〜第一章 『その背中を見つめて』〜 第七節

            「どこにいる!? 私はここだ! ――、――!!!」  誰かの名を叫びながらわたしは彷徨っている。  それに応える者は誰もいなくて、空しく響く。  誰もいないから応えてくれないんじゃなくて、誰も生きていないから応えてく れない。  びゅう、と強く吹く風に息が詰る。  ――――ここは、戦場。  夥しいまでの鉄と肉に覆われた、丘。  血で赤く染め上げられた、川。  くすぶる煙で黄昏の朱色を黒く塗りつぶされた、空。  主を失って悲しげに嘶きその側を離れようとしない、馬。  早くも死肉に集り始め甲高い声を上げる、鴉。  その戦場において、疲れた体を引きずりながら歩いている騎士がわたしだった。 「王!」  先程から寄ってくる者達はすべて敵だったから、反射的に剣を構えてしまった。 「……ここにおられましたか。よくぞご無事で」 「ベディヴィエールか……」  けれど、見知った相手だとわかって心の底から安堵する。  敵だったら、また、斬り捨てねばならないところだった……。 「そなたこそ、よく無事だった」  こうやって彷徨って出会えたのは、ベディヴィエールただ一人だけ。  どうやらこの辺りで生きているのは、もうわたしと彼だけのようだ。 「もったいないお言葉です。ですが、一時的とはいえお側を離れ、申し訳ありま せんでした」 「あの乱戦では無理もない……」  怒涛のような時間だった。  被害を無視した敵方の突撃に、陣形は崩れ、そのまま乱戦に持ち込まれてしま った。  そうなると指揮など関係ない、ただ目の前の敵だけを打ち倒すだけ。  両軍とも主力が騎兵だけに、機動力を生かせなくてはその真価を発揮できない。 結果、二匹の蛇が尾からお互いを飲みこむような泥沼の消耗戦になってしまった。  その混戦の中で、わたしという格好の目標をめがけて敵が殺到して、一重二重 と包囲されて気がつけば周りに味方は誰もいなくなっていた。  押し寄せる圧力は、北の海の荒波と同じ。あの流れに押し流されて、ベディヴ ィエールとこうして再会できたことこそ奇跡と言うしかない。 「王、皆とはぐれてしまいました。援軍にラーンスロット卿もここに向かわれて おります。ここは一端態勢を整えるために後退すべきです」 「この戦は早々に収めなければならないのだ、ベディヴィエール。ここであの者 を倒せねば、戦火はどこまでも広がろう。  私は、これ以上国が焼けるのを見たくない」 「王、待ってください! ……王!」  ベディヴィエールの悲痛な言葉を振り払い、わたしは彼を押し退けるように進 む。  ベディヴィエールの言葉が、届いていないはずがなかった。  その言い分の正しさも、理解していた。  それでも、この亡骸の丘をつくりだした責任、国を滅ぼす罪が、わたしにこの 足を進ませる。  ……けれど、唐突にその足が止められる。  できるだけ踏まないように歩いてきたのに、足の踏み場もないほど積み重ねら れた亡骸に足をとられて倒れてしまった。 「だ、大丈夫ですか!?」 「……無様だな、私は」  自嘲気味に呟いて、手を貸してくれようとしたベディヴィエールに手で制する。  立ち上がろうとして驚く。  ただ立ち上がることができなくて、それが億劫になるぐらいに疲労している。  敵前でなくて良かった、と思う。これは戦場において、度し難い隙に他ならな い。  ふと、誰かに呼ばれた気がした。  その呼ぶ声に目を落せば、目が合ってしまった。  よく見知っている者の顔が、そこにある。 「……見事」  わたしは手をかざし、その者を讃えて未だ闘志の消えていない目を閉じてやる。  無数の槍、剣、矢を針ねずみのようにその身に受けながらも、己の剣を力強く 握ったまま天を仰ぐように絶命している一人の騎士。  その姿は、命尽きるまで勇敢に戦い続けたのだとわかる。  触れた指先が、冷たかった。  何度繰り返してきたかわからないけれど、こうして死を看取るのは決して慣れ るものじゃない。  ――――声が、聞こえる。  剣を支えに立ち上がり、周囲を見回す。  亡骸達は、みんな見知った者ばかり。……みんな、覚えている。  最期までわたしについてきてくれた者達、敵として袂を別ってこの手で斬り捨 ててきた者達であっても忘れたことはない。 「――この剣にかけて誓います」  わたしが騎士叙勲を授け、晴れて騎士となった少年。幼さが抜けていなくて、 緊張に声を振るわせながら剣に誓っていたのは微笑ましかった。  もう、彼は戦陣を担う古参の隊長として戦場を駆けることはない。 「――王様、今年は豊作でさぁ。ま、こちらで一杯いかがですかな?」  わたしが領内の巡察に出向けば、いつも陽気に話しかけてきてくれた気のいい 農夫。内々の宴に招待してくれて、ささやかながらも賑やかに歓待してくれた。  もう、彼は兵役に駆り出されることもないし、できたばかりの醸造酒(エール) を振舞ってはくれない。 「――お願いです、娘に名前をやってはいただけませんか」  仲立ちをした縁(えにし)で、生まれた愛娘に名を贈ったことがある。生真面 目で剛毅な騎士も、憧れの娘の前では奥手だったことが語り草だった。  もう、彼はその腕に愛する者達を抱くことはない。 「――感謝いたします。このご恩、命に代えても御身をお守りいたす」  信義に厚く、最期までわたしの背中を守り続けてくれた騎士。彼は自分の領民 を守るために、わたしに一騎打ちを申し込んできた真の武人で、その高潔さに心 打たれて配下に求めた。  