王都シリーズW
王都怪談


 12 果敢な戦士


 多数の人間による敵意ある行動を受けて、一行は王都へ戻ると決めて歩き出した。
 単に逃げ出すのではない。騎士と見られる二人を捕虜とし、その二人に指示されて幽霊騒動を引き起こしたと見られるギイを既に捕らえている。その成果を確保するための決断である。
 その直後、戦闘を歩くマーシェが前を向いたままストリアスに声をかけた。
「敵がこちらの行動を阻止しようとするなら、突破するほかありません。ストリアスどの、あつかましいですけれど期待させていただきますよ」
 数的な劣勢は明らかだから、頼みは数百倍の兵力にも匹敵するという魔術師である。しかし彼は、安請け合いをしなかった。
「ご期待に沿えれば良いのですけれど、私はあまり優秀ではありません」
 確かに魔術を使えば、多数の敵兵を一度に無力化することも可能ではある。ただ、それも無条件にできる訳ではない。敵の中枢あるいは戦力の集中地点を特定し、その上で戦況に適合した魔術を使うためには相応の準備が必要になる。
 そしてストリアスにとって、狙った箇所へ魔力を及ぼすことは難しくない。ただ、狙ってから実際に発動するまでがかなり遅いのだ。先ほどのようにじわじわと迫ってくる敵なら何とかなるが、突撃や奇襲に弱い。
 ただ、この場にはそれを承知している味方がいた。
「弱点は俺たちで補います。あなたは術を使うことだけに集中して下さい」
 タンジェスである。何しろ彼は一度、その弱点を突いてストリアスを倒したことがある。
 あの時は実にあっけなかったわよね…。ストリアスさんには悪いけれど、安易にあてにしないほうが良いのかな。その場にいたティアはそう考えた。
 そしてタンジェスは、具体的な指示を出し始める。
「マーシェ、敵を絶対に近寄らせるな」
「了解」
 概ね同じことを考えていたらしく、マーシェは短く応じた。
「ティア様、法術には矢を防ぐようなものもありますよね」
 ティアもうなずいて、協力できることを示す。タンジェスの意図も理解した。
 例えるなら、私たちの役割は「盾」。味方の中で一番攻撃力のある「剣」、ストリアスさんが能力を発揮できるよう守ることでしょう。
「任せて、下さい」
 タンジェスに対してではなく、ストリアスに向かって念を押す。自信がないらしい彼も、ようやく笑みを見せた。
「分かりました。頑張ってみましょう」
「ボクらは見物だね。危ないから、大人しくしてるんだよ」
 ディーがギイの肩に手を置いて諭す。ギイは相手の素性を全く知らないはずだが、初めて優しい言葉をかけられて安心したようだった。こくこくとうなずいている。
 その言葉を信用すればだが、これで問題児二人がまとめて片付いたことになる。聞いた一同は、半分だけ安心した。残る半分はもちろん、彼の言葉に嘘がないかと危惧しているのである。四人とて彼のことを詳しく知っているわけではないし、これまでの言動は信頼形成の対極とさえ言える。
 その気配に対しては敏感であるらしく、彼は皮肉な笑みを浮かべながら首を振った。自業自得だとは重々承知しているのだろう。
「さすがに、洒落にならないことはしないよ。君たちは目の前のことに集中して。これはただの勘だけれど、どうも今回敵に回したやつは陰湿で、簡単には逃がしてくれない気がする」
「良い勘をしています…当たりです」
 複数の人間が接近しつつある。それをティアは気の力で感じ取っていた。ストリアスがうなずいて、自分も同様に感じられると示す。
「人を見る目が確かなのさ」
 ディーの自慢は、もう誰も聞いていなかった。
「場所が特定できているなら、この際先制攻撃はできませんか」
 そういう性分なのか、マーシェが好戦的なことを言う。ストリアスは難しい顔を作った。
「できないことはないですが、散らばって動いているのでその中の一部しか対象にできません。さすがに範囲が広すぎます」
「魔術に驚いて逃げてくれればいいですが…逆に殺到されると面倒ですね。ひきつけてから一気に片をつけるか、各個撃破するかどちらかになるでしょう」
「迂回路はありませんか。こちらは相手の位置を把握していますけれど、向こうは恐らくまだのはずです。うまく立ち回れば撒けるかも知れません」
