「切ってあげますね」
「お願いします」

 しかし、この姿勢もけっこう凄いな。
 琥珀さんに足元に顔を寄せさせて切らせる訳にはいかないから、ソファーに
足を投げ出した感じで、琥珀さんに足を持ってもらって、パチンパチンとやる
事になる。
 なんと言うか、むずがゆい。 
 それとなんだろうこの、奉仕されているというドキドキ感は。
 まあ、他人から見れば、お前は何様だという形だもんな。
 美しい侍従に、足の爪まで切らしている王様とでも言うか。
 琥珀さんはともかく、俺には相応しくないこと山の如しだ。
 でも気にせず琥珀さんは、左手で、足の指の根本を持って、右手で爪切りを
使っている。

「こんな感じですね。ヤスリもかけますから……」

 爪切りのヤスリ面を表にして、ざらざらとした切断面に当てる。
 小刻みに琥珀さんの手が動き爪をなめらかにしてくれた。

「あら」
「うん?」

 秋葉が現れた。
 ちょっと驚いた顔。
 琥珀さんと俺を眺めている。

「あ、秋葉、これは……」
「別に咎めたりしませんよ。単に爪きりではないですか」
「そうですよ、何もやましい事ないじゃないですか、志貴さん」

 まあ、単に爪をきって貰っているだけだしな。

「自分ですると爪の形が悪くなりますから、私もして貰っていますよ」
「ああ、それで、琥珀さんがしましょうかって言ってくれたんだけど」

 そう。
 爪切りを探していたら、琥珀さんに出会って、それでこういう流れになった
んだよな。
 どうせならわたしがしてあげますよ、って誘惑するから。

「さて、右足は終わりですよ」
「ありがとう。ふうん、やっぱり自分でするのとは違うね。さすが琥珀さん」
「いえ、これくらい。秋葉さまだって、わたしなんかより立派になさいますよ」
「え?」

 急に振られた秋葉が戸惑った声を上げる。
 じっと琥珀さんの仕事振りを眺めていて、気を取られたらしい。

「いや、秋葉には無理だよ。だいたい、こんな事してくれる訳が……」
「はい、秋葉さま、どうぞ」
「うん?」

 秋葉が無言で琥珀さんに開いた手を見せ、琥珀さんは爪切りを渡した。
 そのまま、場所を秋葉に譲る。

「ええと、秋葉、まさか?」
「切ってさしあげます」
「いいよ」
「遠慮は無用です」

 遠慮とかでなくて……。
 困って琥珀さんを見ると、目で大丈夫ですよと返事をされた。
 まあ、いいか。

「じゃあ、お願いするか。すまないな、秋葉」
「はい」

 何が嬉しいのだか。
 弾んだ声で答えると、秋葉は俺の足を手に取った。

 ぱちん。
 ぱちん。
 ぐりッ。

「兄さん、どうです」
「あ、意外とうまいな」
「こんなものに、上手いも下手も……」
「痛ッ」

 うう、肉までいったか。
 少し縮こまっている爪を切ろうとして、かなり思い切りよくやってくれた。

「すみません、兄さん。あっ血が……」
「ああ、別にこれくらい、って、おい秋葉……」

 秋葉が足の薬指を口に含んだ。
 待て。
 おいおい。
 足の指だぞ。

 がしりと足首をつかまれていて引っ込める事が出来ない。
 されるがままになるしかない。
 あ、舌が触れていて、くすぐったくて、それに何だか……、気持ちいい。

「ごめんなさい、兄さん」
「う、うん。ここまでしなくてもいいのに」
「だって、私のせいで兄さんに痛い思いをさせてしまって……」

 なんだか妙な雰囲気。
 見詰め合って互いに赤面。

「ええと、残りを切りますね」
「ああ」

 さっきより、注意深くやってくれた。
 終わってもまた、さっきの指の傷を見ている。
 意外と深いのか、まだ血が滲んでいる。

「いいって、秋葉」
「私にこうされるのはお嫌ですか」
「そんな事はないけど、足の指だし、秋葉だってその……」
「私の事でしたら気にしなくて結構です。では、こうされて兄さんはご不快で
は無いのですね?」
「どちらかと言えば気持ちいいかな」
「それなら何も問題ありません」