もう、彼はどこかなつかしい曲を草笛で吹いて疲れた心を和ませてはくれない。  亡骸達は、わたしを声ならぬ声で「王」と呼ぶ。  その声に、怯んでしまう。  本当にわたしは「王」と呼ばれるに相応しかったのか、と。  この者達を前にしても、わたしは王だと言う自信なんて持てるはずがない。そ んな慢心など、ついぞ持ったこともない。  だから、思考を埋め尽くすのは、一つの疑問と後悔。  ――――わたしという王が、間違いではなかったか。  その自身を否定する思考に苛まれながらも、わたしは王で、なら、最期まで王 であるべきだと自分に言い聞かせる。 「……王」 「ベディヴィエール、行こう」  心配そうなベディヴィエールを安心させるためにも、わたしは毅然とした態度 をとる。  ……歩き続けなければならない。  苦しくても、わたしが王として相応しくなくても、王の責任だけは果たさなく てはいけない。  そう決めた。だったら、最期まで王でいようと歩き続ける。  そうしないと、犠牲になった者達は一体何のために……!  ――――亡骸の丘の頂上に辿り着く。  そこには、赤く輝く白銀の甲冑を纏う騎士が、沈みゆく夕日をただ独りで見つ めていた。 「モードレッド!」  わたしが叫ぶと、その騎士は生気を感じさせない様子で振り返る。 「――」  それに、わたしは絶句する。  それは、悪い冗談。  自身を映したものは、自分の欠点を見せつけられるようで嫌になる。  ――――鏡像。  この騎士を見た時の感覚は、真夜中の姿見に映った自分の姿に驚かせられるの に似ていた。 「――父上?」  その騎士は、夢の中にいるような風情でわたしを見つめ、幻か現実かどうかを 確認するように呟く。  やがて、その顔が歓喜に変わる。  それで、モードレッドがわたしをどれだけ待ち焦がれていたかを知る。  わたしも、強く待ち焦がれていたと思う。  体が、熱く猛り出す。さっきまで、疲労の極限にあったはずなのに、彼を前に して強い怒りでそれを忘れてしまった。 「父上、待っていましたよ」  モードレッドは朝焼けを思わせる紫光を纏う剣を、下段に構える。 「待たせたな」  わたしも太陽を思わせる白光を放つ剣を、正眼に構えて対峙する。  それだけで、二人の間の空気は張り詰めていく。  それに呼応するように、妖精の世界で鍛え上げられた剣同士がリィィンと共鳴 する。 「始める前に、ひとつ訊きたい。  モードレッド、国を二つに割る内乱を起せばこの国は破滅だ。利口な貴様に、 それがわからなかったはずがなかろう?」  恐らく最期になるだろう問いかけに、モードレッドは無邪気に微笑む。  ……それが、真実。 「こうなることも計算ずくだった、と言うのか?」  歯をギリギリと鳴らしながら、わたしはわかりきったことを確認する。  この国は常に外敵に狙われ続けている。平和が保たれているのは、騎士団が健 在ならばこそ。  その騎士団が瓦解した今、この戦に誰が勝利しても、ピクト人やスコットラン ド人、サクソン人の猛攻を凌ぐことはできず、再びこの国に暗黒時代が訪れるこ とになるだろう。  そして、恐らく両軍共倒れになるような指揮を行ったに違いなかった。  そうでなければ、騎兵をチェスの駒のように巧みに操るモードレッドが、わざ わざ消耗戦に持ち込むはずがない。 「……全て、滅んでしまえばいい」  モードレッドは世界に向けた呪いの言葉を、とても穏やかな微笑みのまま告げ ていた。  モードレッドの手腕は、実際見事だった。  わたしに不満を持つ者を嗅ぎ当てて仲間に誘い、忠臣には疑惑を植えつけ離反 させた。  金に弱い者には金を、快楽に弱い者には快楽を、名声を求める者には名声を、 情愛深い者には親しい者を盾に脅しを与えて賛同者を増やしていく。  そうやって、人の心をわたしから離していったのだ。  そうした動きも、各地に紛争の火種を撒くなど巧妙に注意を逸らす狡猾さであ る。  まるで白蟻が家を食い潰すように、ゆっくりと確実に円卓の騎士達さえこの国 のためだと次々に酔わせて狂わせていった。  気がついた時には、もう手遅れだった。  モードレッドは、不満という小さな風を、匿い、育てて、煽って、内乱という 大きな竜巻に変えてしまった。  ……恐ろしい。  それこそモードレッドが野心を持っていたら、王の玉座を奪って、自身が王に なることも可能だったに違いない。  けれど、彼は王にはならず、仮初めの偽王として国を破滅させる道を選んだ。  その選択をする思考こそが、本当に恐ろしい。  ――――まるで、凶星。  何がそんなに憎いのか。  モードレッドは、自身を含めた全てを呪っている。この目の前の男は、何もか も破滅させるためだけに生まれてきている。 「……もはや、何も語るまい。モードレッド、ここで引導をくれてやろう」 「できますか、父上に?」  もうお互いに剣で語り合うしかなかった。 「いけません、王。彼奴(きゃつ)めの相手は、私がいたします。さがっていて ください」  止めたのは、ベディヴィエール。  激戦でところどころ刃欠けした剣を構えて、わたしとモードレッドの間に割っ て入ってくる。 「貴卿に用はありません。邪魔をしないで下さい」  モードレッドの声は、理知的、涼やかで――。 「――それとも、私と戦う前に『楽園』の出迎えをもう一人増やしますか?」  そして、モードッレドは偽王とはいえ、真の意味で人の上に立つ威風を備える 絶対者だった。 「……!」  ベディヴィエールは、それに気圧される。  