午後の恋人たち 新章

16 岸宣暗躍


 北条坂高校の文化祭は、生徒、教員以下の学校関係者やその家族と友人、近隣の人々に加え、その他の来客も少なくない、ある種の名物となっている。規模が大きく華やかな、文字通りのお祭りである。
 それだけに、運営側に要求される労力も並一通りではない。人手もかかる。その一環としてある秋の一日、放課後、学校の大会議室で会議が持たれることとなった。出席者は生徒会の常任役員全員と各部活、サークルの代表者、そしてその他関係学生である。また、議事進行の妨害にならない限りこの時点で直接関係のない学生全てにも傍聴権があり、例えば部活、サークル以外で教室使用をする出展などを希望する有志団体の人間なども顔を出している。一方教員はこのような場には現れず、事後承認だけをするのが慣例だ。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。既にご承知のこととは思いますが、議題は文化祭実施に関してです。それでは早速ですが、議事に入ります」
 議長は生徒会長、澤守涼馬である。そもそも学生の会議であるし、彼が虚礼を好まない性格であるから、長々とした挨拶はない。
「まずは、文化祭執行に関する役員人事についてです。お手元の資料、一ページ目を御覧下さい。我々生徒会常任役員としては、次のような常任役員の配置および、執行役員人事を提案いたします」
 文化祭の執行に携わるのも、基本的には涼馬以下の生徒会役員である。ただ、それだけでは人手が足りないし、日々の地道な事務処理等の作業に向いた人間の多い常任役員では、一過性のお祭り騒ぎに関して対応力の不足する部分がでるおそれがある。そこで臨時に、後者に関しての適任者を執行役員として任命するのだ。
「執行委員長、わたくし、澤守涼馬。二年生、生徒会会長。副委員長出納担当、野中陽子さん。二年生、生徒会副会長。副委員長庶務担当、藤野優さん。一年生、生徒会副会長」
 目を通し、読み上げを確認しながら、誰もが順当な人事だと思った。慣例通り、でもある。元々副委員長が二人置かれるのは、生徒会常任役員における副会長が二人いるのを横滑りさせるためのものなのである。二年生がなる出納担当が金銭取り扱いの最高責任者となる重職であるのに対し、一年生の庶務担当は会長の補佐で、会長がしっかりさえしていればそれほど重要な立場にはならない。むしろ雑務を押しつけるための、都合の良い肩書きになる場合が多い。
 名前を呼ばれた優は、起立して頭を下げる。彼女も議事進行役の一人をかねているが、今皆が見ている資料を作成した時点でほとんど、この会議に関する仕事は終わっていた。書記をやらせたり自分でやっているような読み上げなどの作業を代行させても良いのだが、涼馬はそうしていなかった。
 岸宣は何となく、そんな二人の横顔を眺めていた。ただ、ここでの自分の仕事を忘れてはいない。涼馬の声を聞くまでもなく、タイミングは分かっていた。
「企画担当委員、宍戸岸宣君。二年生、執行役員」
 優同様に立ち上がって頭を下げる。企画担当は、端的に言えばイベント担当である。中庭でのダンスパーティーなど、期間中学校全体を盛り上げるための運営サイドとしての行事を管掌する。ここがしっかりしていなければ名物と言われるほどのお祭り騒ぎにはなりにくいし、やろうと思えば担当委員権限で自らその種の催しの司会を務めたりもできる、花形ポストだ。
 目立ちたがりとしては、外せない地位である。もし実質的な人事権を持つ生徒会長が涼馬ではなく、ほとんど面識のない人間であっても、自分から売り込みに行ったことだろう。しかし今回、幸い古くからの友人である。働きかけるまでもなく、真っ先に話を持ってきてくれた。
 この種の人事は、仲の良い人間を起用するのが基本である。仲間で固めてしまうと馴れ合いになってしまう危険性もないではないが、しかし学校行事でわざわざ人間関係を悪化させても良い結果はまず得られない。
