王都シリーズW
王都怪談


3 墓守隊の騎士


 死者へ捧げられた祈りが終わるや否や、ディーが隠れてそれを聞いていた人間の存在を示唆した。
 そこですぐさま、二振りの剣がその使い手に握られる。
 この場にいた騎士見習いは無論、祈りの最中に武器を身に帯びているなどという不敬な真似はしていなかった。戦場で戦友を弔うとなるとやり方も変わってくるが、それはまた別の話である。
 作法通り、剣帯から外して地面に置いている。これは同時に、武官が身分の高い人間と相対する場合、また敵陣に使者として赴いた場合などにも共通する、基礎的な儀礼の一つだ。
 もっとも、その状態からであってもすぐに戦闘行動に移れるのも、戦士として必要な技量であるといわれたりもする。そのための様々な技、型も広く教えられている。つまりあくまで、儀礼的なものなのである。完全に敵対的な意図がないと示すためには、そもそも武器を帯びずに訪れるか、あるいは所持していたとしてもそれを相手方に預ける必要がある。
 そしてマーシェやタンジェスは、騎士の心得の一つとして、即座に剣を抜く技術にもある程度習熟していた。必要を察知したその瞬間、反射的にその態勢を作っている。
 しかし二人には、肝心の「そこ」が分からなかった。目標を発見できない。まず二人で暗黙のうちに、しかも即座に担当する方向を分担して立つ位置を変えることまでやってのけている。しかしそれでも、彼らが鍛えた技を発揮できたのはそこまでだった。
 一方二人とは異なる感覚を有するティアやストリアスも、「そこ」あるいは「誰」を、特定することはできなかった。
 ティアは何しろ何事も真剣にする性格なので、当初の迷いを脱した後は完全に祈りに集中してしまっている。周囲に注意を戻すまでには、相当な時間が必要だった。
 逆にストリアスは、祈りが進んでいる間に完全にぼうっとしてしまっている。欠落した集中力を通常あるいはそれ以上の状態に高める頃には、機会を完全に逃していた。
「どこ!」
 マーシェが叫ぶ。しかしそうした彼女自身、言った直後に無駄なことだったと悟った。手遅れだ。とっさに発見できない相手を追って捕捉できる可能性など、まずない。
 それを納得させるためにか、ディーはゆっくりと首を振る。
「あっち。でも、もういないみたい」
 一応指を差しはした。しかし誰も、その方向へ動こうとはしなかった。
「何で分かったんだ?」
 タンジェスが首をかしげる。彼やマーシェはもちろん、常人とは異なる感覚を持っているティアやストリアスもいたはずなのに、という前提での話である。もっとも、その二人はうつむくばかりだった。
「ここだよ、ここ」
 無造作に伸びたような黒髪を掻き分けて、ディーは自分の耳を示した。音楽家でもある吟遊詩人なのだから、聴覚は鋭いという話なのだろう。それは分からないでもない。ただ、その当人が、楽器を奏でていたはずだ。
 相手に納得した様子がないのを見て、ディーは胸を張って続けた。偉そうにしているつもりなのかもしれないが、薄い胸板と狭い肩幅を強調しただけである。旅に慣れ、その過程で荷物を背負って長い距離を移動している、そんな様子はみじんもない。
「祈りと曲と、それから五人の呼吸と、完璧に計算して和音を作っていれば、雑音は意外と大きく感じるものさ。逆にこうして音がぐらばらになっちゃうと、もう分からないけどね」
 つまり単純に聴覚に優れているのではなく、音楽家としての聴く能力が高い。そんな趣旨であろう。
「ほー」
 感心しているのか、いないのか。タンジェスの反応は微妙だった。言われてみればそうかもしれないが、しかし実感のしようもない。マーシェも同じような顔で、うなずいた。
「とりあえず、これで『それらしい何か』がいることは分かったな。後はその正体をどう確かめるか、だ」
 表情を引き締めながら、長剣を再び吊るす。そんな彼女に、しかしディーは皮肉な笑みを投げかけた。目元が見えないので、左右非対称になった口元がやけに目立つ。
「いればの話だけどね。『声はすれども姿は見えず』は、怪談の定番だよ」
「ならばまず、足跡があるかどうか見てくるとしよう」
 先程のディーさながらに、マーシェが胸を張る。実に様になる、立派な体格である。男性でも、彼女ほどの上背を持っている人間は中々いない。しかも鍛えられた胸板の上に、女性らしい立派なふくらみが鎮座しているのだ。素晴らしいとさえ形容できるほどの、迫力がある。
 一方彼女がかっこうをつけている間に、タンジェスはさっさと先程ディーが示した方向へと歩き出していた。
「えばってないで早くしろ。痕跡は刻一刻薄れていくぞ」
 振り返ろうともしない。それは別に怒っているせいでも呆れているわけでもなく、明言している通り単に時間が惜しいからだ。
 余計なことをしている暇などどこにもない。獲物の手がかりを見つけたのなら、その獲物に察知されない範囲で、速やかに見つけて捕らえる。それが農村の、あるいは狩人の狩りである。誇り高く華麗な、騎士の狩猟とは違う。捕まえて価値のあるものは、とにかく捕まえる。そうしなければ生活ができない。