 一方タンジェスは退く方法を考えている。状況次第では逃げ腰だとみなされかねない発言だが、ここに彼の勇気を疑ってかかる者はいなかった。ディーとは日ごろの行いが違う。
「王都側一帯に広がっています。難しいでしょう」
 ストリアスの負担を減らすため、今度はティアが答える。後退しても追い詰められるだけだろうし、左右へそれようとしてもいずれ広がった敵と接触するだろう。強引にでも、前に進むしかない。
「分かりました。ティア様、一番近い相手が目視できる距離になったら、その位置と人数を教えて下さい。私が切り開きます。できればストリアスどのは力を温存して下さい」
 相手が捜索のために分散しているのなら、個々の戦力は大きくない。突破を狙っている側にとっては格好の目標だ。マーシェは行動を少しでも速めようと、今から抜剣していた。
 危険だとしか思えないけれど…神官の私が武官のマーシェさんの作戦に口出しできないわね。ティアは仕方なく、ゆっくりとうなずいた。
「無茶するなよ。ストリアスさん、危ないと思ったら迷わずやって下さい。後のことはその時に考えましょう」
「はい」
 ああ、やっぱり危険なんだ。マーシェさんったら私の視線に気づかないふりをしているし。タンジェスとストリアスのやり取りを聞いて、ティアは正直な所そう思った。
 ただ、彼女の意図そのものが完全に否定されたわけではない。そしてこれからそれを改めさせるのには、もう相手が接近しすぎていた。木々が多く見通しが悪いうえに夜間のことだとしても、そろそろ限界だ。
「正面に二人…」
 お互い同じ道を進んでいるらしく、方向にはほとんど狂いがない。
「承知」
 ティアにだけ聞こえるように小声でつぶやいて、マーシェは滑るように走り出した。頑丈な軍靴を履いているはずだが、音はほとんどしない。余程足腰を柔らかく使っているのだろう。
「猪武者め…あまり離れるとまずい。彼女に続いて、抜けますよ」
 苦笑を殺しながら、タンジェスが構えを変えた。必要と判断すれば、彼自身がすぐにでも切り込める姿勢だ。その間にも、マーシェは勢いよくしかし最小限の音とともに間合いを詰める。
「あ、え…? うぐっ!」
 間の抜けた声が、すぐさま苦痛のうめきに変わる。相手を追い詰めようと行動している彼らは、逆に突如襲い掛かられるなどとは想像もしていなかったのだろう。対応が完全に遅れている。成り行きでマーシェを除けば最も前を進んでいるティアが目撃したときには、既にその体は崩れ落ちていた。
「ひっ…!」
 もう一人が息を呑んでいる。これで当面自分たちの勝ちは決まったと、ティアにも分かった。適わないのは明らかだが、それでも大声を上げて味方に異変を知らせることはできたはずだ。
「ふっ!」
 短く、しかし鋭い息とともに、マーシェが返す刀でその二人目を片付ける。鈍い音だったのは、斬ったのではなく平で打ったためであるようだ。つまり殺さずに済ませるほどの余裕が、彼女にはあった。
 あるいは下手に殺してしまって悲鳴や血しぶきの音が出るのが嫌だっただけかもしれないけれど…。まあその可能性には目をつぶっておこう、うん。
 後ろでティアがそんなことを考えているとは当然知らずに、マーシェは彼女たちにも分かる身振りでついて来るように促した。タンジェスも一々解説はしない。彼は彼で、捕虜が逃げないよう牽制をするのに忙しいのだ。結果、全員黙って指示の通りにする。
「お、おい、今何か音がしなかったか?」
「馬鹿、お前変なこと言うなよ」
 やや離れた所から、そんな声が聞こえてくる。どうやら今倒された二人の仲間であるようだが、まだ異変の正体には気がついていないらしかった。やはりそれほど手ごわい相手ではないようだ。ある程度短い距離を保っているのは付近で何かあればすぐに駆けつける備えであるのだが、実際にはそれができていない。
 鼻で笑う。マーシェはわざわざ振り返って、そんな表情を味方に見せた。それに対して全員が、表情だけで返答を返す。
 早く行って下さい…。
 早く行ったほうがいいと思うんですけど。
 早く行け。
 早く行ってよ、もう。
 早く行けよ、頼むから!