最初から、モードレッドの目にはわたししか映っていない。それ以外は敵にも ならぬ、と冷徹にその目が語っている。 「……さがるがよい」  わたしは、ベディヴィエールの震える肩を掴んでさがらせる。 「し、しかし」  なおもベディヴィエールは、食い下がる。  それでも、わたしが無言で見つめているとその剣を不承不承に納めてくれた。 「…………、くっ……ご武運を」  ベディヴィエールは、もう止められないことを悟ったのか、祈るようにわたし にその場を譲る。 「すまんな」  わたしはその忠臣の横を通り過ぎる。  これ以上の犠牲など見たくもないし、この戦いだけは避けられないこと。  歩き出したら、もう足は止まらない。 「モードレッド!!!」  わたしは長年の怨敵を見つけたかのように、叫び走り出す。 「父上!!!」  モードレッドは長年引き離されていた恋人を見つけたかのように、それを迎え るために走り出す。  ――――磁石が引きあうように、剣は交わされる。  がきん、と鮮烈な火花散り、鋭く高く軋む音。  お互い剣を上段に振り上げ、相手の剣もろとも両断するかのように渾身の力で もって振り下ろされた一撃は、ただただ力任せに振るわれたもの。  折れぬことを宿命づけられた剣同士が、折れんばかりの衝撃にたまらず悲鳴を 上げるような激突。  その音は、死肉を漁るのに夢中だった鴉が驚いて飛び立つぐらいに大きい。 「はああぁぁ!!!」 「おおぉぉ!!!」  わたしは雄雄しく叫び、モードレッドも咆える。  引きつけあった剣同士、今度は反発する磁石にも似てお互いを大きく弾き飛ば す。  一度、大きく離れた間合い。  どちらもその程度のことで体勢を崩さない。すぐにその間合いは二合目の剣戟 の音で埋められ、疾風怒濤の剣戟の華が咲く。  この戦いを目に焼き付けるように見守るのは、立会人である騎士ベディヴィエ ールの一人だけ。  その裂帛の咆哮と剣戟の激しさは、この戦争の終幕のはずなのに、数千数万の 騎士同士がぶつかり合う騎馬突撃がまた始まったと錯覚するほど。  血の混じった泥が飛び散り、あらゆる紅に染まる丘を背景にしたこの一騎打ち は、彼によって後世まで語られることになる。  交差される剣は、じりじりと押しのけようと鍔迫り合い、回り込もうとその身 体が激しく入れ替わる。  これは、ただの力の押し合いなんかじゃない。  緩急、フェイント、受け流し、粘りを繰り返しながら、相手に必殺の一撃を見 舞おうと、ぐるぐると回り続ける。  一瞬の隙が、即死に繋がる緊張に満ちた戦い。  ――――闘争の円舞曲(ロンド)。  この激しい戦いを見つめ、わたしは王となって戦っている。  ……でも、当然ながらわたしはこんな戦いを経験なんてしたことはない。  第一、わたし――遠坂凛の意思は、この身を動かしてはいない。  例えるなら、誰かの視線で見ている映画のよう。  それでも、こうしてこの身で感じている疲労、痛み、感情さえもわたしはいっ しょに感じている。  なら、答えは一つ。  あぁ、そうだ。……いつかアイツの夢を見たように、わたしはセイバーの過去 を夢見ているらしい。  ――――伝説を、わたしは知っている。  とある魔術師が、荒れ果てた国に、その行く末、世界を憂いた。  求めたのは、救い手。  それは、人の希望――願いだったんだと思う。  世界に求められ、国に求められたのは、とある国の王――。  魔術師に導かれた救い手は、小さくて可憐な少女。  その少女は、国を、人を、救い守りたいと願い、騎士として誓った。  岩に刺さった選定の剣を抜いて、王になるべくして王になってしまったのは、 そんな少女。  それからの王は、国に平和をもたらすための戦に明け暮れる日々――。  その戦の最中、王はその選定の剣を騎士として恥ずべき行為により折ってしま う。  王の使命のために、恥と知っていても剣を振るわなくてはならなかった。  それは、自身の誇りを傷つけはしたけれど、誓いは汚れてなんかいなかった。  その貴さから、湖の姫より願いの結晶たる聖剣とその身を守る鞘を託された王――。  新たな剣を得た王は、理想の騎士であり、理想の王だった。  その王の輝きの前に、国中の騎士が集まり従った。  いつでも戦陣の最前線に立ち、その振るわれる剣の前に敵はいなかった。  王は国に平和をもたらして、騎士の黄金時代が幕を開けた――。  王が居城とするのは、栄光で輝くカメロット。  そこに集うのは、円卓に選ばれた勇敢なる騎士達。  円卓がある広間には毎夜煌びやかな宴が開かれて、詩人がその騎士達の多くの 武勇伝、恋物語を謳う。  そんな栄光に包まれていても、王は独り――。  だって、王はただの少女であることを悟られるわけにはいかないし。  だって、王は人ではなくて王なんだし。  だって、その王は誰よりも優しくて、国民の幸福を願い、少しでも国を良くし ようと、それで頭が一杯ながんばり屋さんだったんだし。  王は、ずっと独り苦悩してきたんだ――。  歩んできたその王の道は、血に濡れていた。  犠牲を国民に求め、騎士を戦場に散らせた。  国は守られて平和になったけど、その結果の果てに犠牲にしてしまった者達を、 誰より王自身が許せていない。  だから、叶わない奇跡を聖杯に求めた――。  王の願いは、より王に相応しい王を。  その王ならば、誰も犠牲にせずに、もっと平和な国にすることができると思っ たから。  何のことはない、王の願いはただ人を守りたかっただけ。  