王都シリーズW
王都怪談


7 暗い光の神官


 男爵の部屋に向かったティアが大事なことを失念していた一方で、その事実にほぼ始めから気づいている人間もいた。ストリアスである。
 ティアと一緒に勢い良く大広間を出て、そして途中でするりと抜け出した。その人物を、見咎めたのだ。それからその後へついてゆく。そうして結局たどりついたのは、先程休憩に使わせてもらった部屋だった。
「どうしてこちらへ?」
 先に入った相手に対して、気軽に声をかける。別に無意味に無防備なのではない。そうして当然の相手だったからだ。タンジェスである。
 つまりこの二人が、いつの間にか姿を消していた。それが、マーシェが隠そうとしていたものの正体である。
「ちょっと調べたいことがありましてね。しかしストリアスさんこそ、どうしてこちらへ?」
「あなたが急に脇じそれるからですよ」
「ああ、まあ、それはそうですけれど。しかしあの音の正体を確かめるのが先決だとは思いませんでしたか」
 不審な行動であったことは認める。しかしだからと言って、客観的な優先順位が高いとは考えにくい。彼はそう考えているようだ。
「そちらはティアさんとマーシェさんに任せておけば問題ないでしょう。そう思ったからこそ、あなた自身はこちらにいるのではありませんか」
 自分と彼と、そこに関する判断の根拠は変わりないはずだ。それが、ストリアスの見方である。タンジェスがどうしてここへ来たのか、その根拠は分からないが、それは今から聞けばよいことだ。
 タンジェスは苦笑した。彼にしてみれば、自分の判断の根拠を何も知らないままストリアスがついてきたことになるのだ。不審がって追ってきたくせに、その辺は人が良いと、ある意味矛盾している。
「変わった人ですね、あなたも」
「それはまあ」
 ストリアスも苦笑を返す。何しろ魔術師だ。逆に普通の人間では勤まらない。
 そしてタンジェスは、不意に軽く別の方向へ向き直った。どこか意図的に難しい顔をしながら、口を開く。
「君もね」
「まーね」
 すぐ後ろで、そんな声がする。おかげでストリアスは、慌てて振り返るはめになった。
「や、どうも」
 朗らかに笑って、手さえ振ったりする。そんなふざけた人間は、今この館には一人しかいない。ディーである。
「どうしてここに…なんて聞いたら、ストリアスさんと同じ答えになるのが落ちか」
 タンジェスが疑問を投げかけようとして、結局自己完結させる。ディーは大きくうなずいて、同意であると示した。
 どうやらストリアスとディーの思考回路には、共通する部分があるらしい。そのことに気づいたストリアス当人は、さすがに複雑な思いだった。一方その二人に囲まれている形となっているタンジェスは、落とした肩を隠そうともしない。
「それよりもさ。そもそもなんで君がここに来たのか、その理由を教えてくれないかな」
 結局、どうあっても元気一杯のディーが話を先に進める。タンジェスは軽く首を振ってから、窓際に歩み寄った。そして辛うじてストリアスやディーに聞こえる、その程度の大きさで話す。
「今更隠しても仕方がないし、白状するか。さっきのことなんだが、この窓、突然ゆれだしたんだ。最初は風かと思ったけど、他の窓は全然揺れてなくてね」
「ほほう。それはそれは」
 注意をひきつけ、同時にどこか不安を誘う短い旋律を、止せばいいのにディーがわざわざ奏でる。既に慣れが生じているのか、一々構ったりせずタンジェスは続けた。
「しかしストリアスさん、気づきませんでしたか? あれ、妙に縦方向に揺れていたんですよ。まるで誰かが、上から糸か何かで引っ張っていたみたいに」
 ストリアスは微妙に首をかしげる。タンジェスにそう見えたのなら実際その通りだったのだろうが、しかし彼としてはその点に気づいていなかった。
 しかしそもそもその細かい観察を抜きにして、まず誰かが動かしていると疑ってかかるべきなのではないかと、そう考えている。何かが起きるたび、一々魑魅魍魎の類の仕業だなどと考えていてはきりがない。怪奇な事件だととらえるのは、一般的な現象として起こりうる可能性を潰したその後だ。世の中には、本当に霊が関わっているような出来事より、例えば人間のいたずらや勘違いのほうが、はるかに多いのだから。
 つまり今話をしている大筋では、タンジェスとストリアスの間に意見の食い違いはない。しかし、あの時の彼の言動は、むしろそれ以上の追及を制止するものだった。つまり行動に一貫性を欠いている。その理由を、ストリアスは目で問い質した。
