午後の恋人たち 新章

11 電脳の騎士と怪人


 放課後、涼馬はもう一度話を聞けないものかと、一年生の教室を訪ねていた。玲奈のこともそうなのだが、それ以上に優自身の不審な様子が気にかかっていた。しかし間の悪いことにこの日の六時間目は化学の実験であったためその片付けに時間がかかり、ついたときには彼女は既に帰った後であったらしかった。
 急げば追いつけるのではないかと思って念のため駅への道をたどった涼馬であったが、それも無駄足に終わった。そう都合良く会えるものでもない。 
 結果的に、この日涼馬は用もないのに家とは反対方向の駅前に立つことになってしまった。それでは癪なので、寄り道でもすることにする。向かったのは、行きつけのゲームセンターであった。
 駅の裏手にあるゲームセンター「月の輪」、それは北条坂高校御用達などと呼ばれることもある店である。筐体の種類が豊富で料金設定も良心的、雰囲気も明るいなど、この近辺でこれ以上の店はない。何年か前まではもっぱら男子生徒の溜まり場であったらしいが、最近はUFOキャッチャー、プリクラなどの出現によりむしろ数的には女子生徒の方が多かったりもする。
 涼馬自身は中学生の頃からこの店に出入りしている。北条坂の生徒であれば大概寄り道場所として覚えるのだが、その前からの言わば常連である。近所と言うにはやや遠いのだが、しかし予算の制限を考慮しつつ最大限楽しむとすれば、やはりここしかなかった。特に中学時代の涼馬の小遣いは、今よりも少なかったのだ。両親、特に小遣いの決定について主導権を握っている母親は、常に息子の周囲に対して注意を払って、適正な額を設定している。
 さておき、最近涼馬が凝っているのは、ロボット同士の戦闘をテーマにした戦闘シミュレーションゲームである。昨今の主流である対戦格闘ゲームと異なり、白兵戦から空中戦に至るまで、非常に自由度の高い戦闘が展開できるあたりが気に入っている。
 店内奥の筐体設置場所まで迷わず進み、そのシートの片方にだけ人が座っているのを認めて笑みを浮かべる。これはその人物との対戦が可能であるということだ。
 涼馬は既に、コンピュータを圧倒できる技量に達している。少なくともこの分野に関して、人工知能は極端に恐るべき敵ではない。ゲームをしている限りにおいて、人間は人工知能の計算をはるかに超える潜在能力を持っているのだ。後はそのゲームをプログラムした人間の計算の範囲を超えることができるかどうか、それだけである。そして涼馬は、少なくともこのゲームに関して、既存のプログラムをはるかに超える技量を身につけている。
 だからこそ、相手が人間、それも相応の技量を持ったものでなければ面白くない。お互い十分な潜在能力を持っている。そしてある種うさ晴らしに来たのだから、楽しまなくてはならない。
 座っているのは大学生風の人物だった。使用しているのは白兵戦に特化した機体である。射撃武器の火力には劣るものの、その近接兵器の破壊力は他に類を見ず、装甲、機動力ともに高いレベルで安定している。使う人間が使えば相当に厄介な機体であり、また現に今涼馬の目の前で使われている様子も中々のものだ。
 しかし涼馬は、迷わず空いているもう一方のシートにかけるとコインを投入した。機体選択画面が表示されるが、それに二秒もかけない。使う物は決まっている。近接攻撃力、射撃攻撃力、機動力、装甲、全てにおいてバランスが取れた万能型の機体である。
 そして戦闘開始、接近してくる敵機に対し、自分は逃げずに迎え撃つ。近接兵器としては最も強力な敵のの主力兵装、トンファーが襲いかかった。しかしその直線的な動きは熟練の戦士に対してはうかつに過ぎる。軽くかわしざまに、涼馬の愛機の近接兵装である剣が短く、そして鋭く振るわれた。トンファー程ではないにせよ、そもそも近接兵装の威力は高く設定されている。大ダメージを受けて慌てて態勢の立て直しを図る敵を、しかし涼馬は情容赦なく攻撃して止めを刺した。
 その後も一方的な展開だった。本来相手の得意とする接近戦で涼馬は相手を圧倒する。元々近接戦闘が好きで、そのためこれに慣れているのだ。少なくとも自分から中距離戦、遠距離戦をしかけることはまずない。自機よりも敵機の方がその戦闘スタイルに合っていることは知っているが、しかし剣を使うのが好きなのだ。
