午後の恋人たち 新章

14 彩亜参上


 計画は準備段階では順調に進み、話の持ち上がった三日後には北条坂高校に全員が顔をそろえることとなった。放課後、涼馬と大隈は校門前で参加者の到着を待つ。
 やがて、帰路につく学生達に逆行して一つの黒い人影が姿をあらわした。黒髪、詰襟のボタンまで黒い。涼馬としては一度見たことのあるような光景だ。
「ちょっと早く来過ぎたかな」
 そう第一声を放ったのは、継谷高校の手塚昭博である。
「まあ、暗くならないと話が始まらないからね。ええと、こっちが剣道部の大隈哲也、それからこっちは手塚昭博だ」
「よろしく」
「始めまして」
 初対面の人間には基本的に丁寧に、昭博が応じる。涼馬は玲奈を通じて、彼と連絡をとっていた。
「それで手塚君はどんな武道を?」
「あ、いや、別に武道って言う武道はやってないんですけどね」
 この場では当然と言えば当然の大隈の質問に、昭博は困ってしまう。涼馬はとりあえず、フォローをしておいした。
「実戦格闘技、とでも言えばいいのかな」
「ああ。まあ、ね」
「しかしどうせ時間が余っているんだから、先輩に挨拶でもしておけば。出て行った様子がないから、まだ学校の中にいると思うけれど」
「変な所で気を使うなよ。大体この格好でその辺をうろうろしちゃあまずいだろ」
 ブレザーが制服のこの学校の中で、詰襟の昭博は誰がどう見ても他校の生徒である。私服である以上に怪しげだ。
「この学校はそういう所がいい加減だから、大丈夫だと思うけど」
「ほんとかよ」
 結局昭博はその場を動こうとしない。しかし恋する乙女の嗅覚恐るべきとでも言えば良いのか、丁度この時、何故か玲奈がやって来た。通常の帰り道であれば当然通過する場所であるとは言え、このタイミングは何かの人為さえ疑ってしまうほどだ。
「あら昭博さん、今日はちょっと予定があるなんてお話でしたのに、迎えに来てくれたんですか」
 輝くような笑顔で近寄ってくる。昭博は一瞬、涼馬と大隈に視線を走らせた。二人はごく自然な距離を取って、突如剣道についての話題に入る。涼馬が大隈に対して、まず二段を取るためには何をするのが良いのかと、そんな話を振っていた。
 それで一応、昭博としては玲奈との会話に集中できた。
「いや、ちょっと涼馬に呼び出されてね」
「そう言えばこの前涼馬さんに電話番号を教えましたけれど、いつからそう仲良くなったんですか」
「そこの駅前のゲーセンに最近良く行くようになったんだけど、涼馬も常連なんだ」
 正直に言えば心配をかけるに決まっている。昭博は誤魔化した。
「それで今日は皆さんおそろいで遊びに行くのですか」
 棘、とまでは行かないまでも何か引っかかる口調で玲奈が質問する。昭博は見えないように身構えた。
「ああ、まあな」
「ここまで来てくれるのでしたら、私にも声をかけてくれればいいのに…」
 玲奈が形の良い眉をひそめる。涼馬と大隈は、全く何の関係もない話題を無機的に続けていた。話は涼馬が二段を取るということから、大隈が今後三段を取ることなど、将来的な所へ移っている。
 昭博は激しい脱力を気取られないように苦労している。
「いや、だってさ、君はゲーセンとか興味ないかと思って」
「でも、昭博さんの行く所でしたら」
「受験生があんまり遊び回るものじゃないよ」
「またそうやって。気分転換くらいでしたら大丈夫ですよ」
「あーもう。とにかく今日はさっさと帰った方がいい。例の痴漢もいまだに捕まらないみたいだから、明るいうちにな」
「昭博さん。何か気になることでもありますか」
 さすがに玲奈は昭博に関して無意味に鋭い。甘えつつもしっかりと、彼の様子がおかしいと察知していた。
「別に何でもないよ」
 大ありなので、さすがに昭博も内心焦る。しかし少なくとも、彼女に対してやましい所は全くない。だから表面に、その焦りは特に現れなかった。そのため玲奈としては現時点で、追及する手段を持っていない。また、涼馬や大隈も助け舟を出す必要性は感じなかった。
「ならいいのですけれど。あ、そうそう、ゲームセンターにはまたいつか、連れて行って下さいね」
「分かった分かった」
「それではまた。涼馬さん、大隅さん、さようなら」
「あ、はい、さようなら」
「お気をつけて」
 玲奈は何度か振りかえってから、ようやく見えなくなった。昭博は溜息をついたが、涼馬も大隈もノーコメントを守り通すだけの礼儀を持ち合わせていた。
 迎えに出た岸宣に伴われて最後の参加者が姿を表したのは、涼馬が気まずい雰囲気の打開策を考え始めた頃である。
「はあーい、涼馬、お久しぶり!」
 張りのある声が響く。近くにある中では最も有名なお嬢様女子校の制服として知られる、紅葉色のブレザーに身を包んだ少女が、軽やかな足取りで入って来た。少し背が高いが、それ以上に脚の長さが際立っている。
 髪を長く伸ばし、くっきりとした美貌はいかにも良家の子女だが、見るからにあふれるような生命力が、それを良い意味で裏切っていた。今回の作戦の要、囮役を務める彩亜である。