 うなずいて、彼は口を開く。
「誰かの仕業だと考えて、現状ではそれが誰なのか、見当もついていませんからね。その特定ができないまま、こちらが真剣に調査をする様子を見せても、事態の根本的な解決にはつながらないでしょう。相手を警戒させて、身を潜めさせる結果になるだけです」
 そうなるよりは何もしないふりをして相手を油断させておいて、尻尾を出したところで捕まえたほうが良い。それがタンジェスの判断だと、ストリアスも理解した。
「あそこでわざと止めるようなことを言ったのは、相手に聞かせるためだったんですね」
 タンジェスの推測が正しければ、文字通り糸を引いていた人間は、上の部屋などにいたことになる。耳をそばだてていれば、会話が聞こえる位置だ。タンジェスは小さくうなずいた。
「で、そいつがいなくなっているであろう機会を見つけて、探りを入れてみることにしたというわけです。マーシェにはもう俺の考えを伝えてありますから、向こうは向こうでうまくやってくれるでしょう」
 一度大広間に大勢集まって、その後あのような大きな音のする騒ぎが起こって、それでもこのあたりに戻ってくる人間などいはしない。それが、タンジェスの読みだった。もっとも実際にはもう二人もついてきてしまったのだが、この際それはそれと諦めるしかない。
「いつの間にそんな話を?」
 ストリアスが覚えている限りでは、自分にも知られないうちに二人だけの間で意志を疎通させる、そんな機会などなかったはずだ。タンジェスはくすりと笑って、首を振った。
「ごめんなさい。一応、秘密の暗号って奴なので」
 タンジェスはちらりとディーに視線をやって、教えられない理由をそれとなく示した。別にストリアスに対してなら話しても構わないのだが、もう一人についてはまだ信用していないので駄目だ。そんな所である。
 種を明かせば、別に大したことではない。彼女の肩を抱くようにしたそのときに、実は指先である種の信号を送っていたのである。黙ったままでもやり取りをする、その手段の一つだ。
 やや不自然な動作だったので、あるいは感づかれたかとも思っていた。しかしどうやらそうではないようなので、ひとまず黙っていることにした。
 そしてこれ以上の追及を避ける意味もあって、タンジェスは窓から身を乗り出した。さらに窓枠に足をかけて、その外へと出てゆく。
「あ。気をつけてくださいね」
「大丈夫。こういうのには慣れていますから。変な所で声とかかけられなければ平気です」 
「わっ!」
 その瞬間、ディーが大声を上げる。ストリアスが柄にもなく憤然として抗議しようとしたが、窓枠に立って窓の上部を見ているタンジェス自身は失笑していた。
「やると思った」
「ちぇ」
 まるでいたずらっ子と、それより年かさの兄貴分とのやり取りのようだ。先程奇妙なことが起きた部屋には似つかわしくない、むしろほのぼのとした雰囲気になってしまう。そうしているうちに、タンジェスが身軽に部屋の中へと戻ってきた。
「手がかりなし。何かをくくりつけたり、引っかけたりすれば跡が残ると思ったんですけどね。実にきれいなものですよ」
「そうでしたか」
 報告する側も、される側も、とりたてて残念がってはいない。偶然か、あるいは相手が痕跡を残さない方法を承知していたのか、そのいずれの可能性も十分にある。見に行ったときから、それは覚悟していたのだ。
 しかしそれに、ディーが口を挟む。
「本当にきれいだった?」
「ああ。それがどうかしたのか」
「本当に?」
 にんまりと笑って、繰り返す。タンジェスは口を引き結んで不快感を表したが、しかし賢明なことに相手を非難はしなかった。結果、ディーが口を開いて手がかりを与える。
「直接見たわけじゃないから微妙だけど、きれい過ぎはしなかったかい?」
 雨風を受ける場所にもかかわらず、だ。タンジェスはうなずいて、今度は別の窓を見に行った。さらに念のため、もう一つ別の窓を確認する。
「どお?」
「あれだけ嫌にきれいだよ。今さっき掃除をしたみたいだ」 
 タンジェスの目が、輝きを増している。ディーは笑ったまま、うなずいた。
「とすると使ったのは膠か糊か、ともかく接着するものだね。紐か何かの端を窓の外側、部屋からは死角になる場所にくっつけて、もう一方の端を上の部屋あたりから引っ張れば、窓をがたがた揺らせるわけだ。で、中の人間に気づかれてやばいと思ったら、力いっぱい引けばそのまま紐は消える。まあ、貼り付けた跡は残るけれど、中にいた人間が驚かされていれば、中々そこまでじっくりは調べないね。後は驚いた連中が出て行ったころあいを見計らって、掃除をして証拠を消してしまえばいい」