 わずかに肩を落として、マーシェはその通りにした。変更の必要もないのでこれまでの順番のまま、ティアたちがそれに続いてゆく。
 倒された二人の傍らを通り過ぎる際、念のためティアは様子に気を配っていた。幸い気絶しているだけで、重傷にもなっていないらしい。もちろん一瞬のことなので確証はないが、例え見立てが間違っていても助ける余裕はなかった。
「俺はそんなことを言っているんじゃない。人間がそこにいたんじゃないかと、そう言ってるんだ」
「いるに決まってるだろう。あのあたりには味方が…いや、敵か!」
 時間を浪費する会話が続いている。鈍い方もどうにか正しい結論に達したが、しかしその声に戦意は感じられなかった。まだ正体の知れていない敵に対して腰が引けている、それが聞いただけで分かる。
 そんな中を、ティア一行とそれに囚われた二人はそろそろと進み続けた。少なくとも捕虜たちには、斬られることも構わず味方に現状を知らせるという覚悟はないらしい。おとなしく、有言あるいは無言の要求に従っている。
「い、行くのか?」
「行くんだよ! それともお前一人ここに残るか」 
「い、行くよ!」
 問答はなおも続いて、ようやく行動が決められる。その時点で既に機を逸しているのだが、その後の対処の仕方も自分たちの失態を取り戻すものではなかった。一応主導的だった方も、駆けつけようとはしていない。恐る恐る近づいているようだ。
 これは、案外簡単に逃げられるかもしれない。追われる側は、そんな感想を等しくしていた。互いに目を見合わせては、うなずいている。二人の捕虜も暗澹たる面持ちで、お互いの顔を見ていた。さらには一瞬だけ周りを見ようとして、自分たちを捕らえている人間と目があった結果うつむいてしまう。
 しかし、さすがにその期待は甘かった。農耕馬とは明らかに違う、律動的な馬蹄の響きが脆い思いを打ち砕いてゆく。
「来たな…」
 ただ、期待と予想とは別のものである。マーシェはそれをよく承知していた。現実としてはむしろ往々にして、起こってほしくない事態こそが発生するものなのだ。それが分からない武官は、隙を突かれて間の抜けた戦死を遂げるはめになる。
「そうですね」
 自分が同意するためだけにが口を開くことは、極めてまれだ。そのことを誰よりもティア自身が良く承知している。ただ、この状態でそうしたのでは自分に背を向けているマーシェには伝わらない。普段なら伝わらないならそれでよいと済ませてしまうのだが、今のマーシェにははっきりと立場を表す味方が必要だと思えていた。
 彼女はやはり、少しだけ驚いたようだ。身じろぎが、振り返りたいという欲求を示している。ただ、そうしては正面から接近する者への注意がおろそかになって、本末転倒だ。結局ティアがするように、小さくうなずいただけで再び正面を向く。
 森の中が辛うじて開けている、そんな程度の狭い道だ。しかもこの夜間に、その馬は巧みに駆けてやってくる。騎手にも相当な技量がなければできない芸当だ。精鋭部隊が常駐する王都であるならともかく、この近辺でそこまでの人物はごく限られる。
 後退すれば先程の者達に遭遇するだけだし、左右も状況は似たようなものだろう。だからマーシェは、敢えて堂々と呼びかけた。
「ジューア卿」
 隙なく身構えて馬を操る騎士、ジューア=ドーク。それが接近してきた馬の騎手だった。
 彼の表情に、動揺はない。ただ、応じるまでには若干の間が合った。
「マーシェどの、これは…」
 すばやく視線を走らせて、当初のティア一行に三人が加わっていることを確かめている。彼がそれについて何か話そうとする間を、マーシェは与えなかった。
「閣下もご存知のこちら、タンジェス=ラントを殺害しようとした曲者二名を捕らえました。また、何者かに唆されて一連の事件…いや、悪戯をしていたと見られる少年を保護しております」
 機先を制して、状況を説明して自分たちの正当性を主張する。意図を察したティアが、すぐに口ぞえした。
「誓って、真実は、マーシェさんとともに」
 神官の誓約は絶対。「何々にかけて」と明言しなくても、それは信仰をかけること。だから信仰を重んじる、まじめな騎士ならば神官がそう言っているのを軽々しく否定することは絶対にしない。後ろ暗い所がないなら、まず話を聞こうとするはず。でももし、そうでないなら…。
