王都シリーズW
王都怪談


4 姿を消す者姿なき者


 男爵居館に到着した一行は、実際ジューアが話した通り、不当な取り扱いはされなかった。彼の説明によると既に件の噂は兵も含む使用人達の間で蔓延しており、怪しい人物を手当たり次第に捕縛などしていたら、さらに事態が大きくなるおそれが強い、とのことである。
 そのため突風の発生が起こったこと自体を伏せ、ジューアの私的な客人ということで案内された。場所も館の中の、彼用の応接室である。極度に広大とはいえないまでも、少なくとも騎士として恥ずかしくない程度に部屋を複数、確保しているように見える。
 現場にいた最後の一人、逃げた兵士については今の所口止めをしてはいないが、それについては、少なくとも現状では止むを得ないと言われている。驚いて逃げ帰ったことが明らかになれば、誰よりも彼自身の立場を悪くすることになる。そして臆病な人間だけに、にわかには口を開く恐れに乏しい。後で耐え切れなくなって漏らしてしまう可能性は大いにあるが、焦って動いて他の兵士に異変を感づかれる危険を考えれば、今は手を出さないほうが無難である。ジューアはそう読んでいた。
 そして当時の状況は、マーシェが主になって説明した。漠然とだが、四人の中では交渉担当という役割ができつつある。ティアは論外として、ストリアスもあまり自分から口を開く性格ではない。タンジェスは彼女を立てているのか、あるいは単に楽をしているのか、彼女に任せて問題がないと判断していれば、自分からは動かないつもりのようだ。
 程なく、マーシェの話は終わる。簡潔で要領を得た、純粋に実戦的な話し振りだったのだ。彼女は念のため、補足することがあれば言って欲しいと仲間たちをかえりみたが、全員首を振るだけに終わった。
 その後ティアは、ストリアスに視線をやってみた。あの時の様子からして、何かに感づいているのではないか、そう思ったのだ。ただ、彼にはその視線に気づく様子すらない。考え込んでいるのか、あるいはただぼんやりとしているのか、勘の鋭いティアにも判然としなかった。
 こうなると、当てにしていないのになんだけれど、ディーに聞いてみるのが良いかもしれない。大陸中を放浪しているのなら、また色々と知っているはずだし。そういえば大陸のどこかには年中強風が吹く場所があるって、私も聞いたことあるわよね…。
 でも、どうやって聞いたら良いんだろう。素直に聞いて教えてくれるかどうかははなはだ怪しいから、じっくり考えなきゃ。目を合わせると彼のペースに引きずられちゃうから、ここはそうならないようまず注意して…。
 と、そこまで考えたところで、彼女の思惑は中断させられてしまった。
「あれ?」
 間の抜けた声を上げたものがいる。ストリアスだ。
 何もこんなときに限って、と思いながらも、ティアは伏せていた視線を上げた。
「どうしました」
「何か分かりましたか」
 マーシェ、タンジェスがそれぞれ問いかける。しかし彼は、首を振っていた。
 いや、違う。否定の身振りではない。何かを探している動作だ。それに真っ先に気がついたティアは、可能な限りの速さで部屋の中を確認した。探し物、つまり、この部屋からなくなったものは何か?
 あ、あ、あ! ああああああああああああああああああああっ!
 内心で叫びつつ、実際には息を飲んでしまう。ここでせめてひと声上げられていれば、と一瞬思ったがもう遅い。それを補うためにさらに考え込んでしまうよりはと、ティアはまず一箇所を指差した。
 そこ! そこ! そこ! とんでもないものが、消えてるっ!