 嫌にすらすらと、手口の推測が口をついて出る。まさか実行犯ではあるまいと思いつつも、ストリアスは思わず疑わしげな視線を向けてしまった。それに気づいたディーは、苦笑と失笑を同時にしてみせる。
「子供のいたずらさ。昔良くやったから、分かるんだ」
「今でもの間違いじゃないのか」
 わざと鼻で笑って、タンジェスが指摘する。ディーはにんまりと笑って、答えなかった。別に真摯な回答を欲していたわけでもないので、タンジェスが続ける。
「さておき、妙に冴えてるじゃないか」
「ボクは元から冴えてるよ。才能をひけらかすのは趣味が悪いから、普段は隠してるだけさ。ま、そればっかりでも信用されないから、今回はちょっといい所を見せようと思ったんだけどね」
 口でだけ笑って、じろりとタンジェスを見返す。タンジェスは肩をすくめて、挑発には乗らなかった。元々信用されないような言動ばかり目立つディーが悪いのだ。そう信じて疑っていない。
「頭が切れるってのは良く分かったよ。この際だからついでに聞くけど、他に何か分かったことはあるか」
 熱のない口調で、しかししっかり情報を引き出そうとする。ディーはそれを値踏みするような目をしてから、口を開いた。
「分からないってことが分かった、そんな所かな」
「何だよそれ」
「疑問点がはっきりしてきたってこと。ここの人たちのおびえようから判断して、今みたいないたずらがかなり執拗にあったんじゃないかと思う。大人でも正体のつかめない出来事が続けば参るよ。つまりそれだけ計画性のある人間の仕業だとボクとしては読んでいるんだけど、それにしちゃあ手口が稚拙で、ちぐはぐな感じがするんだ」
「稚拙ないたずらを繰り返すのなら、子供のやることだとは考えられないか」
「その可能性もないではないけど、子供だったら大概、やることが次第に大きくなるだろう。そして最後にはばれるものだよ」
 自分自身の過去を思い出したのか、タンジェスの目が少し泳いだ。
「かといって、大人のすることだと考えるのもどうもしっくり来ない。本当にここにいる人を怖がらせたいのなら、もっとどぎつい手はいくらでもある。相手を威嚇する、ただそれだけのために人を殺して死体を晒すとか、そんなことが当たり前だったのはわずかに十年前のことだよ」
 窓の外を眺めやる。ここから墓地を見ることはできない。しかしすぐ近くに眠る人々の中にもそのような犠牲者がいた、それを思っているのだろう。
 今「大人」だということは、多くの場合戦中世代であることを意味する。少年達とは異なり、そのような衝撃的な現場を何度も目撃していてもおかしくはない。しかも仮にも軍事施設である場所に対して行動を起こす以上、その世代の中でも特に度胸があると見るべきだ。しかしそれにしては、することが穏当すぎる。
「つまりそういうちぐはぐなことをしそうな人間を見極められれば、元凶にたどりつくわけだ」
 疑問点でも、何もないよりはましだ。考える手がかりになる。タンジェスはディーの言わんとしているところを理解した。できの良い教え子を賞賛するような顔で、ディーがうなずく。 
「そだね。でも、今のところ推測に過ぎないから、あまりそれにとらわれると間違えちゃうけど」
「まあ、頭の隅にでもとどめて置くよ」
「うん」
「さて、とりあえず調べ終わったし、長居すると怪しまれるから戻るとしよう」
 当初から隠そうとしていたタンジェスが怪しんでいるというその事実を、まず知られる可能性がある。さしものディーも、ここは素直にうなずいた。
「はいはい。それじゃ、ここに三人で来た理由の口裏だけは合わせておこうか」
「俺が忘れ物をしたと思って…二人に捜すのを手伝ってくれって頼んだということで」
 元々見咎められたらそのように言い訳をするつもりだったらしく、前半部はすらすらと出てくる。後半部は、予定外に二人ついてきたことから生じた修正だろう。
「なるほど。でも実はそもそも忘れ物なんてしてなくて、ずっと持っていたのに気づいてなかっただけ。そんな所かな」
 現に忘れ物をしていた、と話すのは、場合によっては都合が悪くなる。自分たちが出て行った後で部屋に入った人間がいて、何もないことを見ていた場合、その証言と矛盾するおそれがあるのだ。タンジェスが「忘れ物をした」ではなく、そう思ったと言った真意を、ディーはきちんと読んでいた。今度はタンジェスが、教え子を賞賛する顔でうなずく。
