正しい同人誌即売会の過ごし方(?)

13 会場内では走らないで下さい 走らないで下さい!



…って

走るなって言ってんのが分かんねーのか
    
ゴルァ!!
(by某スタッフ)              

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 そしてとうとう、開場時間がやってきた。それを告げるアナウンスとともに、会場内の各所から拍手と歓声が巻き起こる。
「何で拍手すんの」
 そう言いながら、とりあえず自分もやっておくのが裕也である。率先して手をたたき出した美月は、あっさり答えた。
「さあ、何となく。テンションの問題よ。言ってみればある種のお祭りなんだから、盛り上げていかないと」
「ふーん。国会が解散したときに議員がみんなで万歳するのと一緒かな」
 正確には衆議院の解散時である。全員が一度議員としての地位を失う、要するに失業するのであるから、めでたいはずがない。しかもその後には総選挙という、本人たちにとっても極めて重要な仕事が待っている。落ちる可能性のある人間は当然ながら戦々恐々、その心配のない有力者であればあったで、党として、あるいは派閥としての浮沈を気にしなければならない。
 そもそも解散というのは政権が崩壊するかしないかの瀬戸際、政局が煮詰まった際に行われるものなのだから、その意味でも喜ぶべき事柄ではないはずだ。
 しかし日本の衆議院の場合、何故かその瞬間にとりあえず前議員になることが決まった人々が、全員で万歳をする。与党も野党もこのときばかりは関係がない。帝国議会時代から続く、謎の慣習である。
「んー、総選挙をお祭りだって考えるなら、そうかもね。これからテンション上げてくって意味で。まあ、あたしは国会の解散のときにやるのは、やけになってやってるだけだって聞いたけど。って、光樹くん? 難しい顔してどうしたの」
 美月がはっと、彼を見据えた。歴史や政治のような硬い話題なら、彼が知識を披露してくれても良いはずだ。しかし今実際に何をしているかというと、裕也の感覚としては難しいというより険悪な顔でうつむいている。
「地震…か? それに地響きのようなものが聞こえる。いや、私も地響きなど聞いたことがないが、もし実際にそうだとしたら、大規模地震の前触れであるかも知れないと、何かで読んだことがある」
「おい、怖いことを…」
 言うな、と言いさして、裕也も口を閉ざす。確かに何か、聞こえてきた。それに振動も、体に伝わってくる。しかしこれは、地面ではなく空気が揺れているのだと裕也は察していた。
「来たわね」
 美月が皮肉な笑みを浮かべる。基本的にポジティブな彼女にしては、やや珍しい顔だ。一体何を、と聞く前に、「それ」が裕也の視界に飛び込んできた。
「な、何だありゃあ!」
 裕也が間の抜けた声を上げ、光樹が息を呑む。
「走らないでくださーい!」
 スタッフらしい男性の渾身の叫びが、しかし空しくこだまする。それは、凄まじい勢いで突進してくる人の群れだった。彼らの発する足音が、空気を振動させていたのだ。
「走らないでくださーい!」
 再度の制止、それに対する群集の反応も、同様だ。勢いが落ちる様子は、みじんもない。それどころかその人数は、見た所際限なく増えている。いうなれば、人間の怒涛だ。
「…マジで、暴動?」
「だとしたら、この場を離れたほうが賢明だが」
 裕也が立ち尽くす一方で、光樹は早くも自分の鞄を取り上げて逃げ支度に入っている。そんな二人の会話を突き破るように、大声が響いた。
「走るなって言ってるのが分かんねーのかゴルァ!」
 目の前を通り過ぎてゆく群集を前に、スタッフの一人がとうとうキレる。まともな人間ならびっくりして足を止めるだろう凄まじい剣幕だったが、しかし実際には一人として立ち止まらなかった。怒声は、それを上回る足音によってかき消されているのだ。
 まあ、実際問題として、止まるならば走っている人間全員が一斉にそうしなければならない。もし一人だけ止まったら、後から押し寄せる群れに突き飛ばされ、踏みつけにされるだろう。命の危険もある。
「大丈夫。少なくともあたしたちに実害はないわ。だってみな、外周へ向かってるでしょ。この島にいる限りは安全よ」
 全力で走る人、人、人。近づくに連れて、その目のぎらつき、食いしばられてむき出しになった歯、振り乱される髪などがはっきりと見えてくる。そんな尋常でない光景を、しかし美月は冷めた目で眺めていた。
 確かに彼女の言う通り、彼らに少なくとも無秩序には拡散する様子がない。それが、単なる暴動とは明らかに異なる点だった。感情に任せて闇雲に暴れているのではなく、一定の目的があるようだ。
「外周にあるのは…行列ができるような大手か。なるほど、彼らは規制を無視して並んでいるのと同じ手合いということだな」
 納得して、光樹は逃げ支度をやめた。美月は軽くうなずく。
「そう。危ないったらありゃしない。もし誰かがけつまずいて転んだら、後から後から押し寄せる連中に踏み潰されて、マジで死人が出るわよ。本当はそういう馬鹿の責任は本人に取らせるべきだけど、でも結局責任を取るのは主催者だからね。死人が出でもしたら、もうどこも会場貸してくれなくなるわよ。まあ、ここに匹敵する展示場なんて、そもそも関東にはないと思うけど」
 腕組みをする美月を見ながら、裕也は先程の彼女の台詞を思い出していた。
