◇2日目午前・大講堂◇  チャイムの音が鳴り響く。 「では、ここまでとします」  教師の声に、じっと講義を受けていた生徒達は立ち上がり、思い思いに散っ ていく。  その中にあって、周りの生徒達と違う制服姿の二人は座ったまま。 「意外と面白かったわね」 「ああ、歴史汎論って何するのかと思っていたけど」 「これだけいろんな国から集まってるのに、歴史の講義って難しいと言うか危 険ですらあると思っていたけど、やりようはあるものね」 「ああ、差し障り無い通史と、異端史学掛け合わせるのは見事だな。もっとも 相当きわどい話が多かった気がする」  先程の講義について、秋葉と蒼香はのんびりと感想を述べていた。  わずか数日間の滞在であり、必須カリキュラムやテストがある訳ではない。  ファーストクラスに限らず何の授業であれ、興味を引くものを中心に受講す るようにと二人は言い渡されていた。  ならばと、とりあえず歴史と海洋学と数学辺りをと言う主として秋葉の主張 した通りに選択をすませた二人だった。 「おや、さすがに真面目だね、二人共。感心だなあ、ボクなら旅の疲れを癒す ために午前中はカフェにでも行ってのんびりとするか、浴室にこもるかする処 だけど」 「あら」  杏里がやって来た。 「あんた、受講してた訳じゃないよな」 「うん。ボクが生まれる前に起こった事にはあまり関心は無いからね。でも二 人もいるんなら来ればよかったかな。実を言うと待ち合わせをしていて、この 講義が終わったら……」 「杏里さん」    弾んだ声がした。  いつの間にか、杏里の後ろに小柄な少女が立っている。  制服を着ていないので学年は不明、チマチョゴリの似合う可愛い女の子だっ た。走ってでも来たのか、幾分息が荒い。 「あれ、この講義取っていたんじゃなかったの?」 「先生に質問してたんです。杏里さんをお待たせしちゃって、すみません」 「ああ、何を言っているんだ。愛しい人を待つ時間は甘美な一時なんだから、 少しもそんな事気にしなくて良かったのに」 「……」 「……」 「何と言うか、凄いな」 「本気で思っていそうな処がね。ちょっといいわね」  少女と杏里の会話をぼそぼそと秋葉と蒼香は表する。  杏里はひとしきり少女と話すと、少女の手を取って向き直る。 「紹介するよ、ファン・ソヨンだよ。君達と同じファーストクラスなんだ」  礼儀正しく頭を下げるソヨンに二人もきちんと挨拶をする。  探り合うように無難な言葉を交わして少し打ち解けかけた処で、杏里が言葉 を挟む。 「ソヨン。残念だけど、そろそろ行かないと」 「あ、そうですね。同じ学年ですし、何かあったら遠慮なく言ってくださいね。  私喜んでお手伝いしますから」 「ありがとう、何かあったらお願いするわね」 「ソヨンは面倒見がいいし、良い子だよ」 「え、そんな、普通です」  それではと去っていった杏里とソヨンを秋葉と蒼香は和やかな目をして見送 る。 「アキラだな」 「ええ、瀬尾みたいね、あの子」  同い年であるにも関わらず、愛玩動物を見る目で二人に見られているソヨン。  とりあえず秋葉と蒼香には好感を持たれたようであった。 ◇2日目午後・カフェ◇    「何にしようかしら」 「さすがに全方位的に豊富なメニューだな」  お昼時をやや過ぎた時刻。  遅めの昼食をとる生徒達もまばら。  昼はゆっくりしようという蒼香の意見に、秋葉も賛同していた。 「パスタも珍しいのがあるなあ。  遠野、パスタとサラダ取って半分こにしないか? 足りなければサンドウイ ッチでも追加して」 「そうね。量が多いと困るし」  二人とも割合少食な方であった。 「カレーライスは夕食にしたいところですが、ランチメニューでしか出さない なんて間違ってますねー。  タンドールチキンとのセットも絶品でしたけど、シーフードも美味しいし迷 っちゃうなあ。両方食べようかなあ」 「……」 「どうした、遠野?」 「なんでもないわ。嫌な声が聞こえた気がしたの。ここまで来て……」 「変な奴だな。  あ、両方注文した。なんで日本語でぶつぶつ独り言呟いてるんだ、あのシス ター」 「え?」  秋葉は振り向いた。  まさかこんな処には、いくらなんでも。   「あら、秋葉さん。奇遇ですねえ」 「な、な、な、なんであなたがこんな処にいるんです」  良く見かける制服姿では無いものの、見慣れた顔。  