午後の恋人たち 新章
19 集結そして
玲奈からの連絡があった翌日の放課後、昭博は指定の場所に現れた。その門の所で待っていたのは、館の主である。今日も和服であったが、今回は着流しではなく袴をはいていた。
「わざわざどうも」
「ああ、いえ、先生こそ」
「とりあえずこちらへどうぞ。涼馬と藤野さん、それから岸宣、いえ宍戸君は文化祭の準備があるそうなので、もう少し遅れてくるそうです」
「彼も来るんですか」
「涼馬と違ってさぼりが目立ちますけれど、彼も一応ここの生徒なんです」
「なるほど」
恐らく手合わせの場になるであろう板張りの広間の脇を通り抜けながら、昭博は肩をすくめた。
「それにしても、良く場所を貸す気になりましたね」
昭博は、言外に不毛な争いだと表現している。しかし相手は笑って首を振った。
「うちはそういうことに関しては寛容なんです。まあ、ルーズなだけかもしれませんが」
表情を引き締めたのは、その後である。
「私としてはむしろ、藤野さんが勝負に乗ってきたというのが気がかりではありますけれどね。彼女がしているのは合気道だと聞いているのですが、あれは不必要な力の行使に関して特に厳しい傾向があります」
「辞める覚悟はできているんじゃないですか」
「ふむ、それは…」
「別に先生が困るわけではないでしょう」
「それはそうですが」
昭博に続ける意志がないので、結局その話はそこで終わってしまった。そうして通されたのが、八畳ほどある和室である。中央には掘りごたつがすえられていた。
「あれ、先生?」
まるで主であるかのように堂々と、そこで一人の男がお茶を飲んでいた。しかしそれに、昭博は驚いている。本来の主であるもう一人の「先生」は、まだ昭博の傍らに立ったままだ。
「どうもお久しぶりです。その後のお加減はよろしいようですね」
「ええ、お蔭様で」
以前昭博が怪我をした際、その場にいた玲奈の紹介で治療してもらった、あの宍戸医師だった。まさかここにいるとは思わないので、さすがの昭博も驚いている。
「万が一事故があるといけないので、ちょっと来てもらったんです。高校と大学の先輩でして。まあ、とりあえずおかけ下さい」
主に勧められて、昭博は言われた通り腰掛けた。確かに、不慮の事故を想定するなら外科医がその場にいるほど心強いことはない。
「同じ流派同士でないと、勝手が違って思わぬ事故が起こりやすいとは私も承知していますけれど、心配性にも程がありますね。こっちの『先生』だって、免状は持っているんですよ」
宍戸医師は苦笑している。昭博は不思議そうに、もう一人を眺めやった。
「専門がスポーツ医学理論なもので、臨床の経験がちょっと」
「ほほう」
つまり医師免許を持っている人間であり、ここでの「先生」は副業あるいは趣味でやっているのだろう。
「済みません、申し送れましたが、僕は手塚昭博と言います。先生のお名前をうかがえますでしょうか」
二人とも「先生」あるいは「ドクター」では面倒なので、昭博は宍戸ではない方に聞いてみた。彼は彼で恐縮する。
「いえ、こちらこそ失礼しました。私は菅原旭(すがわらあさひ)と申します。ここでは一応、師範をしています」
実は師範代ではなくその上の師範だったのか、と昭博は少し感心した。そう知らされれば、あの勘の良さも納得がいく。
「じゃあ、私も一応改めて自己紹介をしておきましょうか。名前は宍戸蔵人(ししどくろうど)、ここでは先代の師範に教えていただいていました」
「なるほど。ところで先生、つかぬ事をお伺いしますけれど、弟さんはいらっしゃいませんか」
前から少し、気になっていた。この医師と姓が同じで、雰囲気もどことなく似通っている人物を昭博は知っている。ただ、確かめる機会がこれまでなかった。
「岸宣がお世話になっているようで」
宍戸兄は、なぜか苦笑しながら一礼した。
「いえ、お世話だなんてとんでもない」
「似ているって言われたりするのを嫌がるんですよ、この兄弟は。そんな所までそっくりなんですけれどね」
旭が笑いながら補足する。その言葉を証明するかのように、蔵人がやや冷たい視線を彼に向けた。そんな所でまずい雰囲気にされても困るので、昭博は自分のペースで話を進めることにする。