そんな王に与えられたのは、叶わぬ願いと、人に疎まれ、恐れられること――。  聖杯探索の結果、聖杯は手に入らず、穢れ無き最高の騎士も失ってしまう。  切望に胸を焦がしながらも、王は冷徹にただ政務と戦いをこなし、そんな王を 家臣や国民は人の心を持っていないと恐れた。  誰も王の心を知ろうとせずに、王も自身の心を語ろうとはしなかった。  王を否定したのも、やはり人の願いで、王の敵は国――。  王の死を望む者は、皮肉にも姉。  王に死を届けるのは、悪夢にも血の繋がった息子。  王が滅ぼさなくてはならなかったのは、守りたかった国というのは悲しすぎる。  それでも、そんな結末しか辿ることを許されなかった王は、託された剣を湖の 姫に返すまで、最期まで気高い王だった――。  ――――その名を、アルトリア。  それが、わたしのサーヴァント――セイバーの真名。  本当は小さな少女だった、中世イングランドの地において、“かつての王、そ して未来に復活する王”とまで謳われたアーサー王の本当の名前。  伝説の幕引きは、カムランの丘での大戦。  騎士の黄金時代の終焉、多くの騎士がここで生き絶え、理想もここで死んだと さえ言われる。  アーサー王はこの戦いで息子であるモードレッドとの一騎打ちの末、辛くも勝 利するけれど死に至る傷を負ってしまう。  ……そうか。これが、そうなんだ。  ――――これが、アーサー王の最期の戦い……。  騎士モードレッド。  彼はアーサー王によく似ていた。その実、決定的に似ていない。  モードレッドは、青年にしては小柄で痩身ながら、アーサー王よりも体格的に 大きく逞しい。  彼は色素の薄い体質らしくその肌は病的にまで青白く、背中まで届く長い髪は 金髪というより銀色に近い。  そして、その美貌は血の上では父とされるアーサー王に、本当に瓜二つ。  ……けれど、瞳の輝きにおいて大きく異なる。  アーサー王の瞳が透き通る翠玉(エメラルド)なら、モードレッドの瞳は向こ う側が見透かせないトルコ石。  目を見れば相手の考えを読めそうなものだけど、その目だけは例外。  その凄絶なまでに蒼い――ターコイズ・ブルーの瞳は、底の見えない深海を覗 くようなもので、その心は読めず、こちらの心はその瞳の前に奥底まで曝け出し てしまいそう。  これほどまでに一目見て不吉さを感じさせる者を、わたしは知らない。  それなのに、深く強く惹かれてしまうのは、その美貌のせいなのか、それとも ベールをかけられたその雰囲気のせいなのか。  その点が、彼がアーサー王の血筋なんだと感じてしまう。  方向性は違えど、モードレッドは父譲りのカリスマを確かに受け継いでいるん だから。  それと、モードレッドは一見して男とも女ともわからない。  もともとの美貌に加えて、口に紅をさして、女性がつけるような耳飾りをつけ ているから余計に中性的な印象を強めている。  それは、モードレッドが男でありながら髪を伸ばし敢えて女性的な装いをして いるのは、少女であることを偽っているアーサー王に対する痛烈な皮肉ではある まいか。  穏やかにして、冷たい。  空虚にして、激しい。  美しくあるのに、おぞましい。  滑稽だと笑いながらも、悲しい。  ――――矛盾が、その本質。  人は、不自然なものに違和感を覚えてしまう。  けど、モードレッドは、その逆。うまく言葉にできないけれど、彼は異質が自 然として存在してしまっている。  その不安定さは、とても歪で、どこか放っておけない気にさせられてしまう。  それが惹かれてしまう、理由かもしれない。  危うさの質は違うけれど、そんなところは士郎に似ていなくもない。  そして、モードレッドは関れば破滅することをわかっているのに、覗き込んだ ら最期、どこまでも堕ちていってしまいそうになる。  このような輩は本人の自覚無しに、他人を不幸にしてしまう類いの人間なのだ ろう。  また、儚げな雰囲気とは裏腹に多くの騎士を倒してきているその事実。  真っ赤に染め上げられるほど、返り血を浴びた白銀の甲冑はモードレッドの実 力のほどをよくあらわしている。  その手に持つ剣は、両手剣の諸刃と刺突剣両方の特徴を備え、その形状はエス トックに近い。  その剣でもってアーサー王の剛剣を受け流し、モードレッドは必殺なる刺突の 連撃を見舞う。  鎧の守りなど、その突きの前では紙にも等しい。  弾くか、躱す。  そうしなければ、容易く命ごと貫かれる。  額、目、首、心臓、鳩尾、腕、手、足、腱。  命中すれば、それだけで無力化させられてしまう一撃を、一息で無数に放って くるのだ。  こうして見ていてもわかる。  その剣技、アーサー王に勝るとも劣らない!  戦いは、このままずっと終わらないかと思うぐらいに長く続いている。  紅の時間は、いつしか闇の時間へと変わっていた。  傷だらけ、血塗れの体からは湯気が立ち昇り、夜気を帯びた風が、二人の吐い た白い息といっしょにかき消していく。  華麗な剣舞だけでは、お互い済まなくなっていた。  拳打、蹴撃にとどまらず、体当たり、投げ技、果ては頭突きまで繰り出し、全 身を武器にして戦い続ける。  このずっと続いていくような戦いも、太陽が大地に沈む理(ことわり)にある ように、もうすぐだとそれを見ているわたしは予感する。  ――――終わりが、近づいている。 「――楽しい。こんなに楽しいのは、生まれて初めてですよ、父上」  そのモードレッドの顔は、今や熱病に侵されているように狂気に彩られていた。  