/

 霞がかかっている。
 頭の中の濃密な靄が全然晴れてくれない。
 その認識は漠然と意識の中にあった。ただ、それがどうでもいい様に思える
だけで。
 それよりも、何故か甘く感じられるその不透明な景色の中から聞こえる事の
方が大事に思えた。

 ―― あなたのしたい様にしていいのよ。

 その声が甘く甘く、私の中でこだまする。
 したい様にしていい。虚ろな頭で考える。
 私のしたい事は何?
 私の求めている物は何?
 私は何に焦がれているの?
 それは決まっている。
 士郎だ、私は士郎が欲しい。
 ずっと弟だと思うようにしてきて、ずっと一番身近にいてくれて、ずっと私
を姉と慕ってくれていた士郎が欲しい。
 士郎がいると嬉しい。士郎がいないと寂しい。
 私はいつの間にか独りになっていて寂しかった。
 そして、気づけば士郎が目の前に寝ていた。

 ―― したい様にしていい。

 その内側から響くような声に突き動かされるように士郎へと手を伸ばす。
 士郎を確かめる。ああ、本当に士郎がいる!
 頬ずりし、心の求めるままにキスして抱きしめる。
 ギュッと抱きしめてもう離さない。
 私は士郎が大好きで、士郎が居れば嬉しくてそれでいい。
 士郎がここに居るんだから、ほかの事なんて知らない。
 そう思うのは頭の中の霞の所為だけど、でもいい。士郎を抱きしめられない
世界の事なんて知らない。
 なのに。

 ―― その子は腕の中から逃げ出してしまうかもしれないわよ?

 そんな声がする。
 そんな言葉が私に響く。
 士郎が私から逃げる? イヤだ、そんなのダメだ。
 腕にギュッと力を込めて抱きしめる。
 だって士郎はここに居る。居るんだから。
 でもいなくなったらどうしよう?

 ―― セイバーであるとか……遠坂凛であるとか。

 それは……それはだれだっけ?
 ああ、そうだ。それは私から士郎を連れ去った二人。だから士郎のご飯が食
べられなかったんだ。
 悲しい。それはひどく悲しい。
 ご飯は我慢したっていい。でも士郎はダメ。
 どうして士郎を連れていっちゃうの?
 そんなのイヤだ。私の士郎連れて行かないで!
 私を置いて行かないで士郎。あんなのはもういやだ。いやだよ。
 ずっとここに居てくれないの? どうしたら居てくれるの?

 ―― あなたを捨てていなくなる。それが嫌なら……

 どうすればいいの? どうすればいいの?
 それだけが私の中身を駆け巡る。
 ぐるぐるぐるぐる。中身が溶けるくらいにぐるぐるぐるぐる。バターになっ
てしまうくらいにぐるぐるぐるぐる。
 ひょっとしたら私の頭の中は、とっくにバターが詰まってるかもしれない。
 だって、頭の中の靄がどんどん濃くなっていく。真っ白に、濃密に。もしか
したらこれが固まったらバターができちゃうのかも知れない。
 それでもいい、バターになったって我慢するから士郎の側にいたい。
 士郎、私を捨てないでっ。士郎、士郎、士郎……
 また声がする。
 それは私に教えてくれる。
 ぐるぐるまわる、その答えを。

 ―― 繋ぎ止めておけばいい。

 どうやって? 何に?

 ―― 溺れさせてしまえばいい。

 士郎を? 何に?

 ―― あなたのモノにしてしまえば、いいのではなくて?

 それは――
 ――それは、それは、それは。
 その答えもぐるぐるまわる。私の中でぐるぐるまわる。ぐるぐるまわって熱
々のパンに塗ったバターみたいに溶けて中まで染みとおる。
 ……知らなかった。バターがこんなに甘く囁くなんて。
 それは、何故思いつかなかったのだろう。
 士郎が私から離れていく。
 お姉ちゃんを置いてどこかへ行ってしまう。
 もうお姉ちゃんでは士郎の側にいられないというのなら。
 私が、お姉ちゃんでいたらダメなんだから。
 でも、それは怖い。
 それは怖い。
 それは怖い。
 それは怖い。
 お姉ちゃんでは側にいられないけれど。
 でも、お姉ちゃんでなければ側にいてもくれないかもしれない。
 士郎、士郎、士郎は――
 他の事は別にいい。痛くても、我慢できる。
 でも士郎に拒絶されたらどうしよう?
 士郎に嫌われたらどうしよう?
 それだけが、怖い。
 怖い。
 怖い。
 怖いけれど。
 でも。
 でも繋ぎとめなくちゃ。士郎を私に繋ぎとめなくちゃ。
 私から士郎が逃げちゃわない様に、繋ぎとめなくっちゃ。
 溺れさせないと。士郎を私に溺れさせないと。
 私から離れられないように、溺れさせないと。
 だから。
 士郎を悦ばせないと。
 士郎を悦ばせないと。
 士郎を――
 士郎を――
 士郎を――
 士郎を私のモノにしてしまわないと――


 ―― そうすれば、士郎は、私と一緒にいてくれるの?










 /

 俺の視界には藤ねぇだけが映っていた。
 それが俺の視界に映る全て。
 唇を離した藤ねぇと視線が絡む。
 けれどそれも束の間で、視線が離れ、俺に覆いかぶさっていた藤ねぇが身体
を起こす。

「ん……」

 俺の胸に両手を突いて起こした上体を支え、その素裸の身体で俺の腹の上に
跨った。
 どこかトロンとした目の藤ねぇの顔と、意外に細い首。それから露出した肩
と両の二の腕、どこか艶っぽい鎖骨。そしてそこから続く大きくはないけれど
形のいい膨らみの先端に桜色が見える。そこからスラリとしたラインのお腹に
可愛らしいお臍があって、そしてそのラインが両の脚の間の淡い陰へと続いて
いる。俺の腹には引き締まった太腿と、丸いお尻の重さと体温が伝わってくる。
 その全てを感じ取りながら、俺はピクリとも動くことが出来ないでいた。
 目の前に何も身にまとっていない藤ねぇがいるというのに、全てを俺に差し
出した藤ねぇがいるというのに、その名を呼ぶことすらできやしない。
 せめてその名を呼ばせてくれと、伝えさせてくれと、心の中で叫び続けてい
る。
 そんな無反応をよぎなくされる俺を伺った藤ねぇは、馬乗りになったまま俺
の服のすそをお尻の下から引っ張り出す。腹に直接藤ねぇのすべすべした肌の
感触がして、その僅かな身じろぎの度に下腹をゾクゾクとした物が滑り落ち
いった。
 俺の服はそのまま裏返すようにめくり上げられ、やがて力任せに引っぱられ
た。頭が持ち上げられて首からスポンと上着が抜かれる。
 ……その際にちょっと後頭部を床にぶつけて目の前に星が跳んだが、藤ねぇ
は気づかなかったようだ。後頭部を襲った痛みに目をつぶって耐えていると、
別の所がくすぐったくなって慌てて目を見開く。それは藤ねぇが露になった俺
の胸板にそっと人差し指を這わせる感触だった。
 ツゥと鎖骨をなぞるその指先が胸骨にそって滑り落ち、そのまま肋骨の下端
に沿って動かされていく。