「済みません。話をちょっと戻しますけれど、立会人は僕じゃなくて菅原先生の方がいいんじゃないですか」
年齢が上だし然るべき地位もある。それを言外に示したが、相手は首を振った。
「他に適任者がいなければそれも止むを得ませんが、私は涼馬の先生でもありますからね。ひいきをするつもりが全くなくとも、そう見えるのは良くありません」
「僕が適任とも思えませんけれど」
「本人たちが同意している以上、それで問題はありません」
「はあ」
ここで旭が、昭博の分のお茶を淹れると言って席を立つ。年長者にそうさせるのもどうかと思ったが、人の家の台所にずかずか入っていくわけにも行かず、昭博は礼を言って座ったままでいた。また新たな来客があったのは、そんなときである。
「たのもー!」
元気の良い女の子の声が響く。方向から判断して、門の所から叫んでいるらしい。
「あれ、もう来たのかな? 先輩、済みませんけれど」
「いや、藤野さんじゃない。まあ、私が出るよ」
奥の台所からの声に、蔵人が応じて席を立った。昭博にも声の質と口調から誰かは分かったが、二人で出迎えることもないと思ってそのまま待っていた。
「はろー、昭博」
「おう、これで後は岸宣が主役連中をつれてくるのを待つばかり、ってとこだな」
そうして蔵人に伴われて現れた彩亜に挨拶を返す。しかし彼女は、笑って首を振った。
「そーでもないわよ。主役じゃないけれど、戦場に咲く可憐な一輪の花、大事なゲストがもう一人」
「何だよそりゃ」
昭博が返したのはせせら笑いだったが、直後に彩亜に引きずられるようにして現れた人物を見て、にわかに表情を硬くする。
「あ、こ、こんにちは、昭博さん」
彩亜の大時代的な形容が、しかし半ばは冗談ともいえないことを、昭博は思い知った。彼が知っている限り最も美しい少女、玲奈である。
「今日も予備校があるんじゃなかったか」
不機嫌さを隠しもせずに問いかける。ここで昭博なら悪びれずに「さぼり」と答えただろうし、例えば岸宣なら「突然休講に」などとすかさず言い訳をしただろう。ただそこは、玲奈だった。
「あのう、そのう、それは。やっぱり気になってしまって」
「まあいい。その話も後でしよう。ゆっくりな」
「はい」
昭博が「は」ではなく「も」と言った理由を、玲奈は正確に理解していた。昨日彼女が「何でも」すると約束したその具体的な内容は、まだ決まっていない。つまりこれからお説教を食らったあげく、「何でも」しなければならないことになったのだ。ひたすら小さくなるしかなかった。
そんな二人を見て、蔵人はくすくすと笑っている。その表情に、昭博はやや意図的なものを感じた。職業柄、保とうと思えば無表情を保てるとこの前言っていたのはまぎれもなくこの男である。
「何か?」
「いや、なに。玲奈ちゃんのご両親には、しっかりした人だから安心して下さいと伝えておきますよ」
「余計なお世話です」
すかさずぴしゃりと言った昭博であったが、もう一方の玲奈はというと頬を染めながら「よろしくお願いします」と言いたげに頭を下げていた。外野の彩亜はけらけら笑っている。
「何やら楽しそうですね」
旭が戻ってきた。盆にはきちんと、昭博、彼自身の他、玲奈や彩亜の分と思しき湯飲みも置かれている。そして彼は、玲奈の顔を見て少し驚いたようだった。
「ああ、もしかしてあなたはいつぞやの」
「お久しぶりです。その節は大変お世話になりました」
「いえ、とんでもない。お役に立てずに申し訳なく思っています。まあ、とりあえずお座りになってください」
「はい」
とりあえず昭博が、変わり始めた話題に乗ることにしたようだった。玲奈が座りきっていないうちに声をかける。
「知り合いなんだ。こういう所にはあまり縁がなさそうだけれど」
「はあ」
どうも今日は、玲奈にとっては厄日らしい。答えづらそうにしているので、蔵人が助け舟を出した。
「実は、私の紹介で習おうとしたことがあるんですよ」
「無謀でしょ」
昭博が一言で斬って捨てる。蔵人もそれを否定はしなかった。
