地方線の電車が停車している。
 そうそう乗り降りが多い駅ではない。
 だが、今荷物を抱えた観光客らしき一群がプラットフォームに降り立っていた。
 柏木家の四姉妹であった。

 ぽんぽんと軽快にいち早く電車から降りると、梓は大きく伸びをした。
 手にしていた鞄二つはまったく苦になっていない。

「やっと着いたか。じっと座ってるのはやっぱ疲れるなあ」
「けっこう遠回りになるんだね」

 そんな姉の仕草に初音はくすくすと笑う。
 ほとんどの乗客は何駅か前で降りてしまっていた。
 大きなホテルやいろいろな設備の充実を謳った旅館等が一大温泉街を形成しているそこ
を素通りして、わざわざより田舎の温泉宿を訪れようという物好きは少なかった。
 二人に続いて楓と千鶴が降り立つ。

「意外と暖かいのね。こっちの方が寒いかと思ってたのに」
「お昼だから」

 ちょっと眩しそうにしながら楓が姉に答える。
 普段と同じそっけないくらいの物言いだが、千鶴はそこに弾んだ気持ちが混じっている
のを感じ取る。
 ふうん、楓でも。それとも耕一さんかしら。
 そんな事をちらりと考える。

「ねえ、お姉ちゃん。耕一お兄ちゃんとは何処で待ち合わせなの」

 と、こちらは目に見えて気持ちを露わにしている末妹。
 電車の中でも何度も「早く耕一お兄ちゃんに会いたいなあ」と繰り返していた。
 

「ええと、駅を出て……」
「なあ、お二人さん。あのマヌケ面見えないか?」
「えっ、ああ、耕一さん」

 梓の声に、見ている方向を合わせると、改札口の外で手を振る耕一の姿が目に入った。
 気がつくと千鶴は歩き始めていた。

「久しぶり、初音ちゃん、楓ちゃん。ついでに梓。……千鶴さん」

 最後の名前を呼ぶ時の微妙な響きに、名を呼ばれた方は軽く微笑む。
 ぱっと耕一に寄っていった妹達の後ろで、千鶴は久しぶりに顔をあわせた年下の恋人の
姿を見つめていた。
 
「早かったんですね、耕一さん」

 千鶴は小首を傾げる。
 確か自分達の方が少し早く着いて耕一さんを待つはずだったのに。

「ええ。鈍行乗り継いだら中途半端な時間に着いてしまって」
「ん? 耕一、あんた切符一式特急券含めて送って貰ったんだろ。なんでわざわざそんな
時間掛かって面倒な事やったんだ」

 そうそう交通の便が良い処ではない。
 梓が疑問に思った様に、耕一が此処まで来るには比較的容易に来られる特急列車を使わ
ないとすると、むやみやたらと待ち時間を費やしながら何本も乗り換えしなければならな
い。

「大人にはいろいろ事情があるんだよ。それとさ、昨日からお金なくて何も食べてないん
だけど、お昼奢ってくれると嬉しいなあ」
「あー、わかった」

 やれやれと言う風に肩を竦めるオーバーアクションをして見せて、梓はくるりと振り向
く。
 千鶴はそんな妹を不思議そうに見ている。

「なあ、千鶴姉、ほんとうにこんな奴でいいのか? きっとまた賭け麻雀とかですっから
かんになってチケットも払い戻ししたんだと思うね」

 耕一の顔に動揺の色が浮かぶ。

「な、何を言い出すんだ、おまえは」
「おや、違うのかな。違うのなら謝るよ。ほれ、どうなの?」
「う……」

 口ごもる耕一。
 勝ち誇りつつ意地悪い笑みの梓。

「耕一お兄ちゃん、これ」
「あげる」

 起こりかけた険悪な雰囲気を和まそうとしてか、初音と楓は手荷物の中から、電車で食
べた残りのチョコだの根昆布だのを耕一に手渡す。

「二人共優しいなあ。誰かさんと違って」

 嬉し泣きをせんばかりの耕一の姿に頭を振り、梓は再度姉に尋ねる。

「本当に、あいつでいいのか、……ああ、駄目だ、こりゃ」

 黙って耕一の姿を見ている姉に、さすがに少しは考える処があるかなと思いきや、「仕方
ないわね、耕一さんったら。やっぱり私がついててあげないと……」的な色を読み取って、
梓は溜息をついた。