「んふふ……士郎だ」

 嬉しそうに俺の胸に触れていた指先を見つめてから、藤ねぇの手がサワサワ
と俺の胸板を撫で回す。ずっと竹刀を握ってきたはずのその手は、それでも男
の手とは違う感触で俺にくすぐったさを超える感触を送り込んでくる。その手
の指先が悪戯っぽく、甘んじて受けるよりない俺の胸の乳首をクルリと円を描
くように走ると思わず身じろぎしようとして果たせず、俺は呻き声に似た息を
吐いた。
 その僅かな反応に嬉しそうに笑い、そして今度は俺の右手を両手でそっと捧
げ持つ藤ねぇ。
 そして俺の手を大事そうに自らの胸のふくらみへと押し当てた。
 俺の手のひらの中で、藤ねぇの柔らかい胸の肉が潰れる。

「ぁ、ん……」

 藤ねぇの口から喘ぎが漏れた。
 その風情と手の中の感触に、胸の鼓動が高鳴る。ドクンドクンと止まらない。
 だって、俺が今触れているのは藤ねぇの胸だ。それは俺が女というモノを意
識した瞬間からそこに在り、俺にとっての象徴であり、そして決して意識して
はいけない聖域だった。
 その藤ねぇを愛しく思い、そして今それに手が触れている。その内にある藤
ねぇの胸の鼓動まで感じ取れている。
 否、そんな理屈はどうでも良い。藤ねぇの胸に触れているというその一点だ
けが俺を激しく揺さぶっていた。

「ん……士郎の手……」

 愛しげな声でそう呟いて。
 動けない俺の手をとった藤ねぇがその手を蠢かせる。それにつれて俺の指先
が操られる様に藤ねぇの胸のふくらみを握り締め、そして胸の先端をその指先
で押し潰す。
 それは本当に柔らかくていつまでも触れていたいくらいに頭が痺れる。

「ふぁっ、ん……士郎ぅ」

 藤ねぇが喘ぎ、甘い吐息を重ねる。
 俺の手に柔らかさと、少しずつ熱を帯びていく藤ねぇの肌が纏わりつく。
 俺の手を、指を使って藤ねぇが自らを昂ぶらせていく。俺の手が藤ねぇの快
感へと変わっていく。
 自らを慰めているようにも見えるそれは酷く扇情的で、淫蕩な戯れで。
 あるいはこうした事を想像して一夜の慰みを得た夜もあったのではないかと
思えるほどに、藤ねぇは俺の手を愛しげに弄ぶ。
 藤ねぇを抱きしめてもやれない自分が口惜しくもありながら、俺もやはりそ
の淫靡な儀式に飲み込まれて行きそうだった。
 上気した藤ねぇの胸の艶めいたその先端を俺の指が摘む。そうさせる藤ねぇ
に力の加減ができなかったのかそれはギュッと形容されるくらいに力が入り、
その立ち上がっていた乳頭が強く捻られる。

「ッ――」

 藤ねぇの身体が俺の上で仰け反り、そして逆に俺の上へと倒れこんで来る。
それでもその両手は俺の手を離さなかった。
 俺の肩に顔を埋めて荒い息を吐く藤ねぇを見やる。藤ねぇのオンナの臭いと、
柔らかくて熱を帯びた身体が触れるのを感じる。
 俺の裸の胸に、藤ねぇの胸が折り重なる。身体に触れた部分から、その熱が
俺を侵して行くような気さえした。
 その身を抱きしめたい衝動に駆られながら、ただ藤ねぇだけを感じる。
 どうしても抱きしめられないと言うのなら、せめて藤ねぇを可能な限り感じ
取っていたかった。

「んん……」

 そのままになっていたのは多分そんなに長い時間じゃないと思う。
 やがてモゾモゾしだした藤ねぇが何かを確かめる様に俺の手を離し、下のほ
うへと手を伸ばす。
 それはクチャリと言う水音を上げ、藤ねぇに呻き声を上げさせた。

「あ……」

 顔を伏せた藤ねぇの耳が見る間に赤くなっていくのは羞恥心だろうか。この
状況のおかしさはあるけれど、その初々しさが頭を撫でたくてたまらない。こ
んな先のない状況でも今だけは。
 赤くなっているであろうその顔を俺の肩に埋めたまま、今度は藤ねぇのその
腕が恐る恐るといった感じに俺のズボンへと触れる。藤ねぇの手が本当に手探
りで俺のズボンを探る。
 それはゆっくりと足の付け根へと――
 藤ねぇが何を確かめようとしているのか、ようやく気づく俺。

「ッ……っ」

 制止の声を上げようとするが、それはやはり声にはならない。俺のほうも見
る間に顔に血が上っていく。
 抵抗することも出来ず、藤ねぇの手がその部分に触れる。

「あは……士郎、大きくしてる」

 泣き笑いの顔で藤ねぇは微笑んだ。それは未知の行為への不安と、俺が藤ね
ぇを感じている事への安堵、だろうか。
 顔面が耳まで紅潮していくのが感じられた。
 藤ねぇとこんな事をしている。そうならないのは無理だ。
 ズボンの下にあるそれを、藤ねぇの手が愛しげに撫でる。
 その感触が下手に自分でするよりも気持ちいいのはその手が藤ねぇの物だか
らだろうか。たぶんそうなのだろう、ふとさっきの藤ねぇの様子を思い出した。
 藤ねぇにとって俺の手が特別なのと同様、俺にとっても藤ねぇの手は特別な
物なのに違いない。
 やがて、身体を起こした藤ねぇが俺の身体の上で移動し始める。がさごそと
身体を入れ替えて何をする気かは理解したが、もう止める気はなかった。それ
で藤ねぇが安心できるというのなら、それでいい。……ただ多分に羞恥心を煽
りはするのだが。
 藤ねぇはやや躊躇いながら俺のズボンのホックを外し、更にジッパーが引き
下げられていく。
 途中何度か藤ねぇが息を飲むのが感じられて落ち着かなかったがそのままズ
ボンが引き剥がされて抜け落ちる。そして僅かな戸惑いの末、藤ねぇの手によ
って一気にトランクスが引きずり落とされた。
 途端に屹立する俺の逸物。
 どうにもできないので半ばヤケ気味に居直った。
 俺は藤ねぇを愛してる。愛した女と触れ合って、こうなって何が悪い。
 でも藤ねぇがこう、ポツリと。

「……おっきい」

 途端に気恥ずかしくなる。
 だからと言ってどうなる訳でもない。跳んで逃げる事も布団に潜ってしまう
事もできやしない。
 恐る恐ると藤ねぇがソレに手を伸ばす。
 その何か不安そうな表情が何故か俺を煽り立てる様で、恥ずかしいのに気持
ちが昂ぶった。
 藤ねぇの指が触れる。
 そのまま藤ねぇは俺のソレを握り、ゆっくりと握った手をぎこちなく上下に
擦り始めた。

「――――」

 途端、そこから何かが流れ込んでくるような、今までとは違う感覚が俺の中
を駆け巡る。藤ねぇのその手が蠢く度に、俺の中に新たな感覚器でも生まれる
かのように敏感になって行く。
 ただでさえ膨張していたソレに血液が集まり、ますます大きく硬くなって行
く様だった。それを感じ取ってこれで良いと思ったのか、藤ねぇは段々大きく
その手を動かしていく。それにつれて俺の脊髄を快感が駆け巡り、脳髄に到達
して弾けて行く。
 それを引き起こしているのが藤ねぇの手であると言う事実。その事実が普段
では考えられないほど俺を鋭敏に捕らえて離さない。その手のひらが、指先が、
時折それの裏側にかかる爪のひっかかりまでが全て電流の様な甘い悦楽を送り
込んでいた。
 油断していたらすぐに果ててしまいそうで、ままならない身体で可能な限り
耐えようとする。
 けれど。

