だあくねす
第一章 悪魔、競馬場に行く。
第六話 悪魔とレディラック
大が歩調を緩めたのは、競馬場を出てからである。先程の礼儀正しい態度とはうって変わって、ポケットに手を突っ込んでいる。それまで翡翠は小走りに近い形だったが、特に息を切らしてもいない。
「ありがとうございました。有り体に申し上げてどうして良いか分からなかったので、助かりました」
「そう」
大の応じ方は素っ気無い。何か考えているようだった。
「大様はもっと倹約家だと思っておりましたが、気前の良いところもおありなのですね」
「さあ、どうだか。そもそも俺の知ったこっちゃないと言えばそれまでなんだが、さすがに家にも帰れず今夜の食事もないなんてことになると思うと後味が悪くてね。それでも諭吉じゃなくて一葉にしたあたりがケチの表れさ。貧乏が元で死んだような人が顔になってる札を、金のない人に渡すのも皮肉な話だが」
五千円札の肖像、樋口一葉は二十代半ばでこの世を去っている。直接の死因は当時不治の病だった肺結核だが、生活苦が体を弱らせたことは想像に難くない。
「それでも、初子様のお為にはなったはずですわ」
「さあ、どうだろうねえ。人間、一度痛い目を見ておいたほうがいいこともある。そうじゃないといつまでも、いざとなってもどうにかなるなんて甘い考えが抜けない。俺がやったのはただの自己満足さ」
「あの方は、少なくともそのような愚かしさのある方ではありませんわ」
一貫して大を好意的に評価をしているのは、借りを作ってしまったと思っているからである。
「だといいけど」
それに応じるでもなく、大はまだ考え続けている。やがて、判断材料が必要だと思ったようだった。
「詳しい話、聞いていいかな」
「恥をさらすことになりますが、否やもありませんわね」
元々、彼とは助言を得るために関わっているのだ。翡翠は正直に話すことにした。
ただし、例の太った男に関しては思い出したくもないのでかなり端折っている。大としてもその件には特に興味がなかったようで、途中急に説明が雑になっても詳しく聞きだそうとはしなかった。注意深く耳を傾けていたのは、主に初子が高額の金銭を必要とした理由に関してである。
最後まで聞き終えると、大は少しだけ沈黙した。そして何気ない調子で、質問を付け加える。
「もしかして、わざと?」
「は…?」
とっさに、自分が何を言われたのか分からなかった。決して大きな声ではなかったものの、はっきりと発音されていたのだが、それでもである。そもそも想像の埒外にあったからだ。
そして理解が感覚にまで浸透すると、拳を握り締め、肩を震わせた。目が爛々と輝き、漆黒の長い髪はざわざわと揺らめいている。激怒したのだ。それ以上の具体的な行動に出ることは自制したが、それも辛うじてのことである。人間としての形を維持することも怪しくなりそうだ。
「どうしてわたくしがそのようなことを。確かにわたくしの眷属には人を欺くことを専らとする者もおりますが、しかしわたくし自身は、少なくとも自ら望んだことを覆したりは致しません」
「言い方が悪かったな。謝るから、少し落ち着いてくれ」
大はあっさり頭を下げたが、それだけでは気がおさまらない。
「口ぶりではなく、おっしゃったことそのものを撤回していただけますか。侮辱にもほどがあります」
「そんなつもりじゃないってば。結局勝たない方がその人のためになったかもしれない。君がそう判断したのかどうか、それを聞きたかったんだ」
気持ちを落ち着ける時間を得るために、翡翠は自分の髪を手で軽く梳いた。
「どういうことでしょう」
一応聞く態勢にはなったが、まだ口調が刺々しい。苦笑しながら、大は説明した。
「その男ってさ、結婚詐欺じゃないのかな」
翡翠は答えない。大は軽く首を振ってから、質問する。
「ああ、そもそも君の故郷には結婚っていう制度や風習がないかもしれないから、そもそもそこから説明が必要かな?」