「今にして思えば、ね。ただ、当時の彼女は病弱なきらいがありましたから、少しでもその改善になればというご両親のご意志でした。それに今よりもずっと幼い頃でしたから、色々な可能性に挑戦して良い時期ではありましたよ」
「やらずに諦めるよりは、やってみて諦めた方がましって所ですか」
「ええ、まあ。それに別に、玲奈ちゃんが諦めたわけではないんですよ。こう見えて根気強いとはあなたもご存知でしょう」
ではどうして続けなかったのか、という視線での問いかけに、旭が渋い顔をした。蔵人は笑いながら続ける。
「その若先生が泣きを入れるのを見たのは、私としても一度きりですよ」
つまりあまりにも向いていなかったので、辞めさせたらしい。当時の彼の心底情なさそうな顔が目に浮かんだが、次の瞬間昭博はふと思い当たった。
「もしかして宍戸先生、そんな顔を見るためにわざとこちらを紹介なさったんじゃないですか」
「まさか」
本人はすかさずしらばっくれたが、やられた側は微妙な表現を使った。
「昔から、しょうもないいたずらに努力を惜しまない人ですからね。そのくらいやりかねません。岸宣もそうでしょう」
昭博だけでなく、玲奈や彩亜に視線を流して同意を求める。既に低次元な嫌がらせの応酬である。昭博や彩亜は我関せずを決め込んだが、だしに使われたらしい当の玲奈が割って入った。
「あのう、私のことより。今日の涼馬さんと優さん、一体どちらが勝つのでしょう」
旭はもちろん、蔵人もこれには毒気を抜かれた顔をする。ただ、二人とも明確な答えを出しはしなかった。
「私は一応涼馬の先生ですから、彼が勝つとしか言えませんし、それだけにそう言うことに大した意味はありません。兄弟子に当たるこちらの先生も、それは同様です」
旭が話したのについて、蔵人は黙ってうなずいた。それを横目で見ながら、旭はふっと笑う。
「手塚さんはどう思いますか」
「立会人が現にやる前からコメントするのって、どうなんですかね」
「あんた意外と義理堅いわね」
「変な所でね」
横槍を入れて来た彩亜を、昭博はさらっと受け流す。彼のそれこそ「意外と」真面目な視線を受けて、旭は一つうなずいた。
「本人たちに聞かれなければ構わないでしょう。そもそも一家言なければ立会人は勤まりません」
昭博は少し首をかしげたが、とりあえずその後説明を始めた。
「素手の喧嘩ってのは大概、体のでかくて重い方が有利だ。筋肉は大きさに合わせてつくからその分だけパワーが出るし、技の届く距離も長い。ボクシングや柔道が体重別で試合をするのはそのせいだ。そうでなければ体が小さくても技の切れがある、なんて人間の出る幕がなくなっちまう」
「それは可愛そうですよね。せっかく頑張っているのに」
「単に小柄な人間に同情してる訳じゃないと思うけどね。小さくても技術のある人間が、ただでかいだけの奴に負けるって、スポーツとして面白くない。そのうち誰もやりたがらなくなるよ」
「それでは教育上も良くありませんしね。それに、体脂肪でもある程度ついていると、衝撃に対して強くなります」
何だかんだと言いながら、結局旭は黙っていられないらしく、補足説明をする。昭博は苦笑を隠しながら続けた。
「で、その点、涼馬は相当有利な体格だよ。手足が長いしそれなりの体重がある。あんなのに正面から殴られたら、俺でも吹っ飛ぶよ。まして相手が小柄な女の子じゃ、一発でもまともに当たったらそれで終わりさ。あれだけ身長差、体重差があるとどう頑張ってもそこはひっくり返せない」
「あ、でも、優さんは合気道の有段者ですよ」
判官びいきの傾向があるのか、控えめではあるが玲奈が反論する。昭博はうなずいた。
「ああ、彼女にとってそれはいい選択だったんじゃないかな。合気道なら相手の力を利用するから腕力はそんなにいらないし、自分からしかけないのが基本だから背が低くてもそれほど不利じゃない。センスさえあれば相当な所まで行ける。うかつに手でも出そうものなら関節極められてそれまでだよ。どんなに大男で筋肉がついていても、関節を逆に曲げられるようには鍛えられないし、重力とか運動とかの、物理の法則には逆らえないからね」