「んふ、士郎が悦んでる……」

 そんなトロンとした声と共に藤ねぇが体勢を変え、それに顔を近づける。俺
と反対向きに沿うように寝そべって、俺の股間のあたりで上半身を起こす藤ね
ぇ。
 ギョッとする俺の視界の中で、くっつきそうなほど付きそうなほど近づいた
藤ねぇが鼻をフンフンと鳴らしていた。
 そのどこか餌を確かめる野生動物の様な仕種は何故だかすごく羞恥心を煽る。

「ん、変な臭い……」

 あげくにトドメの台詞が突きつけられて、魂が撃沈しそうになった。
 けれど、俺のものはどういう訳かますますいきり立っている。
 藤ねぇはその我ながらグロテスクな形にまでに元気になったソレに額と鼻先
を押し付けて。

「でも、士郎、の……匂いね……」

 嬉しそうにそのまま深呼吸の様に息を大きく吸い込んだ。

 ―― 撃沈。

 我ながら意味が判らないがそんな言葉が脳裏に浮かぶ。
 いや、そんな事はとっくに知っていた。
 俺が藤ねぇにイカレてるという事はとっくに知っていたんだけれど。
 でもこんなのは反則だと思う。藤ねぇは何でこんなに――

「士郎、もっと悦んでね……」

 ピチャリ。
 止める間すらなく、至近にあった藤ねぇの口から舌が伸びた。
 その棒状の物の中ほどを、藤ねぇのザラリとした舌が舐める。

 ――――――…………!

 藤ねぇが俺のモノをその柔らかく濡れた暖かい舌で撫でている。
 それは、一瞬の思考停止の後で俺の意識に突き刺さった。
 思わず目を見開くけれど、それはやっぱり現実だ。
 さっき頬を舐められた時とも違う、ソレを舐められているという衝撃。異様
なまでに艶めかしく動く舌。そしてそのものに伝わってくる桁違いの感覚が俺
を貫いていく。
 上半身を俺の身体に擦り付けるようにして身を乗り出し、俺のものに舌を這
わせる藤ねぇ。そのピンクの肉片が妖しく蠢く度に、俺の身体が暴れだしそう
になる。それは気持ちだけで実際にはピクリともしないのだけれど。
 ぎこちないけれど、一生懸命に舌を這わす藤ねぇ。丹念に丹念に快楽を送り
込んでくる。唾液を塗りたくられた部分がヌラヌラと光を反射して、そそり立
つそれをますます淫猥なものに変えていった。
 そんな甘美な時間がどれだけ続いたのか。
 やがて今の体勢では窮屈になったのか、藤ねぇはまた身体を起こし、さっき
とは逆方向に俺の身体の上に四つんばいで覆いかぶさった。そうすればもっと
自由に俺のそれを弄れるという事なのだろうが。
 角度を変えて自分のモノをジッと見られるというのは赤面物であるのだが。
でも俺はといえばそれどころでなく、目前の物を目を見開いて食い入るように
見つめてしまっていた。
 ハッと我に返って慌てて伏せた目線が、藤ねぇとかち合う。向こうは上気し
て耳まで赤くなった顔で、トロンとした目つきでこちらを窺っている。その瞳
の光がぼんやりしているのはキャスターの魔力によるものか、それともこんな
状況だからなのか。そんな事が一瞬頭をよぎったが、俺はどうにかまだ動かす
事を許されている眼球をまた慌てて逸らしていた。
 そうするとどうしても俺を天蓋のように覆う藤ねぇの肢体が目に映る。
 下向きに突き出されるような形で強調されたバスト、美しくて無駄の無い細
いお腹から腰にかけてのライン。それからあんまり薄くて淡い痴毛の部分とそ
れから。
 それから、俺の顔を跨ぐ様な風になっている、肉の付いた太腿と丸いお尻。
そして、藤ねぇのオンナの部分が俺の眼に晒されていた。

 ―― 濡れてる。

 外気に触れ、俺の視線に映し出された藤ねぇの秘唇。初めて見る秘すべき花
弁はその奥から淫らな液を滲み出させていた。
 ――これが、藤ねぇ……
 正直、そこはとても綺麗で、そしてとても淫らで。その光景から眼が離せな
い。
 そして掠れるような声が耳に届く。

「士郎、私、見て……それで」

 ……溺れて。消え入りそうな声はそう聞こえた。
 けれど、考える間もなく藤ねぇの動きが再開される。
 ピチャピチャと音を立てて俺のそそり立ったモノの先端に舌が這わされると
それどころではなくなった。
 送り込まれるのは先ほどに倍する快楽。その敏感な先端を舌が這うのと同時
にその幹を藤ねぇの柔らかい手が擦っていく。
 それはほとんど衝撃に近い感覚となって荒れ狂い、俺を襲う。歯を食いしば
ることも出来ず、ただ耐える。

「ん……ん……」

 藤ねぇは一心不乱に舌を這わしている。その舌から零れた唾液が幹を伝い落
ち、上下する手をスムーズにし、そしてニチャニチャという淫らな水音を立て
させていた。
 気が遠くなる。
 それを引き戻したのは、鼻先に落ちた一粒の水滴。
 眼を見開くと、それは藤ねぇの秘唇から滴り落ちた愛液。
 俺の鼻先で、藤ねぇのオンナの匂いが広がっていく。それに応じるかのよう
に、藤ねぇの脚を伝うねっとりとした淫靡な液体が増えていっていた。

 ―― 藤ねぇも感じてるんだ……

 そんな事が何故か新しい驚きとなって俺の中に染み通った。
 頭上の光景は妖しさを増して行っている。あえて藤ねぇが俺に見せ付けてい
るその様子はまるで俺の知っている藤ねぇとは別の生き物のように酷く淫靡で、
オンナそのもので。そして、どこか美しく思えた。
 それを食い入るように見つめる。姉としてではない、藤ねぇのオンナとして
の部分を眼に焼き付ける。
 藤村大河という一人の女を愛すると決めた。
 だから、その全て受け入れる。そして、全てが見たい。そう思った。
 その藤ねぇが俺のオトコを駆り立てる。オンナを見せ付けて、オンナの匂い
で、水音を立てて。そして、その手と口で。
 全ての感覚で、藤ねぇを感じ続ける。そろそろ俺の我慢の限界も近くなって
いる。
 藤ねぇがずっと舌先で舐め続けていたものの先端にそっと口付けた。
 そして、少しずつその口に含んでいく。
 やはり苦しいのか、藤ねぇの眉間に皺がよる。
 それに比して、俺の方はその唇に包まれる感触に酔いしれる様だった。

 「ん……む……」

 先端がどうにか入ってから少しは楽になったのか、藤ねぇは一息付いてから、
ぎこちなく注送を開始する。濡れた唇が俺のいきり立ったソレの上を滑ってい
く。その濡れた唇の艶がなまめかしい。
 その快楽に耐えようとする。
 拳も握れず、歯も食いしばれないが耐えようとする。
 けれど、その内側で舌が蠢き、八重歯がその先端を引っかいた時が限界だっ
た。
 意識がとぶような、白くなるような感覚とともに。
 俺はその耐えていたモノを藤ねぇの口の中にぶちまけていた。