「ああ、うん。分かった」
 見事に気勢をそがれてしまったマーシェは、仕方なく言われた通り動き出した。
 偵察の技術として足跡を発見する手法も、学校で一通り教わっている彼女ではある。しかし彼女が学校に入るまでに経験した狩猟経験は全て、追い詰める役割を猟犬や勢子に任せるというものだった。騎士の役割は勢子らの指揮と、そして獲物をしとめることである。
 そのため、自分で痕跡をたどるといった作業はあまりしたことがない。結果、その面に関してはタンジェスに一日の長があるのだった。
 農村育ちのタンジェスにとって、自分自身が狩猟をするのは、幼少期に培った多くの技術のうちのごくささやかな一つである。畑を荒らす鳥獣は、排除していかなければ耕作が成り立たない。それに対して半ば趣味的な狩しかしたことがないマーシェとしては、彼に主導権をゆだねるしかなさそうだ。
「さて…」
 ここで、ティアはこの時既に自分の能力を使って捜索を始めている。
 前に人がいるとそっちに意識が行っちゃうから本当は邪魔なのだけれど、でもいてくれないと捕まえられないし…。
 こうして無駄な思考が行われているのが、何より集中を乱されている証拠だった。それは分かっているが、仕方がない。
「ふうん」
 そして一人取り残されたディーは、興味深そうに四人を見渡した。しかしそれも、長くは続かない。程なくまた別の方向へと視線をやる。その持続性のなさは流浪の身ゆえの気まぐれ、と断じることのできた人間は、この場にいなかった。
「ちょい待ち。あれ」
 既にやる気十分で森の中へ入りかけていたタンジェスを呼び止める。迷惑そうに振り返った彼は、結局しぶしぶ戻ってきた。マーシェも同様である。ディーが見咎めたのは、巡回の兵士だった。
 森の中へ入っている所を見られたら、逆にタンジェスたち自身が不審人物扱いされてしまう。それにその方向を向いたまま瞑目しているティアとストリアスという光景も、かなり不審だ。
 結局、何気ないふりをしてその場にたたずむことになる。しかしそもそも、そうやってたむろしているのが良くなかった。
「そこで何をしている」
 仕事だから仕方がない。そんなやる気のない様子がありありと見えながらも、兵士は接近しながら一応問いかけた。
 兵隊としての質は高くないんだろうな…。
 注意深く表情を消しながら、ティアはそう見ていた。士気が高くないのは明らかだし、立ち振る舞いに隙が多いのは武道がそれほど得意でなくとも分かる。マーシェやタンジェスが本気なら、声も上げさせずに倒してしまうだろう。そうなれば異変を知らせる巡回の意味は全くなくなってしまう。
「お参りですよ。ただ、ちょっと疲れちゃったので、ここで休んでました」
 ディーが必ずしも事実と一致しないことを平然と言う。
 さすがといって良いのか微妙よね…。ティアは内心そう思っていたが、悪い話の運びではないので敢えて制止はしないことにした。
 一方反応した兵士の声は非好意的だったが、それは懐疑的というより迷惑そうだった。
「用が済んだらさっさと立ち去ってくれ。変な噂が立ってかなわん」
「どんな噂でしょう」
 さも何も知らない、といった様子でマーシェがたずねる。
 この人もこの人か…と、少々不安になるティアだった。
 しかし幸い、というべきかどうか、相手はそれに応じない。
「下らん噂だ。一々口にして、それを広めることもないだろう」
 この程度の相手だから簡単に口を開くか、とマーシェは思ったのだろうが、それはさすがに甘い考えだったらしい。少なくとも不穏な噂の拡散に加担しないように、との注意は厳しく受けているようだ。
「そうでしたね。失礼しました。さて、それじゃあ休憩も終わりにして、行くとしますか」
 これ以上ここに留まっていたところで、失うものこそあれ得るものはない。そう判断したタンジェスが、すばやく逃げを決め込む。ティアとストリアスも、それにうなずいた。
 後は退散するだけである。もっとも、その場から離れただけで、方向性としてはむしろ墓地の奥へと入るようタンジェスは歩いていた。ここには数多くの人間の墓があるから、この場を離れてまた別の所へ行くという行動は決して不自然ではない。激しい戦乱のさなか、複数の親族や知人を亡くすなど珍しくもないのだ。
 特に自分達のように複数の人間からなる集団なら、用事のある墓はほぼ間違いなく複数ある。そこまで計算した上での、行動だった。
「それでは、失礼をいたします。お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」
 今タンジェスが先頭に立っている以上、自分は後衛、そんな役割分担を、マーシェは自然に承知している。事後の障害を最小限に食い止めるのが、後衛の任務だ。