「体質と努力の条件がそろえば、関節も自分の意志で外せるようになりますよ。ま、無論それで全力が出せはしませんから、用途は小さい箱に入るとか、ある種の芸に限られます。格闘技の観点からすれば、ちょっとした打撃で簡単に外れてしまうので、恐らくむしろマイナスでしょう」
今度は蔵人がつけ加えた。外科医師の職業柄、というよりもそもそも恐らくこういう生々しい話が好きで、今の職業を選んだのではないかと思われる。昭博にはそんな気がした。
「つまり互角、ということでしょうか」
玲奈がこれまでの話をまとめて、結論めいたものを出す。それは少なくともひねくれた解答ではなかったが、昭博は口をへの字に曲げた。
「ちょっと考えりゃあすぐに分かることさ、すぐにね」
確かに、今まで昭博が話したことをそのまま受け取っていれば、玲奈のような結論に達しても不思議ではない。しかし多少の問題意識を持ってあげられた論理を整理し、状況証拠に留意していれば、おのずとそれとは異なる結果になる。
玲奈は言われたとおり、考え直してみた。先ほど昭博の言いようを額面どおりに受け取ってしまったのは、個人的な信頼関係が強すぎる結果である。彼が再点検を求めるのなら、それを素直に実行することができた。
「あ」
そして彼女も、昭博と同じ結論に達した。しかしそこに、分かったという喜びはない。むしろ沈んだ色をたたえた瞳で、昭博を見返す。彼は小さく首を振った。
「可愛そうだって、思う?」
玲奈がうなずくのに対し、昭博はもう一度首を振る。
「でも、『弱い』って、そういうこと。自分の力が、相手の力が分かっていないから、弱い。分かっていればそういう勝負を避けて、別の違う場面で話をつけることもできる。それができないから、弱い。そして弱いから、『可愛そうだ』とか同情されたり、忠告されたりすると余計に傷ついたり、逆ギレしたりする。だから少なくとも自分で自分が弱いって気がつくまで、放っておくしかない」
玲奈が何か言おうとして、止める。再び口を開いたのは、考えを多少まとめてからだった。
「涼馬さんも優さんも、決してものの分からない人ではないはずなのですけれどね」
声よりもため息の量の方が多い、そんな玲奈だった。しかし彩亜は、それを笑い飛ばす。
「しょうがないわよ。玲奈ちゃんだって、昭博に対しては滅茶苦茶弱いでしょ」
「あ。はあ、まあ」
うつむいたままのその顔が、今度はほのかに赤く染まる。昭博が低い声で毒づいた。
「馬鹿が」
初対面かそれに近い間柄のはずだが、既に彩亜は年上の相手に対して「ちゃん」呼ばわりである。もう少ししっかりしやがれ、と言いたい所だ。
「そーんなこと言って、あんただって玲奈ちゃんに対してはめっぽう弱いじゃない」
「言ってろ」
下手に反応しても余計にからかわれるだけだと承知しているので、昭博は受け流しを決め込んだ。しかしここは、面子がまずかった。
「ねーっ、クロにい」
突如第三者に話が振られる。待ってましたとばかりに、彼はうなずいた。
「そりゃあもう。そもそも、初めてお会いしたときに比べてずいぶん印象が丸くなりましたよ」
にこやかに語ったのは蔵人である。「蔵人兄さん」略して「クロにい」らしい。
「この…」
昭博は口の中でさらに毒づいた。誰にも聞こえていないはずだが、しかし当人は唇のわずかな動きから意味を読み取った。完璧な罵声だったが、しかし余裕の苦笑で応じる。
「ヤブ医者とか言わないで下さいよ」
「言うにこと欠いてヤブはないでしょ、ヤブは。まあ、生きた人間切ったり縫ったりするのが大好きでお医者さんになったような人だけど。腕は確かよ、腕は」
それはフォローになっていない。玲奈も旭もそう思ったが、口に出しても事態をこれ以上混乱させるだけだと判断して黙っていた。
その後昭博は公平な観点から、例えば旭などの視点から判断して、彩亜のからかい攻撃に良く耐えた。
「ちゅーはしわよね、ちゅーは?」
だとか、
「膝枕で耳掻きはしてもらった?」
あるいは、
「お姫様抱っこはしてあげた?」
などと、下手に性交渉の有無や頻度を問いただされるより余程こっぱずかしい質問攻めを、ひたすら我慢していたのだ。あけすけな彼女なのだからきっぱり「ヤった?」などと聞いてきても良さそうなものだが、それを完全に外しているあたりに、ある意味における強烈ないやらしさがある。
