしないで」

 追憶と後悔と羨望と悲哀。
 ごっちゃになったアルクェイドの顔。
 遠野くんを思い出している。
 わたしが今、普段抑えているより遥かに遠野くんを溢れさせているように。
 思わず体が動いた。
 アルクェイドを軽く抱き締める。
 不思議だ。違和感がまるで無い。本当に自然な行為としてそうしている。
 アルクェイドも驚く事無く受け止めている。
 
 そっと囁くようにアルクェイドに言葉を押し出す。
 自分でもわかる。
 優しい口調。

「あなただって随分と遠野くんと凄い事したんでしょ?」
「うん……」
「真祖の力を封じたままで露出放置プレイしたりとか、二人の姿を見えなくし
て街中でしちゃったりとか、他にもいろいろと。知っているんですよ」
「シエルだって、裸マントで二人で夜歩いたり、他にも恥ずかしくてわたしの
口からは言えませんなプレイをして楽しんだんでしょ」

 ……話の中身はともかく。

「そうですねえ、遠野くんただ絶倫なだけでなくて、幅広い性癖を持ってまし
たからね」
「わたしなんて、どいうのか普通の行為なのかわからないから、志貴に言われ
たら何でもしてたなあ」
「ああ、わたしの前でおかしくなっちゃったのも遠野くんにやらされたんでし
たっけ。秋葉さんもね、こんな事は秋葉にしか頼めないよとか言ってかなり、
とんでもない事をさせてたらしいですよ」
「うわあ、志貴って凄かったんだね」

 おや、遠野くんについて語り合っているのに、しみじみムードが消えている。
 まあ、いいか。
 遠野くんが聞いていたら冷や汗だらだらでしょうけど、わたし達が悲嘆にく
れるより、文句を言い合ったりして和んでいる方を喜ぶでしょう。

「でも、志貴が喜んでくれるなら、わたし何でもしたし、嫌じゃなかったもの。
 シエルもそうだったんでしょ?」
「まあ、否定はしませんよ。遠野くんの事が好きでしたから」

 そうだ、遠野くんが望むのなら。
 それはわたしだけでなくアルクェイドも、遠野家の女性たちも……。
 なんて不道徳で外道で淫らな……。
 ……。
 だけど、それでも遠野くんが好きだったんだ、皆。

「でも、わたし、これは出来なかったんだもん。しようとしたけど、志貴は偽
物だって言って喜んでくれなかったし。
 志貴ったら、シエル先輩ならこんな時に……なんて言って、わたしを苛めた
事だってあるんだから。だからせめて……」
「はいはい」

 やれやれと溜息をつく。
 あくまで固執するのですね。
 そんなすがるような目でわたしを見て。
 ……。
 仕方ないですね。
 遠野くんも喜んでくれるでしょうから。

 やるとなったら迷っても仕方ない。
 もとよりここにはわたし達以外誰もいないし、誰も入って来れない。
 カソックの裾を大きく捲り上げた。
 太股までが露わになる。
 アルクェイドが嬉しそうに、裾を持ってさらに上にあげた。
 完全に下半身が剥き出し。
 ショーツを穿いているとは言え、何ともいえない状態。
 いえ、これも。
 カソックは彼女に任せて、空いた手をショーツに掛ける。
 
 ショーツを少しずらしかけて、ちょっと止まる。
 横目でアルクェイドを見る。

「大丈夫でしょうね」
「結界? 平気よ。誰も来ない。わたしとシエルと志貴だけ」

 ああ、二人ではありませんね。
 肝心な人を忘れていました。
 アルクェイドはちょっと寂しげな笑み。わたしもだろうか。

「そうですね、他に見ているのが遠野くんだけですから」

 屈みこみながら、ショーツをおろした。
 自分の目に恥毛の翳りやその下の性器が映る。
 こんな真昼の日の下で……。
 いえいえ、深く考えない。
 よし。
 これで今、下は黒い靴下と編み上げ靴だけ。
 アルクェイドからカソックの裾を戻すした。

「いいですよ」
「ありがとう、シエル」

 アルクェイドが背後に回る。
 そして剥き出しの脚に手を掛け、軽々と持ち上げた。
 されるがままになって、体を動かされる。

「うう、恥ずかしい」
 
 腿に手を掛けて、後ろから抱っこするような形、と言うよりもっと簡単に表
現すると、子供におしっこをさせる時の格好。
 お尻に支えが無く、落ちそうな感じがむずむずとした不安定さを覚えさせる。
 体は支えられているとは言っても何とも落ち着かない。