「んヴっ!?」

 ドクン、とその先端から飛び出たモノが藤ねぇの喉奥を激しく打ち、藤ねぇ
をむせさせる。
 慌てて引き抜かれたソレが藤ねぇの顔と胸に二度目、三度目の精を吐き出し、
白く染め上げるのがとびかけのぼんやりした意識の中でも見えていた。





「ん……喉に絡む……これが、士郎の」

 藤ねぇが口の中の物を嚥下している。それは少し苦しそうで、まるで苦い薬
を飲み下す子供のよう。量が多かったのか口の端から俺のぶちまけた白い精と
藤ねぇの唾液が入り混じったものが一筋垂れて、それを舐め取る舌の蠢きが妙
にいやらしく感じられた。
 苦労してそれらを飲み干すと、今度は顔や胸に付いたものを手に集め、舐め
取り始める。

「士郎、悦んでくれた……」

 藤ねぇのその陶酔したような姿は何故か刺激的で、たった今吐き出したばか
りの俺のソレに再び血液が集中していく。
 まして藤ねぇを汚したのが自分だと思うえば、それはゾクゾクとした愉悦と
たまらない愛しさを引き起こさせた。
 時間をかけて全てを舐め取った藤ねぇが俺に向き直る。
 けれど、その瞳には少しずつ違う色が混ざり始めていた。

「でも、もっと悦ばせないと。もっと溺れさせないと」

 ――でないと、士郎が居なくなっちゃう。
 その続きは明白だった。
 出来もしない歯噛みをする。悔しくて堪らない。
 キャスターの蒔いた不安を、この手で断ち切ってやれない事が。
 何度、安心させたいと思ったか。
 何度、抱きしめたいと思ったか。
 そして、何度「愛してる、どこへもいかない」と伝えたいと思ったのか。
 だからせめて、藤ねぇが安心できるのならば。藤ねぇの望みを可能な限りか
なえてあやりたかった。

「見て、士郎……」

 膝立ちで俺に擦り寄ってきた藤ねぇが、俺の頭のすぐ上辺りで止まる。
 そのまま俺を見下ろして声をかける。
 その声は恥じらいを残してなのか、少しだけ震えていた。

「私、こんなになっちゃったよぅ」

 俺の視界に映る藤ねぇ。
 はにかむ様な、でもやっぱりトロンとした眼で俺を見つめる。
 床に横たわる俺から一番良く見えるそこは、先ほどに比しても濡れそぼって
いる。けれど。

 ―― ここに、アレが入るのか?

 俺のモノはいつにもまして大きく膨らんでいる。
 見比べるとそれは何だか不可能なようにしか思えなかった。
 さすがにジッと見つめれると恥ずかしかったのか、藤ねぇは顔を赤らめてわ
たわたと移動する。結局最初の位置に近い形。藤ねぇが俺の上に覆いかぶさっ
て、俺の頭の左右に手を突いたカタチ。
 藤ねぇの方を窺う。

「でもまだ怖いから。だから士郎、手、貸してね……」

 そう言って泣き笑いの様に微笑んで、藤ねぇが自らの身体を俺の身体の上へ
と重ねて寝かす。そして藤ねぇは俺の手を取り、導いていった。
 ぴくりとも動きもしないのに感覚だけはある俺の左手が、藤ねぇに誘われて
滑り降りていく。最初に触れた場所は藤ねぇの柔らかい胸。俺の手をギュッと
押し付けて、それから滑らせる。滑らかな肌を伝って俺の手が藤ねぇのお腹の
脇側を伝い下りていく。その感触がとても心地よかった。
 腰骨に到達したあたりで一旦その動きは迷うように止まり、それから脚の付
け根に沿って淡い毛の絨毯の感触へと進む。
 そして、そこからは迷う事無く俺の手を僅かに開かれたその両脚の間へと誘
った。

「ん……」

 クチャリと言う水音に、手から伝わる濡れた感触。それから俺の肩に埋めら
れた藤ねぇの悩まし気な吐息。
 けれど俺に感じられた最初の物はその熱さ。
 俺の指先に絡みつく、淫靡な滴りのその熱さ。
 俺が藤ねぇに触れて昂ぶる様に、藤ねぇも俺に触れて身体を熱くさせている。
その実感がますます藤ねぇを愛しく思わせる。

「ん……んぅ、ん……」

 藤ねぇが俺の手を自らの秘所に擦り付けるように動かすと、肩に、俺の頬に
触れる藤ねぇの頭が揺れる。悩ましげに吐かれると息は全て俺の耳に囁かれる
睦言のよう。
 俺の胸板に重ねられた藤ねぇの胸が間で潰れて形を変え、その餅のような乳
房の感触を伝えてくる。投げ出されたその脚が俺の脚に絡みつき、妖しげにの
たうっている。
 手だけでなく、身体全体を俺の身体にこすりつける様にして、藤ねぇが自ら
を高みに押しやっていく。

「あ、はぁ……んぅ」

 俺の指に藤ねぇの複雑で、そして熱く濡れた秘唇の形が伝わってくる。
 ――これが、藤ねぇの……
 眼では見ていたはずなのに、触れるその感触がやけに生々しく藤ねぇのオン
ナを思わせた。
 その俺の指を自らに這わせ、弄り、啄ばませて藤ねぇの身体が悶える。

「ふぁ、あ、……あん……」

 その様はまるでオンナという生き物そのもの。柔らかく絡み付いて俺の身体
を離さない。普段うかがい知れなかった藤ねぇの女としての面。それもまた愛
しく思う。
 元々昂ぶっていた所為か、藤ねぇはすぐにも昇り詰めそうな気配だった。
 陶然とした藤ねぇが片手で俺の指先を操りながら、もう一方の手をそっと俺
の方に伸ばす。そっと腹を撫でた手が、そのままさっきからいきり立っていた
俺のものへと伸ばされた。 
 藤ねぇの手が、隠しようも無いそれをそっと撫でる。
 大切そうにそっと上下に手を這わせて。

「ん……そろそろ、大丈夫……かな」

 どこか自信なさげにそう言って、藤ねぇは身体を起こす。
 俺の身体の上に一旦身体を跨らせて、位置を考えているようだ。
 そしてふと抱え込んでいた俺の手に眼をやった。藤ねぇ自身がびしょ濡れに
した俺の左手。

「んふ……ふ……」

 それを藤ねぇは丁寧に舐め取っていった。
 トロンとした目の藤ねぇが、自らの愛液を舐め取る。俺の手のひらから指先、
指の又にまで舌を這わせてそのテラテラと光る自分の淫らな熱い滴りを舐め取
り、代わりにやっぱりヌラヌラと光る淫靡な唾液を塗りつけていく。眼を瞑っ
た筋ねぇが両手で捧げ持った俺の手にその舌、赤い小さな肉片を伝わせていく
様に、俺は目が離せないでいた。

「ん……はぁ……えと」

 そして唾液塗れになった俺の手を離し、藤ねぇは俺のモノをジッと睨み付け
る。身じろぎも出来ず居心地が悪い。けれどソレは縮こまるどころかむしろそ
の威容を増していた。
 そのままの時間はたぶん十数秒ほど。
 やがて意を決したかのように藤ねぇはそれを片手で掴み、顔を伏せた。

「……んだから」

 ボソリと呟いて、藤ねぇは腰を上げる。
 俺は腰を引く事も声をかける事も出来ず、ただ固唾を呑んでいるだけ。
 その間に、先ほどまでの陶酔とは裏腹に緊張した風な藤ねぇが俺の上でソレ
を覚束ない手つきで宛がう。