直接関係のある玲奈に対して昭博は、強烈な視線で威嚇をして黙らせている。しかしながら質問の回答に関しては、彼女の表情を見ていれば別に言葉はなくても、内容は明らかのように思えた。ちなみに上記三つの質問に関する玲奈の反応は全て「イエス」、だと旭は判断した。
逃げれば良さそうなものだが、そこは彩亜もさるもので、舌先三寸で阻止に成功している。昭博が一人で席を立てば今度は玲奈から何もかも聞き出されてしまうとは火を見るより明らかであったし、玲奈を連れて行こうとすれば「二人で何する気?」などとやる。
そしてとうとう、キレた。きっかけは、この発言である。
「もしや裸エプロンとか」
「いい加減黙れよ」
ゆらり、と昭博が立ち上がる。その音もない動作に応じて、彩亜も立ち上がった。その危険を察する直感の良さは、さすがに「総番」の称号を奉られるだけのことはある。
「あ、なに? もしかして、図星ぃ?」
しかしそれだけに、相応の自信もある。油断さえしていなければ、例え相手が「裏番」であっても負けるつもりはない。それだけに、彩亜はからかうのを止めようとしていなかった。
「ほざくのは勝手だが、うるさい。黙れ」
昭博が攻撃の距離を測る。一見した所素手だが、しかしその印象が全く信用できないと、彩亜は承知していた。相手は凶器を使った不意打ちにかけて、右に出る者がいない。身構え方からして、少なくとも左腕にはあの悪名高い特殊警棒を忍ばせているものと思われる。それで済めば何とかならないではないが、しかしこういうタイプの人間は、他にも色々と危ないものを隠し持っていることが多い。
「はっはーん。どーやら図星っぽいね」
しかしそう言っている当人が、構えを取りながらであったが、その発言内容に疑問を持っていた。直接否定する材料も、逆に肯定する材料もないが、どうやらさすがに「裸エプロン」まではさせていないらしい。玲奈は「世の中にはそういう行為もあるのか」と驚いているようだ。しかしながら生憎と、それ以上精密に観察している余裕がない。下手によそ見を続けていたら、殺られる。
「まあまあ、落ち着いて」
結局、旭が制止に入った。昭博を後ろから羽交い絞めにして、無茶ができないようにする。
「彩亜ちゃん、ここの主がそう言っていることですし、その辺にしておきましょうよ」
蔵人も、一部火に油を注ぐ言動があったことを棚にあげて忠告する。それを振り切ってまでやるつもりもなかったので、彩亜は大人しくうなずいた。
「本当にやる気なら場所を貸さないでもありませんが、少なくとも今は遠慮をお願いします。勝負の前に立会人に事故があっては、冗談にもなりません。そちらの人も、女性とは言え無傷で簡単に勝てる相手ではないとお見受けしますが」
その間に、旭は昭博に対して後ろから説得を行っている。昭博は仕方なく、諦めた。
それはもちろん、相手の発言に理を認めて冷静さを取り戻したからでもあった。しかしそれ以上に、そうされていた状態に無理を感じていたためだ。羽交い絞めにしたその手が、動きそうにない。それは別に万力のように異常な締め上げ方をするでもなく苦痛は伴わなかったが、しかし昭博がどうこうした程度では何ともならなかった。そもそもいくら頭に来た状態であったとはいえ、簡単に後ろを取られて動きを封じられた時点で、力の差がかなり大きいと考えたほうが良い。
とりあえずさらに話が進んで「いっしょにお風呂」が発覚するのは防ぐことができた。それに満足すべきだろうと、昭博は思うことにする。
「かなり話を戻しますけれど」
そして昭博が座り直すのを見届けてから、旭は改めて口を開いた。
「手塚さんたちが心配なさるのも分かります。しかし私は、大丈夫だと思いますよ。二人とも、勝敗がどうあれそれを乗り越えることができる力を持っています。きっとね」
昭博はそう言う彼を、一見した所胡散臭そうな目で見ていた。しかし口の減らない彼が黙っている時点で、ある程度相手の発言に理を認めていると、玲奈には分かっていた。
続く