 そして、その横でティアがただ深々と頭を下げていた。話が武官候補生と現役兵士の間で済んだ以上、神官の自分が出る場面はない。しかし自分の任務が亡霊騒動の真相究明が任務である以上、その方面の専門家である自分こそ最終的な責任者である。そう考えていた。
 ストリアスは一度振り返って、そして結局何も見なかったようにしてタンジェスに続いて歩いた。そして、その後にティアとマーシェが続いてゆく。自分の求めに従うようにして相手が立ち去った以上、巡回の兵士もそれに対してとやかく言おうとはしなかった。
「さて、どうしたものか。隠密裏にことを運ばなければならない。かといって、いやそうである以上、駐留部隊の協力を仰ぐことは難しい」
 あの兵士に対して声の届かない距離を見定めてから、マーシェが腕組みしながら口を開く。それに対して小さく首を振ったのは、タンジェスだった。
「ならまず、あの兵士の後をつけてみるべきだな。そうすれば巡回の経路や、間隔が分かる。駐留部隊の目をかいくぐって活動するなら、その情報が必要だ」
「いや、反対はしないが。しかし少々人の悪いやり方だな」
 マーシェが微妙だと顔に書いて示す。確かに理屈としては、タンジェスが正しいと承知している。しかし相手は、同じ国に仕える武官である。紛れもない敵に相対すると変わりない手段を用いることを、ためらっているようだ。
 だが、この場合、ある意味タンジェスは非情だった。異様な無表情で口を開く。
「まあな。自分のことを友人だと信じている奴を、いきなり縄で縛って行動を封じる程度には人が悪いか」
「その話はもう済んだだろう!」
 何故か、マーシェがいきり立つ。声を押し殺してはいるが、しかしそれを帳消しにするほど口調が激しい。ただ、その真相を確かめる時間が余人に与えられることはなかった。
「ああ、済ませたさ。だから今更うだうだ言うなってことだよ」
 彼はあくまで、少なくとも表面上は冷静だ。それに、マーシェは逆らえなかった。さらに、タンジェスの小さな身振りを見取った彼女が指示を出す。
「二人とも、私に続いてそこのわき道に入って下さい」
「ん」
 小声の届く範囲にいたのはティアとディーである。ティアは相変わらずの調子でただうなずいて、言われた通りにした。一方ディーは、雰囲気を感じ取ったらしく小声で応じてティアに続いている。
 その間、ストリアスはタンジェスの後に続いて別のわき道に入っていた。彼は彼で、タンジェスの指示を受けているようだ。
「手際いいねえ」
「まあ一応。そのための訓練も受けていますから」
 うまく身を隠しながら、ディーがマーシェにささやく。彼女はどこかそっけなく答えて、彼をさらに見つかりにくい位置へと押し込んだ。
 指を含む手の動きだけでも戦場で必要最低限の意思疎通が図れるし、場合によっては指一本でもそれなりに意図が伝達できる。それが、士官学校生の受けている訓練である。
 ちなみにこの場合は、「見る。否、戦う、人。回避」それが、マーシェに対してタンジェスが示した意味内容だった。限られた時間内で、言葉を使わずに正確に意味を伝えるためには、これが限界だ。
 それを「彼を偵察する。非戦闘員を退避させよ」との意味と解読するためには、受け止める側にそれなりの素養が必要になる。例えばこの場合なら、「非戦闘員を偵察する。そちらは退避せよ」との意味にも取れるのだ。
 そんな複数の可能性の中で正解にたどりつくために必要なのは、状況を正確に分析する能力である。少なくともマーシェがその能力を持っていることに関して、タンジェスは疑いを抱いてはいないようだった。事情を良く知らないディーなどから見て、どこかに物凄い不信感を抱えているとしか思えないにもかかわらず、である。
 そして、タンジェスとマーシェはうまく、あの巡回の兵士の動向を観察できる場所を確保した。それぞれに死角はあるが、そこについては互いにある程度補える。そんな位置取りである。互いの感情はともかく、その連携は理想的だ。さらに、その背後でそれぞれストリアアスとティアがそれぞれ気の力による感覚の網を投げかけていた。
 索敵としては、まず完璧な状態だ。これ以上を望むなら、伝説上の老いることない魔術師、あるいは現代の英雄である院長や国王など、極めて特殊な人員を動員するしかない。そしてそれは実質的に、不可能だ。
 その強固な態勢に気づくこともなく、巡回の兵士はやがて歩き出した。とりあえずその場で出会った人々に関してすぐに上官へ報告する気もないらしく、自分がやってきたのと正反対の方向へ向かっている。あらかじめ定められた順路を、そのまま消化するつもりなのだろう。
「何もなければ、それに越したことはない…か?」
 自分自身が隠れている以上、目視できる範囲はごく小さい。そこから見張っている兵士が消えてゆくのを、マーシェはそう口の中でつぶやきながら見守っていた。
 何かが起こる。そんな、期待がある。紛れもなく。