 先述の通りこのゲームセンターは良心的で、対戦の場合プレーヤーが最大限楽しめるようになっている。大概の店では三本先取制一本につき制限時間八十秒で勝敗を決するのだが、ここでは五本先取制時間無制限である。しかしこの場合に限って言えば、この設定は涼馬に勝負を挑まれた者にとって苦痛でしかなかった。ひたすら圧倒されて敗北するだけである。下手に手加減をするのは相手に失礼だ、涼馬はそう考えているので手を緩めはしなかった。
 数分後、結局対戦相手は溜息をついて筐体を離れて行った。いい腕だがしかし相手が悪すぎたな、と心情的にはそんな所だが、実際に言いでもしたら喧嘩を売るだけなので黙っている。それがマナーである。
 とりあえずこれで少しはうさも晴れた。後は適当にコンピュータを相手に戦術の研究でもして帰ろうか、と思っている所ヘ今度は涼馬が挑戦を受けることになった。空いた席にすぐ、また別の人物が腰掛けてコインを投入する。涼馬の前の画面表示が一時止まって、対戦者の機体選択待ちの状態になった。
 涼馬の端正な顔に、先程よりも強い笑みが浮かんだ。モニターから受けた光以上に、その瞳が輝く。今度の相手は相当な腕を持っていると期待できる。このタイミングで入ってきたのなら、まず間違いなくその前の対戦を見ているはずだ。つまり涼馬の技量も当然ある程度知っている。それでも挑んでくるからには、相当な自信がなければならない。互角か、あるいはそれ以上。少なくとも彼はそう思っているはずだ。負けると分かっていて挑んでくる人間は奇特と言えるだろう。
 これでなくては面白くない。涼馬はサディストではないので、力の違い過ぎる相手をいたぶっても楽しめないのだ。勝負は勝つか負けるか分からないからこそ、スリルがあって面白い
 涼馬は相手を一瞥した。勝負で気が立っている者同士が睨み合いから喧嘩に発展することを避けるため、互いの顔が見えないよう仕切りが設けられてはいる。しかしそれは顔が見えないようにしてある程度なので、服装は見える。土地柄最も良くあるパターンは自分と同じ制服を目にすることであるが、しかし今回制服は北条坂のものではなかった。黒一色、つまり詰襟。この前見た継谷高校のものであるように見える。


 そして新たな敵機の概容が正面モニターに表示される。涼馬は目を丸くした。それは端的に言って、まともな人間の使うものではない。全機体中最も多彩な攻撃方法を誇るが、反面操作が難解を極める。全機能を使いこなせれば最強とも言われるのだが、しかしそのような使い手を誰も見たことがない。時折開かれるこのゲームの大会でも、涼馬が知る限り、これを使って優勝した例はなかった。
 通常これを使う人間の類型は二つに一つ、他の機体に飽きた者が興味本意で使ってみるか、あるいはこのゲームを全く知らないか、だ。恐らく後者だな、と涼馬は見ていた。好んで負けたがる人間などいないのだから、飽きるまでやっている者なら普通は使い慣れている機体を選ぶ。自分が慣れない機体で勝てる相手ではない、という自信はあるのだ。
 そしてゲーム開始、直後に涼馬はレーザーを放った。自分の機体が装備している射撃武器の中では最大の破壊力を有するが、発射後にできる隙もそれに比例して大きい。言わば切り札である。開始直後にこれを食らうのはこのゲームの初心者か、あるいは油断しているかのどちらかだ。相手の技量はこれで判断できる。
 敵機が宙に舞う。それはレーザーをぎりぎりの線でかわして空中機動を行い、涼馬の機体の背後に回り込んだ。後背からの攻撃を回避すべく、涼馬が急加速をかける。しかしその先に、敵機の主力武器の一つである浮遊爆雷が待ち構えていた。行動を完全に読まれていたのだ。
 涼馬の機体が爆雷の直撃を受けている間に、敵は後退している。その多彩な兵装を最大限に生かせる有利な間合だ。この使い手は相当に熟練し、しかも鋭い読みと冷静な判断力を有する。相手を侮ったことを反省しながら、涼馬は身構えた。
 そして結果は涼馬の二勝五敗、慣れないうえに動きの読めない相手に三本連続して取られてしまい、その後の善戦も逆転には至らなかった。こつをつかんで一進一退にまで持ち込むのがやっとである。
