王都人形騒乱録
W おしゃべりな院長と無口な弟子


 サイエンフォート邸に向かわず足を向けた先で、ファルラスは丁寧に頭を下げていた。
「お会いできて光栄に存じております。お忙しい中こうしてお時間をいただき、恐縮至極にございます」
「わたしが本当に忙しいと思っているのなら、そんな心にもない前置きで時間を潰さない事ね」
 しかし相手はその礼儀を冷然と切り捨てた。挨拶を返しもしない。若い女だ。少なくともファルラスよりは年少に見える。しかしその非礼に気分を害するでもなく、彼は笑った。
「失礼しました」
「それも本当に失礼だったとは思ってないくせに。まったくたちが悪いったらありゃしないわ」
 わざとらしく溜息をついてから、女は笑みを浮かべた。そんな表情はごく幼く見える。
「ま、いいわ。丁度退屈していた所なのよ。座って座って」
 勧められた椅子に、ファルラスは遠慮なく腰掛けた。ジアル商会の物より簡素だが、しかし座っていて疲れない造りをしている。
「忙しくないんですか? 玄関の所にいた人からは、明らかに邪魔者という視線を向けられたんですけれど」
「忙しいわよ。でも退屈してるの。最近は余計な仕事ばかり増えちゃって」
「なるほど、退屈な仕事に追い回されていたのでは、開口一番嫌味の一つでも言いたくなりますね」
「それとこれとは話が別よ。変なことを言い出すから言い返しただけ」
「せっかく礼儀を守ったのに、つれないですね」
「まったく…まあいいわ。とりあえず本題に入りましょう。実際あんまりだらだらしていると後で自分が困るから。今日は例の人形の件かしら」
「御明察です」
「ノーマくんに任せられないの? あの子一人で片のつかない問題とも思えないけれど」
 ファルラスは微妙に、顔をほころばせた。
「あの方ももう立派な騎士です。ノーマ卿とお呼びした方がいいとは言いませんけれど、せめてくん付けとか、あの子呼ばわりは止してあげないと」
「普段は気をつけてるわよ。でもわたしはあなたほど器用じゃないの。こういう時にはついね。って、話逸らそうとしてない?」
「さて…。五日後に御前閲兵式があるでしょう。あれと例の結婚式の日取りが重なってしまって、式の方には別の人を回す必要があるんです」