 予測ではない。予測とは、然るべき根拠をもってするものだからだ。しかし今、その未来像に関して何らの根拠もない。理性では、それが分かりすぎるほど分かっている。
 それでも、何かが起こって欲しいと願ってしまう。それがマーシェ=クラブレンの正直な気持ちだった。何か起こればそれが事件の真相を解明する糸口になる、との見込みもあるが、根の部分には、より衝動に近い感情がわだかまっている。
 平穏な日常よりも、刺激的な冒険を好む。そして目標が危険であればあるほど、いや、あればこそ、挑戦したくなる。そんな気質が、彼女の中には確かにあるのだ。悪い癖だ、と自分自身思ったことも一再ではない。他人から注意された回数となると、一々覚えてもいない。
 しかしそれこそ、果敢に危険に立ち向かう騎士の、いや、戦士の「血」なのではないかと、そうも思うのだ。もしその「血」が人間達の中になかったのなら、あまたの英雄達は成り立たなかったに違いない。危険を理解しないのはただの愚か者だが、それを乗り越える精神面での力は、忍耐や使命感だけではないはずだ。
 ただ、ここはそんな「血」を持った騎士たち、戦士たちが数多く眠る、文字通りの墓場である。その血の欲するままに戦い、そして力尽きた彼らは、そんな自分を嘲うかもしれない。祈りの最中には特に浮かばなかった思いが、ふと脳裏をよぎった。平穏を期待していないときにこそ頭が働いてくる、つくづく戦いに向いた人間ではあるのだろう。
 ことに最強の令名をほしいままにしながら、自らの作り出した平和を見ることなく斃れた、墓地正面の墓で弔われる英雄ならばどうか…。
 それは、彼女がそう考えた瞬間に起こった。少なくとも、マーシェにはそう思えた。
 かすかな、しかし確かなざわめきが辺りを包む。それが空耳でないことは、忙しく動くティアの瞳が示していた。一方ディーは、音に集中するためか目を閉じている。
 訳もなく鳥肌が立つ。祟られたかな、と、マーシェは少しだけではあるが、正直な所そう思った。何人もの敵を葬ったという、家伝の長剣を握り締める手に、我知らずのうちに力が篭る。
 そして、見えざる何かが駆け抜けた。墓地の中央部付近から、正面出入り口を通って外部へと。
 単に「風」、強いて言うなら「突風」とでも言うべき、自然現象だ。そのはずだ、と思うのは、士官学校の授業で強く戒められている「希望的観測」というものだろうか。マーシェは大きく揺れて、そして何事もなかったかのように静まってゆく木々を眺めていた。
 ばたばたと駆け去ってゆく足音が聞こえて、それもやがて消えてゆく。方向から判断して、先程の兵士が今の突風に驚いて逃げてしまったようだ。
 ティアはゆっくり、そして小さく首を振った。マーシェの視線を受けてのことである。特に不振な気配はなかった。彼女に分かったのは、それだけだ。悔しい思いは残るが、それを口にしてもどうしようもない。結局、いつもどおり口をつぐむしかない。
 それから、別の手がかりを得ていないものかと思ってディーを見やる。しかし先程までの無駄口の多さはどこへやら、彼はぼんやりとあたりを眺め渡していた。
 やがてタンジェスが合流する。今更隠れている必要もない。そして何も言わないまま後ろを振り返って、自分にも説明のしようがないと間接的に示した。
 最後の一人、タンジェスに続いてやってきたストリアスは、まず簡単に口を開いた。
「風ですよ」
 反論のありえない意見だ。だから、ではなく、みな黙ってしまった。
 あのですね…。
 ティアが視線で抗議すると、ストリアスはやや慌てて続けた。
「それは確かです。後は、なぜあんな風が起きたのか、それを考えましょう」
「いや、しかし…」
 タンジェスが首をかしげる。「なぜ」と、問われても、風は起きるから起きるものなのだ。風に限らず自然現象とは、そうだとしか言いようのないものだと思っている。風向きや雲行きから今後の天候を予測する方法などは知っているが、それは先人達の積み重ねた経験、知識を集積したもので、「なぜ」起きるかは考えたこともない。
 おもむろに、ディーが竪琴の弦を一本だけはじく。それからつぶやいた。
「例えばこの近くに魔術師がいる、とかね」
「まさか」
 同じ轍は二度も踏まない。先程魔術師がらみの話になりかけた際の沈黙は、あまりに不自然だった。だからこそこの時すかさず口を開いたのは、タンジェス、マーシェの両名である。そして半ば反射的に、ティアとストリアスが大きくうなずく。これはこれで少々不自然という気もしないではないが、この際成り行き上止むを得ない。
 その様子に気がついていないのか、それともそう装っているだけなのか、ともかく自称謎の吟遊詩人は竪琴を弄びながら続けた。
「まあね。嵐を巻き起こし、大地をも揺るがす。そんな彼らがする悪戯にしては芸がなさ過ぎるし、かといって本気だとするなら意味不明だ」
 ティアが、ディーの目が自分に向いていない瞬間を見計らって、ストリアスに視線を投げかける。
 本当でしょうか?