いや、それは逆だ。狂気に陥るぐらいの歓喜に支配されている。 「……」  理解できない。  この目の前に広がる惨劇を見て、楽しいなんて、喜べるなんて、到底理解でき ない。  いかなる犠牲を払ってでも守りたかったものが、この男に全て壊されてしまっ た。  だから、許せない……。  私は、決して許せない。  ……そう、アーサー王は自分の子を憎んでいた。 「――そうです、私を見てください。何でもいい……、私を見てください!」  対峙した剣の向こう側で、モードレッドは本当に嬉しそうだった。 「……」  辛い。 「認めてください、この私を……」  呟きは、祈りのようだった。  その祈りは、きっと届かない。  二人には、百花繚乱と火花を散らす剣の境界のように隔たりがある。 「……」  辛い。どうしようもないほど、辛い。 「……どうして、何もおっしゃってくれないのですか、父上?」  モードレッドの声に、苛立ちとも、懇願ともつかない切なさが混じる。  わたしは、見ているのが辛かった。  このモードレッドという男は、親にすがりつく幼子のように見えて辛い――。 「モードレッド、言ったはずだ。……私を、父と呼ぶな」 「――」  その決定的な一言でさえ、モードレッドの微笑は崩れることはなかった。  ……けれど、その一言は確かにモードレッドに衝撃を与えていた。 「……!」  信じられないものを見て、わたしとアーサー王は声を失う。  ――――蒼い涙。  モードレッドの蒼い瞳から、一筋流れる涙。  それが、モードレッドが初めて見せる本当の感情らしい感情だったと思う。凍 りついた微笑みの仮面の上から流れてしまった涙は、本当の涙だったに違いない。 「むっ!」  その涙に気をとられて隙を突かれ、剣にずんと重く荷重をかけられて弾き飛ば されてしまう。 「……しまっ――」  体が泳がされて、刀身が上に浮かされれば隙だらけ、モードレッドほどの遣い 手ならば一刀の下に切り捨てるに充分な好機。 「――?」  当然あるものと思っていた追撃はなく、モードレッドは離れた間合いを保った まま、左片手で剣を肩の高さで水平に構えている。  それに、背筋が粟立つ。  今まで見せなかった構えは、勝負を決しようとする現れだろう。あの剣が今一 度振るわれる時こそ、本当に勝負がつくと確信する。 「アーサー王、あなたの時代は終わりました」  何かに訣別したのか、モードレッドの顔は憑き物が落ちたように清清しく、凛 々しかった。  モードレッドは、父をどこまでも遠く感じる「アーサー王」と呼んだ。  それでもう、取り返しのつかない距離まで離れてしまった、父と子。 「私は王だ。私は最期まで、王であり続ける。……そう誓ったのだ」  アーサー王は、やっぱり揺らぐことはなかった。 「……やはり、あなたは偉大すぎたのです」  どこか眩しそうにモードレッドは、アーサー王を見つめ続ける。 「これからの世に、あなたがいては、何も変わらない。  ……あなたに頼り切った国など、私が消してさしあげましょう!」 「そんなことは、させはしない」  アーサー王と、モードレッド。守る者と、壊す者。両者は対立する限り、絶対 に相容れることはなかった。  ――――戦いの終焉。  モードレッドに似た繊細な剣は、オーケストラで振るわれる指揮棒のように左 へと弧を描き、その体躯は引き絞られた弓のようにしなる。  そのまま、ゆったりと優雅に歩き出す。  その歩みは、舞台の演劇のように軽やかで重さを感じさせない。  アーサー王は、不動の姿勢を崩さずそれを迎え撃つ。  けれど、両者の間合いの外で、モードレッドは一瞬の残影を置いて掻き消えて しまう。  ……と思えば、モードレッドはアーサー王の目前に陽炎のように現れる。 「くっ!?」 「王、ご覚悟を」  静から動への、急激な変化に目でさえ追いついていけない。  首が、冷やりとする。  モードレッドの剣はこの首を断とうと正確無比に半月の軌道を描き、次の瞬間 には飛ばされてしまうことを予感する。  ――――勝負は、一瞬。  金糸のような髪が散り落ちて、髪留めが解けたのか、頬に降りかかってくる。 「……生きている?」  その事実に、一番驚いているのはアーサー王自身。 「……けほっ」  見れば、モードレッドの口と胸から鮮やかな血がドクドクと溢れ、体が傾いで いく。  見事すぎる斬撃に、体が反射的に動いた。  あの瞬間、逸早く懐に飛び込むことでモードレッドの剣をやり過ごし、その胸 を刺し貫いていたのだ。 「…………モード、……レッド?」  剣を通して伝わる生々しい感触に、しばし呆然としてしまう。  アーサー王は、ワケがわからなくなるぐらい、ただショックを受けていた。  ――――酷い喪失感。  様々な戦いを経てきた。  親しい者を、斬らねばならない時もあった。  惜しいと思う者も、斬らねばならなかった時もある。  それらに、どれほど空しい気持ちになったことか……。  モードレッド、これほど憎いと思って斬った相手は今までにない。  それなのに、この空虚さは、今まで経験したどんな戦いよりも……!  そうしたアーサー王の苦痛の思考が、流れ込んでくる。  まるで自身を刺し貫いたような感覚。  そう感じるのは、無理もない。  手にかけてしまったのは、どんなに憎くてもアーサー王自身の子なんだから……。  ――――走馬灯のように流れていく、アーサー王の思い出。 「――母上の今までのことを許していただきたく、参上いたしました。  