「うん、久し振り。元気そうだね」
「まーね。って、あれ? 昭博、こんな所で何やってるの?」
「なるほど、囮はあんたか」
 いきなり他校組の二人がそう会話を始める。初対面で紹介の必要があるとばかり思っていたので、涼馬は少し驚いた。
「何だ、君達は知り合いだったのか」
「うん、なんつったってあたし達は」
「ええいっ! でかい声でそんな話を始めるんじゃない!」
 理由は良く分からないが、今日の昭博には女難が付きまとっているようだ。基本的にはとてつもないと言えるほど冷徹な部分を持っている彼が、声を荒げている。細かい事情はともかく、可哀そうになってきたので、涼馬は助け舟を出した。
「とにかく全員そろったし、ひとまず場所を変えようか。詳しい話はそこで」
「じゃあ体育館裏にでも」
 彩亜の提案に、昭博は本気で嫌そうな顔をした。
 体育館裏ではなかったものの、ひとまず涼馬達が向かったのは校舎裏である。おおっぴらにできる話ではないことが予想されるためだ。しかし途中で下手に人目を避けても却って怪しまれる。そこで順路はごく誰でも通る所を選んだ。
 その結果かどうか、涼馬は途中で一人の小柄な女子生徒と出会ってしまった。おかっぱ頭をぺこりと下げて、そのまま無言で通り過ぎて行く。涼馬はそれに、小さくうなずいただけで応えた。同じ学校の生徒である岸宣のほか、昭博も軽くではあるが頭を下げている。
「岸宣」
 彼の背中に視線を投げてから、彩亜が不意に口を開いた。岸宣は首をかしげる。
「何でしょう」
「あんた、彼女にセクハラでもした?」
「何をいきなり。そんな真似をしたら涼馬に殺されますよ」
 怒る気にもなれないらしく、岸宣は大袈裟に肩をすくめて見せた。しかし彩亜は表情を崩さず、涼馬に視線を向ける。
「ん? 涼馬の彼女なの?」
「違うよ。生徒会の役員だ。彼女がどうかした?」
「うん、ちょっと。妙に気を張っているように見えたから」
「彼女もこれに参加したいと言っていたのだけれどね、一年生だし、僕が断ったんだ。だからあまりいい顔をしてくれないんだと思うよ」
「ふふん、ハブにしちゃったわけだ」
 彩亜は妙な笑みを浮かべて、涼馬に顔を近づけた。少し引いた感じで、涼馬が返す。
「まあ、そう思われても仕方がないけれど」
「女心が分かってないなあ。適当なこと言って、形だけでも協力させてあげれば良かったのに」
「そんな調子のいいことはできないよ」
「そうだろうけどね。でもできるようになっておかないと、後々損するわよ」
「覚えておくよ」
 気のない返事を、彩亜はくすくすと笑った。
「その場で何とかするのが無理なら、フォローをしっかりしとけばいいのよ。後でデートにでも誘っておきなさい」
「だから彼女じゃないってば」
「まあまあ」
「その辺にしておくんだな。そういう話はひと仕事済ませた後にゆっくりすればいい」
 楽しそうにまとわりつこうとする彩亜であったが、むしろ感心するほどつまらなそうな声と顔で昭博が割って入った。
「涼馬の朴念仁も相変わらずだけど、あんたはあんたでいつもながら殺伐としてるわね。こっちはほっといても女の子が寄って来るけど、あんたその調子じゃあ百年たっても彼女ができないわよ」
「別にいいよ」
「もう立派な相手がいますしね」
 岸宣がごく端的に説明する。昭博は出来損ないのからくり人形のようにゆっくりと、そちらに首を向けた。
「何故知ってるかって、私はあの先輩とは高校に入る前からの知り合いですし、あの人は別に秘密主義でもありませんからね」
 無言の質問にも明確な返答がある。昭博が迂闊な反応を避けたのが、しかしこの場合は何よりの証拠だった。
 それだから、彩亜などは本当に真剣に問いかける。彼女自身の交際相手である岸宣がその関係を黙認しているような言動をとっているが、それでもである。
「どっからさらって来たのよ」
「だから、余計な話は後にしろっての」
「じゃあ後でたっぷりと。どうせ暗くなるまで待たなきゃならないんだしね。打ち合せなんてそんなにかからないでしょ」
 ウインクする彩亜を、昭博はいまいましげに睨み返した。