隣近所からその世界の果てに至るまで、悪魔である。神の前で永遠の愛を誓うなどということは絶対にしない。そうでなくとも、一定の拘束を受けることが前提となる関係は不似合いだ。
「確かに、制度も風習もありませんわ。ただ、わたくし自身は眷属の中でも変わり者ですので、お仕えするならただお一人と決めております。説明していただかなくても理解はできますわ」
男女の間柄を主従のように、しかも自分を従として捉えている。確かに変な所はあるのだ。今時人間でも、日本国内であればそんな考え方をする人間は多くない。
「なら話が早い。詐欺については君たちの方が詳しいかな。俺もさすがにやったことはないし、やられたこともないんだが」
「わたくしにも経験はありませんが、それなりには承知しております」
一つうなずいてから、大は説明を続けた。
「大体のことは分かるだろ? 結婚したい人間に近づいて、そうしたいのは山々だがそれには金がいるとか何とかありもしない話を並べ立てる。首尾よく金をせしめて、搾り取れるだけ搾り取ったらそのまま消えるって訳さ。医者だってのも、恐らくその気にさせるための嘘だろう。酔っ払いの介抱程度なら俺にもできる。それに、大金が必要なら借りればいい。本当にちゃんとした医者なら返す能力は十分あるから、貸し手を見つけるのは難しくないはずだ」
医師という業種がもし真実であるなら、最も信用力の高いものの一つである。借りられる額が、例えば初子より一桁上でもおかしくはない。金銭的な援助を他人に対してすることはあっても、されることはないはずだ。
翡翠は黙って聞いている。ただ、表情に変化がなく、聞き流しているようでもある。大はそこへ、やや冷たい視線を投げかけた。
「…と、いうことを、言われるまで気づかないほどお人好しなのかな、君は」
自分が間接的に騙されていたとこの時気がついたのなら、怒るなり恥じるなりの反応があっただろう。しかし彼女の冷静さが、大の推測の正しさを裏付けていた。翡翠自身、胡散臭い話だとは思いつつ、それでも協力していたのだ。
ただ、彼女が自らの口でそうだと認めるまでには、もう少し時間が必要だった。
「そもそも人間ではないのでお人好しという形容は当たらないように思いますが、おっしゃる通り、悪い方に入りますわね」
ならば何故、忠告もせずに協力した。大は無言で、視線だけで問いかけた。詐欺師に金を渡せば、向こうはつけ上がってさらにむしりとろうとするに決まっている。それでは幸せも何もあったものではない。その程度のことが分からぬ翡翠ではないはずだ。
彼女は小さな声で応じた。
「本当の話だという可能性もあったはずです。それに、たとえ嘘だったとしても、あの場で負けるよりは勝った方がましでしょう。忠告であればその後でも遅くはありません。そう考えておりました」
「成る程」
合理的といえば合理的な判断だ。金があるに越したことはないと言われれば、反論の余地もない。もっとも、それも勝つという大前提があってのことである。負けてしまっては何の意味もない。
「しかしなあ…」
生身の人間は、翡翠ほど合理的ではない。大はそれを知っていた。
「何か?」
「もしかしたら、あの人自身もそれに薄々は感づいていたんじゃないのかな」
理解できない。翡翠は首を振った。
「騙されていると分かっていたのなら、わざわざ不慣れな賭け事などするはずがないでしょう。しかも現に、自分のお金を失いそうになってまで」
「俺たち同様、本人としても確証がなかったわけだ。金をもらう前に正体をばらす詐欺師なんているはずないからな。それでも吹っ切るためには何かのきっかけが要る。で、有り金を使い果たしてしまうことを考えた、そんな所かも知れないよ」
本気だったにしては、諦めが良すぎた。大の目にはそう映っていた。
翡翠はしばらく黙り込んで、そしてため息をついた。
「だとしたらわたくしは、とんだ道化でしたわね」