「そういうこと」
「分かりました」
 そしてストリアスにも異論はない。というよりも、後のことを考えずについてきてしまったと、反省する羽目になってしまった。
「さて、それじゃ…」
 すたすたと歩いて、タンジェスが扉を開ける。当初の位置としては彼が最も奥にいたのだが、行動の速さがその位置的な不利を補って余りあっていた。ストリアスやディーなどと比較すると、全ての動作がきびきびとしている。元来屋内人間であるストリアスは論外として、ディーも旅慣れているはずの吟遊詩人をしている割には、動作が機敏と言いがたい。のんびりゆっくりふらふらとする、そんな信条なのかもしれない。
 そして、何の気なしに扉を大きく開けたタンジェスは、次の瞬間大きく跳び退っていた。しかも中空にいる間に左手を鞘に添えて右手で柄を掴む、つまり抜剣の態勢をほぼ整えている。両足が床に着いたときには、既に完全に、いつでも抜き放てる状態だった。
 開け放たれた扉の前に、人が立っている。それを、ストリアスも見て取っていた。ただ、それに注意を集中しているあまり、タンジェスが瞬時に戦闘態勢を整えていることには全く気がついていない。ただ、そこに人がいたことに驚いているだけだ。


「申し訳ありません。驚かせてしまったようで…」
 人影は深々と頭を下げながら、どこか重たげな声を発した。白の長衣、神官だ。その顔に見覚えはない…と思いかけて、ストリアスは危うく自分が間違うところだったと気づく。その程度に、目だったところのない顔立ちだ。
 辛うじて会ったことがあると分かったのは、そもそもこの館に神官が何人もいるはずがないと考え直したからだ。無論ティアなら、タンジェスがあそこまで大げさな反応をするはずがない。無口で気配が静かなだけにいつの間にかそのあたりに立っている、などということは珍しくないが、しかしそれだけに慣れはじめているはずだ。
 今一人の神官、あの大広間で奥に控えていた人物である。名前は確か、ジューアが「ヒーム」と呼んでいた。気配の読めない、どうにも得体の知れない男だ。
 正体不明といえばディーもそうなるのだが、しかし彼の場合無駄に陽気な所があるので、ストリアスとしてはあまり深刻な印象を受けてはいない。一方この神官は完全に内に篭っているように感じられるため、元来警戒心が強いとは言えない彼としても身構えてしまう。
「いえ、こちらこそ、大変失礼をいたしました」
 しかしひとまず、タンジェスは剣から手を離して丁寧に謝罪している。いくら現に切りかかりはしなかったとはいえ、敵対姿勢のない相手に、剣を向けようとするものではない。しかも相手は騎士が敬意を払わねばならないとされている、神官だ。
 ただ、彼も全く警戒を解いてはいない。ストリアスにはそれがありありと感じ取れた。この男は、扉を叩くでもなくその前にたたずんでいたのだ。立ち聞きをしようとしていた可能性は十分にある。それにもしそうでなかったとしても、ジューアに男爵を頼むと言われていたはずだ。それを置いてここへ来ているという時点で、信用できるかどうか微妙である。
「お気になさらず。それより、こちらで何を? ご迷惑でなければお力添えいたしますが」
 今しがた、場合によっては斬られていたかもしれないにもかかわらず、その語り口はあくまで落ち着いている。少なくとも性根の座っている、その意味ではひとかどの人物のようだ。
「ありがとうございます。しかしお気遣いなく。こちらへ忘れ物をしたかと思ったのですが、勘違いでした。お恥ずかしい限りです」
 口裏を合わせた通りに、早速タンジェスが説明する。普段の彼からすれば少々滑らか過ぎるな、とストリアスは感じないではない。しかし少なくともその説明を受ける相手に、そこまでの判断材料はないはずだ。ひとまず、その通りかとうなずくしかないらしい。
「左様ですか」
 結局、相変わらずの調子でその説明を受け入れる。それを好機と見計らったのか、逆にタンジェスが聞き返した。
「それより、男爵閣下のお側を離れられてよろしいのですか」
 ヒームはゆっくりと首を振ってから、口を開いた。
「ご覧になればお分かりの通り、ジューア卿がああして配慮をされるのも、無理はありません。しかし男爵閣下が患っていらっしゃるのは、言わば気の病です。すぐに大事に至ることはありませんが、しかし同時に簡単に快方に向かうものでも、ないのです」
 自分の力が及ばず申し訳ない。そんな言い訳を彼は一切しなかったが、しかし顔にははっきりと見えていた。