「はい?」
「ん?」
 ティアの異変を察知した二人が指差された場所を見やる。それは、ただの椅子のように見えた。別に誰が座っているでもなく、置いてある。そう広くはない部屋に置かれた、六脚目の椅子である。
「いつの間に!」
 ジューアが席を蹴って立ち上がる。そして半ば反射的に、長剣を手に取った。
 本来この応接室には五人分の椅子しか置いていない。部屋の広さの制限もあるが、明らかに来客の少ない場所で暮らす一騎士にしてみれば通常はそれで十分だからだ。
 しかし今日に限っては、珍しく大勢がやってきたものだから、館の下男に言いつけてもう一脚を運び込ませていた。ディーの分である。彼が隅のほうに座るのは、この場合全員にとってごく自然な成り行きだった。
「馬鹿な!」
 マーシェも立ち上がる。その素早さは決してジューアに劣るものではない。それでいて、長い三つ編みが揺れるその姿は、どこか美しくあった。傍らに置いた長剣を握り締め、すぐさま抜剣できる態勢を取る、そんな動作も、流れるようだ。
「チッ!」
 そしてこの場にいた騎士あるいはその見習いの中で、最も深い後悔をあらわにしたのはタンジェスだった。口から出たのは呼気にまぎれるようなごく短い舌打ちだけだったが、しかしそこに込められた影を帯びた気迫は、凄まじいものがある。
 彼は他の二人と異なり、まず立ち上がって動き出してから、そのついでのようにして自分の剣を拾い上げていた。結果、通常の神経を持った人間としては当然のことながらまず自分の態勢を固めた二人よりは、迅速な移動が可能となっている。また、部屋の主としてある程度奥側に座っていたジューアや、彼と話していたマーシェよりは、タンジェスの方が明らかに出入り口に近かった。
 叩きつけるようにして扉を開ける。しかし、自分たち全員に悟られないままそれを空けて外へ出るなど、果たして可能だろうか。タンジェスを含めた誰もがそう、思っていた。特にジューアは、いくら相手が後列にいたとはいえ、ディーを正面に近い位置で視野に捕らえられる位置にいたはずである。
 もっとも、例えば反対方向へ出た可能性はさらに低くなる。話をしている間を縫って、最後にはティアら四人の視線が向いている場所を抜けなければならないからだ。少しでも可能性の高い方向を当たる、という観点からすれば、タンジェスの行動は合理的なのである。
 だが、もし彼がその扉から出て行ったとして、果たして間に合うだろうか。声もかけずにいなくなっている以上、逃げている可能性が極めて高い。そうだとすれば、気がついていないうちにかなりの距離を稼いでいるはずだ。
 そしてタンジェスの左右に広がったのは、無人の廊下である。典型的な怪談の光景…などと考えている時間は、彼に与えられなかった。
 かすかだが、緩やかな旋律が耳に届く。竪琴の調べだ。
 タンジェスには響きだけから奏者を特定できるほどの音感などないが、しかし今この館に、同様の楽器の使い手が二人いるとも思えない。そこでとにかく、音がすると思われる方向へ走ってみることにした。それに、ジューアの部屋にいた全員がついてゆく。扉が開け放たれたことで、それまで聞こえなかった音が部屋の中にも流れ込んできたのだ。
 陰影のある悲しげな響き、しかしそれは、先程の鎮魂曲とはまた違った趣を含んでいる。足音にまぎれた中からも、ただ悲しむのではない「想い」を、ティアは感じ取っていた。
「そこか?」
 そしてとうとう、タンジェスが目指す部屋の前に到達する。しかしすぐに踏み込むことはできなかった。何しろここは、要するに他人の家である。切羽詰った必要があるなら話は別だが、この場合がそれに当たるかどうか、とっさに判断が付かない。
 特にこのあたりは、様子からして役所や兵営とは異なる。どこか生活臭が漂っており、どうやら私的な空間のようだ。ただ、駐留部隊の兵士なら生活と任務が一体化しているから、彼らの可能性は低い。むしろ何となく、女性だという気がした。それならばますます、男性のタンジェスとしてはためらわれる。
「下女達の部屋だ」
 当初の位置関係の結果、やや遅れているジューアがそう声をかけた。そこには「構わず入れ」という意図が感じ取れる。騎士という、生まれつき身分の高い人間ならではの無遠慮だ。それにむしろ反発を覚えたらしく、タンジェスは逆に引いてしまっていた。
「失礼する。こちらに我々の連れがお邪魔していないだろうか」
 結局その部屋の扉を開けたのは、生まれつき身分が高いうえに異性ゆえの遠慮もない、マーシェだった。