「ふう」
 世間は広い。そんな当然のことを再確認させられながら、涼馬は立ち上がった。数分間に渡って高度の集中力を維持していたため、少し疲労が溜まっている。とりあえず当初の目的であるストレスの解消にはなったので、もう帰ろうと思っていた。
「生徒会長でもこういうので遊ぶんだね。もっと固い人かと思ってたけど」
 座ってゲームを継続している詰襟の人物が、不意にそう言った。涼馬は驚いて、その顔が見える位置まで回り込む。
「やあ」
 対戦相手、手塚昭博が笑って手を上げていた。モニター内で、操作を受けていない彼の機体がコンピュータに備えられた人工知能に攻撃されているが、彼にとってはあまり重大な問題ではないらしい。
「君は」
「久し振りって言うほど日がたってはいないよな」
 そう言ってから、昭博は注意をゲームに戻す。それまでされるがままだった機体が一瞬で変貌して、瞬く間に敵機を撃破した。
「ちょっと話があるんだ、いいかな?」
 涼馬はこの際なので本人に確かめる。昭博はやや不思議そうな顔をしたが、やがてうなずいた。
「これが終わるまで待っててくれれば構わないけど」
「ああ、待つよ」
「それじゃ、さっさと片付けてしまうとしようかね」
 上唇を舐めると、昭博はゲームの攻略に取りかかった。
 実際、さほどの時間はかからなかった昭博は涼馬が持っている最短時間記録を更新して、このゲームをクリアして見せたのである。A.T の文字がR.Sの上に誇らしげに表示される。正直な所かなり悔しかったが、涼馬としてはこらえた。
 近くの公園まで来てもらって、話を聞く。昭博は自転車を押していた。
「でも約束があるんじゃないのか? 君がここにいるということは」
 しかしその前に、涼馬がふと気がついた。涼馬などならともかく、昭博自身は本来このあたりに用はないはずだ。用があるとすれば、それは玲奈と会うことになる。待ち合わせを邪魔しては悪い。
 昭博は苦笑してかぶりを振った。
「気を使わなくていいよ。俺は言いたいことを言う人間だから。玲奈ならもう塾に向かってる。俺は丁度いい感じのゲーセンがあったから遊んでただけ。いい所だね、あそこは」
「うん。この近所では一番だよ」
 玲奈が学校を終えて駅につく、そのわずかな間会うためにわざわざやって来たのか、との疑問を涼馬は飲み込んだ。話がややこしくなるだけだ。
「それで、用って何?」
「うん。それじゃあ、僕もはっきり言わせてもらっていいかな。言いにくい用件なんだが」
「ああ。俺としては遠回しに言われるよりはよっぽどいい」
「分かった。偶然僕の所に回ってきたのだけれど、僕の学校には周辺の地域、学校で危険と思われている人物をリストアップした資料があってね」
「何? まさか俺がその中に含まれてるって訳? 何でさ。そりゃ確かに真面目にしてるとは言わないけどさ、目をつけられるほどやばいことしてないぜ。煙草吸わないし、珍走団なんてものにも入ってない。見ての通りの自転車だ。まあこの自転車でちょっと暴走してるって言われればしてるかもしれないけれど」
 さすがの昭博も驚いたようで、早口にまくし立てる。そのため、涼馬としては「珍走団」なる耳慣れない用語に関して確認する時間がなかった。とにかく、かぶりを振っておく。なお、「珍走団」とはいわゆる暴走族に対する軽蔑的な呼称である。
「僕はそれを確かめに来たんだ。大庭工業高校の裏番、っていう事になっていたけれど、本当に心当たりはないかな」
「あー。あれか」
 昭博が眉をひそめる。そうしてみると心当たりがある所が、怖い。
「どういうことかな? 僕は人の過去や、あるいはつきあいに関してあまり口うるさく言うつもりはないけれど、でも全治何箇月とかそういう記録が並んでいる人と、自分の知り合いが深い仲という話を聞くと、やっぱり気になるよ。あの資料を見つけたのは藤野さんなんだけれど、彼女は僕以上に先輩のことを心配しているし」
「今の所それを知っているのはあんたとその彼女と?」