 ティアはじっと、ジューアを見据えた。
「曲者だ、出会え!」
 反応しない、それが返答だった。聞こえていないはずがない。それでも彼は、敢えて聴かなかったことにしたのだ。
 理由はただ一つ、聞かされた事実そのものが、彼にとって不利益だったからだ。捕虜となっている二人は、他ならぬジューアの指示で動いていたのだろう。つまり彼こそが、少なくともタンジェス殺害未遂の主犯であると思われる。
 マーシェは始めから彼を疑っていたのだ。だからまず先手を取って様子を見ている。反応を待って問題なければそれでよし、あれば覚悟を決めるだけだと考えていた。少なくとも相手に遅れをとって、その流れに乗せられることだけは避けようとしていた。
 一方ジューアも先手を取られたのを嫌ったのだ。マーシェとティアの言い分、そしてそれに基づいた行動を認めてしまえば、いずれ自分が主犯であると発覚することになる。
 その前に、殺す気なのだ。自分は聞かなかったことにして、証人の口をまとめて封じることにしたらしい。
 思っていたよりずっと、たちが悪いわね…。こうなったら、やるしかない。
 ティアは怒りを敢えて抑えようとはせず、ただそれを安定させることに心を配った。感情の高ぶりは術に力をもたらす反面、安定はそいでしまう。それに注意しているのだ。
「何を言われるか! 一連の騒動を起こしていたと見られる不埒者どもを捕らえた我々を曲者呼ばわりとは、いかなるおつもりか!」
 マーシェが怒鳴り返す。ジューアに話を聞くつもりがないことなどは百も承知だ。ただ、事実を彼の部下たちに伝えることで、動揺を誘おうとしているのである。
 さらに使っているのは口だけではない。隙あらば彼を倒して、一気に駆け抜けてしまおうと身構えている。どうやら今の所、そのさらに先に敵の兵士はいないようだった。
 ただ、相手は先程の二人と異なり、そう簡単に抜けさせてくれるような弱兵ではない。タンジェスと互角以上に渡り合った男だ。無理をすれば一撃の下返り討ちということもありうる。特に今手にしているのはマーシェの長剣よりもはるかに長い騎兵槍で、斬りかかれる位置まで飛び込んでゆくだけでも大きな危険を伴う。
 これは自分が加勢すべきかもしれない。一時は二対一になるが、敵はさらに多勢で包囲しようとしているのだから、決して卑怯な行いではない。タンジェスはそう考えたが、結局断念せざるを得なかった。
 捕虜の二人を放置できない。一応後ろ手に縛ってあるが、つれて歩くために足は自由にさせてあるためだ。見張っていないと、有力な味方が現れたのに乗じて体当たりなどを食わせてくるおそれがある。
「黙れ! 貴様が不埒などと口にするのもおぞましい。我が同胞に故なく縄を打った報いを、必ず思い知らせてやる!」
 そしてジューアは、怒声で応じた。そうしながらも、マーシェが打ち込んでゆく隙を与えていない。彼女が進めば退き、退けば自らが進む。その微妙な距離を保って、彼女はもちろんそれに続く人間が突破しようとしているのを完全に封じている。彼としては多数の味方が追いつくのを待てばよく、無理をして戦いを急ぐ必要はない。その余裕を実にそつなく活用していた。
「なるほど、良く分かりました…」
 マーシェの声が、わずかに低くなる。しかしそれが失意の表れではないと、味方には伝わっていた。
 タンジェスが、そっとつぶやく。
「ストリアスさん…」
 言いたいことは良く分かっている。彼についてはもちろん、直接は何も言っていないマーシェに関してもだ。
 だからこそ、ストリアスは返答しなかった。ただ、その分の余力も合わせて、自分の為すべきことへ集中する。
 魔力を高め、収束し、そして目標へと…。
「行けっ!」 
 ジューアはマーシェと睨み合っている。そこへ向けて、ストリアスは蓄えた力を放出した。衝撃波が宙を走る。直撃すれば少なくとも気絶は免れない、そこまでの力を込めていた。相手が頑強な人間であると承知していなければ、殺してしまう危険を考慮しなければならない所だ。
「ぬうっ!」