 そして開け放たれた扉から、竪琴の調べと歌声があふれ出してくる。それは身分違いゆえに互いの仲を引き裂かれた男女の、悲恋の曲だった。
 中には奏者以外に複数の人間がいたが、皆それに聞き入っていた。扉を叩いてから間をおかずに入ってくる、そんな無粋な侵入者に対して、注意を払う様子さえない。意図的に無視しているのではなく、純粋に気づかれていないのだと、当のマーシェが察知していた。
 楽士は無論、ディーである。彼ほど鋭い聴覚を持っているならば、慌しい外部の動きはマーシェが姿を現すはるか前から知っているはずなだ。しかし現に顔を上げたのは、一曲終わった後である。
「やあ、どうしたの?」
 まるで、親しくはあるが居所が遠方のため姿を現すとは考えにくい、そんな客人を迎えるような口ぶりである。本質的に真面目で素直なマーシェは、この予想外の反応に対して二の句が告げなかった。
「どうしたじゃない。なんだって、あの部屋を抜け出してこんな所にいるんだ」
 代わって急先鋒を勤めたのは、タンジェスである。先程のやり場のない勢いを叩きつけているのか、かなり攻撃的だ。しかしそれに対して、ディーはひるむ様子もない。
「だって、話を聞いてるだけでつまんなかったんだもん。あそこにボクがいても、しょうがなかったじゃないか」
 確かにそうだ。ジューアの部屋で必要だったのは、結局の所マーシェ一人だった。しかし、それを踏まえて、なおタンジェスは追及をやめない。
「だったらなんで、出る前に一言断らない?」
「目上の人の話には割り込んじゃいけないんだ。そうだろう? こう見えて意外と、子供の頃に受けた教育は厳しくてね。かといってあの場の話はボクにとってはつまらないことこの上なかったし、だから気を使って、気づかれないようにそっと外に出たって訳さ」
 ああ言えばこう言う。その見本のようだ。確かに筋は通っている。しかし、だからと言って説明を受ける人間の信用を得るでもない。まさにそんな口ぶりである。
 さて、こいつをどうしてやろうか。その感想は、タンジェスとマーシェに共通のようだ。ある程度抑制しているとはいえ、攻撃的な気配が、ティアにははっきりと読み取れる。ただ、具体的な方策を思いついてはいないらしく、その攻撃性が具現化してはいなかった。
「なるほど。退屈をさせたとは、失礼をいたした。しかし、ここは退屈に耐えるのが仕事のような場所だ。それができないとあれば、早々に立ち去られるが良ろしかろう」
 そして、ジューアが冷然とした事実を叩きつける。それはティア一行にとって、この場を訪れる前から確認されていたことであった。しかし、それでも、ディーはひるまない。
「この流浪の身に過分なお気遣いをいただいて、痛み入るばかりでございます。しかし高貴なる方にわざわざのご心配をいただくほどのことはないと、わたくしめはぞんじております。民草には民草なりの、無聊の慰みもございますれば。今はそれを、この方々と分け合っていたところでありますので、そのお許しをいただくお慈悲を賜れば幸いにございます」
 平身低頭とはこのことだけど、本心からそう思っている人ならそもそも逃げ出したりしないわよね。声も堂々としていて、心底反省しているとはとても思えない。
 大体風来坊だから強制されるのが嫌いだとは分かっていたけれど、自由な分もうちょっと柔軟に対応できないものかしら。わざわざ慇懃無礼にしているとしか思えないわ。
 さすがに、ティアはつよい非難をこめた視線を向けた。ただ、まず尊重すべきは相手になったジューアの判断だと考えて、とりあえず注意はしないことにする。
 ここでジューアが言葉の表面にだまされ、相手の軽蔑的な意図を見抜けないとすれば、ただの間抜けである。周囲の者にかしづかれて当然の大貴族などの中にはそういった人間もいるのだが、少なくとも彼は違っていた。肩の辺りのこわばりが、その感情の動きをはっきりと表している。
 ただ、いくら身分が高いとはいえ、いやだからこそ、むやみに攻撃的になるのは好ましくない。人の上に立つ人間は冷静でなければならない。この国の騎士階級は、その認識を常識として共有している。士官学校の教育も同様だ。
「お気遣いには痛み入る。しかしここは兵営でもあるゆえ、勝手な行動をされると何かと不都合が多い。慎んでいただきたい」
 抑えた調子でジューアが告げる。ここで怒りをあらわにすれば士官学校生たちにとっての悪い見本となるだけでなく、使用人たちを不用意に抑圧することになる。それをわきまえているようだった。
「失礼をいたしました」
 先程の長広舌とは打って変わって、ディーが丁寧ではあるが簡単に謝る。どうやら先程の反発は、事実上「出て行け」と言われたことに対したものだったらしい。