 澱んだ赤が迫り来る夜に押されて空の下辺に垂れ込める。昭博はそれを、どこか冷たい光を湛えた目で眺めやった。
「さて」
 再び校門の前に立って、そしてしばらく待つ。彼の次にやって来たのは、涼馬と大隈だった。
「お待たせ」
 二人とも竹刀の袋を手にしている。しかし中に入れているのは木刀である。それぞれこの時に備えて、あらかじめ学校の中に用意しておいたものだった。剣道部にも置いてあるのだが、最悪の事態として学校当局に露見した場合を考え、無断での持ち出しを避けて私物を使うのだ。
「彩亜がまだだから、気にするな」
「まあ彼女はしばらくかかるよ」
「そうだな」
「それで今日も、あれは持って来てるのかな」
「あれ? ああ、これね」
 詰襟の学生服に包まれた手を軽く振る。軽快な金属音とともに、伸びた状態の特殊警棒が現れた。そして手を返すと、手品のように消えてしまう。実際基本的な原理は、ある種の手品と同じである。
「物騒なものを」
 大隈はそう言うものの、表情は感心している。昭博は肩をすくめた。
「木刀の方がやばいと思うけどね、実際の威力としては」
「無茶はしない」
「ああ、そうしてくれ」
「どっちもどっちよ。良くもまあ、これだけ危険人物ばかり集めたもんだわ」
 例によって、と言うべきか彩亜が元気良く割り込んでくる。昭博は面倒臭そうにしながらも反論した。
「その筆頭が何を言う。乱闘事件の常習犯が」
「入院させた延べ日数はあんたの方が多いでしょ。全治三箇月の怪我人なんて、作るの大変よ。殺したほうがまだ早いじゃない」
「虚弱体質だったんだよ、多分」
 凄まじい言い訳である。彩亜も肩をすくめた。
「手加減知らない人はこれだから怖いのよねぇ」
「何しろあんた等と違って何の武道もやってないのでね」
「だったら今からでも遅くないから何か習いなさいよ」
「知ってるか? そういうの、『虎に翼』って言うんだぜ」
「違うわよ、ピーに刃物よ」
「だったら勧めるな!」
 漫才を始める二人を横目に、涼馬は岸宣を眺めやった。彼は彼で、肩をすくめている。
「ま、しばらく放っておきましょう。今日は久し振りで、南東京番長連合の集会のようですから」
「番長連合?」
 あまりに時代錯誤的な名称に、本来謹厳な大隈が噴き出す。真面目腐って、岸宣はうなずいた。
「彼女は周辺七か校を押さえる総番、手塚さんは大庭工業の裏番ですからね。その筋ではご高名な方のお名前を一時とはいえ失念していたとは、私も少々調子が狂っているようです」
「俺が裏番だなんて言ってる訳じゃないぞ。大庭の奴らが勝手に言っているだけだからな。というか、『その筋』とか言うな。それに連合だなんてこいつが勝手にやってるだけだし。今時そんな流行りもしない」
 彩亜とやりあいつつも、昭博はしっかり聞いているらしい。一方の彩亜は、くすくすと笑って見せた。
「流行り廃りを気にするガラでもないくせに。この際だから一緒に日本の番長の伝統を守って行こうよ」
「誰が守るかっ!」
「岸宣はそう言うけれど、そろそろ行ったほうがいいと僕は思うよ」
 このままでは収拾がつかない。涼馬はかなり強引に切り上げさせた。一番騒いでいたくせに、彩亜があっさりとそれに乗る。
「それもそうね。あ、ねえねえ。この服どうかな? 自分の所のも嫌いじゃないけど、ここの制服デザインが新しいわけじゃないけど結構可愛いから一回着てみたかったんだ」
 言い終えてから軽快にターンし、ポーズも決める。彼女本来の制服ではなく、北条坂高校の制服を着込んでいる。スタイルが良いので、基本的に何を着せても似合うようだ。囮役としてはまさに適任である。
「中々いいよ」
「ふふふっ、ありがと」
 涼馬はごく素直に称賛するのだが、昭博はそうはいかない。
「問題はそれをどこから持って来たかだけどな」
 調達して来たのは岸宣である。彼は今、持参したらしい服の代わりに彩亜が着ていた服をスポーツバッグに入れて持っている。
「まあまあ、そんな些細なことはどうでもいいじゃないですか」
「まあね。ここは涼馬の顔を立てて、そろそろ行くとしようか」
 これ以上彩亜にからかわれても仕方がないと思ったらしく、昭博が促す。岸宣と大隈が先行し、彩亜がやや離れて後ろ、最後に昭博と涼馬が歩くと打ち合せをしてある。気取られないため多少距離を置くとは言え、前後から囮を守る態勢である。歩くルートも既に決定済みだ。
「そうですね。それではまあ、始めるとしましょうか」
 気軽に言って、岸宣は歩き出した。木刀の握りを確かめながら、大隈もそれに並ぶ。
「いってらっしゃーい」
 大きく手を振る彩亜を横目で眺めやって、昭博は肩をすくめていた。