 自分自身に関して少々胡散臭げな視線が向けられるのに、岸宣は気づいている。まあ、日頃の行いが良いとはいえない自覚はあるので仕方がないと思う。ただ、それもすぐに諦めとも安堵ともつかないものに変わると踏んでいたし、実際その通りになった。後ろに涼馬が控えているのだから、そう無茶なことにはなるまいという安心感があるのだ。それだけ、涼馬は信頼されている。
 結局、人事案件について異議は出なかった。特に人事の場合、異議を唱えると「じゃあお前がやれ」式の再反論をされても文句が言えなくなるので、そこまでやる勇気と熱意のある人間はほとんどいない。そもそも熱意があるなら、岸宣のように始めから人選に含まれるものである。
 それに余計な動議をして会議を長引かせると、文化祭に関心はないが義務で出席している部活やサークルの代表者に、煙たがられてしまう。これは人事案件以外についてもいえることなので、結局最後まで異議は出ず、全会一致で生徒会提出案を了承して解散である。
「本日はありがとうございました。なお、既に参加申請をお出しの各団体の代表者の方は、数日中に詳細に関する会議をとり行いますので、掲示や校内放送にご注意下さい」
「参加予定団体などご入用の方は、配布資料をお持ち帰り下さい。その他の方のものに関しては回収いたしますので、そのまま机の上に置いていただければ結構です」
 てきぱきと、優が後片付けを始める。それを黙認しながら、涼馬は他の役員に向き直って今後の手順を確認した。ただ、岸宣だけはよそ見をしているので、見とがめられた。
「どうした。って、あれ? 先輩」
 彼の視線を追うと、そこには一人の女子学生が立っていた。前年度の生徒会副会長の一人、深澄音玲奈である。文化祭に関しては前年度も慣例通り、彼女が出納担当の副委員長だったので、気になって様子を見に来るくらいはしても不思議ではない。本格的に受験準備に入っているはずではあるが、それでも他人を気にかけてしまうほどの彼女の人の好さは多くの人間が知る所である。
「ちょっと挨拶して来ます」
 岸宣が輪を離れる。涼馬が何か言いかけたが、振り返りもしないままの岸宣の言葉の方が早かった。
「少しは人を使うことを覚えて下さい。なんでも一人で背負い込んで、肝心なときに倒れられても困ります」
 使われるにしては有無を言わさない口調だなと、聞いている人間は思った。片づけをしていたため、距離的には最も玲奈に近かった優も、黙って彼を見送る他ない。そして当の玲奈は、岸宣に向けて深々と頭を下げていた。

 その夜、岸宣は会議の状況を、正確に言えば涼馬と優の状態を説明していた。
「本当にもう、ぎすぎすしているったらありませんよ。二人ともあの性格ですから事務は滞りなく進んでいますけれど、しかし余計な会話が一切ありません」
「ほう」
 相手はと言うとあまり興味がなさそうで、せんべいをかじっている。これは岸宣がここを訪れるにあたって用意した、手土産だ。岸宣の前の皿にも、出されたお茶とともに同じものが置かれている。
 相手の手土産をその場で出してしまうのは、あまり礼儀にかなっていないとも言われる。しかし余程先方の好みを熟知していない限り、自分の嫌いなものをわざわざ買って持ってくる人間もいない、むしろ基本的にはその人間の好物である可能性が高いので、合理的といえば合理的だ。
「このままでは文化祭運営に支障をきたしますよ」
 一息つくために、お茶を飲む。良い感じの熱さだったが、出した人間の反応は冷たかった。
「少なくとも事務は滞ってないんだろ、それでいいじゃないか」
「いや、あの。本人たちはともかく、あの状態で普通に仕事が進められる人間って、中々いないと思うのですが」
 言い終えたその時には既に、修正の必要を感じざるを得ない、そんな台詞だった。
「まあ、あなたなら周りの雰囲気とか、関係ないのかもしれませんけれど」
 この家の主、手塚昭博は黙ってうなずいて、お茶を飲んだ。
「ただ、できれば雰囲気に影響されざるを得ない、弱い人間の心情もご理解いただければありがたいです」
「あんたがその『弱い』中に入っているかどうかはともかくとして、か」
 茶柱ができているわけでもないだろうのに、昭博は手元の湯飲みを眺めたままつぶやいた。仕方なく、今度は岸宣がうなずく。