負けるために来た人間を勝たせようとして、結局負けたのだ。完全に無駄な努力である。そうだとすれば初子にある意味騙されていたとなるが、怒る気力もない。
「さあ。本人としても途中までは本気で喜んでたんだろ? 勝ったら勝ったで気が変わってたかも知れない。あるいは金に任せて新しい男を見つけるなんてこともできる。何が正しかったかなんて、誰にも分からない」
大は肩をすくめて、正しいが陳腐に過ぎて聞く価値のない結論を出した。さすがにそれでは悪いと思ったのか、笑って付け加える。
「過ぎたことを悔やんでも仕方がないさ。うまいものでもぱーっと食べて、忘れてしまおう」
「本当に…今日は気前が良くていらっしゃいますね」
初子に五千円を渡しただけでも相当な出費である。自分で競馬に使った金もあるはずだ。それに加えて口ぶりからすると、ある程度高いものを食べるつもりらしい。金銭感覚のしっかりしている大にしては、らしくない行動だった。それゆえ、感謝よりも不審が先に立つ。多少酒が入っているはずだが、その程度で冷静さを失うような人間ではない。
素直に喜ばない翡翠を見て、大はしてやったりという笑顔を浮かべた。ポケットから一枚の紙片を取り出す。それは翡翠としてもそろそろ見慣れた感のある、馬券だった。
書かれた番号と馬の名前はただ一つ。つまり単勝一点買いだ。
十三番、グロリアスジェイドである。
「あら…記念にとっておいていただいたのですか?」
「俺がそんなことする人間に見える?」
「お見受けできないから、驚いています」
驚いたと言うのは社交辞令で、実際には疑っている。相手のにやにや笑いを見て、疑惑は深まるばかりだ。
「最終レース、負けたと分かった時点で結果は確認してないみたいだね」
「はい…まさか!」
競馬場帰りの人間が気前良くなる理由、そんなものは一つしかない。大勝ちしたのだ。
「超大穴だったから、単勝でも結構な倍率行ってるぜ、これ」
換金しなかったのは感傷的な理由ではなく、単にできなかったからである。払戻の締め切り時刻は、最終レースの投票締め切りと同時なのだ。つまりあのレースのゲートが開いた時点で、払戻窓口は閉じられている。現金が手に入るのは後日のことになるが、競馬場以外にも受け取る手段はあるのでそれほど不便ではない。
「どうして! どうして分かったのですか!」
詰問とも悲鳴ともつかない声を上げる。納得がいかない。大は投げやりに首を振った。
「分かるわけないじゃん。俺は君と違って普通の人間だから。悪ふざけで買ったようなもので、正直俺自身勝てるとは思ってなかったさ」
「悪ふざけ? どういうことでしょう」
ひょいと手を伸ばすと、大は翡翠が頭の横にかぶっているお面を軽く小突いた。
「使わないビギナーズラックなら俺にくれ、ってね。昔誰かががそんなことを言ってたのさ。だからちょっと試してみたんだよ」
予備知識すらない全くの未経験者が、何故か大勝ちすることがある。単なる偶然、確率の問題と片付ければそれまでなのだが、賭けをする人間はそうでないように感じていることが多い。
もちろん、大自身は初心者ではない。だから今日初めて競馬場に来た翡翠のツキに賭けたのだ。似た名前の馬、しかも番号は彼女が好きな最も大きな数字、というのは、何かあると思われるのに十分な要素だった。外したとしても「やっぱりな」と苦笑して終わらせただろう。
翡翠は二度、瞬きした。長いまつげが夜目にも鮮やかだ。それから、その目を見開いてつぶやく。
「わたくしの…悪魔の幸運を、横取りした…?」
「おこぼれをもらう程度のつもりだったんだが、結果的にはそうなっちゃったみたいだね。」
大は肩をすくめた。悪いことをしたとは思っているのだ。結果的には独り勝ちだった。それも実力で手にしたのであれば恥じるいわれはないが、決してそうでないことは自分自身が誰よりも承知している。