 体をのけぞらせて、ジューアはその恐るべき攻撃を回避する。自分の攻撃が成功しなかったことに、しかしストリアスは失望していなかった。直撃させればもちろんそれに越したことはないが、かわされることもある程度計算のうちだったのだ。
「しゃあっ!」
 マーシェが飛び込む。ジューアが自分以外の敵に気を取られている。その間を突く攻撃だった。つまり逆に言えば、ストリアスはその時間を稼ぐために、ジューアに対して攻撃を仕掛けたのである。
「なめるな!」
 しかし、彼の槍捌きが二人の思惑を打ち砕く。マーシェが振るった長剣は、彼の槍によって見事に止められていた。火花が二人の顔を照らす。
 その後も彼女は諦めずに隙を探ったが、ジューアがそれを許すはずもない。複数回の攻撃を、彼は完全に防ぎきった。
「分かっていたのだよ、その男が魔術師であるということは。承知していれば恐れるほどのものでもない。無駄な抵抗は止めろ!」
 突破できない間に包囲が完成しつつある。やはり警備部隊の兵士たちだ。一連のやり取りは聞いているはずだが、さすがに今日会ったばかりの人間よりもジューアの言うことを信用しているらしい。恐る恐るではあったが、少なくとも命令には従っている。
「さて、無駄な抵抗でしょうか。何しろ魔術師です。これだけの人数でも、一度に方をつけますよ」
 マーシェが不敵な笑みを見せる。元来錬度が低く、勇敢とはいえない兵士たちの間に明らかな動揺が広がった。しかし、ジューアに対しては効果がない。
「やれ!」
 時間を浪費せずに指示を出す。彼はストリアスの魔術がとっさに使えるものではないと察していたのだ。しかも近づいて攻撃するまでにある程度かかる槍兵ではなく、弓兵に攻撃を命じていた。
 複数の弓、それも様々な方向から矢が放たれる。マーシェやタンジェスなら自分に向かってくるものは切り払うかかわすかできるが、他の人間をかばっている余裕はない。
「わあっ!」
 悲鳴を上げて、ギイがうずくまる。本来の味方から射掛けられる羽目になった捕虜二人も、声こそ出さなかったが同様にしていた。立っているよりは的になる面積が小さくなり、避ける方法としてはある程度合理的なのだ。
「賢明な判断だけれど、大丈夫。お見事お見事」
 一方ディーは平然と立って拍手までしていた。実際、掠めた矢すら一本もない。ティアの術で、全て防がれたのだ。中空で何かの壁に当たったかのように弾かれ、周囲に散らばっている。
 法術の効力を維持するため、ティアは集中を続けている。そのためいつものように、言葉はない。ただ、軽く笑って見せた。
「残念でした。体当たりなら突破できるかもしれませんが、彼らにそれができますかな。教育が悪かったらしく、ずいぶんと腰抜けぞろいですよ」
 一方マーシェは、ジューアに皮肉たっぷりの笑みを見せる。彼が兵士たちを教育する役割を任されていたのだから、痛烈な罵倒だ。全くの事実であるので、さすがにとっさに言い返せない。
 だが、そこへ思わぬ所から味方が助け舟を出した。
「そっちの男は手負いだ! 今ならやれる!」
 伏せたままの捕虜だ。兵士たちはジューアと互角に近い腕を持つタンジェスを、過剰に警戒している。複数でかかれば勝てるとは分かっているのだが、しかし先頭を切った結果最初に殺されるのが嫌で、結局誰も動かないのだ。その臆病さを何とか解消させている。
「うおおおおっ!」
 雄叫びとともに、タンジェスの正面にいた兵士が突きかかってきた。対するタンジェスの動作はゆらりとした、力強さを感じさせないものだ。唸りを上げた槍先を、流れるような体さばきでかわす。
「あ、こら!」
 ディーが非難の声を上げる。兵士がそのまま進めば、切り札であるストリアスを攻撃できる位置に入る。避けるのではなく防がなければ、意味がない。それは他ならぬタンジェス自身が言っていたはずだ。
「手負いだからね。手加減できないのさ」
 しかし彼は意に介さない。そして長剣を軽く一振りして、その先についた血を払った。比較的勇敢だが、しかし技量の伴わなかった不幸な兵士が倒れ伏す。タンジェスはすれ違いざまに、胴をなぎ払っていたのである。
「さあ…次に死にたいのはどいつだ」
 睨むと言うには冷たすぎる視線で周囲を見渡す。技量だけでなく、修羅場をくぐった数が違う。その事実を、兵士たちは語られるまでもなく思い知らされた。