「今のわたくしにできるのはせめて、これ以上負担をかけない環境を整えることだけなのです」
 重い響きとともに、三人を見渡す。そしてさらに、そのままの調子で彼は続けた。
「恐れ入りますが、どうか皆様も、こちらにいらっしゃる間はなるべく何事もない様子で振舞うよう、お願い申し上げます。騒ぎは、誰にとっても良い影響を与えません」
 遠まわしだが、あたりをうろつくような不審な真似は慎んで欲しいと、その意図は聞いている全員に伝わった。深々と頭を下げるヒームに対して、三人とも同じように礼をしてひとまず賛同の意志を表す。そして彼が立ち去るまで、誰も口を開こうとはしなかった。
「疑心暗鬼、だね。皆が皆、表面上は協力して動いているけれど、その実誰も信用していない。男爵は始めから誰の言うことも聞いていないし、部下の騎士とお付きの神官が考えていることは実の所食い違っている。そしてその下で働いている人たちは、そんな上層部を頼れないでいる」
 白い長衣が見えなくなって、そしてたっぷり待ってから、ディーがようやく口を開いた。考える時間があり余っていたせいか、通常の彼と比較して内容がかなりまとまっている。
「で、俺達も疑われてるって訳だ。まあ、始めからそんな状態に置かれている人間にしてみれば、一連の事件の真犯人が送り込んできた手先だっていう見方も、確かにできるけどな」
 そしてタンジェスが、それはそれで他人を疑ってかかっているようなことを言う。しかしそれを、誰も否定しようとはしなかった。基本的にはそれが賛同の意志表示になるのだが、タンジェスは慎重を期したのかまだ黙っているもう一人に尋ねる。
「ストリアスさんとしてはどうです?」
 少し考えようとして、ストリアスは軽い自己嫌悪に襲われた。先程のヒームと同じようにしているのが、何故か自分自身の癇に障ったのだ。その理由が何となく気になるものの、黙っていられないのでとりあえず口を開く。
「自分の内心を隠そうとしていることはまず間違いないですね。それが皆を安心させる方法だと思ってしているのか、あるいは別の目的があるのか、それ以上は何しろ隠しているので良く分かりませんけれど」
 それが間近で接してみて、しかもその間ずっと黙っていた代わりに観察に集中していた結果得られた感触である。「気」の素養がある、つまり術者として高い能力を持っているかはまだ微妙だが、ともかく本人が自分の内心を悟られないよう、精神的に構えている気配はひしひしと伝わってくるように思えた。
 それにしても、自分もずいぶんと口が悪くなったものだ。以前の自分であれば、隠しているなどという否定的な表現自体を使わなかっただろう。言い終えてからついそんな、余計なことを考えてしまう。物静かで大人しい、それが自他共に認める、ストリアス=ハーミスの人物像であったはずだ。
 なぜそんなことになったのか、それを考える時間が、少なくとも今の彼に与えられることはなかった。
「それも調べてみなきゃ分からないけどね。まあ、それこそ相手が警戒している以上難しし、そうする必要があるかどうかも微妙だけど」
 ディーがすぐに自分の結論に戻る。そしてそれを待っていたかのように、タンジェスがまとめた。
「ひとまず、今は戻るとしましょう。ああして警告されてなおここに留まっていたとなると、不審者以外の何者でもありませんからね。後のことはとりあえず、マーシェとティア様が向かった先で何を見たのか、それを聞いてから考えれば良いでしょう」
 ストリアスはもちろん、ディーにも反対する理由はないようだ。二人とも黙ってうなずいて、率先して部屋を出るタンジェスについてゆくこととなった。ただ、廊下に出た途端に、ディーがまた別の疑問を提示する。
「ねえ、さっきのことなんだけど」
「ん?」
 後でそんな声がするものだから、当然タンジェスが振り返る。しかしディーは、苦笑して首を振った。
「君じゃなくて、こっち」
 傍らのストリアスを指差す。ディーとしては間違いなくストリアスに顔を向けて話しかけていたので、そんな勘違いが起きるなどとは思っていなかったのだ。もちろん両者に背を向けているタンジェスにとってみれば、誰がどの方向を向いているかを直接知ることは難しい。しかしストリアスであれば自分が話しかけられていると明らかに分かるのだから、彼が反応すれば状況は背中で聞いているタンジェスにも容易に判明するはずである。