「まったく…」
 もう対処の仕様がない。タンジェスとマーシェは、そろって腕組みをした。ジューアは不快感を押し殺しているのか、表情を消している。
 それにしても、とティアは思う。
 この人、どうやってあの場から抜け出したんだろう。みんな怒りで冷静な観察眼がくもらされているみたいだけれど、一番の問題はそこだわ。
 もちろん本人が言うとおり静かに扉から出たに決まっているのだろうけど、全員気づかないなんて普通じゃない。すごい幸運に恵まれただけなのか、それとも隙を突くのがうまい、何か特殊な勘でも持っているのか…。
 それとなくストリアスを見やると、ちょうど目が合った。彼は小さくうなずく。
 彼も同じ疑問に行き当たっていたようだ。別に確認したわけでもないのだが、ティアはそう思って、うなずきを返した。
「どうも状況が混乱してきましたね。皆さん、少し休憩しませんか?」
 そして彼が、ひとまず事態の収拾を図る。この申し出はジューアにとっても好都合であったらしく、彼はすぐに了承して、休憩用の部屋を用意してくれた。
 ただ、ディーは中断以降の続きを下女達に聞かせるということで、その場に留まっている。どうせなら女の子が大勢いる所の方がいいと、やたらあけすけなことを言っていた。一方監視の兵士をつけることを条件にディーの残留を了承したジューアは、ひとまず自室に戻っている。そのため、休憩室に入ったのは当初の一行四人である。
「おかげで助かりました。墓地から…いえ彼と出会って以来状況に流されていましたけれど、これで何とか、態勢を立て直せそうですね」
 まずマーシェが口を開く。それに対してタンジェスも大きくうなずいた。
「あいつが残るって言い出すって、分かってたんですか?」
「いえ。とりあえずジューア卿と離れられれば良いかと思っていましたので。思惑が外れてジューア卿に、ならば一緒にお茶でも、とか言われたらどうしようかと心配でしたよ」
 話しぶりや態度からしてそこまで社交的な人物ではない、とは思っていたが、しかし世の中には儀礼や社交辞令というときに厄介なものがある。お互い嫌々、表面的なつき合いをしているという場面も往々にしてあるものだ。今回に関しては、幸いそれは免れたが。
「なるほど。さて、ひとまず落ち着いたとはいえ、それほど時間に余裕があるとも思えません。今のうちに何とか、方針を立てておくことにしましょう」
 マーシェが話を本題に戻す。全員がうなずいた後、彼女はさらに口を開いた。
「この際ですから、ジューア卿を通じてヴォート卿らここ一帯の主要な人物に探りを入れて、真相追求に資するべきでしょう」
 この期に及べば最早、駐留部隊と一定の距離を置いてという当初の方針を維持することはまず不可能だ。部隊の幹部であると思われるジューアに捕まった時点で、彼と協調するか、あるいは対立を覚悟で決別するか、方向は二つに一つしかない。そして混乱を隠密裏に収拾するという当初の目的からすれば、ことが大きくなる後者の方向性は選びようもなかった。
 だとすれば、手持ちの資源を最大限に利用するほかない。成り行き上ジューアと知己を得たことも、可能であればそれだけ活用すべきところだ。
「そうだな。しかし…」
 うなずきつつも、タンジェスが言葉を濁す。マーシェは、その後が続かないとはいえ、「しかし」と反応されたことについて、自説を補強しようとはしなかった。
「ジューア卿は当てにならない、と?」
 代わってストリアスがたずねる。マーシェもタンジェスも明確にそうだとは言わなかったが、しかし弁護もしなかった。
「一人の戦士としては恐らく相当優秀です。ただ…」
 タンジェスがまた、言葉を濁す。自分で言い出したのだから最後まで言え、と、マーシェが目で促した。仕方なく、彼また口を開く。
「指揮官、あるいはその補佐官としての能力には、正直な所少々疑問を感じます。兵卒の錬度が低いとなると、その責任は無論、直接には指揮官に帰せられるべきです。しかし、指揮官を補佐する次席以下の士官の職責は、その責任を適切に果たさせること、あるいはそれがどうしても不可能であれば、自ら指揮監督に当たることです。それができていないとなると…」
 上司が無能だったからうまく行かなかったのだ。などという言い訳は、武官の世界において通用しない。