「……士郎を……」

 藤ねぇのオンナの部分。そのオトコを受け入れるべくある秘唇は充分に潤っ
ている。この眼でも手でも確認した。
 でも、どうなんだろう、それは。俺には判らない。まして、藤ねぇの身体に
苦痛を与えない事なんて、できやしない。それが俺を責め苛む。

 もちろん藤ねぇと一つになりたいという気持ちはある。俺だって望んでいる。
 けれど本当は、こんな状況でそうなりたくは無かった。
 お互いの気持ちで、ただそれだけでそんな関係になりたかった。
 でもたぶん、いつものままだったら俺はその自分の気持ちにすら気づかなか
ったんだろう。

 ―― 皮肉、だな。
 
 こんな時にそう思うのは、正しい事なのかどうなのか。
 キャスターの弄ぶままに絡め取られて、大事にしてきた想いを、二人の関係
まで玩具のように扱われて。俺は身体の自由を、藤ねぇは精神の自由を奪い取
られて。
 それでも藤ねぇを欲しいと思うのは。結ばれたいと思うのは。
 伝えることすら、抱きしめることすらできないこの身で。
 それは、正しい事なのか。

 ―― そんな事は知らない。

 そう、判るはずもない。
 正しいとか正しくないとかはもうすでに俺には残っていない。
 すでに全てを捨て去った身だ。
 俺にあるのは、ただこの目の前にいる藤ねぇを、藤村大河を愛しく思う心だ
け。
 だから。
 この口が伝えられないのなら。
 この腕が抱きしめられないのなら。
 この、俺の心だけは叫び続けよう。
 藤ねぇ、愛してる、と。
 
 けれどそれは届かない。
 藤ねぇは呟く。

「士郎を、私に、そうすれば――」

 宛がったそれを幾度か前後にずらし、溢れる淫液を塗す。
 それだけで藤ねぇが吸い付いてくるようで、俺の中に怖気のように電流が走
った。
 溢れる愛液をたっぷりと塗されたしそれを藤ねぇは改めてあてがい、そして。

「――士郎と、ずっと一緒に」

 一気に、腰を下ろした。
 最初に感じたのはゾブリと肉を引き裂くような感覚。俺のオトコの先端に物
凄い力がかかり、そしてこじ開けると言うよりも、無理やり引き裂くような感
覚に包まれた。半ば食いちぎられるかのような、痛みのような快楽。

「ヒッ――グッ、ッ」

 けれど藤ねぇに与えられたのは紛れも無い苦痛。
 埋め込まれたそれは、藤ねぇにとっては本当に身を貫く焼けた杭に違いない。
思い切り良く埋めてしまった藤ねぇのその痛みは想像を絶する。
 悲鳴を押し殺しながらわたわたと辺りを暴れまわった藤ねぇの手が、探し当
てた俺の手を力一杯握る。握り締める。せめてその手を握り返したいとあらん
限りに集中する。けれどやはりピクリとも動きはしない。
 絶望的に、動きはしない。
 歯を噛み締められなくてもいい。拳も握れなくていい。未来なんてくれてや
る。
 それでもっ。
 それでも少しでいい、ほんの僅かでいいから、その手を握り返してやりたい
のにっ――
 なのに。
 何もしてやれない俺に、藤ねぇは言う。

「ねえ士郎、気持ちいい、かな?」

 歯の根も合わない震える声で。涙を抑えられない苦痛の中で。
 血を、流しているクセに。俺の手を握り締めた手が震えてるクセに。
 それでも、藤ねぇは表情を歪めながら、笑って言う。

「私の中は、気持ちいいかな?」

 と。
 胸の中に、行き場の無い感情の爆流が渦巻く。俺の中身を全て焼き焦がす様
に荒れ狂う。
 何故言わない。
 痛いと一言、何故言わないっ。
 いつもいつも素直すぎる言動しかしないクセに、そうまでしてっ。
 そう叫びたいのに。

「待ってね、今、すぐ、――」

 止めろという声は喉を出ない。
 無茶するな、という叫びは発声されない。
 だから、藤ねぇは体重をかけて腰を落としていく。自らの肉を引き裂き、貫
かせて、俺にその身体を捧げる。

「あ、う、グッ……ァ」

 涙混じりの呻き声をあげながら、藤ねぇが俺に引きちぎれるような鋭すぎる
快楽を送り込む。
 全身を震わせながら、それでも眼を瞑り、歯を食いしばって。
 俺を喜ばそうと、必死に。
 それは見ていて痛々しい。
 けれど決めた。
 俺には何も返せない。
 俺にはその献身に何も返すことが出来ないから。
 せめて、その終わりの時まで覚えておこうと。愛しい人のその姿を魂に刻み
込もうと、それだけを決めた。
 ぎこちなく俺の上で動く藤ねぇ。
 けれど少しだけコツを掴んだのかそれとも潤滑油がようやく効いてきたのか。
痛そうではあるけれど、最初よりも少しだけスムーズに動けるようになってい
た。
 藤ねぇが動くに連れて、俺自身に藤ねぇの中が絡みつく。
 狭い藤ねぇの中を割り裂くようにして進み、そして戻るときにはその襞が俺
を離さない。

「ん……士郎、中に。私の……中。うれし……」

 藤ねぇには未だ痛みしかない。なのに、藤ねぇはそう言う。
 それが堪らなくて。狂おしく堪らなくて。
 抱きしめたい。抱きしめたい。力一杯抱きしめたい。
 けれどそれが出来ないから。
 ただ藤ねぇを感じる。
 その息遣いを、その匂いを、その肌触りを。そしてその姿を記憶する。
 刻み続ける。

「あ、ハァ……んん」

 荒く息を吐きながら、俺の上で藤ねぇの身体が躍る。全身に汗を滲ませて、
躍動するかのようなそのしなやかな肢体が艶かしい。その肢体が妖しげに蠢く
度に辺りに藤ねぇの、オンナの匂いが振りまかれ、俺の脳を痺れさせていく。
 そして、痛みに耐え続けている藤ねぇの身体で、痛みの元である筈のその結
合部だけがまるで別の生き物のようにやけに淫靡だった。

「んぅっ……士郎……」

 藤ねぇが俺の名を呼ぶ。その度に藤ねぇの中がギュッと締め付けられて凄ま
じい。
 元々狭すぎるくらいに狭い藤ねぇの中。それがその一瞬、へし折れるほどの
力で俺のモノに吸い付いてくる。膣の襞で擦りたててくる。
 眩暈がする。
 眩暈がするほどの、気持ちいい感触。
 藤ねぇが俺に与えるその感覚。
 俺の手をギュッと握るその熱さ。
 身体で感じる藤ねぇの重み。
 全てを受け止める。
 例えそれが藤ねぇにとって苦痛でしかないとしても、それが藤ねぇの心なら
ば全て受け止める。
 うねる様に与えられる感覚を出来る限り受け止めていたかった。

「あ、れ? 士郎、まだ、大きく……」

 けれど、それももう終わり。
 この際限の無い快楽に、身体の方が悲鳴を上げている。
 身体の中の何かがせりあがってくる気配がする。
 もう、限界がすぐそこまで――

「そっか、士郎……いいよ、このまま……」

 喘ぐように言って、藤ねぇの身体が更に躍った。
 俺の中が藤ねぇで染まる。
 藤ねぇ以外の全てが消えてなくなる。
 大切に思っていた他の全てを捨て去ってまで求めた物。それだけになる。
 与えられることしか出来ないまるで壊れた人形のようなこの身体で、それで
も心は叫び続ける。
 藤ねぇ。藤ねぇ。
 藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ。
 藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ、藤ねぇ。