「藤野さんには口止めをしてある。先輩に真偽を確かめることだけは、止められなかったけれどね。僕は誰にも話していない。僕の知っている限りではそれだけだけれど、ただ、あれを見たのが僕達だけだと保証はできない。この前まで先生の机で放り出されたままだったから、そんなに使われていないことは確かだよ」
 すぐには話しだそうとしない油断のない昭博に、涼馬は誠意をもって答えることを心がけていた。世の中それだけで渡って行けるとは思っていないが、しかしできる限りそうすべきだと信じている。
「これからもそのようにしておけるかな」
 昭博は、表情を消してそれだけ言った。その態度を引き出したのが、自分なりの誠実さの結果であると涼馬としては思いたい。
「僕と藤野さんがやろうと思えば、ね。どうせ先生が生徒会室に返すのを忘れていた物だから、僕達がそのしまい場所をどういう訳か忘れてしまって、今後所在不明になったとしても、問題にはならないだろう。生徒会室の資料を細かい所まで調べるのは僕達二人くらいなものだしね。あるいはもしかしたらその一ページだけがどこかへ行くかもしれないが、その場合それをどうこうと詮索するのは不可能に近いと思うよ」
 昭博は、小さくうなずいた。
「分かった。一通り話すから、黙っておいてくれ。あんまり心配かけたくないから、玲奈にもね」
「約束する」
「ええと、何箇月前だったか覚えてないけど、あの高校の生徒が二人ばかり俺の高校の女の子にからんでるのに道で出くわしたんだ。俺としては平和的に話し合いで解決しようとしたんだけれど、逆ギレした相手が殴りかかってきちゃってね。まあ俺も無抵抗で殴られる趣味はないから相手が抵抗しなくなるまで殴る蹴るして、その日はそれで納得して帰ってもらった」
 例えば自分でも、もし勝ち目のない相手に出くわして痛めつけられたなら、その場は嫌でも納得して引き下がったであろう。涼馬はそう思う。もしそうでなければ、さらに重い傷を負うか、さもなければ殺されるだけだ。どうせ殺されるくらいなら、生き延びて逆襲する機会を得る努力をしたほうが良いと思える。だから、小さくうなずいて続きを促す。
「で、その連中を締めてた奴、言ってみれば番長が、それじゃあ面子が丸つぶれだって考えたらしくて俺を袋叩きにする話を始めたそうなんだ。俺はそんな、いつ襲ってくるか分からない相手に対してずっと気を張ってるのも嫌だったし、準備万端整えた相手とやりあう気もなかった。そこでしょうがないから相手が態勢を整える前に向こうの高校に乗り込んで、解決を図ったってわけ。ここまで来るともう普通に話の通じる相手じゃないって分かってるから、その番長を思いっきり殴りつけて、後は襲いかかってきた奴を片付けたって成り行きだよ」
 正直な所、その「番長」とやらと、彼に従った人間が、涼馬には気の毒に思えた。相手が悪すぎる。正確な情報を収集し、それを元に敵の手薄な状態を狙い、最も効果的な時期と場所を見計らって中枢から潰す。昭博のやり方は、軍隊の理想的な戦闘方法そのものだ。そこらの不良やら何やらが、何十人集まっても勝てる相手ではない。
 そしてまさか、この日本の人間で彼の年齢でそれを教わっているわけでもないだろうから、彼自身の知性によってその戦闘方法を編み出したに違いない。そこまでの能力を持った人材なら、例えばフランス外人部隊に入ってもかなりの所まで行ける気がする。
 そんな感嘆を、昭博は気にも留めなかった。元々、彼にとっては大したことのない事件なのだ。だから淡々と、説明を続ける。
「入院した連中とじっくり話をつけて、その番長が今後二度と継谷の生徒とはいさかいを起こさないようにさせるって約束してくれたから、話はおしまいさ。そんなふうになったから、裏番なんて呼ばれるようになったのかもしれない。俺としてはそんなつもり全然ないんだけどね」
「よく捕まらないな」
 涼馬は、眉をひそめてそれだけ言った。入院している時の話し合いというのは、ほとんど脅迫であったに違いない。例え昭博がどれほどその場で紳士的に振舞っていたとしても、野放しのままの加害者がその場にいるだけで相当な心理的圧力になる。承諾する以外に選択肢はなかったはずだ。
「あんただって似たようなことやってるじゃない。この前あんたの所の連中に俺が袋叩きにされかかったの、あれは立派な暴行障害未遂だぜ。それでもその場に居合せたあんたは、別に警察に通報したりしなかったじゃないか」