 ストリアスは軽く、首をかしげた。
 確かにそのような魔術もあるが、その気配はしなかった。それは間違いない。その場合には、気の動きをティアも察知できるはずだ。天候を自在に操るほどの強力な魔術となれば神官でなくとも、多少勘の鋭い人間なら異変を感じ取れるのだ。
 そもそも、勘とは微妙に異なる所で、感覚の鋭敏な人間であれば、急速な天候の変化は察知できるものである。古傷がうずく、などというのはその典型である。
 あるいは、二人の探知能力を超えた遠距離から気流に干渉して、この場所にその影響を及ぼしたという可能性も、絶無ではない。ただ、そこまでするためには、気まぐれの代名詞でさえある「風」の動きをはるか遠くまで完璧に読みきるだけの、凄まじい能力が必要になる。
 年老いることを忘れたという、つまり既に人外の領域へ半ば以上踏み込んだ伝説の魔術師たちなら、それも可能かもしれない。しかし、少なくともストリアスが直接知っている、王立魔術研鑽所に所属する魔術師達の中に、そこまでの言わば「超人」はいなかった。
 普通に考えれば、ディーの言うとおり、まずあり得ない。
 しかし、である。ここには不老の魔術師たちにさえ一目置かれたという、最強の男が弔われている。つまり恐るべき存在同士、知己であったのだ。戦乱の時代、互いに知らざるを得なかった、といったほうが良いかもしれない。
 ともかく、それゆえここは若干なりとはいえ、超常の力を持った存在がが現れる可能性が高い。先の大戦終結以来消息を絶っているが、これまで並の人間をはるかに超える年数を生きておいて、その後ひっそりと死んだなどとはとても考えられない。
 もしかしたら、もしかする。だから、ストリアスは少なくとも首を横には振らなかった。ただ、その話に深入りすればまた自分の身分に関わるので、路線を修正する。
「一からはじめると色々難しくなるのですけれど、風には風でそれが起きる原因があるんです。例えば、火を焚くと上へ向かって灰などが飛ぶでしょう? つまりそこには上に向かう風が吹いているということです。他にも色々と原因があるのですけれど、そういうもろもろの事象が重なり合って、自然の風というものは起こるのだそうですよ」
 炎の場合は熱によって膨張した空気が…、あるいはそもそも風というものは気圧が云々、などという基礎的、そしてそれだけに本質的な事項を、ストリアスは承知していながら一切省略した。
 そもそも専門外だという事情はある。ストリアスが得意としているのは素材の精製、加工など固体を形成する分野で、気体についての研究はしていないのだ。ただ、それでもタンジェスやマーシェなどよりは、余程詳しいらしい。
 しかし、何より大事なのは分かりやすいということだ。本質的な理解はその後でいい。というよりも、多少不正確であってもある程度漠然とした概念ができていなければ、いくら説明しても途中でつまづいてしまうのだ。それを、ストリアスは知っている。だから敢えて、本質に近いことよりも、想像しやすい例えを使う。
 気がつくと、ストリアスは自然と、物事を教えるに当たって、少なくとも自分が然るべきと考える方法を実行していた。いつそんな技術が身についたのか、良く分からない。強いて思い出そうとすればできるはずだが、しかし何故か、そうしなかった。
「ほう…」
 タンジェスとマーシェが声を合わせる。とりあえず二人とも、自然現象がそれ自体、あるいはそれを作り出した神の、単なる気まぐれでないことは理解したようだ。
 ただ感心しているような二人だが、それは彼らの知的および教養の水準が相当高い証拠だ。そうでなければ、「しかし今火は焚いていなかった」などと瑣末の疑問に陥ってしまうはずである。士官学校の教育も伊達ではない。ストリアスはそう見て取っていた。
「ふうん。なんだか、難しいこと考えてるね。普通の人間にとって風は風、雨は雨、全てはあるべくしてそこにある、そういうものなんだけど。どういう人なのかな?」
 ディーは不躾に直接視線をやりながら、しかもストリアスの周りを一周しさえする。前髪の間から、かすかに珍獣を眺めるような色の瞳がのぞいたように思えた。
「私は茜商会の手代ですよ」
 おかしい。何がどう、かはもう、不必要に怪しい部分が多すぎて判然としない。しかしとにかく、このディーという男には、警戒を強めたほうがいい。そう思えてならなかった。
「へえぇ。まあ、体を鍛えたり肉体労働をしているような人には見えないし、かといって王侯貴族や高位の神官というわけでもないようだけれどね。でも、商人やその使用人にしては、お金に関する感覚が鈍いように見えるよ」
「申し訳ありません。まだ見習いですので」
 内心その通りだと思いつつも、とりあえず白を切る。確かに商売人に向いているとは思っていないのだが、しかしディーと行動してきたこれまでの短い時間の中で、金銭感覚が分かるような行動、端的に言えば買い物はしていなかった。墓参のために花を買いはしたが、選んだのはティアとマーシェである。