翡翠は顔を蒼くして、ぶつぶつと言った。
「前代未聞ですわ。悪魔が自分自身の幸運をあてにされて、しかも現に盗み取られるだなんて…」
「謝ったほうがいいかな?」
「お止めください。余計に惨めです」
まるで哀れまれているかのようだ。だから翡翠は、謝罪を拒絶した。大は翡翠の運を無理やり奪ったわけではない。彼女が捨てたものを、たまたま拾い上げただけだ。品性に劣ることは本人が承知しているが、逆に言えばその程度である。謝るほどのいわれはないし、それでも気を遣うとなると、相手の方が勝者で格上だという自覚があることになる。
それに、翡翠自身信じがたいことではあるのだが、幸運の女神とやらは確かに彼女に微笑んでいたのだ。彼女が何ということもないと思っていた中年女性の顔をして、当たり馬券を買うように勧めていた。それを一蹴したのは他でもない、翡翠自身である。
大はというともちろん、その全てを見通してなどいない。ただ、下手に謝ると却って気分を害するかも知れないとは分かっていた。だから謝る前に、聞いてみたのである。
やがて翡翠は、顔を上げた。強い視線を突き刺してくる。ただ、睨みつけると形容するには、その目つきは重た過ぎるものだった。発せられた声も、華奢な彼女に似合わない低さだ。
「大様、このことは他言無用に願います。もし口外なさるようなことがあれば、あなた様を永遠の苦痛が味わえる場所へご案内致しますわ。わたくしにとってこれは、一大事なのです」
大を殺して気が済むものならとうにそうしている。しかしそうしても余計に無様だと思うので、翡翠は辛うじて自制していた。ただ、この恥辱をこの場で収めないというのであれば、攻撃をためらう理由はない。
大は、また、肩をすくめた。
「言わないよ。俺だって、こんな女の子にたかったと知られれば末代までの恥だ」
実態はどうあれ、翡翠は美しい少女だ。しかも先程自分で言ったとおり、大がその保護者ということにしている。そんな彼女を競馬場に連れて行った挙句利用したなど、世間体が悪すぎてとてもではないが口に出せない。
「結構です。ゆめゆめお忘れなきように」
「そもそもあったこと自体を忘れることにするさ。俺は君と違って、記憶力には自信がないんだ」
じろり、と険悪な目つきで翡翠は大を眺めやった。言っていることとやっていることが食い違っている。午前中に彼女が言った内容をきちんと覚えていなければ、今の言い回しは出てこない。
それをかわすように、大は再び笑った。
「さて。何が食べたい? 俺もさすがにあぶく銭を貯めておくほど悪趣味じゃないから、いつもの安いだけがとりえの飲み屋はやめようと思ってるんだが」
翡翠は口を尖らせつつも、考え込んだ。生命維持のための必要はないので、彼女にとって食事は純粋に趣味である。だからここで誘いを断っても、苦痛は感じない。しかし儲けた金で大だけ美味いものを食べるというのでは、どうしても納得できなかった。
何が何でも、食べてやろうと思う。ただ、元々の欲求に欠けているだけに、とっさにこれが良いというものは出てこない。結局、思いついたものを適当に言ってみた。
「馬肉」
今度は大が、瞬きを繰り返す番だった。そして吹き出し、さらに笑い始める。
「ぷっ…くくくくく…! あっはっはっはっは!」
「いけませんか?」
「いや、気に入った。嫌いじゃないねえ、そういうの」
馬を見てはしゃいでいたのは、他ならぬ翡翠自身である。それを今から食おうというのだ。もちろん、今日見た馬とこれから食卓に出るであろう馬は同一のものでは有り得ない。とは言え凶悪な趣味であることは間違いなかった。
ただ、大自身の趣味も相当に悪い。今持っている馬券、本来自分に与えられてはいなかったはずのツキを手に入れた紙片が、何よりの証拠である。それに寄生虫を大量に見た後での麺類では痛い目を見たが、牧場のバーベキューやジンギスカン程度ではどうとも思わない。