 いや、あるいは通用するかもしれないが、失敗はすなわち敗北、そして多くの場合死を意味する以上、そんな抗弁をする幸運に恵まれる人間が珍しいのだ。うまく行かなかった時点で、その組織に属する人間は戦死しているか、弁明の暇もなく敗戦の責めを負って処分されているというのが関の山である。そうでなかったとしても、多くの部下や同僚を失う事態に打ちひしがれて、抗弁ができる精神状態を維持することは極めて難しい。
 つまりこの場合、突風という異変に直面した際逃げ帰ってしまう兵士が部隊にいる時点で、総責任者であるヴォートばかりでなく、彼を補佐すべきジューアも一定の責任を負うべきなのだ。部隊が無責任な噂の拡散に加担しているという事実に対しても、同様である。それが騎士身分という、それなりの敬意と生活を保障される地位の代償なのだ。
「そこまで仕事に対して粗雑な人には見えませんでしたけれどね。まあ、努力しても一人の人間の力ではどうにもならない、という状況もあるとは思いますよ。あるいは、裏表のある人なのか…」
 ストリアスが首をかしげる。少なくとも直接話をする限りにおいては、有能で責任感のある人物に見えていた。
「問題点が環境にあるのか、能力にあるのか、性格にあるのか。いずれにせよ私としては、全面的な信用は保留したいところです」
「それでも何とかするしかない。後はその方法をどうするかだ」
「まがりなりにも相手は騎士だ。こちらの思惑通りに動かせるかどうか…」
 二人はここで考え込んでしまう。ストリアスはもう一度、首をかしげた。
「上層部への働きかけには、限界があるのではないでしょうか。噂の温床は一般の兵士や使用人たちのはずですし、噂になるような何か具体的な事象を見聞きしている人間がいるとしたら、それも彼らである可能性が高い。ジューア卿とのつきあいは表面的なものにとどめて、彼らに探りを入れて行った方がいいと思いますが」
 マーシェやタンジェスは、組織の中枢から物事をとらえている。確かに問題を迅速に解決するためにはそれが基本的な姿勢になるだろうし、また軍指揮官となるべき教育を受けている人間としては当然の考え方だ。
 しかしこの場合は必ずしも良策ではないとストリアスは見ていた。今回の仕事は、事件を解決するより事態の真相を見極めるという類のものである。それに必要なのは地道な観察だ。無駄が多いようでも、個々の事象を一つ一つ検証して、周辺部から固めていかなければ、見当違いを起こすおそれもある。
「しかし、彼らにあまり探りを入れると、また新たな噂の発生源を作ってしまうことになるかもしれません」
 マーシェが指摘する。確かにその通りではあるので、ストリアスとしても反論はしなかった。一方で、タンジェスがやや話を元に戻す。+
「ただ、ジューア卿に全面的な信頼が置けないうえ、その原因も定かでない以上、あの方と連携するというのもある種の運試し、言わば賭博になります。どちらへ踏み込んでも、危うい可能性が否定できません」
 分からないことが多すぎる。しかしそもそも、自分たちは真相の解明のためにここへやってきたのだから、その現状に対して文句をつけることもできない。
 現状の認識、そしてそれに関する意見はほぼ出尽くした。マーシェとストリアスの方向性はほぼ完全に反対方向にあり、タンジェスはその間で結論を出しかねている。後は最上席の決断次第、である。
 三人の視線が集中する。そのとき、既にティアは結論を出していた。
「両方から、当たってみましょう」
 彼女の無口が、むしろ他の人間に押し付けられたかのように、三人とも黙ってしまう。やがて口を開いたのは、タンジェスだった。
「大博打ですね」
 いずれにせよ賭博なら、両方に賭ける。危険は倍加するが、その分成果が得られる可能性も高くなる。そんな大胆な手法を、彼はそう評した。
「大丈夫、です」
 タンジェスの言葉が賞賛の意図から発せられたものである、とはティアにも分かる。しかし一応、遠まわしに訂正はしておいた。神官は賭博をしないのだ。そして実際、運試しだとも思っていない。マーシェやタンジェス、そしてストリアスなら、きっとできる。そう、信じている。
「全面総攻撃、むしろ私好みですね」
「あまり調子に乗るなよ」
「分かっている」
 マーシェが勢いづいて、タンジェスにたしなめられている。そしてストリアスは、ティアに微笑んだ。
「できるだけ頑張りましょう」
 ティアはうなずきを返す。信頼がより強固なものになる、そんな気がした。
 大まかな方針がまとまったので、後は具体的な手法や役割分担など、細かい話になってゆく。ただ、立ち聞きでもされると元も子もないとの認識は共通していたので、全員がそれとなく、特に扉側には注意を払っていた。
 しかし、である。異変は反対の、窓側で起こった。まずそれに気がついたのは、ストリアスである。