「それは分かるよ。ただ、その前に何をやっていたのかが、分からない。見た所少なくとも、茜商会についこの間雇われた、っていうほど、若い人間とも思えないよ」
 ストリアスは現在既に二十歳を越えている。一般的な農家や商家に生まれたのなら子供であっても親の手伝いをするから、同じ年代の人間なら十年前後働いている経験があって当たり前だ。
 例えば現に、ティアも十代半ばで既に神官として働いている。マーシェのような騎士階級だとやや話は異なってくるが、戦時の男子なら十代半ばで初陣を迎えるものだ。女性の場合、特に上級貴族になると、色気づいて余計な虫が付く前に、ということで政略結婚の材料として嫁がされてしまうことも珍しくない。
「まあ、ちょっと。一応学者を目指してはいたんですけどね」
 言葉を濁したのは、もしかしたら実は魔術師だという事実以外に、言いたくないことがあるのかもしれない。ティアはふと思った。確かストリアスは、魔術研鑽所の中では新人だったはずである。そもそも研鑽所自体の歴史もまだ浅い。
 つまり、彼が十代後半の頃何をしていたのか、良く分からないのだ。働かずに遊んでいたのだろうかとも思えるが、少なくともこの場で追及すべきことではない。
「ふうん。学者さんか、ふうん…」
 ディーはわざとらしく、ストリアスの周りを回って観察する。しかし彼は、一周することができなかった。
「おっと」
 いつの間にか、ティアが彼の進路を妨害する位置に立っている。そして彼が後ずさったのを機に、ストリアスとの間に割り込んだ。
 やはり、無言。ただディーを見据えて、そこに立っている。ディーが男性としては小柄な部類に入るので、本当に真正面からだ。そしてそれを、ストリアスがティアの後頭部越しに眺めることになる。
「はいはい。分かりました。もうしません」
 さらに二歩ほど下がってから、彼は大げさに首を振って両手を挙げて見せた。
 今のように男性が女性にかばわれた場合、「男のくせに女の後ろに隠れて」などという挑発が、相手によってはかなり有効だったりする。次元としては完全に子供の喧嘩だが、しかし「男の意地」などというものは、そもそもどこか子供っぽいものだ。
 ただ、ストリアスにはそんな、意固地になるような要素が全くと言ってよいほど見られない。つまりその面では、有効性に乏しい。そしてあの種の挑発は女性蔑視的な要素もあるので、女性をさらに刺激することは間違いない。
 つまりこの場合、ティアを怒らせるばかりで、実益がない。それを計算して、結局ディーは大人しくすることにしたのだった。
 ストリアスは他にどうしようもないので、ただ相変わらず苦笑するばかりだ。
 そして、タンジェスとマーシェは何となく、互いに顔を見合わせている。ただ、やがて二人はふと振り返った。
「誰か来る」
「ああ」
「誰か、っていうか、馬でしょ」
 蹄のある大型四足獣の足音を、ディーも察知する。牛にしては足取りが速いし、家畜化されていない鹿などが、わざわざ人間に近寄ってくるとも考えにくい。士官学校生二人は、微妙な角度で首を動かした。
「騎乗用に訓練された馬の脚運びは独特なんだ。しかもそれを確かにやらせるためには、騎手がきちんと御してやらなきゃいけない」
「吟遊詩人なら覚えておくといい。野生馬や農耕馬と軍馬では、蹄の刻む律動が違う」
 言い終えた二人は、そのままその人馬が来るであろう方向へと向き直った。ディーは笑みを浮かべながら、半ば言い捨てたマーシェの背中へと、聞こえないよう小さくつぶやく。
「それはどうも」
 教えてやる、というようなマーシェの口調に気分を害しているのかもしれない。風来坊というものは基本的に、上下関係が嫌いなものだ。だからこそ、まず間違いなく上下関係のある定職を嫌う。
 ただ、そんな場合ではないのにな、とティアは思う。二人が警戒しているのは訓練の行き届いた馬を巧みに操れる人間、恐らくは騎士だ。
 このあたりにいるのならまず間違いなく警備部隊の人間だから、すぐに危険なことにはならないだろう。まさか強盗の類、ましては敵対的な他国の武官ではあるまい。そしてもし、万が一現に敵対的な存在だとしても、その場合には多勢に無勢でこちらが勝つはずだ。
 しかし自分たち一行は、ことの始めから警備部隊と一定の距離を置くことにしている。根拠があるかどうかも定かでない怪しげな噂がこれ以上流布するのを防ぐため、秘密裏に事態を処理することが目的だからだ。
 ただ、この地域の治安を維持することが、そもそも警備部隊に課せられた任務のはずだ。解釈にもよるが、その治安維持の中には、無責任であるばかりでなく有害な噂の拡散を防止することも含まれている、とティアは思う。それを果たしていない彼らとの接触を回避している時点で、自分たちは事実上彼らを信用していない。ティアとしては、そのように考えていた。
 そしてこれから現れるであろう相手は、その信用していない集団の中でも、ある程度の力量を持った人間である。それなりに慎重な行動が必要なところだ。
