王都シリーズW
王都怪談


 13 神官たち、そして…


 マーシェとジューアが対峙する。犯人を逃す気のない前者と、真相を知った人間の全てを亡き者にしてもみ消す後者とでは、最早戦闘を回避できない。
 そう思われたその瞬間に、割り込むものがあった。
「お止めなさい…」
 少しでも緊張感をはらんだ声であったならば、その瞬間に二人とも敵に飛び掛っていただろう。目の前の敵に集中している戦士にとって、言葉の意味など関係ない。
 しかし、それはあまりに、ある意味間の抜けた響きだった。張りを全く欠いて、聞いた瞬間気が抜けてしまう。マーシェもジューアも、互いがとっさに戦意を失ったのを確かめてからひとまず剣を下ろした。
「ヒーム様…」
 ジューアがつぶやき、マーシェは黙然とその方向を眺めやる。そこに立っていたのはジューアの主であるヴォート男爵と親交の深い神官、ヒームだった。
「何が原因かは存じませんが、そうして争われれば血が流れるのは避けられますまい。悪いようには誓って致しませぬゆえ、どうかここは剣をお引きください。それなる魔術師殿も、どうか…」
 あくまで落ち着いた声で呼びかけながら、ゆっくりと進み出る。やがてその足はストリアスの魔術の影響を受けた箇所に達したが、彼には恐れる様子もなかった。硬い音を立てて、近づいてくる。
 それに応じて、ジューアがまず剣を収める。それを見てやむを得ず、マーシェも同様にした。武器をしまって戦意のないことを示した相手に対して、なお自らは武器を振りかざすのは道義にもとる。
 そうなると、次に行動の選択を迫られるのはストリアスである。ヒームを信用して要求を聞くなら、魔術を解かなければならない。しかし一度解いてしまうと、最初からやり直しになってしまう。その間に自由を取り戻した兵士たちが襲い掛かってきたならば、抵抗のしようがない。
 神官である彼が「誓って」と言っている以上、むげにはできない。思案のしどころだ。ただ、結局その時間は与えられなかった。
 すっと、ヒーム同様気配を感じさせずにストリアスの前に進み出たものがいる。身分も同じ神官、ティアである。
「私が」
 白い長衣と前掛けが、血で染まってまだら模様になっている。無論彼女自身に傷ついた様子はない。それが、これまで彼女が何をしていたのかを無言のうちに物語っていた。敵味方を問わず、負傷した人間の手当てを続けていたのだ。



「あなた様も、お仲間におっしゃって下さい。これ以上の争いは無益です」
 夜の中で淡く輝くような純白の神官衣をまとった男が、ささやくように言う。絹地だろうと、ティアは思った。
 一方彼女自身のそれは、色は同じでも木綿のそれである。血に染まっていない部分も、間近で見れば荒れた痕跡を判別できるだろう。汚れるたびに、その跡を残さないほどの清潔さを保つために、繰り返し丁寧に洗っているからだ。生地の痛みが早いのは止むを得ない。
「何故でしょう」
「は…」
 使ったのはごく簡単な言葉だったし、発音もごく明瞭だ。しかしそれでも、ヒームは意味を取り損ねている。それに構わず、ティアは続けた。
「命を懸ける以上相応の理由はあるはず。それを何故、そうも簡単に止めろとおっしゃるのですか」
「いや、別に簡単だとは思ってはいないが、まず話し合いを…」
 ヒームにとっては何より予想外の事態だったのだろう。言葉がよどむ。そこに乗じて、ティアは柄にないと分かっていたがたたみかけた。マーシェやディーの話ぶりを聞いて、覚えたのである。
「甘いお考えしかなさらないのですか。それとも、ジューア卿を含めて皆安易に殺し合いをすると思っていらっしゃるのですか」
 慣れていないのでとりあえず思いついた順に言ってみる。しかし、ヒームは反論しなかった。
「そうでなければ、何故」
 息が切れた。話す調子が元に戻る。それに答えたのは、もちろんヒームではなかった。
「止めさせること…特に僕に魔術を止めさせることが、ヒーム様自身にとって利益になるから、ですね」