 しかし実の所、ストリアスは無反応だった。別に無視などしてはいない。純粋に、気がつかなかったのだ。しかし歩きながら振り返っているという奇妙な姿勢をタンジェスがかなり長い間した結果、ようやく異変を察知する。 
「どうしました?」
「いや、はっきり言わせてもらえばそれはこっちの台詞です」
「は?」
 何か起きているとは分かったが、しかしそれが自分のせいだとはかけらも考えていない。結果純粋に不思議そうな顔で、タンジェスを見返すことになる。結局彼は無意味にがっくりと肩を落として、前に向き直ってしまった。
 くすくすと笑いながら、ディーがストリアスを突付く。
「ずいぶん熱心に考え込んでるね。今もそうだけど、さっきの演武のときも。一体どうしたの?」
「ええと…」
 確かにその通りだ。ぼんやりしているだけのように見えただろうが、しかしその実自分の考えに没入していたのだ。別に誤解されても構わないと思っていたため、何かを装おうとはしていなかっただけである。
 その内心までずばりと言い当てられたような気がして、ストリアスは説明する必要を感じることとなった。そこで自分がなにを考えていたのか、言葉にまとめようとする。しかしすぐに、諦めてしまった。そもそもそう簡単にまとめることができるのなら、延々と考え続けたりはしないのだから。
「ごめんなさい。まとまったらそのときに話しますよ。半端な状態で言葉にしてしまうと、どうもうまく行かないような気がして」
 我ながら信憑性のない言い逃れだとは思う。特に遠慮を知らないディーが相手となると、むしろ食い下がられてしまうだけだろう。しかしそれまでの主要課題に思考力のほぼ全てを費やしていたために、これ以外に言うべきことを考えつくことができなかった。
「約束だよ」
 しかし予想に反して、ディーはにっと笑うとそれだけ言って追及の手を止めてしまう。むしろタンジェスのほうが、肩をすくめてがっかりだとでも言いたげだった。
「はい。というよりも、私の中で答えが明らかになれば、約束などなくても教えますよ。そのときには多分、それを誰かに教えたくて仕方がなくなっているでしょうから」
 安堵したため、ストリアスはやや大きなことを言った。嘘ではないのだが、しかし分かるとの保証はどこにもない。ただ、この場合はそうしておいたほうがむしろ無難だろうと思うことにした。
「そりゃ楽しみだ」
「そのときは頼みますよ」
 弾んだものと、突き放してさえ聞こえる淡々としたもの。そんな二つの声を聞きながら、ストリアスはまた自分の考えに入ってゆくのだった。

 数え上げればきりがない所をあえて至極簡単に表現すれば、色々なことがありすぎた。結果、ティア一行にとって一応事態が落ち着いたと感じられた頃にはもう、すっかり夜になっていた。
 もっとも、調査の本来の目的からすれば、これからが本番である。幽霊が出る、あるいはそれを装うなら、当然昼間よりも夜だ。したがって、今の所成果が上がっていないからと言って、帰るつもりなど全くない。そもそもそれを見越して、今日はマーシェとタンジェスの学校が終わるのを待ってからの出発としたのである。
 そんな彼らに対して、渡りに船の申し出をしたのはジューアだった。とりあえず今夜一晩この男爵館に泊まっていってはどうかと、そう言ってきたのだ。そもそも彼が引きとめたのをきっかけとして、夜になるまで一行が留まることになったという責任がある。
 また、完全に形式的なものとはいえ、ティアが男爵と面会しているため、彼女一向は一応その客人でもある。それを夜に入ってから追い出したとあっては、神官を重んじるべき身分の人間の名誉にも関わる。そのため是非お願いしたい。それほど、むしろ強い勧誘だった。
 遠慮をしても顔を潰す人間を増やすだけだし、不自然でもある。かえって利益がないとの判断が一致して、一向はとりあえず翌朝まで、引き続き男爵の客人となることを承諾した。
 そうなると、通常は色々としなければならない儀礼も出てくる。例えば招いた以上は晩餐を供するのが主の勤めだし、客はそれを受けなければならない。互いに親しいとはいえないこの状況下で、それを強行することは端的に言って双方にとって煩雑な作業となるはずだった。
 もっとも、この場合に限って言えば、この館の特殊事情がむしろ幸いした。
 まず男爵が体調不良を理由に、いち早く欠席を申し出ている。病臥であれば、欠席理由として失礼には当たらない。伝染する類のものであった場合で、もしそれを客人にうつしてしまったら、礼儀どころの騒ぎではないからだ。なお、貴族社会で最も感染力が強いとされているものが「仮病」であるとは有名な話だが、真相をあえて確かめようとしないのも礼儀のうちである。