「それで、ものは相談なのですが」
「え、何。相談しに来たの?」
 この日たずねて以来初めて、昭博が驚いた顔を見せた。顔を上げて、ややつりがちの目を見開いている。さすがの岸宣も、脱力を相手に悟られない努力を放棄した。
「失礼ですけど、今の話の流れの後で、他にどんな用件があると思っているんですか」
「いや、単に愚痴を言いに来たのかと思って」
「いくら私でも、多少知っている程度の人の家へ、愚痴を言うためだけに手土産つきでわざわざ訪ねて上がりこむなんてしませんよ」
 さすがに深澄音玲奈の彼氏となると実は相当な天然ボケかと、岸宣は覚悟を決めることにした。しかしそう思ったこと自体に関して、表情を変えないままの昭博から手痛い反撃が浴びせられる。
「ああ、ごめん。あの彩亜がつきあっているっていう男だから、そのくらいするんじゃないかと思って。悪かった」
 確かに彼女なら、初対面の相手とでも気が合えば、その日のうちに相手の家に上がりこむくらい平気でする。しかし自分は違う、と思う。要はお互い様だ。だから抗議はしないことにした。
「大体さ、俺にそんな、人間関係を取り持つなんてこと向いてないよ。だからまさか、相談に来たとは思わなかったのさ。壊す方なら向いてるけどね」
 自覚症状があるとは重症である。岸宣は軽く、息を吐いた。
「失礼ながらそれは承知の上です。しかしそもそもきっかけを作ったのは、他でもないあなたではありませんか」
 昭博は目を伏せた。もっとも、反省しているようにはあまり見えない。
「まあね。ただ、俺はあれ自体、余計なおせっかいだったんじゃないかと思ってるのさ。そこへさらにおせっかいを加えて、うまく行くものだろうか。何しろ不慣れなことだし、失敗に失敗を重ねることになるような気がする。仲介ならやっぱり、誰か人のいい人間にさせたほうが無難だろう」
「例えば深澄音先輩とか、ですけれど、全て話してお願いをしたほうがよろしいでしょうか」
 岸宣としてはここで意図的に笑顔を作る予定でいたのだが、その必要はなかった。むしろ必要以上に笑ってしまうのを、抑えなければならなかったほどだ。
「よろしくないよ」
 間髪を入れずに昭博は言い返す。そこへさらに、すぐさま追い討ちをかけた。
「まあ別に、詳しいことは聞かずにただ手塚さんが協力してくださるようお口添えをお願いしたい、と言ってもあの人なら快く応じてくれますしね。それで行きましょうか」
「この野郎」と、昭博は視線で言った。しかし口には出さず、せんべいをかじり、さらにお茶を飲む。
「ここは一つ、男らしくこの場で協力をお約束いただけないでしょうか」
 ここでさらに圧迫しても、相手を怒らせるだけだ。そう思った岸宣は、姿勢を正して頭を下げた。
「一つ聞きたいんだけど、いいかな」
「私に答えられることでしたら、何でもどうぞ」
 昭博が口調を変えている。ここを乗り切れば自分の勝ちだと、岸宣は理解していた。
「何だってそう、そこまでこだわるんだ。こういう言い方はあれかもしれないが、たかが文化祭じゃないのか。他に何かたくらんでるような気がするんだが」
「されど文化祭、です。高校二年生の秋は、一度しかありません。来年の今頃は、私も受験に時間を取られていることでしょう。今以上に好き勝手にお祭り騒ぎが楽しめる機会があるという保障は、ありません」
「ふうん」
 他人に関して必要以上に口出しをしないのが自分だから、とでも思っているのか、昭博が言ったのはそれだけだった。そこで岸宣が破顔する。
「まあ、実は他にたくらんでいるといえばたくらんではいますけれど」
「おい、何だそりゃ」
「聞いても笑わないって約束していただけるのでしたら、お教えしてもいいですよ」
「とか言いつつ自分が笑ってるじゃないか」
「そうですね」
 そして岸宣は、「例の伝説」について語り始めた。
「いつからかうちの学校に伝わっている伝説なのですが、体育の授業でブルマを使っていると、恋愛の成功率が格段にアップする、そう言われています」
「え、なに? あの学校、体操服いまだにそんなもの使ってるのか?」