私、モードレッドと申します」  カメロットに訪れたモードレッドは、私の姉の息子であると名乗った。  膝をついて顔を伏せていたモードレッドがその顔を上げた瞬間、円卓の騎士達 が私の方へと振り返る。  豪胆さで鳴る彼らが、ここまで動揺したことはそうはない。  モードレッドは、本当に私によく似ていた。  その比べる顔が側にあれば、父は誰であるかは誰の目にも明らかだったろう。  私と姉は、母が違う。  その姉の子が、私の容貌を……、正確に言えば私の母イグレーヌの容貌を色濃 く宿すわけがない。私の子でもない限りは……。  そして、モードレッドの蒼い瞳は、母譲り――私の姉のものだった。 「貴公が、姉上と私の仲を修復する、と?」  私は内心の動揺を隠しながら問う。  疑問だった。  その頃には、私と姉上との不仲は周知の事実だった。その姉上が、その息子を 寄越すなど普通は考えられない。  私の姉、妖姫モルガン。  モルガンは、今まで何度も執拗に私の命を狙ってきた魔女だった。  姉は、自分より美しいものが許せない。  姉は、世界に祝福されたものが許せない。  姉は、自分の求愛を拒んだものを許せない。  姉は、愛しいがゆえに自分だけのモノにならないと許せない。  ……それが、モルガンという女性。  姉は、今まで散々刺客を送り込んできて失敗してきた。  だったら、最後の手として、私を倒す者として私自身を寄越してきたのだろう。 「その証として、成人した私を母は送り出してくれました。  私は王に忠誠を誓い、王のお力になりたく配下に加わりとうございます」  しずしずとモードレッドは頭を下げる。  この時ほど、我が師マーリンの知恵を借りたいと思ったことはない。  もし、ここでモードレッドを配下に拒めば、不義の子であることを認めるよう なもの。  腹違いとは言え、姉と弟の間で生まれたことが明らかな子。  キリスト教義において、それは不義であり、大罪である。  そして、親が子を捨てるなど、道義に劣る。  もっとも、私は誇りにかけて、そんな不義を犯したことはない。  この身は王となれど、この身体は“女”である。  私はずっと純潔は守ってきたし、その私が子を授かることなどない。  ……が、私のその真実を告げることはできない。  姉は、私が女であることを逆手にとって、モードレッドを配下に入れないわけ にいかない理由をつくったのだ。  家臣達は、こぞってモードレッドの登用を諌(いさ)めたが――。 「配下に加わろうとする騎士を拒む理由はない」  と、私はモードレッドを円卓の騎士に迎えた。 「必ずや、お役に立って見せましょう」  そう言って、円卓の騎士に加わったモードレッド。  その言葉に違わず、騎士団の中で一番の若年でありながら、すぐに頭角を現す ようになる。  剣や馬を巧みに操り、何より人を操ることが巧みだった。  戦場に出れば、必ず武功を上げて勝利に貢献した。  度重なる戦争で騎士を失い、老い始めた騎士達に代わって、騎兵を率いる身に なるのはそう長いことはかからなかった。  社交の場においても、巧みな話術と新しい装いで、貴婦人や貴公子の羨望を集 めた。  その彼が内政だけでなく、外政までこなし、この国になくてはならなくない存 在になってしまったのは皮肉でしかない。  モードレッドは、名実共に世継ぎのいない私の後継者であると周囲には認識さ れていく。  そんな風に公私に渡って注目を浴びるようになっても、モードレッドは皆に自 分の父だけは明かさなかった。  ――――私、以外には。  二人だけで杯(さかずき)を交わした、ある夜のこと。  モードレッドに、私の子であると告げられた――。 「――私を、あなたの子として認めてください」 「……駄目だ。貴公を認めるわけにはいかない」  モードレッドの懇願をそう断じてきたのは、どう言い訳をしようとも私だった のに。  わずかな追憶の間に、アーサー王の手は剣から伝った血で紅く染まっていた。 「モードレッド?」  もう一度、名を呼ぶ。  けれど、その呼び声にモードレッドはうなだれたまま答えない。  剣が背中にまで達して心臓を正確に捉えていれば、即死していてもおかしくな い。  痛みを感じることは、ほとんどなかっただろう。  それが、せめてもの救いだと信じたい。  ――――否、まだ終わっていなかった。 「……王っ、離れてください!」  それに気がついたのは、この戦いをじっと見守ってきたベディヴィエール。  ベディヴィエールは、慌てて駆けつけようとする。  すぐに駆けつけられるくらい近いのに、今は時間があまりにも無い。 「……な、に?」  モードレッドは、前に歩き出していた。  死んでいる、と思った。  心臓を貫かれて動けようなどとは、誰も思いもしない。  そんな身で、アーサー王の方に歩み寄ってくる。  ずりゅっ、びしゅっ、ずずっ、と更に剣に貫かれながら――! 「し、正気か!?」  モードレッドは凄絶に笑いながら、わずかに残った命を削る前進を止めない。  離れたくとも、離れられない。  モードレッドの手が急に伸びてきて、アーサー王の手を柄ごと握り締め、逃が すまいと鍔元まで自身で一気に刺し抜く。  傷が広がり、アーサー王の顔にまで血が飛散する。  やめろっ、と叫びたかった。  これは、形はどうあれ自殺以外の何ものでもない。それを望みもしないのに手 伝わされるのは、死というものを刻みつけられるようで身の気がよだつ。  本音を言えば、もうモードレッドを傷つけたくはないというのに……。  視線を上げれば、死が具現していた。  