「何をしている! もたついていれば魔術を受けることになるぞ。一斉にかかれ!」
 ジューアが再び命令する。確かにその通りだが、しかし皆動く決心がつかなかった。逃げる、という選択肢もあるのだ。
「お待たせしました!」
 それに、最早手遅れだった。恐らく敵のほぼ全てをひきつけている。先程ジューアを攻撃してからしばらくたっており、魔力を集中させる時間も十分にあった。発動させる条件は完全に整っている。
「わあっ!」
 危険を察した複数の兵士がとうとう逃げを打つ。しかしストリアスは、その彼らも含めて術を放っていた。申し訳ないとは思うが、とっさに特定の人間を除外するような器用な真似はできない。
 地面が灰色に変色し、それが急速に広がってゆく。その広がりは、そこに立っていた人も草木も無差別に飲み込んだ。足元から這い上がり、腰の辺りにまで達する。飛び上がって逃れようとするものもいるが、人間である以上いつまでも飛んでいられるはずもない。着地した瞬間に、術の威力に飲み込まれる。
「ええいっ!」
 ジューアも何とか馬を操って逃れようとしたが、無駄な努力だった。騎乗していたので彼自身には効果が及ばなかったものの、その馬が完全に捕らえられていた。
「あ、足が、足が!」
「動かない、助けてくれ!」
 悲鳴が上がる。もがいても足が全く動かない。何かに捕らえられたというよりは、術の影響を受けた部分がそもそも動く機能を失ったようだった。ジューアの馬もいなないて身じろぎしたが、位置は変わっていない。
「動かないほうがいい。そのまま術の効果が切れれば無傷で元に戻る。しかしもし、その前に無理をして『壊れて』しまえば、僕には直しようがない。安定が悪くなるから、武器も捨てたほうがいいな」
 不必要に人をあやめたり、傷つけたりするつもりはない。だからストリアスは忠告した。そもそもそのために、いくつか考えられる魔術のうちから今のものを選んだのである。相手の恐ろしさを思い知ったので、兵士たちもおとなしくまだ動く手で武器を捨てている。
「硬化術か…」
 タンジェスがつぶやく。ストリアスが物質の加工を得意とする魔術師であると知っているため、どのようなことをしたのか理解したのだ。強度を高める術の応用である。人体は柔軟な筋肉によって動いているので、それを固めてしまえば行動を完全に封じられる。
「というより、石化魔術だね。古の魔術師の怒りに触れた人間は、生きたまま石像にされたって言うけれど…ここまでまとめてできるとは、大したもんだ」
 そのあたりにも詳しいらしいディーが賞賛する。魔術を見てもあまり驚かないのは、恐らくその知識のせいだろう。
「それほどでもありませんよ」
 答えは謙遜ではなく、本心である。ディーが言っているのは人間を完全に石に変える危険な高等魔術で、莫大な魔力を要する。一方今自分がやったのは仮に固めているだけなので、極端には難しくない。効力さえ切れれば無傷で戻るのもそのためだ。表現としてはタンジェスのほうが正確である。
 それに、先程同様異常なほど効きが良かった。動きさえ封じられれば良いので膝まで術をかけるつもりだったのだが、実際には腰まで及んでいる。
 加減を間違えれば全身拘束してしまったところだ。それ自体無害であるとはいえ、固定が心臓や肺を圧迫してしまうとさすがに危ない。先ほどはそんな場合ではないといわれたが、原因を追究したほうが良さそうだ。
 ただ、そのための時間が取れない。マーシェがやや不安そうに質問した。
「しかしこれでは、威力が強すぎるのではありませんか。我々もこの外へは歩けなくなってしまいます」
 無論ストリアスは味方のいる辺りを避けているが、それ以外の地面は完全に石へと変わっているように見える。見ている限りではそこに触れると術の効力に捕まるようなので、進むことができないように思えた。ジューアも騎乗したまま、どうすることもできずにいる。
「ああ、とりあえずもう、触っても大丈夫ですよ。発動は終わっていますから」
 口で説明してもにわかには信用されないだろうとは自分でも分かるので、ストリアスは石化したような地面に自ら足を踏み入れた。感触は変わっているが、特に問題なく歩ける。
「なるほど。しばらくはもちますね」
