正しい同人誌即売会の過ごし方(?)

11 性描写のある本を18歳未満の人間に販売することは条例で禁じられています

              

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 一度興味を失ってしまうと、光樹は徹底的に無関心になる。よくもまあこの暑い中涼しい顔で本など読んでいられる、そんなことを考えながら、裕也は暇つぶしにあたりを見渡した。
 当然ながら、目を引くのは大掛かりな看板、あるいはのぼりの類である。特に視界に入る中でも、絵柄の強烈なものがいくつかある。
「あー、なんかあそこ、やっぱりチェックに時間かかってるな」
 そのうち一つの前で、スタッフがかなり長時間立ち止まっていた。見本誌を、注意深く確認しているらしい。
「いやん、裕也のエッチ
 美月がそののぼりから目を逸らして身をよじる。裕也は毒づいた。
「だいぶ涼しくなったよ。ありがとう」
 あまりに寒い反応だ。それを痛烈に指摘したつもりだったが、しかし敵もさるもの、こたえた様子がない。
「どういたしまして」
 しれっとした顔で応じてから、美月はもう一度そののぼりを見やる。
「そりゃまあ、『肌色』多いし、当然じゃない?」
 背景は白、それ以外のほとんどが肌色、そんな絵柄だった。何故肌色が多いかといえば、それは肌の見えている部分が多いからである。
 要するにエロだ。それも、かなりぎりぎりの印象を受ける。この場ならともかく、街中であんなものを掲げたら手が後ろに回るに違いない。恥らい深き乙女なら、頬を染めて目を逸らして当然だ。ただし、少なくともそれは、先程「エロは偉大などと口走っていた人間のすることではない。
 のぼりでああなのだから、売っている本は一体どれほど過激なのやら。そう考えずにいられない。そしてそれが、何より売り手として狙っていることなのだろう。
「まあな。チェックする方も大変だ。裏ビデオの摘発やってる警官とか、押収品を見ているうちに気持ちが悪くなるそうだぞ」
「ああ、それあたしも、聞いたことがある」
 どうもあまりに多くその種のものを、それも仕事として見ていると、精神のどこかに引かれた一線を越えてしまうらしい。たしかにまあ、性的な興奮を抜きにしてしまえば、グロテスクな代物だ。
「でもまあ、少なくとも今の裕也としては興味津々な訳だ」
 いたずらっぽい目で見上げてくる。裕也は肩をすくめた。
「全くないとも言わないけどさ、この際。ただ、ちょっと別のことが気になってな」
「なに?」
「あそこの責任者らしき奴がね、どうも高校生のように見えるんだよ」
 高校生にもなると、体格としては成人とほとんど変わらない。ただ、顔立ちや表情にはどこか、まだ幼さが残るものだ。大学に新入生として入ってきた後輩達を見るにつけ、そう思う。
 それに服の趣味も、その人物はどこか少年っぽい気がした。
 コンビニエンスストアのレジでは、商品の動向を分析するために、買った人間の年齢を記録している。無論一々年齢の確認を本人に対してできる訳ではないので、あくまでレジに立っている人間の主観、要するに「見た感じ」で、ボタンを押すのである。そこでアルバイトをしている裕也には、ある程度相手の年齢を見る癖がついていた。
「んー。ただ、童顔でちょっと小柄な二十歳過ぎ、っていう可能性も捨てきれるわけじゃないよね。あたし達と同じ学年でもあんな感じの人いるし」
「まあな」
 何人かの顔が思い出されるし、そもそも美月自身にその傾向がある。ただ、彼女の場合気分次第でぐっと大人っぽい化粧だったりもするので、印象は一定しない。
「肌のつやとか見えれば分かるかもしれないけど、この距離じゃちょっとね」
「だからと言ってまんじりと見に行くわけにもいかないし」
「別に裕也が行く分にはいいんじゃない? あたしは嫌だけど」
 あれだけ悪ふざけをしていて今更何を、とは裕也としても言えなかった。美月には美月なりの、女性としての羞恥心というものがあるのだろう。そして同時に、裕也には裕也の、男性としての羞恥心がある。
「俺も嫌だよ」
 はっきり言って、恥ずかしい。自分で認めたとおり興味が全くないでもないのだが、しかしあれだけ堂々とエロだと認めたようなところへ、近寄る気はしなかった。その種のことはこっそりやるものだ、と思う。特に自分と親しい人間の目の前でするようなことでは、絶対にない。
「じゃあ、光樹くんに見てきてもらおうか」
 そしていきなり、話を振ってゆく。ばかばかしくて反応する気にならない。それを示したいらしく、彼は文庫本のページをめくった。
「つまり志願者なしってことね」
 美月が総括する。裕也は文句なく、うなずいた。
「俺から話を振っておいてこう言うのもなんだけどさ、とりあえずそもそも何が問題なのか、それを整理したほうが良さそうだな」