「休ませるか閲兵式自体を延期するなり中止するなりすればいいのよ。高々国王一人の体面と国民の生命安全、どちらを優先させるべきかは明白だわ」
「またそういう事をおっしゃって…。人に聞かれたら大事になりますよ」
 陛下の敬称さえもつけない、国王の権威を全く無視した発言に、ファルラスは苦笑を浮かべてたしなめた。しかし女は一向にひるまない。
「わたしだって相手を選んで言っているわ」
「そういう油断がいつか失言につながるんですよ。発言には普段から気をつけるべきです」
「はいはい、分かりました。それで、わたしに何をして欲しい訳?」
「優秀な若手を一人、貸して欲しいのですけれど」
「うん…若手でいいの? なんなら熟練者でも都合をつけさせるけれど」
「若手の方がいいんです。その方がその場にいて自然に見えますから」
「そう…じゃあねえ…」
 視線を泳がせて心当たりを探す。そして不意に身を乗り出して、自分の顔を指差した。
「わたしなんてどうかしら? 優秀だし、若いわよ」
 ファルラスは顔の筋肉の一片さえも動かそうとしなかった。女の顔にじわじわと赤みが差す。
「そ、そんな凄い勢いで無視しなくたっていいじゃない! それとも何? 私がもう若くないって言いたい訳?」
「子供を二人も産んでおいて若いなんて言い出さないことです」
「うっ…あなただって奥さんに一人生ませてるでしょう。奥さんはもう若くないって言う気なの?」
「まさか。それにあなただって見た目は十分に若い。うまくごまかせば十代と言っても通用しますよ。でも自分から若いだなんて言い出すのは、ちょっと図々しいんじゃないですか? 精神的な中年化の兆候だと思いますけれど」
「ぐっ…」
「大体あなただって閲兵式に顔を出さなきゃならないでしょう。馬鹿なことを言わないで下さい」
「さぼりたいわ。軍事パレードなんて見せられても面白くないもの」
「我慢しなさい。それも仕事の内です」
「ぶー」
「ぶーぶー言わない」
「ぷー」
「…くっ…くくくくく、あはははは!」
「ふふっ…あははは…」
 ひとしきり笑ってから、女はさっぱりした表情で話を戻した。
「優秀な若手ね。丁度いい子がいるわ。無口で大人しいけれど、すごくいい子よ。腕は確かだし、しっかりしてるし」
「それはありがたい。恩に着ます」
「困った時はお互い様。まああなたがそんなに困っているとも思えないけどね。あ、そうそう。借りると言ったからにはちゃんと無傷で返しなさいよ。本業の方は良くできるんだけど、私と違って運動能力にはあまり恵まれていないから。何かって時は責任持って面倒見てちょうだい」
「分かりました」
「それにしてもねえ…」
「何か?」
「この事件って結局優柔不断な女の方に問題があると思わない? どんな事情であれ、人付き合いをする以上三角関係が泥沼になる前に何とかする責任ってものがあるでしょう。ちょっと状況に流され過ぎよ。それで自分は結婚して幸せになるっていうんだから、どんなものかしらね…」
 ファルラスはくすりと笑った。
「人それぞれですねえ…。人形退治をしてくれることになった人は、横取りした男の方が悪いんじゃないかって言ってましたし、私としてはいくらひどい仕打ちを受けたからといって、あんな洒落にならないものを持ち出すのはどうかと思います。大体未練がましいですよ」
「あなたの言いたいことは分かるわよ。誰が正しいか誰が間違っているか、そんなもので事を納められはしない。何が全員の得になるのか、それを考えよう。でしょう?」
 いたずらっぽく笑う女に対して、ファルラスは真面目腐ってうなずいた。
「その通りです」
「いつも通りね。ま、あなたとしては失敗した覚えもないから変える必要を認めないんでしょうけれど」
「失敗だらけですよ、まったく」
「またまた…。美人で優しい奥さん、利発で元気な坊や、ついでに巨万の富。そこまで手に入れて一体何が不満なのかしら。あなたは貪欲だわ」
 女がつついてくるのをかわしながら、ファルラスはかぶりを振った。
「いや、本当に。今回は反省させられました」
「何が?」
「予断は禁物だってことです」
 思わせぶりな言い方だ。女は問いただそうとして、止めた。恐らく口を割らない。話すべきではないことは決して話そうとしない人間だ。彼女は相手をそう理解していた。
「いずれ全部聞かせてもらえるかしら」
「ええ。まあ式の当日を過ぎれば話しても問題ありませんから、お礼がてら」
「そうね」
「それでは、そろそろその優秀な若手さんを紹介してもらえませんか」
「うん…あ、ちょっとその前に。関係ない話だけど」
「はい」
「息子さん元気?」
 本当に全く関係のない話題だ。ファルラスは首をかしげた。
「お陰様で。しかしそれがどうかしましたか」
「うちの子がね、また会いたがってるのよ。またこの前みたいに遊びたいって。だから機会があればまた連れてきてくれないかしら」
 友人、親同士の気軽な会話だ。女は否定的な反応など全く予期もしていなかったが、ファルラスは表情を曖昧にして聞き返した。
「そう言っているのは、お姉さんのほうですか? それとも弟さん?」
「うん? 上の子よ。だって下の子は大人しいからそういうこと口に出さないって、あなただって知ってるじゃない。まあ、あの人見知りする子が懐いてるみたいだけど。上の子はなんだか妙に気に入っちゃって、会いたい会いたいってうるさいくらいよ。普段はしっかりしたお姉ちゃんをやってるんだけど、でもやっぱり頼れるお兄ちゃんには憧れるみたい。案外初恋だったりして。あははははは」
 返答までにやや間があった理由は、女にはちょっと分からなかった。
「じゃあ、いずれ妻と一緒にうかがいます」
「あ、うん。それは嬉しいわ。わたしも久し振りに会いたいもの。具合の方はもういいの?」
「ええ、まあ、そろそろ大丈夫でしょう」
「そう…私にできることがあったら何でも言ってね」
「そのつもりです」
「うん。じゃあ、引き合わせるわ。ついて来て」
 体重を感じさせない、小鳥のように軽やかな動作で女が立ち上がる。結婚して子供ができてもそんな所は変わらないものだな、と思いながらファルラスも席を立った。
「今ならここだと思うけど」
 少し廊下を歩いてから、女は扉が空けられたままの部屋の一つを覗き込む。寝台が六つ並び、そこにそれぞれ何らかの形で健康でないと見える人々が横たわっている。病室だった。
「あ、院長様」
 ただ一人、椅子にかけていた少女が慌てて立ち上がる。極度に痩せて年齢はおろか性別すらも判然としない相手の口に匙を運んでいる所だった。それを放り出して深々と頭を下げている。病人達も不自由な体を動かして、それぞれの方法で「院長」に対して敬意を表現しようとしていた。
「どうか楽になさって下さい。ここは皆様に療養していただくための場所です。無理をされるのはわたくしの本意ではありません」
 女、院長はそう言って患者たちを制止する。そこには単に優しさを超えた、慈愛と呼ぶべきものが感じられるようだった。恐縮しながら、言われた側はそれぞれの位置に戻る。次いで彼女は、世話をしていた少女に視線を向けた。それだけで少女は直立不動になる。
「ミリト、礼儀正しいのは悪いことではないけれど、でもそれ以上に大事なものがあることを忘れてはいけないわ。患者さんのお世話を続けなさい」
 口調は柔らかいが、しかしそこには確かな威厳がある。ミリトと呼ばれた少女は慌てて仕事を再開した。少し済まなさそうに笑って、院長が続ける。
「ごめんなさい、いきなりやってきてお説教なんて。でも今言ったことは覚えておいて欲しいのよ」
「はい」
「所で、ティアがどこにいるか知らないかしら。他の病室?」
「え、彼女でしたらそこに…いないですね」
 ミリトは空の寝台の脇を指差した。首を傾げている所へ、隣の寝台の老人が教えてくれる。
「あのお嬢さんでしたら坊やを連れて出て行きましたよ。ですから庭ではありませんかな」
「そうですか、ありがとうございます」
 丁寧に礼をする院長に、老人は皺にうずもれるような精一杯の笑顔で応えた。
「いやいや、院長様に受けたご恩を考えれば、とても礼には及びませんよ」
「恩ばかり感じていると、却って体に良くありませんよ。お大事になさってくださいね」
「もちろんです」
「それでは失礼します。お騒がせしました」
 院長は静かに身を翻して病室を出ようとする。しかし不意に、入り口の所で振りかえった。
「ミリト」
「は、はい、何でしょう」
「ご苦労様」
 笑顔で労をねぎらってから、院長は病室を後にした。
「うまくやっているようですね」
 庭に向かいながら、ファルラスがそう評する。帰って来た声には、打って変わって溜息が混じっていた。
「まあ、何とか頑張ってるけどね。色々大変」
「好きで始めた仕事でしょう。愚痴らない愚痴らない」
「相変わらず厳しいわね…。ま、そうなんだけど。実際お金を出してくれるのは助かるわよ。感謝しているわ。あなたのおかげでここも何とかやって行けるから。頭を下げさせる相手を増やしても悪いから、患者さん達には黙っていたけれどね。でもそれでいいでしょう? あなたは別に感謝も尊敬も必要としていないから」
「ええ、私は別に。でも感謝なら妻や義父にして下さい。お金を出しているのは向こうです」
「出させているのはあなたのくせに」
「そんなことはありませんが、しかしとりあえず私の稼いだお金じゃありませんよ」
「いいのよあなたは、飼い殺しにされていれば。それが正解だわ」
「……」
 ファルラスが口を閉ざしているうちに、二人は庭に出ていた。
 薬草園を兼ねた質素な庭だ。華麗な花々も刈り込まれた樹木もない。しかし所々に咲く自然さながらの素朴な花は、どこか見る者を和ませていた。
 その中で白い服を着た人影が二つ腰を下ろしている。病人と、それを世話する者、どちらの衣服も白い。比べると後者の方が大きく見えるが、それは前者が小さ過ぎるからだった。まだ幼い、サームと変わらない年頃だろう。
 二人は全くの無言だった。身じろぎすらせず、ただ正面を見ているようだ。ファルラスは視線で問いかけたが、しかし院長はそれに答えようとはしなかった。