 ティアが黙ったならそれを補ってくれる、ストリアスである。ティアは全員に見えるよう、やや大きめにうなずいた。
「わ、私が誓ってと申し上げたことを…」
 自分自身が侮辱されたことよりも、信仰という神につながるものを汚された衝撃に、ヒームは体をわななかせているようだった。しかしそれを見ても、ティアは揺らがない。
「そして、何故。その術の準備を?」
 ヒームの顔つきが変わる。その瞬間、ティアは飛び出していた。
「破魔光陣!」
 どこか得体の知れない神官の手が翻る。それと同時に、ストリアスによって石に変えられていた地面に亀裂が生じ、光が溢れ出した。稲津さながらにめまぐるしく方向を変えながら、やがてそのストリアスへと集中する。
「させない!」
 そのとき口をついて出たのは祈りの文言ではなく、そしてそれを集約した法術の名称でもなく、ただ、彼女自身の意志を表した言葉だった。
 ストリアスとヒームの間に割って入ると同時に、持てる力の全てを解放する。彼女自身から放たれた光が、地割れからの光と衝突する。
「うわあっ!」
 しかし、その背後でストリアスが苦痛の呻きを上げていた。ティアはストリアスに襲い掛かったものを、完全には減殺できなかったのだ。
「ス、ストリアスさん!」
 ティアが言いよどむ。それが実は極めて稀なことであると、一体何人が気づいただろう。元来口数が少ないし、その分話すと決めたらはっきり言うことを心がけているためだ。
 ただ、彼女は振り返ろうとはしない。もしそうしたら、その隙を突かれると分かっているためだ。今は彼を信じるしかない。
 そしてストリアスは、苦笑交じりの声を上げた。
「こちらの魔力に反応して攻撃する術を使うとは、やるじゃないですか…。とか、言えばいいんですよね、こういう時は」
 しかし息が荒い。その上柄にもなく、下手な冗談を言っている。ティアが珍しく動揺していると察して、強がっているのだ。それだけに、何らかの痛手を負っているのは明らかである。
 ヒームが使ったのは、魔術師に対抗するための法術の一つである。魔力を逆用するので、それが強ければ強いほど与える損傷も大きい。魔術師に対する畏怖ゆえに、神官の法術にはそれに対する攻撃に特化したものがいくつかある。それをティアはもちろんストリアスも承知していた。
 ただ、その魔力は衰えていない。むしろ高まりつつあり、それに影響された草木がざわざわと悲鳴を上げている。彼自身にも今の所理由が定かではない、大地の良好な反応を完全に取り込んでいた。ストリアスは、追い詰められたときにこそ発揮される強靭さを持った人間なのだ。ティアはそう理解している。
「はい。後は、お任せを」
 護る必要はあるが、しかし余計な心配は無用だ。そう覚悟して、ティアはヒームに相対した。
「最早問答は無用」
 何よりも先ほどまで「話し合おう」なんていっていたあの人自身が、仕掛けてきた。いくら平和を愛する神官でも、今戦わないのは単なる惰弱でしかないわ。
 ティアは覚悟を決めた。
「そのようで…」
 むしろ一見した所感じのよさそうな微笑を浮かべながら、ヒームもティアに向き直った。最終的な目標がストリアスであることに変わりがないとしても、まずティアを排除しなければそれが達成できない。そう判断したのだろう。
 その一方で、当然の成り行きながら対峙していたもう一組にも緊張が高まる。
「水を差されましたが、まあ、どうということもないようですな」
 苦笑とも嘲笑ともつかない、あいまいな笑みを浮かべながらマーシェが改めて剣を抜いた。戦うなと言っていたヒーム自身がティアと戦闘状態に陥ろうとしているのだから、もう大人しくしている理由がないのだ。
 ジューアには言葉も表情もない。うかつに現れたあげく懐柔に失敗したヒームを苦々しく思っているのか、あるいは彼の参戦に勝機を見出しているのか、判然としなかった。
 ただ、応じて抜剣したのみである。