「…ん?」
 板張りの窓が、かすかな音を立てている。厚手の木材の上から金属で補強がなされた、飾り気など全くない無骨な造りだ。今でこそ明り取りのために可能な限り開けられているが、しかしそもそも窓自体のために空けられた場所が広くはない。その周囲、つまりそれに連なる壁は、堅牢な石造りである。
 それはこの館がいざというときに、そのまま砦として使える証拠である。補強をして塞いで防御力を高めても良いし、弓兵がいるならそこから矢を射掛ければよい。外部から火矢による攻撃を受ければ窓そのものは焼ける可能性があるが、石造りの城館本体に損傷が及ぶことはまずない。それに木材自体も、火の粉が降りかかった程度では燃え上がらないための塗料が二重三重に塗られている。
 一瞬、風だろうかと思った。しかし、あのあからさまに重そうな窓を、しかも継続的に揺らす風など、不自然だ。そう思ってとっさに目を凝らす。そしてすぐに、その行動が誤りだと悟った。
 風かどうかを判定するために必要なのは、近接した場所にある同様の存在、要するに隣の窓だ。隣の窓も同じように揺れていれば、それはつまりストリアスが知らないような、ある程度強い風が継続して吹いているという、それだけのことである。幸い、この部屋には複数窓がある。個々の窓が戦闘を想定して狭く作られている分、数が多いのである。
 そして、その隣の窓は、全く動いていなかった。
 それがどういう意味を、などとストリアスが考え始めたときには既に、別の人間が動き出していた。彼の視線を反射的に追ったタンジェスとマーシェが、異変に気がついたのである。少なくともストリアスとの比較からすれば、この二人は明らかに、考えるより行動することが先に立っている。
 一瞬だけ早く窓際にとりついたマーシェが外を覗き込む。そのとき窓の揺れが急激に大きくなり、そしてぴたりと動きを止めた。
 一方で、タンジェスは彼女をいつでも支援できるよう、窓の反対側で剣に手をかけていた。
 と、ティアやストリアスに判断できたのは、二人がとっさの行動を終えてからである。二人が理解した前後関係は、むしろひとまず全てが終わった後の状況を目にしたがゆえの、推測に近い。一応それを見たのだという認識はあるのだが、しかし展開が速すぎたがゆえに、確証がもてていなかった。他の人間、特にマーシェやタンジェス自身が別の、それも納得のいく説明をしたならば、それを信じたかもしれない。
「何もないか」
 手早くあたりを見渡したマーシェがくっきりとした眉をひそめる。一方のタンジェスは、剣にかけていた手を離しながら、小さくため息をついた。
「そりゃそうだ。もし俺がその窓を、この部屋にいる人間を驚かすために揺らした人間だったら、アシが付くようなばかな真似はしないさ。それに…」
 そしてため息に比べれば、彼の声ははるかに大きい。マーシェはそれを、あからさまに不機嫌な様子でさえぎった。
「それ以上言うな。君自身、無責任な噂に加担するつもりもなかろう」
「それに」の後は、分かりきっている。もしそれが「本物」なら、確かめて分かるような証拠が残るはずもない。ただ、それを確認してしまったら、むしろ自分たちに与えられた任務にそむくことになる。それを、彼女は警戒しているようだった。
「分かってるさ、そのくらい。だから落ち着けよ」
 すっと彼女に近づいた彼は、二度ほど肩を叩く。それは自分の右腕を相手の首の後ろから右肩へと回す、むしろ抱くに近いような動作だった。互いの顔の距離もごく近く、額が触れ合うようだ。
 もし同じ動作を平均的な体格の男性がしようとすれば、マーシェに完全に密着してしまう。ディーのように小柄だったなら、抱きつくを通り越してしがみつくような状態になってしまう。長身でそれに比例して腕の長い彼だからこそ、その程度の接近で済んだのだ。
 つまり彼の動作は、常識で考えて限界寸前である。通常の女性なら、そうなる前に無意識的にその状態を回避しようとするだろう。
「私は冷静だ」
「ならいいさ」
 ただ、マーシェにそのな様子は見られない。まっすぐ至近距離から相手を見返して、言い返している。タンジェスはタンジェスで、それに対して一歩引くでもなく応じた。さらに彼女の肩に置いた手を軽く動かして、なでるようにしている。
 …なに? この二人、実はできてるの? …ああ、いやいや、内心とはいえ下品な表現よね。神よ、お許しを…。
 でも、じゃれ付いているように見えるのは確かよね。単にこの二人がそういう関係じゃなくて、士官学校生って全体的にそういう雰囲気なのかな?