「ティア」
 ただ、その一人の名を呼ぶ。一瞬無反応かとも思えたが、やがて一方が立ち上がった。それでもなお、幼子は全く動こうとしない。立ち上がった者も、無言のまま一礼する。
「ちょっと話したいことがあるの。いいかしら?」
 ティアと呼ばれた人物は、うなずいて答えた。とりあえず院長が初対面同士の紹介を始める。
「こちら、ファルラス=ミスト様。わたしが懇意にしていただいている方で…」
 これまでにない事業の内容を説明するのは難しい。院長が言いよどんだので、本人が引き継ぐ事にした。
「お客様方の仲立ちを生業と致しております。お忙しい中恐縮ですが、本日はお力を拝借したくうかがった次第です」
 丁寧な、しかし用件を押さえた自己紹介だ。次いでティアの紹介は、院長がする。
「こちらは先程話したティア=エルンです」
 ファルラスではなくティアの視線を考えて、言葉遣いが丁寧だ。相変わらず口を閉じたまま、ティアはもう一度頭を下げた。
「ティア、こちらの方が私達の力を必要としているの。お話を伺うとあなたが適任だと思うのだけれど、やってみる気はないかしら。ここでの修行も大切だけれど、別の所で経験を積むのもきっとあなたのためになると思うわ」
 院長の説明に、ティアは視線を逸らす形で答えた。単に逃げている訳ではなく、きちんとした理由がある。その視線は足もとの幼児を捕らえていた。
「その子の面倒ならわたしが見るわ」
 院長がティアの言いたいことを察して請け合う。少し迷った末、ティアはうなずいて承諾の意思を示した。
「じゃあ、詳しいお話は御本人にうかがって。内容に納得がいかないようなら、お断りしても構わないわ。断られたくらいで気分を害するような度量の小さい方ではないから」
「よろしくお願いします」
 内心少々不安を感じながら、それでも笑顔でファルラスが声をかける。すると相手の口が、小さく動いた。
「…よろしくお願いします」
 ファルラスはようやく、その声を聞く事ができた。

続く


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