 神官同士、そして武官同士がそれぞれ一対一。今さら割って入る者もない。誰もがそう思っていた…ただ一人を除いて。
「悪いな。邪魔をさせてもらう」
 重さを感じさせない言葉が宙を舞う。それにつられるように、空気が揺れていた。
「え…ええっ!」
 マーシェが振り返ろうとして、そして慌てて向き直る。その眼前を鋼鉄の刃が通り過ぎていった。やがてジューアの前の地面に突き刺さる。狙っていたのか、ちょうどひび割れた部分だった。落下の反動を吸収しきれず、木製の柄がぶるぶると震えている。
「や、槍を刺す奴があるかあ!」
 とんでもない物を使って割り込んで来た奴がいる。しかもそれは、マーシェにとってこの場で誰よりも信頼している人間だった。別に見なくとも分かる。刃が鋼鉄でできた槍を、マーシェの上を通り越して投げ落とせる腕力を持った人間など、ごく限られるのだ。
 だから遠慮なく、髪の毛を逆立てる勢いで怒鳴る。最後には半ば声が裏返って、彼女にしては珍しく耳に痛い声だった。相手は当然、タンジェスである。
 嘘でしょ…。
 ヒームと対峙しているティアでさえ、一瞬唖然としてそちらを見てしまった。
「済まん。他に方法が思いつかなかった」
 全く反省していない顔で、彼は進み出てマーシェに並ぶ。手には二本目の槍があった。先程投げたもの同じく、出所は先程ストリアスが兵士たちに捨てさせたものだろう。
「君は…」
 持ち物を見て、マーシェの怒りが急速に引いてゆく。今持っているのは当然ながら彼自身が使う分、そして放り投げたのは、ジューアに使わせるためのものだ。つまり、先に館で行われた手合わせの再現をしようというのである。
 ティアは大きく眉をひそめた。
 無謀だわ。さっきはジューア卿が勝っているし、今のタンジェスさんは失血で体力を消耗している。誰よりもまずジューア卿が戸惑ってるじゃない…。
「手負いと聞いたが、戦場で手加減を期待しているのなら、その甘さは命で償うことになるぞ」
「そうやって能書きを並べるのも、戦場ではないでしょうに」
 タンジェスが構える。問答無用とはまさにそのことだった。踏み込んで、殺せる間合いに入る。
「君は後ろの二人の見張りを頼む」
「止めさせてください!」
 マーシェが彼の依頼に反応する前に、ティアは大声をあげていた。性格が逆転したかのように、マーシェが応じる。
「できません」
 結論を述べただけで、一切説明をしない。しても理解はされないと確信しているのだろう。ただ言われたとおりに後退して捕虜二人の背後につく。
 それが騎士の決闘…雪辱は自分の手でするしかない。第三者が妨害することはもちろん、手助けをすることも許されない。そう考えるしかないのかしら…。
 ティアとしてはそう、想像するだけである。
 敵の間で話がついた以上、ジューアは挑戦に応じるほかない。何か言おうとしても言い返されるだけだろうし、抵抗しなければそのまま殺されかねない。目の前の槍を引き抜いて、構えた。
「ティア様は余計なことを考えずに、そちらを」
 最後にそれだけ言って、タンジェスはやや構えを変える。相手の武器が変わったのに合わせたためだ。これで双方とも、完全に戦闘状態である。
 心配をするな、とは言わなかった。そうされても仕方がない、とは重々承知しているのだろう。
 こうなったら一刻も早く目の前のヒームを片付けて、不測の事態に備えられる態勢を作るしかないわね。
 そう考えてすぐさま、ティアは行動に移ろうとした。
「光破流撃!」
 神の意志の具現である、光が湧き上がる。ティアの目の前で。そしてそれは、硬化した草木をなぎ倒しながら迫ってきた。
 彼女より先に、ヒームが仕掛けてきたのだ。その術の破壊力は、誰よりもティア自身がよく承知している。戒律で殺人を固く禁じられている神官が使う術としては、信じられないほど強力だ。無防備に直撃すれば、即死を免れない。
「はあ!」