モードレッドの真髄、刺突の構えを見せる剣が、妖しいほどの紫光を纏い始め ていた。  退路は、ない。  命を賭して剣を封じられ、互いの息が感じられるこの距離ではその鋭利な切っ 先から逃れる術はない。 「最初から、相打ちを?」 「……あなたを確実に倒す……には、これ……しかなかった……のです」  途切れ途切れに呟かれたモードレッドは、悪戯が成功したような子供の顔をし ていた。  この窮地から抜け出すには、もはやモードレッドの胴ごと斬り伏せるしかない。  王としての責任が、迷いを断ち切る。  正真正銘、アーサー王は最後の力を振り絞って聖剣(エクスカリバー)を発動 させる。 「……父上」 「――!」  ……それなのに、一瞬ためらってしまった。  愛しげに「父上」と呼ぶ者を、一度ぐらい「息子よ」と呼んでやれば良かった、 と後悔して……。  ――――それも、もう遅い。 「王! アーサー王!!!」  近いのに、遥か遠くの方でベディヴィエールの悲鳴のような声が聞こえる。  考えてみれば、彼はいつも心配性だった。生真面目で、いつもこの身を案じて くれていた。  その事に感謝と、至らない王だったと心中で詫びた。  最期に思うのは、やはり私は王に相応しくなかったこと。  国を、人を守り救おうと誓ったのに、それができなかった。  そして、私は王だけではなく、人の親にもなれなかった……。  ――――今こそ、聖杯が欲しいと願ってしまう。 「“約束された勝利”(エクスカリバー)!!!」 「“黎明告げる光”(アウロラ)!!!」  “暁の女神”の名を冠したモードレッドの剣。  それこそ、アーサー王の古き善き力を象徴する、神代(かみよ)の世界を終わ らせるに相応しいものだとわたしは思ってしまった。  確かにこれ以降、大いなるモノに守られてきた世界は、人の意思が世界を変え ていく新しい時代になっていく――。  ――――光は走り、炸裂する。  モードレッドは、その光の奔流の中に消える。  アーサー王は、その光に心と胸を穿たれた。  その痛みは等しく、遠坂凛であるわたしにも――。  ――――目が覚めた。 「――、――、――……ぁあん」  わたしはベッドの上で苦しみ悶えてしまう。  悲鳴を上げなかったのは、わたしにしては満点をつけたい気分。  もっとも、悲鳴を上げられるような生半可な痛みじゃなかった。  目を開けた瞬間、世界が真っ白で何も見えないぐらいにお星様の流星群がカッ 飛んでた。  痛みはわたしをそのまま死の眠りに誘うぐらいに強烈で、気がつけば冷や汗を かきながら両肩を抱いて胎児のように丸くなっていた。  体は、何ともない。  胸は貫かれていないし、両手も血に汚れていない。  それを確認できて、ようやく安堵する。  残るのは、記憶の中の痛みと、悲しい辛さの残滓のみ。  それも、気分が落ち着くにつれて薄れていく。  カーテンからの薄ぼんやりとした明かりで、部屋は真っ暗というわけじゃない。  ……良かった、わたしの部屋だ。  そんなコトでさえ、今のわたしは安心してしまう。 「…………今、何時よ……?」  とりあえず目覚ましを手繰り寄せるぐらいの余裕は出てきて、時間を見ようと して酷く苦労する。  ……ウソ。ただの時間が、わからない? 「何だ、わたしが震えてるせいか」  寝起きで時計も読めないほど頭が回っていないと思ったら、わたしの手が震え ているせいだった。  よっぽどショックだったらしい。  深呼吸して、改めてよく見ると時計の針は四時半を少し過ぎたところ。  うわぁ、新記録樹立かもしれない。  徹夜しないで、この時間に起きられるなんてビックリ。  少し、自嘲気味に笑ってしまった。  ――――アレは、夢。  すべては幻のような夢の世界でのコト。  わたしにとってはそうでも、セイバーは夢でもなく実際に体験したこと。 「……あの子もタイヘンだったわけだ」  カラカラに渇いた喉の奥が引き攣(つ)るように痛くて、呟いた声は掠れてし まう。目許にも、自然と涙が濡れ伝ってしまう。  こうしてセイバーの過去を夢に見たのは、これが初めてだったりする。  アーチャーの先例もあって注意していたんだけど、使い魔を維持しながらだっ たので意識のラインがオープンになっていたらしい。  ……ホントに、どうしてどいつもこいつもバカばっかりなんだろう。  納得してしまった。士郎が、セイバーを召喚できたワケ。  要するに、悲しいぐらいに似た者同士だったのだ。士郎の父親がセイバーのマ スターという因縁もあっただろうけど、その魂の方向性が二人はあまりに似通っ ていたんだ。  普段のセイバーの様子を振り返る。  そこには記憶の中にあった、思い悩む影はない。そのことに、心を痛めてしま う。  聖杯戦争の終幕の時、セイバーは自分の意志で聖杯を破壊した。  あの時は、本人も納得してくれていたけど、本当はぜんぜん吹っ切れてなんか いなかったのかも知れない。 「……聖杯を求める理由、か」  セイバーが聖杯を求める理由を、わたしは詳しく知らなかった。  契約した時は緊急だったし、そんなこと知らなくてもわたしはセイバーに命を 預けるぐらいに信頼していたし。  わたしは、自分の迂闊さに舌打ちをする。  このことは、セイバーがしゃべってくれたならまだしも、断じて覗き見して知 っていいコトじゃない。  他人であるわたしが、勝手に人の記憶――セイバーの心の奥底に触れちゃいけ ない。聖人のようなあの子にだって、触れて欲しくないことだってあるだろう。  