 何よりこの格好の、恥ずかしさ。
 太股を手で支えつつ左右に開かせて。
 先輩の性器は開き、鮮やかな粘膜が露わになっている。
 いや、露わにしているのは膣口ではなくて。
 
「アルクェイド、やっぱりその……」
「まさか、やめるなんて」
「でもやっぱり故人を冒涜するような気がして」
「絶対、志貴は喜んでくれるよ。シエルのなら、ね?」

 濃厚なお願いオーラ。
 どのみちやっぱりやーめたと言っても放しはしないだろう。
 観念したように無言で頷く。
 アルクェイドは安心したように近づく。
 遠野くんのお墓へと。

「いいよ、シエル」
「はい、遠野くん……」

 せめて思い込む。
 遠野くんにせがまれているのだと。
 あの、何度か行った事を再現しているだけだと。

「うん、志貴だと思って。あ、シエルの震えが伝わる」

 ひくひくと動いている。
 微妙な収縮。
 下腹と股間がむずむずとする。
 今まで意識していなかったのに、急にそこが満ちているのを感じる。

 あ、これは……。
 こらえようとしても、ダメみたい。
 うあ、あ。

 開く。
 ぶるって震えて。 
 わたしの。

 尿道口が開いた。
 ちょろ、ちょろちょろ……。

 銀の糸のような飛滴が洩れた。
 最初は断続的だった流れが、少し強くなっていく。

 しゃああーーー…………。

「やだ、ああ、出ちゃってる、あああ……」

 身悶えする。
 静かな墓地。
 そして高い位置。
 迸る意外なほどの勢い。

 それ故に、辺りに響き渡るほどの音が炸裂しているように聞こえる。
 耳に木霊し、体に震えが起こる。
 体を捻り、身悶えする。
 羞恥心が、わたしにやめさせようとする。

 しかしアルクェイドはわたしを拘束している。
 まったく苦も無く。
 ほとんどわたしの自由を奪っている意識もないだろう。
 わたしに対しては無関心。
 いえ、わたしの器官の一部と、そこから弧を描いている飛滴のみに心を奪わ
れている。

 わたしの放尿姿。
 おしっこが、遠野くんに弾けているのを。
 僅かに色付く透過性のある温かい液体が迸るのを。 

 止まらない。
 意志の力では止められない。
 止めようとして口から変な呼吸音が洩れる。

「綺麗だよ、シエル」

 後ろから覗き込むようにしたアルクェイドが呟く。
 嫌だ。
 見られている。
 何だか酔ったように、うっとりとして見てる。
 ああ。
 そんなに羨ましかったのですか。
 そんなに残念だったのですか。
 
 遠野くんの言うがままに足を開いて、くっつくほど覗き込まれながら、時に
は指先でそっとほぐされながら、遠野くんの息を感じてこの小さな穴を震わせ
るのが。
 指が汚れるのも厭わずに嬉しそうに遠野くんが掌に飛沫を受けるのが。
 外で誰かに見られそうになりながら、自分で下半身を晒して立ったまま放尿
させられるのが。
 頭が蕩けるまで交わり続け、意識せずにびちょびちょに二人の下半身を濡ら
して我に返るのを。
 それから……。

 ああ、何ていっぱいこんな類いの思い出があるのだろう。
 変態、変態、変態だ。
 わたしも遠野くんも変態だ。
 でも、確かにそれは快楽であり喜びであった。
 見せるのも、見るのも。
 恥かしがるのも、恥かしがらせるのも。
 汚れなんかではなかった。
 愛し、愛されていた二人の事なのだから容易に許容できる行為であって……。

 いつの間にか、アルクェイドはわたしの体を、お尻の辺りをぴたりと自分の
腰に押し当てていた。
 そうしてぴたりとくっ付いていると、まるでアルクェイドが立ったまま放尿
しているようだった。

 いや、実際そう思っているのだろうか。
 手や体に伝わる感触を、震えを、うっとりと味わっているようにも見える。
 それは伝染してくる。
 あるいは、眠っていたものが甦ってくる。

 いつしか恥かしさは薄れていた。
 それ以上の陶酔が体の隅々まで広がっていた。
 わたしもアルクェイドと共に、自分が滴らせているモノの軌跡を眺めた。
 あさましく、いやらしく、確かにそれは綺麗だった。

 やがて、勢いが衰えていった。
 迸りはすっかり弱まり、雫が点々と滴る。
 そして、音が不規則になった。

 ぽたっ、ぽたっ、……。

 アルクェイドがその姿勢のまま、器用にハンカチを出した。
 まだ、濡れているわたしの股間を優しく拭う。

「遠野くん」

 小さく呟く。
 思い出す。
 それはいつも遠野くんがしてくれた事。
 自分の声に、悲しさが混じっている。

 アルクェイドが、そっと体を下ろしてくれた。
 もしも水が満たされているコップをわたしが持っていても、まったく揺れも
しない程に静かに優しく。
 頭の片隅でそれを認識しつつ、わたしは反応せず、遠野くんを見つめていた。
 アルクも無言でわたしの横に立った。