 あの、秋葉、他の指もしゃぶっているけど、あの……。
 え、あ?
 琥珀さん?
 終わった方の足を琥珀さんがソファーの横に跪くようにして、手に取った。

「あら、志貴さん、すみません、こちらがまだ少し尖がって……」
「え、別にそのままでも、って琥珀さん、ちょっと」

 何だか目が怖いよ。
 笑みの中に危険成分が……。

 パチン。

「ぐぅぅああ」
「あら、すみません。切りすぎちゃって」

 琥珀さんの舌が人差し指を……。

「すみません、志貴さん。すぐにお舐めしますから」
「琥珀、あなた……」
「なんです、秋葉さま?」

 秋葉が琥珀を叱ろうとしたが、何やら視線が交差して黙ってしまった。
 そのまま、二人で俺の足の指を舐めしゃぶり続ける。
 なんだか体がむずむずとしてきて決して嫌ではないのだけど、我に返ると、
いったい何をしているのだろうと……。

「志貴さま、いったい何を……」

 突然、頭上から声。
 え?

「ひ、翡翠……」
「ひひゅい」
「あひゃ、ひゅひいいひゃん」

 じっと怪訝そうな顔で俺たちを見る翡翠。
 ソファーで偉そうにふんぞりかえっているとしか見えない俺。
 そして床に侍ってその足を口に含んでいる秋葉と琥珀さん。
 これは……、どう映るんだ、翡翠の目には。
 表情からは何を考えているのか、まったく窺い知る事ができない。

「爪切り、爪切りなんだ」

 とっさに答える。
 本当なのに、なんて言い訳くさい響き。

「爪切りですか」

 鸚鵡返しに答えて、さらに眉を寄せる翡翠。
 確かに……。

「秋葉さまと志貴さんの爪を切っていたのだけど、ちょっと深爪して、血が出
てしまったの、ね、秋葉さま」
「そ、そうよ。消毒と痛み止めに口に含んで、唾液を。なんの疚しい事もあり
ません。そうですね、兄さん」
「そのとおり、そうだよ翡翠」
「そうですか……」

 テーブルにあった爪切りにも目を止め、とりあえず納得したらしい。
 納得できるのか、それで。

 でも、その眼……。
 なんだろう。
 物言いたげな?

「あ、翡翠ちゃんも切りたかったかな、志貴さんの爪」
「え、ええと、志貴さま付のメイドとしての仕事ではないかなと」
「ごめんね、二人で全部切っちゃったから」
「そうですか……」

 凄く残念そう。
 メイドとしての責任感というにはあまりに度合いが大きいようだが?

「まあ、この次には翡翠にも……ん?」
「志貴さま、手の指も少々伸びておりますね」
「あら、本当」
「そうね、十本も残っているわね、兄さんの指……」

 満面の笑みを浮かべる秋葉と琥珀さん。
 翡翠もいつになく笑顔。

 よくわからないけど怖い……。

「手の指なら、自分で……」
「駄目です」
「遠慮なさらないで下さいな」
「おまかせ下さい」

 遠慮とかじゃなくて、その迫力が怖いんですけど。
 そろそろと手を背に隠しながら、どうすればいいんだと顔が強張らせる。
 
「でも……」
「逆らおうと言う、いえいえ、妹の優しい申し出をよもや足蹴にはしませんよ
ね、兄さんは」
「きっとご自分でなさるより綺麗に切れますよ」
「わたしがお世話するのはお嫌ですか、志貴さま」

 なんで脅迫と理詰めと泣き落としが……。
 こんなのに耐えられるほど俺は強くない。
 やむなく、重く、口を開いた。

「お願いします」

 十分後。
 結果。
 指がねとねとしている。
 拭われてはいるけど、まだ唇と舌の感触がまとわりついている。
 それに、鈍痛。
 何も持てないよ、こんな全部の指がズキズキしてて……、そんな口に出せな
い泣き言。
 
 
 うう、何でこんな目に。
 ずきずきする。
 秋葉と琥珀さんは満ち足りた顔して行ってしまったし、翡翠も心配そうな素
振りはしていたけど、それよりも満足げな様子だったし。
 
 ううう、猫みたいに爪が引っ込められればこんな目に合わなくて済んだのに。
 そんな埒も無い事を考えてしまう。
 何を考えているんだ……、って、猫だったかな、爪出し入れするの?
 それとも犬だったか。
 あれ、気になるぞ。
 うーん?

 俺は―――――

 
     1.犬だったか猫だったか思い悩む。

     2.そんな事より、翡翠って意外と怖いなと思った。



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