 あるいはこれは杞憂でしかない、と内心思ってもいた。しかし、タンジェスとマーシェの今の行動は、ティアの疑念をむしろ補強するものだった。二人はこの国の騎士、つまり同じ国王に仕える身分である可能性が高い相手を、明らかに警戒している。
 マーシェいわく「律動が違う」という蹄の音が、次第に大きくなってゆく。そして、その騎影が姿を現した。
 逞しく、それでいてどこか優雅さを感じさせる。ひたすら頑丈な農耕馬とは明らかに違う、手入れの行き届いた栗毛。今の所見習いであるタンジェスなどにしてみれば、垂涎の的。そんな良馬を、飾り気はないが堅固な馬具が彩っている。
 その馬にまたがって現れたのは、一人の男だった。
 年の頃は二十台半ば、あるいは後半といったところだろう。顔立ちや体つきには若々しい張りがある。しかしその一方で、油断がなく落ち着いた所作が老練さを感じさせる。
 装いは、平時の武官としてそれなりに標準的なもの。つまりタンジェスやマーシェなどと似通っている。襟を詰めた上着、下は細身の袴に長靴だ。色合い、あるいは生地は異なるが、造りの基礎そのものは同様である。
 異なるのは騎士として当然所持すべき長剣を鞍にかけているほかに、もう一つ武装があることだ。長槍である。それを、恐らくは利き手であろう右手に持っている。
 単純に言葉の意味だけを考えれば長い剣と長い槍、それほど違わないようにも思える。しかし、武官でその違いを理解していないものなど、いるはずがない。もしいるとすればそれはその任にあること自体が間違っている、ただの愚か者である。
 そもそも槍という武器自体が剣に比べて長く重く、携帯に向かない代わりに破壊力のある、純粋に戦場用の武器なのである。一般的な長剣と長槍を比較した場合、後者の長さは前者の数倍に達する。それを然るべく扱えればの話だが、武器の破壊力は長く重いほど大きい。
 剣の場合、短剣なら護身用、長剣でも騎士の場合ならその身分を示す儀礼用など、単に敵を倒す以外にそれなりの意味がある。この国の場合、騎士の正装には帯剣も含まれているものである。
 一方槍は、あくまで戦闘用だ。短いものでも人間の身長ほどに達する長さがあるため、それを持ったままで屋内あるいは森林など、障害物の多い場所へ侵入することは難しい。つまり携帯に向かない代物であるため、日常的に持って歩く人間などいるはずもないのだ。所持していれば余程の事情がない限り、任務中あるいはそれに赴く武官とみなされて当然である。もしそうでないとしたら、官憲に呼び止められるだろう。
 その中でも騎兵用の槍は、特に長く重く、取り回しが難しい。しかしそれを使いこなせるだけの膂力、そして技量を兼ね備えていれば、恐るべき兵器となる。特に平原など大きな武器を扱うにあたって障害物のない、そして大規模会戦の場所となりやすい地形なら、最大限の威力を発揮するだろう。つまり決戦の場面において、花形になる武器だということだ。
 そんな代物を、この相手は所持している。高度に危険な状況を想定した上で、それに見合うだけの武器を持っているということだ。もしそうでなければ、事態を理解しないままとりあえず危険度の大きすぎる武器を持ち出した、不心得者ということになる。ただ、馬術の錬度から考えて後者の可能性は極めて低い。
「警備の任務中ゆえ、馬上より失礼する。私はブレアン男爵配下の騎士、ジューア=ドークと申す。貴君らの所属、姓名をうかがいたい」
 そして口を開きながらの対処の方法も、極めて厳重だ。
 通常なら乗馬したままでの会話が非礼とされないのは、相手が自分の使用人である場合など、限られた状況のみある。同じ地面に立った上で話すのが、本来当然の礼儀であるためだ。
 ただ、任務中の武官に限っては、その職責に応じた例外が認められている。騎乗している方が、戦闘力が高いためだ。特に騎兵にとって最大の武器である長槍の場合、乗馬していれば強力な兵器であるが、徒歩で扱うとなると長すぎて手に余る代物になってしまう。その長大さは、馬上という徒歩よりもかなり高い位置で威力を発揮できるように作られているためである。そこで、そのような不利を背負わないことが合理的であるなら、下馬しなくとも良いことになっている。
 例えば、戦場にあるなら相手が身分を明かさない限り下馬する必要はない。それが武官の礼節である。もしあらぬ相手に対して不用意に下馬した結果討ち取られたとなれば、本来彼が果たすべき職責をまっとうできない結果になるためだ。
「士官学校生マーシェ=クラブレンであります。神官、ティア=エルン様のお供で参りました」
 答えたのはマーシェである。この場合、一行の中で最も身分の高いティアが率先しても良いのだが、何しろ彼女は本人自身を含めて誰もが認める無口である。それならば、ということだ。少なくとも目下の人間がまず応対に当たることは、相手が極端に身分が高いと考えられる場合でなければ非礼に当たらない。