 今から防御の術を講じていたのでは間に合わない。そう判断したティアは、迷わず今まで準備していた攻撃のための術を叩きつけた。相手の術が向かってくる力に正反対の力を加えることで、破壊力を相殺するのだ。
 湧き上がった光が、ティアの目の前で迫り来る光と衝突する。同じ光の神に仕えているはずの二人が放ったものは、相容れることなく激しく噛み合っていた。そこから弾き出された余波が、石化した地面を穿つ。攻撃型の術同士であるため、そもそも完全な無害化は不可能なのだ。
 術の種類は同じだった。結果、効果の優劣は術者の力量をそのまま反映することになる。もし負ければ、その方が相殺し切れなかった力の全てを叩きつけられるだろう。
「くっ…!」
「むう…」
 やがて衝突が爆発に変わる。その時点で残されていた破壊力の全てが、周囲に拡散した。
 ティアの細い体が、その煽りで大きく揺れる。しかし何とか、倒れずに踏みとどまった。
「互角…」
 袖を軽くゆすって乱れを直しながら、ティアはつぶやいた。
 攻撃型法術としては中級程度。見習いが使えるほど生易しくはないけれど、奥義にはまだ遠い。私がそうしたように、私くらいの力を持っているなら、まず間違いなくこの術よね…。
「術自体は、そうでしょう。しかし今は、あなたの方が近かった…」
 ヒームも否定はしない。ただ、彼は現状を冷静に指摘していた。
 互角の威力でも、術の発動はティアの方が一歩遅かった。結果、爆発は彼女の至近で生じている。とっさに自分自身で気づいていなくとも、肉体的な損傷や疲労が蓄積されている可能性が否定できない。
「この程度で」
 ティアは微笑する。
 マーシェさんのやり方だわね、と自分自身で思えた。
 弱い部分は絶対に見せない。詳しい診断は他人にしてもらわなければ分からないけれど、無傷である可能性も十分にあるんだから。
 でも、明確な打開策がないのも事実だわ。もっと強い術も知らないではないけれど、私の手に余る可能性が高いし、使った経験もないから制御できる自信がない。失敗したら完全に無防備になって私の負け。最大限でも今と同じ程度にしておいたほうが無難だけれど、それでは多分相手の防御を崩せない。
 そうなると肉弾戦は…難しいわね。一応神殿武術を習ってはいるけれど、才能がないのは証明済み。人一倍がんばった結果でひどい有様だったわ。相手がそれにどれほど通じているか分からないけれど、男性で自分より体格も良いから、多分腕力もある。不得意な武術でやれるとも思えないわね。
 勝つためには…頭を使うしかない。
 ティアはそう結論付けた。
「はっ!」
 即座に術を使う。拳大の光球が、ティアの手からヒームめがけて放たれていた。威力は弱いが、準備に時間のかからないのが利点だ。
「そんなもので」
 薄笑いを浮かべながら、ヒームが手をかざす。光球は彼に触れる前に見えない壁に阻まれ、飛び散った。とっさに防御の術を使ったのだ。元来攻撃よりも防御の術を得意とする神官にとって、その程度は難しくない。
 ティアも神官であるからそれは承知の上である。問題はその後だ。相手にいつまでも笑っていられる時間など与えていない。
 彼が息を飲む音は、術と術とがぶつかり合う異音にかき消される。同じ術を、ティアは続けざまに放っていたのだ。それも一度目は気合の声を上げ、二度目は完全に無言だった。敢えて一撃目を防がせ、それに油断した所へ二撃目が襲うよう仕掛けたのである。
 しかし、結果は変わらない。確かに油断はあったようだが、それでもヒームの防御の術を破るには至らなかった。拡散した光が周囲を照らす。
「えい、姑息な…」
 ヒームが非難するが、ティアは意に介さない。戦う以上は駆け引きも当然のことだ。それに、今は反論以外に精神力を注ぐべきことがある。
 さらに立て続けに三度、ティアは同じ術で攻撃した。狙う箇所まで同じ、防御の術を局所的に弱めて、突破しようとしているのだ。光の力同士がぶつかり合い、周囲を真昼のように照らす。