 どうもなにやら、問題が微妙な気もする。しかしそこは、一刀両断にしてくれる人間がいた。
「未成年者がいわゆる『成年向け』の同人誌を作って売ることについての是非に関して、だ。無論、彼が未成年者だと仮定すればのことだが」
 さすがは、と言うべきであろう。里中光樹である。裕也と美月が何となく釈然としていないと思っていたことを、実に明確に整理してくれた。
 ちなみにもしここでいう「彼」が成年者であるとしたら、話はもうすでに済んでいる。所持している本が刑法上のわいせつ物と認められるものなら、販売目的で所持しているだけで処罰される。そしてそこまでのものでないとしても、ある程度のものを十八歳に満たない人間に販売すれば、自治体の条例によって処罰される。そういうことである。
「なんだ、しっかり聞いてるじゃない」
 無視したいきさつを踏まえて美月が抗議するが、しかしそもそも彼はそれを意に介するような人間ではなかった。
「この距離で聞こえないはずがない。その後はそれに対して反応する価値があるかどうか、その問題だ」
 要するに、それまでの話には反応する価値がないと言っている。そう断じられた「話」を心底真面目にしていたら抗議してよい場面だったが、しかしそう思った人間はこの場に誰もいなかった。所詮は時間つぶしである。
 それを見渡してから、光樹が口を開く。
「そもそも、で言うなら、ある行為が何の罪に該当するかに関して、成年者と未成年者の間に本質的な差違はない。殺人は殺人、強盗は強盗だ。事実認定過程の問題をひとまずおけば、その事実に変わりはないからな」
 光樹の言う事実認定の過程、とは、そもそもある行為が何の罪に該当するかを決める手順のことである。
 例えば、人を殺そうと思って殺せば殺人だが、傷つけようと思っただけで誤って殺してしまえば傷害致死、その科刑の間には極めて大きな差異がある。前者の最高刑は死刑だが、後者なら有期懲役が限界、現行法では十五年以下だ。
 しかしながら、この二つの行為の間に、少なくとも結果に関しては何らの差違もない。人が死んだという事実に関して言えば、全く同じなのだ。ただ、殺そうという意思があったかどうか、それがその大きな分かれ目になる。
 そして、光樹の言う「事実認定の過程」が、場合によってはその分かれ目を決めることになるのだ。
 成年者が被告となる通常の刑事裁判の場合、被告を責める側に回る検察官と、それを守る側になる弁護士との間で、論戦が戦わされることになる。裁判官は、その過程を認めた上で、そもそも何が事実かを認定することになる。それが、「事実認定の過程」である。
 しかし未成年者が対象となる、少年法が適用されるものの場合、現行法上検察官が出席することはない。少年の立場を代弁する弁護士の主張を聞いた後、家庭裁判所の裁判官が処分を決定する。
 これだけの違いがあってなお、通常の刑事裁判と少年審判に、事実認定の過程に関して、年齢的な要素以外に差違が全くないと主張するならば、そのためにはそれこそ、極めて明白な証拠を明らかにしなければならない。それも少年審判に関わった裁判官と弁護士、少なくともその全てが、それも彼らの関わった少年審判すべてに関して、だ。だからこそ、重大な犯罪など一定の要件を満たす場合、家庭裁判所から通常の裁判所に送られるなどという措置が取られることもある。
 そして少なくとも、裕也と美月、そして光樹は、そのような証拠を目にしたことがなかった。勉強不足という非難が成立するかもしれないが、それならば携わっている人間の側にそれを自ら明白にする責任があるはずだ、と、例えば光樹などは考えいている。このあたりは少年による凶悪事件が起きるたびに論じられる、難しい問題だ。
 しかしそれを「ひとまず」で片付けた上で、光樹は続けた。
「法的に差違があるのは、事実を認定した上での処遇だが、この際それは置いていいだろう」
 さらにおそろしく強引な、問題の処理が続く。例えば最高死刑の殺人と、最高でも懲役十五年の傷害致死の間に横たわる処遇の差は、本人にとって凄まじいものがあるはずだ。それを、光樹は「この際置いて」などと片付けている。
「問題は、それが有罪か無罪か、だ」
 イエスか、ノーか、彼はそこまで、集約していた。
 その間には前科者になるかそうでないのか、それだけの差違がある。
 無論光樹なら、一度有罪判決が確定しても執行猶予つきならば、執行猶予期間を無事経過すれば有罪判決そのものの効力が消滅する、その程度の知識は前提としてあるはずだ。つまりこの場合、執行猶予期間中は法的に前科があるということになるが、その間非行がなければその前科そのものが、なかったことになる。