このことは忘れなきゃいけない。  ……忘れなきゃいけないんだけど、無視できないこともある。  ――――やりなおしを求める、セイバーの願い。  その願いは、自己の消滅に直結している。  自分と言う王がいなければ、もっと王に相応しい王が選ばれるはずだから。  ……例え、そうなったとしよう。  聖杯によって選ばれた王は、完璧に王として人の理想を叶える奇跡の数々を起 して、国に平和をもたらすだろう。  止む無く犠牲にしてしまった者達も、完璧な王の下で平穏に暮らしていけるだ ろう。  でも、アーサー王になる前のアルトリアは最初からいないことになるだろう。 ……なぜなら、彼女が最も王に相応しい者だからこそ、選ばれた王との矛盾を消 すためにいなくなる。  故に、最期の悲しい出来事など起こり得るはずもない。  そして、がんばり続けて、最期の願いさえも国と人のために叶えたセイバーの 結末は一つしかない。  あの子はアーサー王として生きた世界で、本来の歴史通り生を閉じるんだろう。 完結し、意味を失くした並行世界の片隅で……。  後は、架空の物語の中の英雄として、誰にも知られることなく、誰にも語られ ることもなく、悠久の時の中で守護者という現象になるということ。  その願いには、救いがない。  願いの代償として、セイバー自身がそうなっても構わないと思っているから、 なお更救いがない。  あの子の過去を見てしまったら、そう考えてしまうのもわかる気がした。アー サー王としてその生涯を駆け抜けてきたからこそ、共感してしまう。  その願いの重みを知らず、ただその願いだけを知っていたのなら、わたしはセ イバーの願いを応援していたと思う。  人は、誰しも後悔を抱えているもの。  その後悔を晴らすことができるのなら、別にいいと思う。  ……でも、今はその願いの重みを知ったからこそ、到底応援できる心境になん かなれない。  セイバーの願いは、ホントに頭にきちゃう。  セイバーのことは、好き。大好きなのだ。  可愛いし、優しいし、がんばり屋で、妹みたいで、あんなに気持ちがいいくら いに良い子は、宝石のように貴重で、大切なのだ。  そんな子が自分から犠牲になる願いを持っているのは、許せない。  ――――誰が、このわたしが、黙っていられるもんですか!  わたしがセイバーのマスターである以上、あの子が犠牲になる願いなんて叶え させてあげるワケにはいかなくなった。  ……また、宿題が増えてしまったみたい。  目尻に溜まった涙を、袖で乱暴に拭きとって苦笑なんてしてみる。 「こうなりゃ、どーんと来いよ。うん、みんなまとめて幸せにしてやるんだから、 わたしは」  気合を込めて拳を天井に突き上げ、半ばヤケのように独り呟く。  正直に言えば、士郎も、セイバーもどうやったら幸せにできるかよくわからな い。  それほどまでに、二人の深淵は深く、その生き方は誰も邪魔できないほどに貴 い。  それを目の当たりにしてしまって、情けないことに自信を失くしそうになる。  けれど、わたしにできるコトをやるしかない。 「……と、いうワケで眠る」  わたしは布団を頭から引っかぶって、全身を弛緩させる。  あんな夢を見せられて、気分的に疲れてしまった。  今のわたしは、きっとヘンな顔をしているから余人には見せられないことでも ある。  せめて涙を乾かして、心を静める時間が欲しかった。  目尻に残った涙を全部出すために、枕を抱きしめて顔を押しつける。  がんばるのは、もう少し眠った後でもいいと思う。  寝不足は美容に悪いし、わたしの機嫌も悪くなるし、悪いコトづくめ。  ――――というか、わたしの眠りをサマタげるモノはブッ○○す!  静かな朝は、いつも以上にひっそりとしていてすぐに眠りに誘ってくれる。  チッチッチッ、と時計の規則正しい音が聞こえてくる。  ……あぁ、それさえも子守唄みたいに聞こえて、眠りに落ちる浮遊感がたまら ない。 「何じゃこりゃー!!??」  朝のしじまに響き渡る絶叫。 「な、何事ですかっ!?」  わたしは普段の寝起きの悪さが嘘みたいに飛び起きる。  その勢いはベッドの上で思わず立っていたぐらいで、立ち眩みのオマケつき。  よろめくこと三秒。  周囲を見回すこと二秒。  布団が床にふっとんでたことに、反省すること一秒。  ふとんがふっとんでた、と冗談になっていたことに気がついて、笑いを堪える こと〇.五秒。  そして、誰に起されたのかを思い至ること光速秒。  さっきのすっとんきょうな絶叫は、士郎だった。 「……喧嘩を売ってるのかしら、士郎?」  わたしは士郎の勇気を褒めてあげようと思ったところで、はたと気がつく。  士郎が悲鳴を上げるような事態、それはきっと一大事に違いない!  朝で頭がうまく働かないことに苛立ちながら、結界を確認する。  この衛宮邸の結界は、元の結界を参考にわたしが張りなおしたもの。だから、 この家の結界はわたしの感覚器官と同意。  結界には、侵入者などの異常は認められない。  第一、害意を持つ者の浸入を報せるアラームも鳴っていない。  けれど、先の聖杯戦争でキャスターに容易くこの家の結界を破られた前例もあ る。  ――――士郎が襲われている。  そう考えただけで、血の巡りの悪い頭に喝が入ってくれた。 「冗談じゃないわ!!!」  わたしはドアを蹴破る勢いで駆け出していた。     次頁へ

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