「はあっ…」
 しかし、そこまでだった。急速に翳ってゆく中でティアが荒い息をつき、肩を揺らす。消耗した精神力が、体力にも影響し始めているのだ。通常、五度も立て続けに術を放ったりはしないものである。
「そこだ」
 そしてヒームの防御は健在である。この機会を待っていた彼は、再び攻撃の術を放った。光の奔流が、ティアの細い体を飲み込む。
「ティア様!」
 マーシェが叫ぶ。同時に反射的に剣を鳴らしていたが、そこへ返答があった。
「まだまだ!」
 右腕で体をかばいながら、マーシェを安心させるためにティアが叫ぶ。とっさに、自分一人を辛うじて包める程度の術は使えたのだ。
「はああっ!」
 そしてヒームの術の効力が切れるなり、六度目の光弾を放つ。今度は彼の攻撃によって生じた隙を狙ったのだ。息が切れているのは確かだが、余力を全く失ったわけではない。
「ええい…」
 両手を正面で交差させながら、ヒームが同じく術を使って防ぐ。その結果に変わりはなかったが、弾かれた位置は先ほどよりかなり彼に近かった。
「はあ、はあ…」
「ふう…はあ…」
 二人とも、それ以上攻撃の手段を見出せず息をつく。ティアはもちろん、出力の大きい攻撃術から急速に防御の術に切り替えたヒームの消耗も、少なくなかった。
 ここまでの間、もう一方で対峙しているタンジェスとジューアは一歩も動いていない。うかつに攻撃すればその瞬間に反撃されて葬られる、それを双方警戒しているのだ。森の中でただでさえ足場が悪い上、ストリアスの魔術のために草まで硬質化している。さらに夜間でそれが視認しづらく、何につまづくか分からない。攻撃が思ったとおりに行くとは思わないほうが良いだろう。
 しかし、いつまでも睨みあってはいられない。両者とも、できれば早期に決着をつけて同様に戦っている味方に加勢したいのだ。
 先に動いたのは、タンジェスだった。光の乱舞が途切れて闇が急速に勢力を取り戻す、その一瞬を狙って仕掛けた。足場への不安はさらに強まるが、それ以上に攻撃を受ける側にとっては敵の武器が見えにくくなる。
「てえいっ!」
「何の!」
 うなりを上げた槍先を、ジューアの槍が払いのける。タンジェスはその反動に逆らわず、槍を反転させて石突で打ちかかった。しかし槍術の変化としてはごく基本的なもので、ジューアがそれを読むのは難しくない。技の切れも負傷しているという割には落ちていないが、しかし逆に言えば先程以上のものではなかった。
「甘いな!」
 柄で軽々と受け止めて、弾き返す。相手は槍での勝負に固執して力量の読みを見誤った、そう確信できる。
「そうかな?」
 むしろ不思議そうに、タンジェスが聞き返す。いつの間にか彼の右手は槍を離れており、腰の剣にかかっていた。
「な!」
 それ以上言う間を与えない。タンジェスは抜剣をそのまま斬撃につなげた。長剣が無防備な胴に襲い掛かる。ジューアは何とか手持ちの槍でそれを防ごうとしたが、タンジェスがまだ左手で持っている槍に動きを抑制され、意図どおりには行かなかった。
「残念でした」
 ジューアの槍の石突がタンジェスの肩を打ちつける。しかしそれは重傷を与えるほどの勢いを持っていなかった。一方タンジェスの剣は、ジューアの脇腹に深く食い込んでいる。勝負がついたのはその前の瞬間に明らかだったので、とっさに刃ではなく平で打ったのだが、重傷で戦闘不能は免れない。
 元々先程の手合わせの決着をつける気などなかったのだ。そう思い込ませておいて、帯びたままの剣で攻撃するという可能性を忘れさせる。それがタンジェスの真の意図だった。
 弾き飛ばされた場合などに備えて、とっさに別の武器から剣に切り替えるという技は、騎士ならば当然心得ている。恐らくジューアもそうであり、複線を張っていなければ読まれて防がれる可能性もあった。
 マーシェにさせずに自分で買って出たのは、この策が使える自分の方が勝算が高いと踏んでいたためである。彼女の腕を信頼していないわけではないのだが、真っ向勝負では当然負ける可能性も考えなければならない。