 そしてしばらく後、涼馬と昭博はある意味予定通り、そして本意に反して何事もなく並んで歩いていた。
「あそこを曲がれば後は…」
 街灯に照らされて浮かび上がり、そして闇に沈み行くのを繰り返す青いブレザーの少女の後姿。それを二人はぎりぎりの所で捕らえていた。当然、それは彩亜である。
「うん、もう駅前の商店街に入る」
 それまでの道は北条坂の生徒と付近の住人しか通らない普通の道だが、そこから先は人通りも多く、明るくなる。普通の立場の女生徒にしてみれば、そこまで来ればひと安心である。実際痴漢事件もそこに至るまでに起きている。つまり今回の彼等にしてみれば、ある種の失望を伴わずにはいられなかった。
「やっぱり空振りか」
「まあ、もともと一度で済むとも思っていなかったからね。もう一度だよ」
「ああ」
 成果が上がらなければ別のルートをたどって学校に戻り、再度作戦を実行する、それが当初からの予定である。

 スニーカーの足音が確かに聞こえる。それほど静かな、夜の住宅街だ。朝夕には溢れ返るほどに見える北条坂高校の制服も、この時間帯には珍しく感じられる。
 青いブレザーに同色のプリーツスカート、やや地味だとの声もあるが、オーソドックスである分着る人間によって清楚にもスポーティーにも見える。そして今、街灯に照らされた少女は可憐な雰囲気をそこはかとなく漂わせていた。黒く大きな瞳を時折左右に振って、何かを警戒している。無理もない、近頃このあたりでは、痴漢が出没すると専らの噂なのだから。
 それを認めて、黒い人影がゆっくりと動き出した。少女に気取られぬよううまく障害物を使って身を隠しながら、しかし着実に接近して行く。コンバットナイフがゆっくりと引き抜かれ、街頭の光を鈍く反射した。

続く


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