 しかし、ひとたび有罪判決を受けたという事実は、まず間違いなくその人物に人生の終わりまでつきまとう。法的にはともかく、前科者という社会的な非難、あるいは中傷が消失することは、まずありえない。少なくともその、犯罪に関する事実が知られている限りは、そうだ。
 逆に無罪判決が確定すれば、少なくとも裁判上は、犯罪行為そのものが存在しなかった、ということになる。
 無論証拠がそろわなかっただけで限りなく怪しい、という事例もあるのだが、「疑わしきは罰せず」が、この国の裁判の原則であるから、その場合法的にはやはり犯罪行為そのものが、なかったとの扱いになる。
 その結論が社会的に見て曖昧な場合「疑惑」などとマスコミに叩かれる可能性もある。しかし裁判としての結論が決まっている以上、それを覆すほどの有力な証拠を提出できなければ、マスコミが損害賠償を求めて訴えられた場合負ける可能性の方がむしろ高い。
 突き詰めて考えるとは、こういうことだ。そもそも何が最も重要な問題であるのか、その見極め、あるいは優先順位の選定を間違えなければ、議論の方向は明確になる。それだけ、結論を誤る可能性も低くなるのである。
「とりあえず、刑法に引っかかるような物だったらどう頑張ってもとりあえず有罪よね。未成年者がどうこうとか、そういうのが関係ない罪だもん」
 何しろ刑法は、大人が見てもまずいようなものを取り締まっているのだ。それが美月の導き出した、結論である。
「所持の目的が販売であると立証されれば、だが」
 光樹が補足する。例えば拳銃あるいは麻薬など、危険性の高いものを資格のない人間が所持していれば、目的のいかんを問わず罪になる。刑法で言うわいせつ物の場合、さすがにそこまでではない。
「ここへ持ち込んだ以上、販売目的じゃないって言い訳は通用しないでしょ」
「判例、前例があるかどうかは知らないが、常識で考えてその通りだな」
 昨今は、何かと前例尊重主義が悪く言われるご時世だ。ただ、特に裁判の場合、前例どおりに取り扱うことで扱いが一律になり、公平性が保たれる。つまり法の下の平等の維持という大義名分がある。そう簡単には変わらないだろう。
「あとは、条例に引っかかるかどうかだけど…」
 十八歳未満の人間に成年向けの性描写のあるものを売ってはならないという規制は、国の法律ではなく、都道府県の条例によるものである。条例のない県もある。そのため地域ごとにばらつきがあるといわれているが、現にどのように取り締まられているかに関しては、現場の警察にでも確認しなければ分からない所だ。そして警察が、それを逐一教えてくれるかどうかは、微妙である。下手にその境界線を公開してしまうと、その限界を狙った行為が多発しかねないためだ。
「無理だな。条例の趣旨である青少年の健全な育成云々という文言には抵触する可能性が残るとはいえ、販売対象を十八歳以上に絞ってさえいれば、処罰する具体的な条文がない」
 人を処罰するためには、必ず明確な法的根拠がなければならない。罪刑法定主義、と呼ばれる原則である。法律の目的に反している、という程度では、明確には程遠い。
 つまりこの場合、「十八歳未満の人間が、十八歳未満に対して売ってはならないような物を売れば、その相手が十八歳以上であっても処罰する」などという法律や条例がなければ、その人間を処罰することはできないのだ。
「まあ、各都道府県の条例を全て検証していない以上恐らくとしか言えないが、そんな条文があれば未成年者を成年者以上に重く処罰することにもなる。現行の法体系を考えれば不合理だな」
 いわゆるエロ本は、十八歳以上に対してなら合法的に売れるのである。十八歳未満だから、大人相手であっても売ってはならないというのは、やはりおかしい話だ。基本的に未成年者の刑罰が成年者に対してよりも軽いという今の日本の法律を考えれば、明らかにバランスを欠くことになる。
「でも、逆に言うと、十八歳未満にはやっぱり売っちゃいけないのよね」
「そうだな。未成年であれば許される、という例外規定もなかろう。そのような規定を置くことに合理性がない」
「つまり、もし彼が未成年であるならば、ここで十八歳以上に対して売るのは許されるけど、例えば同級生に売っちゃったりすると捕まるかもしれない、ということよね」
 それが、結論だ。他に答えの出しようもない、と、美月も裕也も思っている。しかしどうにも残る違和感だけは、否定できなかった。
「所詮取締り法規で片のつく問題は、たかが知れている。いや、むしろ最低限度でしかない。それだけのことだ。自由を尊重して過度の取締りを避ける現行の憲法の理念上、それが望ましいとも考えられる」
 結論を踏まえて、光樹が補足する。裕也としてはそれに、異を唱えるつもりもない。ただどこか、その結論とは別の所に違和感が残っていた。

続く


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