「実戦ってのはこうやるんですよ、閣下」
 館での手合わせの際から何となく感じていたのだが、ジューアには本当の敵と戦った経験がないように思えていた。根拠はないが、それが現に命のやり取りをしたことがある人間の勘というものである。詰まる所、タンジェスはその甘さにつけ込んだのだった。
「見事だ。タンジェス、念のためジューア卿を拘束したら見張りを代わってくれ。ティア様、今そちらに私が向かいます。もう少しだけ持ちこたえて下さい」
「了解!」
「はい」
 タンジェスが返事をしながら機敏に動き、ティアがうなずく。残る健在な敵は、彼女と相対しているヒームただ一人だ。もう勝負がつく。
「うおおおおおっ!」
 そのときだった。不意にヒームがティアめがけて突進してくる。その可能性を、ティアだけでなく全員が失念していた。ティア同様彼も術に固執しているようだったし、またそもそも物静かで暗い印象を持っていたため、思い至らなかったのだ。
「ティア様避けて!」
 その身ごなしからして武術の達人とも見えないが、しかしティアではあまりに分が悪い。かといって自分が今から割って入ろうとしても間に合わない。マーシェとしてはとっさに叫ぶしかなかった。
 ティアとしても無理に戦う必要を感じない。元来騎士と違って戦うことが仕事ではないのだ。
「あ…」
 しかし足元を良く確かめないまま退こうとしたのが災いした。何かにけつまずいて態勢を崩してしまう。幸い何とか踏みとどまって転倒は免れたが、そこで時間を浪費して逃げられなくなってしまった。
 そこへヒームが掴みかかる。
「ティア様!」
 マーシェが、そしてタンジェスが叫ぶ。ストリアスも同じ思いだったが、まだ魔術への集中を続けており、うかつに声を上げられなかった。
 接触の瞬間、ティアが身をよじりながら膝をつく。それは恐怖のあまりかがみこんだようにも見えて、ストリアスは息を呑んでしまった。
「おお」
 一方でマーシェとタンジェスは、感心と安堵の混ざった声を上げていた。二人の視線の先には、さらに勢いを増したヒームの体がある。それは、ティアの上の空間を飛んでいた。
 無論鳥ではないので、次の瞬間には落下している。最終的に彼は、硬化したままの地面に叩きつけられた。
「ぐうあああっ!」
 悲鳴が本当に痛々しい。ジューア以上の重傷かもしれなかった。
「お見事」
 ディーが能天気な声を上げながら手を叩く。彼が賞賛していたのは、ティアの体術だった。掴みかかった手をとって、思い切り投げ飛ばしていたのだ。
「心得があったんですねえ」
 マーシェが意外そうな顔を隠さないまま近寄ってくる。彼女としては、そちらの方面は全くできないものと思っていたのだろう。
「一応は。普段は使わないのですが…」
 とっさに、本当に基礎の基礎をやってみただけなんだけど、予想外にうまく決まっちゃった。このひと、私以上に運動能力がなかったのね…。道理で格闘に持ち込んでこなかったはずだわ。
 ティアは反省しつつ、納得した。
「さて、ともかくこれで一通り片がついたな」
 タンジェスが剣を納めながら締めくくった。
 背景事情は定かでないが、ジューアとヒームの両名が主犯格であると見てほぼ間違いないだろう。それから実行犯と思しき騎士二名を捕らえており、ギイの身柄も押さえてある。この計五名を王都まで連行すれば、後はノーマがうまく処理してくれることだろう。逆に人手が不足しているので、これ以上人数を増やすのは難しい。
 それを受けて、ストリアスが安堵した声を出す。
「そうですね。それじゃあそろそろ術を解いてもいいですか。疲れるんですよ」
 実際そこには疲れがにじみ出ている。済まなさそうに、タンジェスは首を振った。
「ごめんなさい。それはもうちょっと、ここを離れるまで待って下さい。とりあえず急ぐとしましょうか」