「梓」
「うん? なに」
「まあ賭け麻雀とかの事については後できっちりとお話するけど、都合よくここまでの旅
費だけ残ると思う?」
「……。どういう事?」

 どこか優しい目で千鶴は梓に話し掛けている。
 今度は梓が千鶴の言葉の主旨がわからずにいる。

「多分ね、耕一さん、すってんてんになったか、あるいは借金をしているか……」
「もっと酷いじゃないか」
「そうね。でもちゃんと来てくれたじゃない。お金が無くてどうやってここまで来れたと
思う?」 
「そうだなあ、慌てて日雇いのバイトでもしたか友達に泣きついたか」
「そう、かなり無理して、それでもちゃんと私達に会いに来てくれたのよ、多分ね」
「ふうん。さすが恋人の事は良くお分かりですこと」

 そこまでは考えなかったなあ、と梓は心中で姉の洞察に感心した。
 ……。
 でも、千鶴姉、耕一はここまで来さえすれば少なくともしばらく食いっぱぐれがないし、
お金だって貸して貰え……、まあ、言わぬが花か。
 自分も含めて、耕一に会えて嬉しいんだから、良しとしようと梓は思った。

「じゃあ、時間も調度良いし、お昼にしましょうか」
「賛成」
「お蕎麦美味しい店があるそうだから、そこでいいかな? さっき駅前をぶらぶらしてい
る時に聞いたんだけど、確かに雰囲気あって良さそうな店だったよ」
「わたしは、何でもいい」
「お蕎麦」
「私も、お蕎麦食べたいな」
「耕一さんが良いのであれば、そこにしましょう」
「じゃ、そこで。駅からはそう遠くないから行こうか」



              ◇    ◇    ◇
 

「ああ、やっぱりこっちは寒いなあ」

 すっかり景観の異なる辺りを見回しながら志貴は呟いた。
 陽は出ているしそう気温が低いという訳ではないが、どこか肌に寒気を覚える。
 だが、それは決して不快ではない。
 澄んだ空といい、清涼感を感じる。

 まあ、美味しい空気も良いものなのだけど。
 それにしてもだ。
 それにしても、お腹すいたなあと思う。
 せっかくの旅行だし奮発して駅弁でもと考えていたのに、「電車の中で、公衆の面前で食
事をするなどという無作法な真似はさせません」と秋葉に却下されていた。
 ほとんど車内に同乗の客などいないし、別に道端で食べる訳でもないのにと、どちらかと
言えば多くの人に賛同を得られる文句はあったが、こういう秋葉に逆らえる訳はなかった。

「兄さん、何をぼんやりしているんです」

 秋葉の声。
 慌てて振り返る。
 まったくもう、兄さんはと固形化した文句が見えそうな表情。

「お腹すいたなあと思ってたんだ」
「だから、お昼をどうするか決めようとしているんです」
「まあまあ。ええとですね、この辺りですと美味しいお蕎麦屋さんがありますよ。それと
地元の山菜とかを巧く使った懐石料理のお店ですね」

 さすがにいつもの和装ではなく、もう少しラフな服装にダッフルコートという組合せの
琥珀がメモを取り出して意見を求める。

「そうね、私は……」
「蕎麦にしよう」

 断言調で志貴は言い切った。
 さんざん待たされた挙句ちまちまと出てくる料理なんか嫌だ。
 そんな思いでの即断だった。

「に、兄さんがそうおっしゃるなら」
「じゃ、近くですから早速行きましょうか」

 迫力すらある志貴の言葉に秋葉は異議を唱えず頷く。
 方針決定と判断し琥珀はもう一度メモを確認すると、先にたって歩き始める。
 秋葉もその後に続く。

 志貴はちょっと立ち止まって自分付きのメイドを待つ。
 数歩遅れて翡翠がやって来る。
 何処かいつもの歩き方と違う。

「翡翠、調子悪いの?」
「い、いえ、そんな事はありませんが……」

 姉と同じ格好、ただし色違いの、をした翡翠が慌てて首を横に振る。
 しかし志貴としては、翡翠のぼーっとした様子が気にかかる。
 問い掛けるような主人の目に、翡翠は多少顔を赤らめる。

「普段、外に出ないものですから、少し不思議な感じがして。なんで私、ここにいるのか
なって……」
「そうか」
「でも、志貴さまや秋葉さまとこうしてご一緒させて貰って、わたし嬉しいです」

 微かに翡翠は笑みを浮かべた。
 志貴はほっとしたように頷く。
 
「兄さん、置いて行きますよ」
「今、行くよ。じゃあ、行こう、翡翠」

 





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