ついでに言えば、価格も誂え向きと思われる。普段食べるようなものよりは値が張るものの、余程の店でない限りそこそこの出費でおさまるだろう。勝ったとは言え無理なつぎ込み方はしていないので、超高級店では足が出てしまうのだ。
「よし、今日は馬刺しに桜鍋だ。心当たりがあるわけじゃないが、まあ探せば何とかなるさ」
大は酒飲みだが、飲食店にはそれほど詳しくない。単に飲むだけなら、行きつけの店が数軒あれば足りるからだ。非社交的な面もあるので、新しい店を開拓しようという意欲にも乏しい。特に鍋料理のような、一人では食べないメニューが中心の店にはあまり縁がなかった。
ただ、今日は若すぎるように見える連れがいるから、普段行くようなカウンターが中心の店には行きにくい。たまには、卓を囲んでゆっくり食べるのもいいだろう。
「どんなお料理なのですか」
「馬刺しは肉を生で食う。たれは生姜か大蒜と醤油だな。鍋は…ああ、そういえば俺も食ったことがないから分からない。まあ、見てのお楽しみでいいんじゃない?」
「大様がそうおっしゃるのでしたら、そのように」
機嫌を直した翡翠は、先程大に小突かれたお面の角度を直した。
「ところで大様、一つおうかがいしたいのですが」
「何」
「どうして競馬場で、狐のお面が売っているのでしょう」
買ってからずっと、不思議には思っていたのだ。目つきの悪い、不恰好な狐の面に見える。他の動物のものも売っている、あるいは馬であるなら話は分かるのだが、何故かこれだけだった。
「いやそれ、馬だし」
大はあっさりと告げた。確かにかなり独創的なデザインではあるが、馬は馬である。競馬場に売っていて当然だ。
かぶっていたものを外し、両手で持って顔の正面に据え、翡翠はしげしげと眺めやった。三白眼が、見返してくる。
「可愛くありません」
そしてばっさりと、斬り捨てた。そろそろ癖になってしまっているのか、大はまた肩をすくめて見せる。
「人の好みはそれぞれだが、少なくとも俺もそう思う。しかしそれなら何でまた、そんなものわざわざ買ったんだよ。ジャンパーや帽子だって、デザインが悪いとは思わないが、はっきり言って余所で着られるような代物じゃないぞ」
プロ野球やサッカーのユニフォームをあしらったものでも、スタジアム以外で着ていたら変な目で見られがちだ。まして競馬はそれ自体に偏見が持たれていることが多いので、関連商品は競馬場以外で着ないほうが賢明である。大が今まで敢えて「脱げ」などと言わなかったのは、いらぬ誤解や翡翠の曲解を避けるためである。
「事情もそれぞれですわ」
あくまで話す気のない翡翠である。大としても応じて喋っただけで、詮索をするつもりはなかった。
「そりゃそうだ」
首を突っ込むだけ損な、ろくでもないこと絡みだろう。大のその推測は、正しかった。
そうして二人、いや一人ともう一体は、何のかのと意味があったりなかったりする話をしながら、馬肉を求めて歩いていくのだった。
なお、英語の「Jade」は通常宝石の「翡翠」という意味を表すが、同音同綴異義語として、「駄馬」などという意味もある。後日何となく手持ちの辞書を引いてみた大は、それを知ることとなった。ただ、どうしてそうなるのかについては、語源まで載っていなかったので良く分からない。
だからもちろん、例の馬がどうしてあのような名前を持ったのかも知ってはいない。単に宝石の名前をつけるのが好きな馬主でもう一つの意味を知らなかったのか、あるいは「駄馬」という意味になることを承知でつけるような、どこかの誰かを上回る悪趣味の持ち主だったのか。考えてみるのは面白かったが、わざわざ努力して調べるようなことだとも思えなかった。
そして「翡翠」自身が聞けば気分を害するだろうから、大はそのことを黙っていた。さらに付け加えれば「駄馬」のほかに、軽蔑的な意味での「女」という意味もあるとのことだった。
悪魔、競馬場に行く。 了