「それはそうだけれど」
「警察沙汰にして得する奴が誰もいないんだよ。大庭工業の教師にしてみれば学校の中でそんな事件が起きたなんてことおおっぴらにしたくないし、番長連中としてはたった一人にやられたなんて事が知られればそれこそ面子丸つぶれだ。他の普通の生徒にとっては邪魔な奴がやられて清々したって感じだったらしいし。だから誰も問題にしない。世の中ってそういうものだろ」
 昭博が薄く笑う。涼馬は一応謝っておいた。
「詮索してしまって、済まなかった」
「別にいいよ。俺自身悪いことをしたと思ってるわけじゃない。でなけりゃ始めからしないからね。ただ、世間的にはまずいとは分かってるから隠してるだけさ」
 異常としか言いようのない神経の図太さだ。この人物が玲奈の恋人だとは、いまだに感覚的に納得できない。そこでつい、涼馬は確かめてしまった。
「疑った僕が馬鹿だったよ。経歴はどうあれ先輩のためにわざわざお弁当を作ってあげるような人が、悪い人間であるはずもない」
 こけた。敵意を持った数十人の集団に囲まれようと動揺しない豪胆な人物が、いきなりである。そして態勢を立て直すなり叫ぶ。
「喋ったのか、あいつはっ!」
「僕は藤野さんから聞いただけだから、真相は彼女か先輩に聞かないと分からないよ」
 どうやら本当らしい、赤くなった相手の顔を見ながら、涼馬は結論づけた。自分の感覚はどうあれ、とりあえず納得するしかないようだ。
「ったく」
「僕としてはうらやましいけれどね。そう素直に仲良くできるって」
 ぶつくさ言うのをなだめる。しかし昭博は、それでも不機嫌だった。
「わがままを聞かされてるだけさ」
「あの人は誰彼構わずわがままを言ったりしない。多分君だけだよ」
「なんなんだかねぇ」
 昭博は頭をかく。そんな様子を見ながら、涼馬は前から気になっていたことを確かめようと思った。
「そうまで信頼されているっていうのはやっぱり、その、ええと。そう言えば先輩は一人暮しだし」
 我ながらおぼつかない話しぶりだとは思う。しかしかといって、はっきり聞ければ苦労はない。昭博は口をへの字に曲げた。
「言いたいことがあるならはっきり言え、といつもは言うんだが、そんなことは聞くな」
「ごめん」
 とりあえず言わんとしている所は了解されているようだ。玲奈様ファンクラブに取り囲まれた際、彼は玲奈と肉体関係があるとも取れる発言をしていた。涼馬はそれを聞いている。しかしその場では、彼流のはったりであるようにも思われた。
「大体聞いてどうするのさ」
「いや、まあ、その。嫌われたりしないのかな、と思って」
 じろり、という形容がこれ以上似合う目つきもないだろう。そんな昭博だった。
「なんかさあ、あんた気にしなくてもいいようなことを気にしてないか? まあ、俺はあんたのことをそんなに知ってる訳でもないけれど」
「昔からの友達にも、似たようなことを言われているよ」
「やっぱり」
 昭博は腕を組んだ。
「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいいと俺は思うけどね」
「おいおい」
「ああ、いや、変な意味じゃなくて。一般論としてはその方が前向きじゃないか」
 苦笑、というより昭博はむしろ純粋に笑っていた。慌てて反応する涼馬が、おかしかったのかもしれない。
「成り行きと勢いがきっかけでも、意外とうまく行くこともあるさ。十年先も今と同じようにいたいと思えて、しかもそれが十分可能だと感じられるくらいには、ね」
 言い終えてから、昭博はまた顔をしかめた。喋り過ぎたと思ったらしい。不意に自転車の向きを変える。
「俺はそろそろ帰るよ」
「あ、うん。今日はありがとう」
「腰低いね、あんた。礼を言われる事なんて何もないぞ。ま、いいけど。それじゃ、そうだな。またあのゲーム、対戦しよう。今日は結構楽しめた」
 涼馬の返答を待たずに、昭博は自転車を漕ぎ出した。
「十年先か」
 その姿が公園を出て見えなっても、涼馬はその場に立ち尽くしていた。


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