 ―― 藤ねぇ、愛してる。

 と。
 ただそれだけを叫び続ける。
 そして。
 心の手綱を振り切った身体が限界を迎えて。
 意識が白く染まったその中で。

「あは……士郎、私の中、気持ちよかったんだ」
 
 その声を聞きながら。
 二度三度と、藤ねぇの中へと溜まりに溜まった物を打ち付けていた。





 藤ねぇの身体がドサリと倒れてくる。
 力を使い果たしたみたいに俺の上に重なって倒れ、俺の頬にチュッとキスを
して後は頭を俺の肩に埋めてしまった。
 そのまま動かない。
 しばらくは息遣いだけが聞こえている。
 藤ねぇの吐息。それが俺の肩にあたる。それだけが聞こえてくる。
 感じるのも重ねられた藤ねぇの身体の感覚だけ。ただそれだけ。
 それだけが今の俺。
 俺の全て。
 けれど。
 やがて。

「士郎、悦んでくれた、よね?」

 ぽつりと、藤ねぇはそう言った。
 その後は静寂。
 返事は無い。俺には返事をする術が無い。

「士郎、私、気持ちよかった、よね?」

 顔を埋めたまま、俺の身体に藤ねぇの手が回される。
 返答の無い俺の身体を藤ねぇが抱きしめる。

「何時でも、何度でもしてあげるから。だから――」

 藤ねぇの声が震える。
 顔を埋めたまま、藤ねぇの回された手が震えている。
 俺をギュッと抱きしめる、その手が。
 今まで、ずっと俺を抱きしめてくれていた、その手が。

「――だから、ずっと一緒に居てくれるよね? 置いて行かない、よね?」

 震える声で告げられたその言葉。
 ただ静寂だけがそれに続く。
 ああ、というただ一言。
 それだけで。ただ、それだけでいいのに。
 壊れた人形には答えられない。
 答えることも。抱きしめ返すことも。その頭を撫でる事も。
 何も、何もできない。
 だから。

 ただ、心は叫び続けた。
 その名を。その心を。
 伝わらないと知りながら。










 /

 それからどのくらい過ぎたのかは分からない。
 初めて藤ねぇと身体を重ねてから、藤ねぇは常に傍にいた。
 まるで一時でも眼を離せば俺が消えてしまうかのように、離れようとはしな
かった。
 その不安は以前よりもずっと藤ねぇを苛んでいるようにすら思える。
 俺はといえば、そんな藤ねぇをただの一度も抱き返すことも、愛してると伝
えることもできないでいた。
 ただ意識がある時は藤ねぇが居て、身体を重ねて、そして意識を失う。
 そんな生きているのか死んでいるのかも分からない時間。
 けれど確実に過ぎていく二人の時間。
 その果てに。

「用意が整ったわ」

 しばらく見なかったキャスターが訪れた。
 何の用意が、とは聞く気もなかった。
 そんな事はキャスターの下に身を投じた時から知っていたから。
 俺が終わる、その用意が整ったという事だ。
 キャスターにしてみれば俺の左腕にあるセイバーに対する令呪は欲しい、け
れど魔術回路ごと引っこ抜いてしまえば俺の道具としての価値が無い。その辺
に上手く算段をつける目処が立ったということだろう。思えばこれほどまでに
時間をかけたのは故意なのだろうと思う。その間に何をしていたのかは知らな
いが。
 それはいい。とうに覚悟は出来ていた。
 ただ、どうも声すら出せぬ身体のまま終わってしまう様子なのが、予想外で
はあったのだ。何しろキャスターの事だから「何か遺言でもあれば言うだけ言
って御覧なさい」とでも言い出すと思っていたから。
 でも。

「言い残すことは……聞くまでも無いわね。その娘の事なら安心なさい、生き
たまま送り返してあげる」

 それで言うことも無くなった。愛してると伝えられなかったのは心残りだが、
藤ねぇが生きて帰れるのならそれでいい。これから起こることを考えれば、伝
えないほうが良いだろう。
 よりにもよってキャスターが生きて帰すと言い出すのなら、俺の予想が外れ
ることは無いだろうから。
 一旦言葉を切ったキャスターがふと思い出した様に言う。

「あなた達面白かったわよ、見物としては。まるで人形と、それを愛した芸術
家みたいで」

 ああ、なるほど。
 それは言いえて妙かもしれない。
 まるで壊れた人形のような、とは自分でも思っていた。
 今キャスターが上げた話は俺も知っている。その話では人形は最後にある神
の力によって人となるのだが俺はどうやら――
 ――なるほど。それは納得できる話だ。
 俺の予想が当たっていれば、その恋をばらまく女神はキャスターの一番呪う
所の神であろうから。
 その女神は恋をばら撒き、今はキャスターと名乗る魔女は呪いをばら撒く。
ならばその女神が人形を人に変えたのなら、キャスターは人を人形に変える道
理だ。
 そのふとした思いつきは妙にしっくりと来る話だった。
 別段当たっていようが的外れだろうが、どうでもいい事ではある。
 そしてキャスターが裸身のままで俺にぴったりと張り付いていた藤ねぇへと、
何かを放る。
 カラリと床に落ちたそれは予想通り良く切れそうな大振りの包丁。
 不思議そうにそれを見る藤ねぇに、キャスターが告げる。

「それで、衛宮士郎の手足を切り落としなさい」

 と。
 藤ねぇが息を呑むのが感じられる。
 そして抗う藤ねぇの身体をキャスターが魔力で操るのも。
 予想はついていた。
 柳堂寺でキャスターと会ってから、その正体をずっと考えてきた。そして思
い当たった。
 もしキャスターの正体があの魔女であるのなら、こうなるかもしれないと思
っていたんだ。何故ならその魔女は神という絶対的な意思に操られて自らの弟
を八つ裂きにしていたから。そして、そうまでして逃がした愛する男にも裏切
られた。
 だから、意識的にか無意識的にか、そんな手段を選ぶのではないかと思って
いた。
 それが俺に対する悪意なのか藤ねぇに対する悪意なのか、それとも両方なの
かはもうどうでもいい。

「あ……う、イヤ、あ……」

 藤ねぇの震える手が、大振りな包丁を握る。
 拒絶の意思に反して身体が動くのを止められない。
 俺の身体の上に藤ねぇが馬乗りになり、包丁を振りかざす。

「グッ……ガ……」
「だめよ、舌を噛んじゃ。あなたには生きて帰ってもらわなきゃならないんだ
から」

 涙を流し、首を振って必死で抗っているけれど、藤ねぇにキャスターの魔術
が破れる筈もないだろう。

「弟であり、そして最愛の男。それを自らの手で死に至らしめる気分はどう?」

 とうとうゾブリと左肩に刃が突き立つ。
 それを他人事のように静かな心持で眺め、そして藤ねぇに眼を移す。

「私を憎悪する? 神を呪う? 世界を憎む? それとも運命を嘆くだけ?」

 なんとか抗おうとしている藤ねぇ。
 泣き続ける藤ねぇ。

「あなたは、どんな道を選ぶのかしらね?」

 激痛と共に左の肩と腕との間に包丁が潜り込むのも、キャスターが何か囁い
ているのもどうでもいい事だ。
 ただ。

 ―― 結局、俺は藤ねぇを救えなかったな、と。

 ただ、それだけが悲しかった。










 /

 戦争に決定的に決着がついて。
 徹底的に敗北して。
 完膚なきまでに全てを失って。
 そして迎えたその日、春の某日。

 遠坂凛は客を迎えてため息をついていた。
 そもそも丘の上のお化け屋敷などと呼称される遠坂邸を訪れる者は皆無なの
だから、客そのものが意外なものなのだけれど。けれどその日の来客は。