 そして病人が出たとなると、ヒームも当然欠席だ。実際にそれが必要かどうかについては本人が疑問を呈しているが、しかし神官としての立場上、病気だという人間を放置することもできない。
 さらに身分上、主代理をして不自然ではない最後の人物、ジューアは仕事があるとのことだった。夜間巡回の指揮を取らねばならないという。彼はそれ以上詳しくは語らなかったが、浮き足立っている兵士達だけに任せては置けないとの事情は明らかだった。
 そして、彼らを引き止める理由も、そうしようと切に願う気持ちも、招かれた側は持ち合わせていなかった。結果不在を丁寧に詫びる使いの者に対して、こちらも気にすることはないと、丁寧に伝えただけである。
 ただそれでも食事は出るので、招かれた者達だけが出席するという奇妙な晩餐になった。ヴォートは特段美食家ということもないらしく、食材も調理もその身分としてはごく平凡である。しかし招かれた人間の中にも出された料理を一々講評するような趣味を持ち合わせている者はいなかったため、別段不満は出なかった。
 むしろその顔ぶれで会食をするということが初めてであったため、顔をそろえた多くの人間にとっては予想外に会話が弾むことになる。
「ねね、そう言えばさ。マーシェって何で士官学校に入ったの? 女の子で軍人志望なんて、珍しいと思うけど」
 ある程度当たり障りがない世間話が進んでいた所で、やや唐突に切り出したのはディーである。それまでさすがと評すべき巧みな話術で話題を引っ張ってきただけに、それを止められるものはいない。
 それにしても、物凄い正面突破ね。本人が苦労している可能性が大きい微妙な問題を、真っ向から話題にするなんて。これはもう素晴らしい大胆さだとしか言えないわ。心底無神経なだけとも考えられないではないけれど、少なくともマーシェさんに対してはそうやって接するのが正解だと私も思うし。
 ティアは呆れたを通り越して、むしろ感心してしまった。
「自分は姫君などになるより、騎士になった方が天下国家に尽力できると思ったからだ」
 当人がごく簡単に答える。それから洗練された動作で肉を取り上げて、口の中に入れた。きちんと良く噛んで味わっている。つまり一連の動作に、強がっていると見える様子はみじんもない。
 様々な困難があることは誰よりも自分自身が承知しているし、そしてそれでもやっていく覚悟は十分にある。そうである以上、目標を達成するための努力を苦労とは思わない。そしてそのようなことを素直に考えられる、真っ直ぐな性格だ。そんなありようを考えれば、彼女に対してその問題についての遠慮など、無用のものでしかない。
 先程、タンジェスとジューアが演武をする前の会話の中で、ティアはそれを感じ取っていた。そしてディーは、どういうわけか同じ結論に達しているらしい。
「大きく出たな」
 一方、この中では誰よりも彼女を理解しているはずの学友、タンジェスの反応は微妙だった。一度表情を消してマーシェの反応を待ってから、口を開いている。要するに、様子を見ていた。その意図までは、さすがにティアにも分からない。
「君が概して慎重に過ぎるのだ。我々士官学校生は将来国軍の柱となるべく教育され、そのために少なからぬ国費が投じられている。いずれ国王陛下の片腕となる、その程度の気概がなくして何とする」
 相手の微妙さを知ってか知らずか、マーシェは熱弁を振るっている。対する彼は、小さく答えただけだった。
「分かっているさ」
 強がる様子も、逆に侮った様子もない。彼女の言い分を全面的に認めてはいるが、それについて自分がどう思っているのかが全く判然としない、そんな奇妙な反応だった。
 ただ、それをティアが深く考える暇は与えられなかった。なにしろすぐさま、今度は話題が彼女自身に向けられたのである。
「ティア様はどうして神官に?」
 マーシェがたずねて来る。
 いくらなんでも話の展開が急じゃないかしら。でも、マーシェさんにとっては自分はもちろんタンジェスさんの志も自明らしいから、話題にする気が全くないらしいわね。仕方ないな…。
「それが私の、為すべき務めだと考えたからです」
 自分自身でも珍しいと分かるほどの、即答だ。なぜならそれは、ティアにとって自明のことだったからである。普段黙っている間にしている熟慮の必要など、ことこの件に関しては全く必要ない。
 でもその分愛想がなかったかな? 