「ごめんね、シエル」
「え、どうしました、アルクェイド?」

 どれだけそうしていただろう。
 墓碑を眺めたまま、アルクェイドが呟いた。
 これほど静かでなければ聞き取れないほどの囁くような声。

「思い出させちゃったよね、ごめん、わたしが我がまま言ったから……」

 真祖の姫君らしからぬ僅かな、しかし明らかな悔恨の表情。
 ああ。
 黙ったまま、仕草で否定の意を示した。
 どう答えたらいいのか、数秒考え、アルクェイドの方を向く。
 軽く笑みらしきものを貼り付けて、逆に問い返した。
 
「どうでした、擬似的にでも遠野くんにおしっこを掛けてあげられて?」
「うん、嬉しかった」
「なら、いいですよ、それならわたしも嬉しいです」 
「本当?」

 嘘ではない。
 本当だけではないが、少なくとも嘘はついていない。

「ええ、わたしも哀しいと言うのと少し違って。遠野くん、よくわたしの恥ず
かしがる姿を楽しんでいたな、とか、あんなに喜ぶのならもっと何度も掛けて
あげたり舐めさせてあげたらよかったなって……」

 淡々と語るつもりだった。
 でも、その自分の声は、どこかいろんなものを含んでいた。
 悲しさ。
 懐かしさ。
 遠野くんへの想い。
 そして、何だろう……。

 アルクェイドの表情が変わった。
 微かな笑みと泣きそうな顔。
 ひとつでない感情を消化しきれない表情。
 いえ、彼女だけではない。
 アルクェイドの瞳に映った顔もまた、それに似た表情をしている。

 遠野くん、あなたは罪深い人です。
 少なくとも今この瞬間、二人の少女にこんな顔をさせているのですから。

 濡れた墓石に呟く。
 もしもそこに遠野くんがいたら、どんな顔をするだろう。
 ごめんと答えている姿が思い浮かぶ。

「いいですよ、遠野くん。
 許してあげます。
 わたしは慈悲深いですから」

 また、来ますねと呟く。 
 ほっとした遠野くんの顔が浮かんだ。

「わたしは許さないよ。
 だけど、志貴が困るから恕らないでいてあげる。
 また、志貴の事、慰めに来るね」

 アルクェイドもわたしのように遠野くんに話し掛けていた。
 無理に感情を隠さず、声にしている。
 これでいい。
 まだ、遠野くんは生々しすぎる。
 色褪せて、それでも残る思い出となる迄には、時間がまだまだ必要だ。
 ならば、自然でいよう。

 と、ふと変な事に気がつく。
 どうやって遠野くんを慰めるのだろう。
 毎回、わたしにこんな真似はまさかさせないだろうけど。

 でも、人間たるわたしが出来て、真祖たる彼女には出来ない、遠野くんの喜
ぶ事って、それだけではなかったから……。
 まさか……?

 ……。
 今からそんな事を考えても仕方ない。
 その時には……アルクェイドの願いを。
 いやいや、いやいや。
 先の話。

 ともかく。 
 さようなら、遠野くん。
 また、来ますね。


  FIN

 

 

 

―――あとがき

 こちらの作品はサイトの50万ヒットの企画作品で、過去作品の改変といっ
たテーマでリクエスト頂いて書いたものの一つになります。
 出題者は、星の車輪さん。
 リク内容は「『ねこのめいろ』より『はじめての○○』をシエル視点で」で
した。それだけではあんまりなので、その前の『花束を貴方へ』から一本にし
ています。

 あまりに、あまりな内容ですが、リクエストだものと言う事で了解いただき
たいものです。
 もっともこれ含め御題3つ頂いており、その中からよれによってコレを選ん
だのは誰の責任だと問われたら、答える言葉がありません。

 あと、『ねこのめいろ』というのが、とりとめないエピソードをつないでい
ってひとつの作品にするという構造を取っておりまして、そこから一断片を切
り出すと、正直辛いですね。
 なんで志貴が死んでいるのかとかは、一切理由ないし、状況説明も無しで。
 本来、それも何とかしてまとめてこその改変作品なのでしょうけどね。

 ※元作品は、こちら。
  よりピンポイント指定すると、ここ
  選択肢「2.シエル先輩に注意を払った。」を選んで下さい。


  by しにを(2003/6/29)


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