「こんにちは、遠坂さん」

 いつかは来るかもしれないと予測していた人だった。
 複雑な思いを隠して中へと案内し、よく整った居間で自ずから淹れた紅茶を
勧める。
 目の前に座る女性を観察する。
 傍目にはおかしなところは無い様に思える。ただ、少し痩せただろうか?
 凛の思考はそう判断した。
 そして自分の前にもティーカップを置いて凛は切り出した。

「お久しぶりです、藤村先生。お元気でしたか?」





 あの日。
 衛宮士郎と共に行方不明となっていた藤村大河が見つかった時、凛はすぐさ
ま協会の息のかかった遠方の病院へと連絡して運びこんだ。
 何故なら冬木市はもう人知れず、協会にすら知れずキャスターの手の内にあ
ったからだ。
 そして運が良かったのか悪かったのか。
 凛が大河の意識の回復を待って(可能性は低いとは思ったが)情報収集を試
みようとしていた間に、セイバーを手に入れたキャスターはランサーと言峰を
殺し、バーサーカーとアインツベルンを屠り、聖杯を手にしていた。
 残してきた使い魔からの映像でそれを知った凛は、歯噛みしつつも手の打ち
ようも無く自分の敗北を受け入れた。
 だからだろうか。
 「教えてくれ」と懇願する大河に全ての事実をぶちまけてしまったのは。
 魔術、聖杯戦争、二人の共闘。それらの全部。そう、大河がその手で衛宮士
郎をバラバラにしたのは現実なのだという事まで。
 自分が冷静さを欠いていたという事は、ベッドに顔を臥して嗚咽する大河の
病室を出る時にはすでに理解していた。教える必要も無い事を教えてしまった
し、そもそも他にもっともらしい事をでっち上げる事など簡単であったはずな
のだ。それをあえてしてしまったのはどんな心理の影響なのか。
 いや、分かってはいた。それがかつての共闘者に起因する、ある種の負の感
情だという事は。
 その時感じた後ろめたさが原因だったのかもしれない。
 冬木市に舞い戻った凛が衛宮士郎の捜索を最優先にし、その末路を約束どお
り笑い飛ばしたのと引き換えに守護してくれていた赤い騎士すら失ったのは。
 全ての力ある宝石と守護者を失った凛を、無限の魔力を得たキャスターは優
越交じりに見逃した。
 もはや敵とすら認識しない、と。
 それから表面だけは穏やかなまま、一ヶ月が過ぎている。





「そうね、ずっと泣いてたかな」

 そういう大河は穏やかに見える。ソファに腰掛けた姿に不審な点は見られな
い。
 けれど、それが本当に涙が枯れ果てる程泣いた結果なのだという事を、凛は
知っていた。一月の間を閉じこもって泣き暮らしていたのだ、この人は。
 それが自分の短慮の所為だと思えば思う所もあるけれど、表面的にはいたっ
て冷静に話を進める。

「それで今日は何の御用でしょうか?」

 一応油断はしていなかった。
 時間は立っているが逆上でもされたら手に負えない。
 魔術抜きでなら、大河は凛を仕留める武術技の十や二十は持っている人間な
のだ。
 その大河はといえばいたって世間話をするような感じで。

「うん、一応聞いておこうかと思って」

 そう言って大河は持ち込んだ細長い荷物をシュルリと解いた。
 そこから出てきたものに凛はギョッとする。
 それは紛れもなく。

「日本刀、ですか?」
「そうよー、虎鉄の業物」

 スラリとその場で抜きかけて、凛が後ずさったのに気づいた大河は名残惜し
そうに白刃を鞘に納める。そのままヒョイとソファに置くところを見るとこの
場で切りかかってくるのではなさそうだと見当がついた。

「こんなのもあるわよ。形見なんだけどねー」

 今度はもっとギョッとした。
 大河の懐から出てきた鉄塊は紛れもなく拳銃、その名もピースメーカー。し
かも凛にはそれが魔術礼装である事が見て取れた。この六連発リボルバー、衛
宮切嗣が死の間際に藤村雷画に処分を頼み、保管されていたのを大河がこっそ
り拝借してきた物である。
 それはさておき。
 藤村大河が武装して遠坂家を訪れる。しかも殴り込みではないらしい。
 その意図するところを考える。
 でも凛に思いつく事は多くは無いし多い必要も無いし、第一決まっている。
藤村大河は共闘を申し込みに来たのだし、その相手もキャスター以外にありえ
ないはず。
 それが大河の結論という事なのだろう。
 けれど、それは。

「自殺したいんなら他あたってください」

 それ以上でも以下でもない。
 士郎が命に代えて贖った彼女の命だが、自殺するというなら止めやしない。
ただ目につかない所でやって欲しいと思う。そんなところはドライだと凛本人
も自覚していた。

「んー……そういう訳じゃないんだけど」
「同じです」

 返答は必要以上にすげなく。
 困った顔をして「んー」とか唸っている大河にため息を吐く。そして意地で
も下を向くもんかと顔を上げて凛は尋ねた。

「復讐、ですか?」

 亡き衛宮士郎の復讐。それは理由として一番分かりやすいものだった。
 もしそうなら、例え恩師でも一発ぶん殴ってやるつもりだったのだけど。
 止めるためでなく、単なるやり場のない感情の八つ当たりだと知った上で。
 けれど大河は静かに首を振った。

「いいえ、そうじゃない。いうなれば、正義の味方、かな」

 その言い回しは凛の言葉を奪った。
 何故だかそう言ったその顔が衛宮士郎によく似ているような気がしたから。
 そして、大河は無言でいる凛に聞いてくれる? と言って話し始めた。
 衛宮士郎について。この十年間に彼女が見た衛宮士郎の全てを。
 それはそれは懐かしそうに、楽しそうに。