 ツッコミどころが違うツッコミどころがっ! 岸宣は内心の叫びをこらえるのに精神力の全てを費やさなければならなかった。「ボケ」は伝染するのか、などとその後真剣に考えてしまう。
「ええ、まあ。確かに高等学校の体操服としては既にうちを残して全滅、などという話もありますが。ご存知ありませんでしたか」
「普通他人の学校の体育の授業なんて、見に行かないだろう。体育祭ならこの前終わったって話だし」
「でもたんすやクローゼットを漁るのは基本じゃないですか?」
「何がだよ」
 今度は関東風の、むしろつまらないほど真っ当なツッコミが入る。さすがの岸宣が、少し疲労を覚えた。
「で、まあ、話を戻しますけれど。何しろこんな伝説ができるくらいですから、学校指定とはいえ指導が緩いため、着用者はそんなに多くないんですよ。しかしながら藤野さんはその少数派の一人です」
「つまりその伝説とやらの裏づけを、でっち上げてしまおうって訳か」
「私としてはそのつもりなのですけれどね。実はその伝説の背景にある、何か大きな力に操られているのかもしれません」
 もっともらしく、岸宣は締めくくった。その間、昭博はお茶を入れ直している。
「ま、いいけど。それはどうでも」
「そんなこと言って、手塚さんだって当事者中の当事者ですよ。『例の伝説』の霊験を実証した、私の知る限り最新事例ですからね」
「どうして上級生の体操服までチェックしているかな」
 ずずっと、お茶を飲む。その湯気が、危険なオーラにも見えた。しかしそこは、言い逃れの名人岸宣のこと、考える前に言葉が出る。
「体育祭で知り合いがすっ転んだりしていれば、嫌でも目が行きますよ」
 本人に代わって、なのか、昭博は目をそらした。
「まあ、確かなことではありませんが、もう学校内での見納めも終わってしまったのではないでしょうか。そろそろジャージの季節ですし、三月終わりにまた暖かくなる頃にはもう、三年生の授業はありません」
「寒がりだからな、あいつ」
「なるほど。それではもう、手塚さんが個人的に楽しむのでなければ用済みになりますね」
「あのな、おい」
「もったいないとは思いませんか? 何しろファンクラブまでできていたくらいですから、学校内にはけっこう鑑賞して喜んでいた人間がいますよ。それなのに手塚さんは、全く見もしないうちに終わるなんて。一度くらい、先輩が現役の女子高生のうちにその姿を眺めようと思っても、ばちは当たらないと思いますけれど」
 悪魔のささやきここにあり。岸宣は自分の言葉の意味を浸透させる間を持たせるために、お茶を飲んだ。一方昭博は、必要以上に音を立ててせんべいをかじっている。こういう人間は強硬に選択を迫ると反抗的になるおそれがあると判断して、岸宣は少し引いて見せた。


「しょうもない伝説であることは、私を含めて皆が承知しています。したがって守られた所で実害があるわけでもなし、ここは一つ面白がってでも協力してはもらえないでしょうか」
 昭博は少しの間、黙っていた。ただ、それは単に、物が口の中に入っている間に喋るのを避けただけらしい。
「そういう言い方をするなら却下」
「えー?」
「ただまあ、土産代の分くらいなら働いてもいいさ。これ結構、うまかった」
 その言い草が本心なのか、あるいは照れ隠しなのか、少なくとも岸宣にはどうでも良かった。結果が出れば問題はない。
「ありがとうございます。お菓子だったら甘いものに飽きているんじゃないかと思いまして、これにしてみたんですが」
 甘党の玲奈につきあっている、という要素を計算に入れての、手土産の選択である。
「そりゃあよくお分かりで。どこで売ってるの、これ」
「うちの学校の駅前の商店街ですよ。気に入ったのなら、今度先輩にでも聞いてみたらどうですか。名物の店ですから、生徒なら誰でも知っているはずですよ」
「なるほど」
 用件も済んだし、軽く挨拶をしてから岸宣は昭博の家を後にした。文化祭関連で、やらなければならないことは他にいくらでもある。と言うより、そちらの方が彼にとっては本来の仕事である。


前へ 小説の棚へ 続きへ