 あ、いけない。二人の光景に気を取られていて、何故窓がゆれたのかという大事なことを考えるのをすっかり忘れてしまった。ティアがはっと気がついたのは、二人が通常の間合いに戻った後である。
 やや慌てて、ストリアスを見やる。幸いと言うべきか、彼はティアが余計なことを考えていたなどと気づくでもなく、ただその窓を注視していた。自分のなすべき役割を、ごく自然に果たそうとしているらしい。
 ああ、まだ二十歳にもなっていないから今更だけど、修行が足りないわね。反省反省…。
 ともかくもティアは、当面自分の仕事に集中することにした。
 どう考えても風じゃない。それは確か。ただ、だからと言って怪奇現象だと決め付けてしまうのはまだ早いわ。よく聞くように部屋のもの全てが動き出すならともかく、窓一つだけ揺れるなんて些細な事柄、誰かのいたずらと考えたほうが分かりやすいし…。
 その窓を丹念に調べれば、何かの痕跡が見つかるかもしれない。マーシェさんがしたように簡単にあたりを見渡すのではなく、窓そのものをじっくり見た方がいいわね。
 ティアがそう考えたそのときには、ストリアスが既に歩き出していた。無言のまま窓際へと近寄ってゆく。
 そして彼がその窓にとりついた、その時だった。扉が叩かれる。
 どうもこれから何かを調べようとしているときに限って、邪魔が入るような気がするんだけど…。
 ティアはそう思ったが、しかしともかく応じないわけにも行かない。その扉に歩み寄ったのは、マーシェだった。
「…?」
 閉じた唇に指先を当てる。そんな動作を、彼女はティアとストリアスに向かってして見せた。
 黙っててください、という意味は分かるけど、どうしてかしら? タンジェスさんは…あ、何故かにやにや笑っているし。二人にだけは分かるのかな? まあ、それだけは得意だからそうするけれど。
 考えつつ、やがて表情をうまく消した二人に習うティアだった。
 扉を叩いたのは、ジューアに仕えているという男である。その話によると館の主である男爵が四人に会いたいと言っている、とのことだった。
 先方の意図は分からないが、しかし面会を拒絶する理由があるわけでもない。特にタンジェスとマーシェは見習いとはいえ軍に属する人間であるため、管轄部隊の任務遂行を尊重する義務がある。また有事においては、自分が帯びている命令に反しない範囲において、指揮命令にも服さなければならない。
 一方ティアは神官という、軍以前に政府から距離を置いた身分にある。例え相手が貴族、いや国王であっても、指揮命令に従う義務はない。何らかの罪を犯したのなら話は別だが、その場合にはまず神官としての身分を剥奪されることになる。
 もっとも、地上の権力や儀礼を尊重するのも神官としての勤めであるとされているし、それが現実的な対処でもある。神殿と王侯が相争って、良い結果が生まれたためしがない。今ここでティアが無理をすれば、彼女を監督する院長に迷惑をかけることになるだろう。
 とりあえず行くしかない、それが四人に共通した認識だった。話し合うまでもなく、ただうなずきあって意図を確認して、会うことを承諾した。

続く


前へ 小説の棚へ 続きへ