カソックを着た少女がにこにこと笑みを浮かべている。 「日本でも有数のお嬢様学校から短期留学生だとか言ってたのは、秋葉さん達 だったんですねえ。さすが浅上女学院」 「秋葉、知り合い?」 「初めまして、ええと?」 「蒼香、月姫蒼香。秋葉の元ルームメイト。初めまして」 「私はシエルと言います。秋葉さんの、というより秋葉さんのお兄さんと親し くさせて貰っています。この時の親しくの意味は、ご想像にお任せしますけど」  はあ、と出された手を機械的に握る。  蒼香にしては珍しく消化不良を起こした顔をしている。  一つには秋葉がこのシスターに露骨に敵意を剥き出し、あるいは嫌そうな顔 をしているのが見えたから。 「なんでいるのかと訊いているんですけど?」 「ああ、すみませんね。簡単に言うとお仕事です。畑違いなんですけど、司祭 様がこちらを訪問なされるので御付きの一人として」 「なんで、あなたが?」 「護衛役です」  小さくぼそりと呟く。  その答えに蒼香はかえって疑問を抱くが、秋葉は納得したと言うように頷く。 「なるほどね」 「断っても良いんですけど、楽しそうですし、断ると何故か生活費を切り詰め る羽目になったりするんですよ。遠野くんに会えないのは辛いですけどね」 「ご心配なく、シエルさんがこのままずっとここで過ごされても兄さんは気づ きもしませんから。それに、もし寂しがっても私が……、いえ遠野家の者で楽 しく過ごしますから」 「言ってくれますね。  じゃあ、秋葉さんが不在の間はどうなるんです。幸いあの泥棒猫はしばらく 北欧だか何だかにいるそうですから安心ですけど、琥珀さんと翡翠さんが手を 組んで……」 言いながらシエルは顔を暗くしていく。 ついには言葉を止めてしまう。 「これはマズイかもしれませんね……」  一方の秋葉もシエルの言葉によって顔色を変える。  わなわなと震え、その目は、手の届かない処で起こっている何かを見つめて いる。 「帰る。私、すぐに帰る。兄さんが、兄さんが危ないわ……」 「ちょっと、待て。待てってば、秋葉」  何処へか走り出そうとした秋葉を、蒼香が引きずられつつも止める。 「何よ、邪魔するの、蒼香?」 「何、馬鹿な事言ってるんだ。何処行く気だよ、おい」  至近距離で叫びあう。 「おい、あんたが原因なんだから、秋葉を……、何、呑気にカレーなんか食べ てるんだよ」 「カレーなんかとは酷い事を言いますね。  湯気を上げて目の前にあるカレーと秋葉さんではどちらが重要かは自明の理 です」  なんだ、こっちも正気じゃないのか。  絶望的な顔の蒼香。  しかし、その蒼香を救ったのはシエルだった。 「大丈夫ですよ、蒼香さん」 「え?」  冷静な理知的な響き。  シーフードカレーを食べ終え、チキンをフォークで突ついているシエルと蒼 香の目が合う。  別人のように堂々としている。  瞳には叡智の光がある。  杏里辺りがここにいたら、カレー前・カレー後の変化に、コーヒー切れを起 こす天京院との類似性を思い起こしたかもしれない。 「どのみちヘリも行ってしまいましたし、どうにもなりません」  さすがに泳いで帰ったり、救命ボートで大海原に乗り出すほど愚かではない でしょう、秋葉さんは」 「そうだな」 「それにしても、わたしは遠野くんとの絆がありますから、こうして離れてい ても心が繋がっていると感じられますが、悲惨なものですね。  お兄さんが信じられないというのは」 「な……」  挑発と言うより、おかわいそうなという口調のシエルに秋葉は向き直る。 「私だって兄さんを信じています。だいたい言い出したのはあなたでしょう」 「なら、良いではないですか」 「……」  上手いな、と蒼香は舌を巻く。  秋葉を操る方法の一つ。  挑発。  どうもこういうの慣れてる人だな。それに秋葉のキャラクターを理解してい るな……。  どうにか秋葉は冷静さを取り戻していた。 「行くわよ、蒼香」 「昼ご飯……」 「他でもいいでしょう?」 「はいはい」 「そでは秋葉さん、またお話しましょう」 「……失礼します」  秋葉に引っ張られるように立ち去る蒼香。  ふと振り向くと、シエルは幸せそうにスプーンを口に含んでいた。    つづく


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