「ええ。ただ、あまり長時間になると魔力が尽きてしまいますし、こうしている間は他の術が使えませんから」
「話をつける時間だけいただければ大丈夫です」
 簡単に言ってから、マーシェはジューアに向き直った。ストリアスは自分が言ったとおり術の効果を維持するのに専念しているし、ティアはタンジェスが斬った人間の手当てを始めている。そしてタンジェスは、先程声を上げたこともあるので相変わらず捕虜を見張っていた。残りのディーとギイは始めから戦力外だから、ジューアに対処できるのは今彼女一人だ。
「形勢逆転、ですな」
「左様な台詞は勝ってから言うものだ」
 ジューアは役に立たなくなった馬を下りる。徒歩で使うには大きすぎる騎兵槍も同時に捨てた。代わりに長剣を抜き放つ。
「最早我々の勝ちですよ。我々の任務は幽霊が出るなどという噂を流した犯人を突き止めることですのでね。何を焦ったかは存じませんが、こうして馬脚をあらわしていただいたおかげで片がつきました」
 動機や犯行の手口など不明な点はいくつかあるが、それも主犯の身柄さえ押さえてしまえば問題はない。立場から考えて、彼以外に首謀者がいるとは考えにくかった。マーシェにしてみれば、犯人を突き止める調査が省略できてむしろ好都合とさえ思える。
「手口がばれそうになったからさ。ギイの件もそうだけれど、例の墓地入り口の突風も仕掛けが大体分かったよ」
 後ろから口を出したのはディーである。ジューアの顔色が変わるのを見て、にんまりとしながら続ける。
「ああいう突風が吹くような地形なのさ。模型を作れば簡単に分かる。墓が大幅に増えて地形が変わったおかげで、そうなったんだろう。さすが魔術師、一発で見抜いたよ」
 ストリアスがそこで模型を作ったのは、それを確かめるためだった。奥でのわずかな空気の揺らめきが、急激に収束されるような構造になっていたのである。
 さらにディーが続ける。
「それだけ知っていれば後は簡単なこと、わざと臆病な兵士をあそこの巡回に出したり、何かおかしいと言って自分から出向いたりする。その一方で幽霊なんていやしないと言い張って、祈祷なんかをさせなければ不安は急速に拡大する。この辺の演出は、ボクに言わせても中々見事だよ」
 下半身を固められているとはいえ、周囲の兵士たちは聞く耳を持っているし、首から上であれば問題なく動く。その状況下で、彼らは顔を見合わせていた。指摘されてみれば、思い当たるふしは確かにある。
「ええい、惑わされるな! 怪しげな魔術師とその一党の言うことを信用する気か!」
 ジューアが怒鳴るものの、その魔術師に捕らえられている以上素直にはいとも言えない。返答する者はいなかった。
「まあ、別にこの場で白黒をはっきりさせる必要もないでしょう。王都の法廷で、ゆっくりすれば済むことです」
 あまり長く話していると、ストリアスが魔術を維持できなくなる可能性がある。そう判断して、マーシェが切り上げさせた。後は実力行使でジューアを捕えるだけだ。剣を掲げて、決闘の礼をする。
「調子に乗るなよ、小娘」
 同じ動作で応じながら、ジューアが吐き捨てた。それが彼の余裕のなさの表れだと、マーシェには分かる。
「品がないですな、閣下」
 だから笑って、返事を返した。相手を侮っているつもりはない。むしろ逆、十分に危険な敵だと承知しているから、挑発して冷静さをさらに奪おうとしているのだ。戦うと決めた以上は必ず勝つ。それがマーシェの信条だし、また騎士の心得でもある。命を懸けるのだから、負けてよいと言うことは決してない。
 舌戦では自分が不利。それを察したのか、ジューアはこれ以上口を開かず身構えた。タンジェスとの手合わせの時とは武器が異なるとはいえ、自分が彼女に対してある程度手の内をさらしている点で分が悪いとも自覚している。
 マーシェもさらにたたみかけはしない。これ以上何か言う材料がないのだ。根拠のない罵詈雑言を意に介するほど程度が低いとも思えない。後は、力と技で勝敗を決するのみ。
 気迫の篭もった睨み合いが戦いへと激発する。そのわずかに一瞬前、不意に声をかけるものがあった。

続く


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