 ふとそんな不安に駆られたが、この場合それは全くの杞憂だった。何しろ尋ねた人間自身、自分の進路を決めた理由を即答しているのだ。つまりむしろ、この二人には共通した部分がある。
「なるほど」
 周囲には過剰に思えるほど、マーシェは大きくうなずいていた。分かってくれたのが嬉しくて、ティアも自分なりに大きくうなずきを返す。
 それがきっかけとなって、ティアはその後食事の間中マーシェと二人でおしゃべりをしていた。生い立ちや、それぞれ施療院や学校での出来事など、いろいろなことを話した。
 無論絶対的な口数の多さからすればマーシェの方がはるかに上だったのだが、ティア自身が普段よりはずっと多く、自分からも口を開いていたと感じていた。マーシェの話しぶりに、ごく自然に引き出されたようだった。
「何だね。まあ、それで全てが解決するとは言わないけどさ、同年代の同性の友達もやっぱり必要なものらしいね」
 数的にはまだ多数派でありながら、しかしどこか取り残された観のある男性陣の中で、ディーが苦笑する。そうやって自分たちが評されていると気がつかないほど、ティアもマーシェも自分たちの話に集中していた。
「それが分かっていて、あの話を持ち出したんですか」
 たずねるストリアスに、ディーは満面の笑みを返す。
「そう考えてもらったっていいじゃない。ねえ?」
 そしてすぐさま、タンジェスへ横目を向けた。彼は、ディーがそこまで深い読みをしているという可能性に対して、明らかに懐疑的な顔をしている。
「まあ女友達が必要だっていうのは、その通りだろうな。やっぱり俺達としてはどうしても、男同士ほど遠慮がない訳じゃない」
 とりあえず譲歩するつもりなのか、それとも話題をずらそうとしているのか、ともかくタンジェスはディーの言い分をある程度認めていた。表情は苦笑がちだが、どこかそれだけでは片付けられないところがある。
「そうでしょうね」
 しかしその真意を読む材料も、またそもそもその必要もないと判断したストリアスは、簡単にうなずいて流してしまうのだった。
 一方ディーとしても長々と男だけでむさくるしく話をするつもりもないのか、ひとまず食事に専念し始めた。何故か、喋るときほどには食べる際に口が動かない男で、もそもそと小刻みに食べている。気がつけば、彼の皿に残っている料理が最も多く、取り皿もあまり汚れていない。
 どうやら食が細いらしい。もう一人、会話が途切れたため同様に食べることに専念しているタンジェスを見ていると良く分かる。元来しつけが良いのか学校教育の成果か、ともかく下品にむさぼるなどということはしていない。しかし着実かつ効率的に、盛られた料理を片付けていた。
 …と、食事時に余計な観察をしている時点で、ストリアス自身もディーと同様、食に対する欲求が強いとは言えないたちだった。やはりどこかもそもそと、食べている。
 元来食べることに対するこだわりもなく、基本的に少食な体質である。その上、何か熱中するものがあると文字通り寝食を忘れてしまうのだ。今は茜商会での仕事時間に合わせてある程度規則正しい生活を送っているが、魔術研鑽所にいた頃は相当無茶をしていた。ティアが聞いたら心配を通り越して怒り出すだろう。
 そのようにして、女性陣とは対照的に、さほど打ち解けるでもない男性三人だった。ストリアスは二十代前半、タンジェスは十代後半と、微妙な世代のずれが影響しているのかどうかは定かでない。残る一人、ディーが年齢不詳なのであるいは二人のうちどちらかと年齢が近いのかもしれないのだが、少なくともこの場で、彼に間を生めようという努力、あるいはそうしなくても済む気質は見られなかった。

続く


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