 そして相手が武官である以上、それに応対するのは同じ武官の方が良い。戦場あるいはそれに準ずる場面での作法を心得ているためだ。士官学校生となると今のところ武官としては半人前だが、それでもその他の人間に任せるよりは望ましいはずである。
 ティアは軽くうなずいて、その内容への同意を示した。
「他の方々は?」
「こちらはタンジェス=ラント、同じく士官学校生、こちらはストリアス=ハーミス、人材派遣業茜商会の手代です。そしてこちらはディー、先程出会った吟遊詩人です」
 特に最後に関しては怪しげだ、と口を開いているマーシェ自身が思っているらしい。声に軽い緊張が感じ取れた。
 正直な所、同感よね。はっきり言って全面的には信用できないもの。人を疑うのはほめられたことでないけれど、今までの言動からして仕方がないわ。でもここで揉め事は起こしたくないし…。
 ティアは表情を消しながら、成り行きを見守る。それは残りの人間にも共通の判断だったようだ。
「これは、神に仕える方に対して、失礼をいたしました」
 神官に然るべき敬意を払うのも騎士の礼節だ。それを自然にわきまえているらしく、ジューアと名乗った男は長槍を鞍にかけた。そしてその脇にかかっていた長剣を帯びて、下馬する。


 心底、油断のない人ね。武器を手放さない以前に、気配がずっと張り詰めたまま。マーシェさんもタンジェスさんもそれに気がついているらしくて、警戒しているし。ちょっと剣呑な感じだな…。そもそもおおらかな士官学校の二人が例外で、武官という人たちは大概こうなのかしら。
 そうやって身構えながらも、ティアはとりあえず形式的に謝罪した。
「こちらこそ任務のお邪魔をして、申し訳ございません」
 彼はティアに話しかけているので、自分がでしゃばっては非礼になってしまう。そう判断したマーシェの視線を受けた結果だった。
 そしてこの場合、相手としても形式的な応対のほうがありがたかったようだ。すぐに本題に入ってくる。
「恐れ入ります。所で、お時間を取らせて申し訳ないのですが、男爵居館までご同道願えないでしょうか」
 言い方はまだ一応丁寧だけれど、これは不審者扱いじゃない。困ったな…。だからといって逃げるわけにもいかないし。
 ティアは思案せざるを得なかった。
 地域行政官の居宅は、その官庁を兼ねる建物になっている場合が多い。本人の利便という面もあるが、何より館と役所と、大きな建物を二つも建てるのが不経済だからだ。元来領主の城館は領地の執政府となるため、それを引き継ぐ、あるいは真似るのが通例である。
 つまりこの場合は、指示に従えば警備部隊の本拠地へ連れてゆかれるという意味になる。
 しかし、である。その地域を管轄する部隊からの出頭要請を無視するとなると、「扱い」ではなく完全に不審者だ。逃げればまず、追われるなり後をつけられるなりするだろう。治安維持のための巡回はそれが仕事なのだから、仕方がない。
 ティア以外の全員も同じ判断をしているようで、良くない雰囲気が急速に広がる。みな表情は取り繕っていたが、ジューアとしては本心を嫌でも察したようだった。
 その事実をどう思うかはともかく、官憲に呼び止められるなど万人にとって愉快なことではない、との正常な認識は持っているのだろう。身に覚えがあるなら無論一大事だし、逆に覚えのない嫌疑をかけられたなら怒りを覚えるに決まっている。
「いや、別に疑いをかけているのではありません。ただ、先程少々おかしなことがありましたもので、どのような状況だったのか、お話をうかがいたいだけなのです」
 とりあえずそう、弁解する。筋は通っていた。ただ、本心か、単なる口上か、とっさに判断がつかない。
「承知しました」
 別に信用はしていないけれど、ほかの結論も出せるはずがない。ディーの場合と同じね、と思いつつティアは答えた。その彼女に、ジューアはゆっくりと近づく。
「これは内密のお話なのですが」
 さて、何のことだろう。ティアはとりあえず目で続きを促す。
「近頃このあたりには良からぬ噂が流布しております。英霊の皆様が安らかに眠るこの場所で亡霊が出るなどと、不謹慎極まりありません。是非、ご協力をいただきたく存じます」
 低い声だったが、全員に聞こえた。さすがに無反応を保つ努力を放棄して、ティア一行四人が顔を見合わせる。
「へえー、面白いことになりそうだね、みんな」
 無意味に明るい口調で、ディーが全員を見渡しながら言う。事情を知らないジューアなら単なる無責任な発言に聞こえただろうが、四人にとってみれば錯綜し始めている事態を楽しんでいるとしか思えない。だから結局、それに反応した人間はいなかった。
 そしてとりあえず、状況としては異論なし、である。成り行きとして、そのまま六人となった一行は男爵居館に向かうこととなった。

続く


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