「士郎はね、本気で正義の味方になりたかったのよ」

 可笑しいでしょ? なれる訳ないのにね。
 そう言う大河は、けれど柔らかな表情で続ける。

「でも私ねぇ、そういう士郎が好きだったのよ」

 と。
 凛は言うべき事も見出せず、ただ聞いている。
 大河が言うに任せて聞いている。

「それで士郎が居なくなってから一ヶ月、ずっと泣き続けて出た結論がそれ。
私が士郎の代わりに正義の味方になるの。……いや、代わりじゃないか、ただ
憧れただけね」

 それはとても綺麗だったから、と懐かしそうに言う大河。

「でもまぁ思ったわけよ。私に出来る事ってこれかなって」

 凛にそう言いながら、大河の脳裏に浮かび上がる風景。
 キャスターに囚われて士郎と共に過ごした僅かな時間。霞がかかったような
夢の中のような記憶だけれど、確かに存在したあの時間。
 その中で動くことも話す事も封じられた士郎は、その目は、縋る大河に確か
にその心を伝えようとしていた。それは言えなかったけれど判っていた。
 けれど大河にはその心は受け取る事が出来なかった。キャスターに操られて
とはいえ、自分が浅ましい行動を取った事は事実だから。
 不安に負けて信じられなくなって、士郎が離れていく事に怯え、不安で不安
で、必死に身体を使って繋ぎとめようとして、ますます不安になっただけ。
 あの純粋に想ってくれる眼差しが、眩し過ぎて受け止められなくなっただけ
だった。
 それなのに、その眼に焦がれ続ける。ソレなしでは生きていけないと言う程
に。
 だから。
 その眼差しが失われてからも自分の弱さを後悔して、後悔して、後悔して。
 泣いて、泣いて、泣き続けて。
 何度も死のうと、後を追って死のうと考えて。
 その果てに決めた。
 それなら、その為に生きようと。
 そんな資格なんて自分にはもう無いけれど、いつかあの想いを受け止められ
るような生き方をしようと。
 そして、大河の知る人間で一番綺麗な思いを抱いていたのは結局の所、衛宮
士郎の在り様だった。だから借り物の理想で、借り物の意思で、それでも綺麗
だと思える在り方を望む。
 自分は衛宮士郎の後を追う、と決めたのだから。
 たぶんそう遠くもないだろうその終わりの時に、迎えにくる士郎にあんな風
な眼で「私も愛してる」と伝える、ただその為に。
 それが、大河の出した結論だった。

「――それでも」

 理解できる。
 凛にはそれが理解できてしまう。
 でも。

「それでもそれは、自殺です」

 あえてそう断言した。
 何故ならそれは事実だからだ。
 大河がどうあがいたところで、結果はそれ以外にないのだから。

「うん、自殺じゃないけど自殺行為よね。このままだと」

 困ったような顔で笑いながら大河はあっさりと言ってのけた。一応その自覚
はあったようだ。

「だから遠坂さんを誘いに来たんだけど。遠坂さん、聖杯戦争負けたけど、聖
杯戦争『には』負けたけど、と思ってるでしょ?」
「うっ……」

 それは図星。
 聖杯戦争を置くにしても冬木を管理する遠坂として、又単なる凛個人として
もこのまま引き下がる訳にはいかなかった。
 とはいえ手を出しかねているのも事実であり、そもそも反抗の手段があれば
キャスターは容赦なく止めをさしていただろう。
 絶句する凛に構わず、大河は取り出した風呂敷に虎鉄とピースメーカーをし
まって背負った。
 そして出されていた紅茶に初めて口を付ける。

「うん、いい紅茶は冷めても美味しいわね」
「熱いうちならもっと美味しいですよ」

 じゃあ次はそうさせてもらうわね、と言って大河は立ち上がった。
 荷物を持った大河を見送ろうとする凛を制し、大河は笑って言った。

「無理にとは言わないわ。気が向いたら連絡頂戴ね」

 それが「私がまだ死んでいなかったら」という言葉を飲み込んだ物である事
はよく分かっていたけれど。ただ一人でも戦いに行くつもりなのはよく分かっ
ていたし、口出しするべきじゃないかもしれないとは思ったけれど。
 それでも凛は部屋をでようとしていた大河を呼び止めた。

「衛宮くんを犠牲にして助かったのに、随分勝手に死ぬんですね。それに衛宮
くんはそんなことするの喜ばないと思いますけど」

 それは本心だったかもしれない。凛にとっても割り切れない、かつての共闘
者の選択への複雑な思いの絡んだ忠告。
 丁度扉を半分開けていた大河は足を止めて振り返る。

「んー、勝手といえば士郎の方が先に勝手やってるのよねぇ。お姉ちゃんがせ
っかくここまで育ててんのに、明らかに助からない選択しちゃってさー。あげ
くに置いて行くし」

 遠坂さんもそう思わない? などと苦笑いの表情で大河は言った。その選択
であなたは助かったのではなかったのか、と言いたくなるのを凛は抑える。そ
れが恩知らず故の言葉でなく、本気で自分を犠牲にして助かってほしかったと
思っているのが明らかだったから。

「それにね?」

 表情をやわらげて大河は口を開く。
 特になんでもない事を告げるように。

「士郎が怒っても平気だもん。私が胸張って士郎に会ってやる為に、するんだ
から」

 けれど凛の記憶にはその大河の微笑がずっと残る事となった。





 大河を見送ってから、凛はソファに身を預ける。
 ギシリという僅かな軋み音を残して、年代物のソファは凛の体重を受け止め
た。
 その感触に包まれながら思い返す。このソファーはかつてサーバント召喚の
際にぶっ壊れ、そして彼女の赤い守護騎士によって修復された物だ。

「ん……」

 それを思い返し、ツゥとソファの縁に指を這わせた。
 こんなところにも赤い騎士の痕跡が残っている。
 その顔と、かつての共闘者の顔が脳裏に浮かび、凛は頭をガリガリとかきむ
しった。

「……ああ、まったくっ。ええその通りよ、やられっぱなしでいられますかっ
てんだ!」

 誰にともなく当り散らし、凛は算段を巡らす。
 拳銃というのは面白い。キャスターは魔術のエキスパートだが戦闘のエキス
パートという訳ではない。上手く使えばひょっとすると眉間に一発ぶち込める
かもしれない。宝石ではよくやるが、果たして銃弾に魔力を僅かでも込められ
るか否かでも変わってくる事だし。藤村大河本人とてセイバー以外になら接近
戦で遅れをとることはないだろう。その際土壇場で人を切る事をためらったり
しないというのが条件になるが……
 などと考え、結局全ての思考を放り投げた。どうあがいた所で聖杯の力を得
たキャスターの前では児戯に等しいのだ。キャスターは最弱のサーバントだっ
たが、魔力の提供を受けることで最強のサーバントと成りおおせているのだから。

「でも、なんとか一泡吹かせて……後はなるように、か」

 冷静に末路の読み取れてしまう自分を恨めしく思いつつ、出かける仕度をす
る。さっさと行かないと先ほどの来客は一人で特攻してしまいかねないのだか
ら。危なっかしくてしかたない。

「……そーいう所はあの人衛宮くんの同類よねー」

 そう言ってみて、脳裏に返答が予想できて頭を抱える凛。
 ちなみに「あったりまえよう、士郎は私が育てたんだから」だった。無闇に
胸を張ってエッヘンとかやってるのまで想像できてしまうのが恐ろしい。
 頭痛を堪えつつも、考えるだけで悲壮感がみるみる薄れて行くのが可笑しな
人だなぁと苦笑した。
 けれど凛は知っている。
 そのお日様の様な性格は周りを明るく照らしているけれど、藤村大河本人は
いまだ救われない荒野をさまよっている。衛宮士郎という名の十字架を背負っ
て。それは彼女の魂が彼女を許す時まで続くのだろうか。

 ―― 衛宮くん、あなた本当に大切な人に一番過酷な運命与えちゃったのね。

 凛は歩きながら、ふと思った。
 彼女が自分を許す時。
 それは――

 ―― それはたとえば、彼女が誰かの代わりに剣の丘で息絶える時なのでは
ないか、と。

 恐らく彼女本人もそれを望んでいるのだろう。
 けれど現実には大河も凛も、キャスターの前で息絶える。
 九割九部九厘までそれ以外にはありえない。
 ならば。

 救われない想いは、一体どこに還るのだろうか、と。
 ふと思った。

 


                      < 了 >



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