 ティアは大きくうなずく。ただ、そうするにはジューアとヒームを起こして歩かせるか、あるいは意識がないまま運ぶ手立てを考えなければならない。どうするかは思案のし所だった。
「陵墓の静寂を乱し、我等の眠りを妨げる愚か者どもよ…」
 それは低い低い、声だった。聞き覚えがないだけでなく、どこから聞こえてくるのかも定かでない。まるで地の底から、あるいは異界から響いてくるかのような…。
「誰だ!」
「この期に及んで無駄な小細工を!」
 タンジェスとマーシェが、剣を構えながら味方を自分たちの内側へとかばう。一度目を見合わせたティアとストリアスは、急いで周囲の気配を探った。しかし、生きている人間のものしか感じられない。
「今さら悪あがきはみっともないだけだと思うけど」
「そうだそうだ」
 その中で、ディーとギイが捕虜の二人をなじる。ギイは勝った方につくことにしたようだ。しかし二人とも、緊張した面持ちで首を振っていた。
「そんな馬鹿な。こいつらも俺も知らない仕掛けなんて…」
 ギイの顔色も変わる。どうやらこれまでの一連の騒動の実行犯は、この三人のみであるらしい。そこに嘘はないと見てとってから、ディーがつぶやいた。
「まさか…本物?」
「そんなはずは!」
 ティアが強く否定する。しかし、それを覆すのを待っていたかのように、またあの「声」が響いた。
「今回限りは、その者達の尽力に免じて大目に見るとしよう…。しかし、もし今後も下らぬ騒ぎを起こすようなら…己等のその魂を引き千切り、地獄にすら堕ちられぬことを後悔させてやる…」
 焼けるような限りない憎悪と、凍りつくような残酷さが並存している。とても、この世のものとも思えなかった。それに並の人間では、怨霊と化した所でここまでの恐怖に値する精神は持ち得ないと感じられる。
「で、で、で、でたああああああああっ!」
「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ!」
「俺は何もやってない!」
「お、俺は、命令に従っただけなんだ!」
 元来魔術によって拘束されるという異常な状況下で追い詰められていた兵士たちが、完全に恐慌状態に陥る。当初のストリアスの警告も無視して、何とかこの場を逃れようともがき始めた。
 ストリアスは全ての仲間と一度目をあわせる。全員が、うなずいていた。
「もういいですよ。行って下さい」
 ぽん、と手を叩く。彼を中心として、硬化していた地面と草木と、そして人体が急速に元へと戻っていった。そうして術が解けた順に、兵士たちは逃げ出してゆく。
「忘れるな…忘れるな…」
 その背中に、あの声が最後まで念を押していた。
「とりあえず助けられたが、しかし…」
 マーシェはつぶやきながら、そしてタンジェスは無言のまま、警戒を崩さない。ティアもストリアスも引き続き気を探っていたが、それらしい感触は得られなかった。そんな中で、ディーは一人「それ」に話しかける。
「英霊よ、ご助力に感謝を。私は名もなき吟遊詩人、されど偉大なる方を歌い伝えることはできましょう。願わくば、御名をお聞かせいただきたく存じます」
 返答を待つために口を引き結ぶ。
 やや反応がない。ディー以外の全員が安堵した、そのときだった。
「無用…。血に浸った我が名を忌む者も多かろう。さらばだ…」
 強い拒絶の中に、かすかに寂しげな響きが宿る。そしてその声が聞こえることは、二度となかった。
「慈悲深き方、全ての魂の主たる方よ、願わくば、この祈りを聞き届け給え。傷つき、倒れたるものに、安らかなる眠りを与え給え…」
 ティアが死者への祈りを捧げ始める。その澄んだ声に、やがてディーが、そしてストリアスが唱和した。タンジェスとマーシェ、そしてギイは黙然とそれを聞いている。夜の森の中に、それはいつまでも響いているようだった。

続く


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