「世の中には想像力とか思いやりとか、そんな尺度で測れない人間がいくらでもいるって、さっき言っていたのはアレのことか」
 少し想像力を働かせば、また人を思いやれば、自分がいかにおそろしいことをしているかが良く分かる。しかし半ば暴徒化しているとは、それができない状態だ。
「百パーセントじゃないけど、人数的にはアレが大部分を占めるわね。何十万って人が楽しみにしているイベントをもしかしたら自分がぶち壊しにするかもしれない、それが分かっていないか、分かっててなおそれで構わないと思い上がってるのか、そもそもそういう人間ってこと。それがあれだけいるのよ」
「確かにすげえ数だな」
 このクソ熱い中全力疾走する男男男。かなりインパクトのある光景だ。しかも背景事情から判断するに、彼らが求めているのはおそらくエロの類である。不本意だが多分、一生忘れないだろう。
「大体ねえ、今この時間に入って来れるってことは、大方徹夜組なのよ。周囲の迷惑になるから、徹夜だって禁止なんだから。全くもう、あの辺に対人地雷でも置いといてやりたいわ。別に埋めなくてもあの連中なら引っかかるから」
 嫌悪感のあまり、言うことが物騒極まりない。しかしまあ、それでストレス解消になるのなら、と思って、裕也は止めないことにした。ただ、彼女がまくし立てているだけならまだしも、頭の中が元々かなり物騒な人間がいるものだから、話がややこしくなった。
「いや、どうせなら対戦車地雷だ。少し感度を上げる必要があるがな」
 作風にもよるが、小説家というのは頭の中で大勢の人間を殺してしまう人間であったりもする。確か里中、いやこの場合里村は、異世界を舞台にした戦争ものを書いていたはずだ。数だけなら、推理小説作家を大きく上回る死人が出ているはずである。
「どうして? まあ、確かに対戦車の方が派手だとは思うけど」
 戦車を破壊してしまうのだから、威力では確実に対戦車地雷の方が上であるとは、ちょっと考えれば誰にでも分かることではある。しかし何しろ「対人」とついているのだから、対人地雷の方が効きそうだ。
「対人地雷の被害者の映像は見たことがあるな」
「ああ、うん。カンボジアやアフガニスタンの人」
「なら、どういう負傷が多いか、分かるな」
「ええと、片足、ひどい場合には両足がやられちゃったりするんでしょ」
 その面で知識に間違いはない。そこで光樹はうなずいた。
「ひどい場合には片足を超える、それが対人地雷の要点だ。軍用火薬なら、人一人確実に殺せるものを作ることも難しくはない。それを敢えて、威力を落としてある」
「あ、そう言えばそうよね」
「一般的な対人地雷で命を落とすのは、ある程度運が悪かったか、あるいは処理をするために頭を近づけていた人間だ。基本的には重傷を負いはするが殺さない、その程度に作るものだ」
「何だってまた」
 兵器という物はとにかく威力が強ければよいものかと、美月は思っていた。何しろ人間は、自分自身の種を繰り返し破滅させることができるほどの核兵器まで作っているのだから。しかしどうも、そうではないらしい。
「死人は死んでしまえばそれまでだ。死体の処理は戦闘が終わってからゆっくりすればいい。だから死人が出た場合、低下する戦力は一人で済む。しかし重傷者であれば、治療をしなければならない。野戦病院へ搬送することを考えれば、負傷者と運ぶ人手と、概ね三人の戦力が低下する。さらにその治療にも相応の人員を要する。どうせ足がなくなれば兵士としては使えなくなるのだから、死者よりは重傷者の方が、敵に与える負荷が大きい。かといって足手まといだからと重傷者を始めから助けようとしない軍隊に忠誠を尽くす人間はまずいないから、助けないという選択肢は事実上ない。対人地雷とは、そういう武器だ」
「…残酷だね」
 美月が眉をひそめる。極端に太くも、逆に細くもない、美しい眉だ。少しは描いているようだが、少なくとも落としてしまえば何も残らない、と言う類のものではないらしい。
 一方の光樹は、少し濃い目の、それだけに性格がきつそうに見える眉を微妙な角度で動かした。こちらはほぼ完全な、天然ものだと思われる。床屋で多少周囲にはみ出たものを剃ってもらっている程度だろう。間違っても、美容院に行くような柄ではない。
「残酷でない兵器はない。残酷でない戦争もない。だから残酷だからとの理由で特定の兵器を規制するという運動は、偽善ではないかという気がしないでもない」
 光樹が言っているのは、対人地雷の廃絶運動に関してだ。確かに理屈の上では、残酷だという理由で規制するのなら、地雷以前に戦争そのものも規制するべきではある。ただ、そんな論理のみの思考は、彼自身肯定してはないのだった。それを美月は、察している。
「む。光樹くんにしては、最大限微妙な言い方だね。『気がしないでもない』だなんて」
「ああ。しかし残酷ではない人生が果たしてあるかどうかを考えると、な。そこでどうせ残酷だからと言って全ての努力を否定するとすれば、それは単なる、『生』からの逃避ではないだろうか」
 どうせ、で、物事を突き詰めて考えたら、結局何もできなくなる。裕也から見た光樹はその傾向がある人間だが、しかし彼の自己認識は必ずしもそれに一致していないようだった。美月が大きくうなずく。
「小さなことからコツコツと、よね」
 結論はあっている。しかし、何か違う。光樹が首をかしげた。
「何だったか、それは」
 西川きよしだ。しかも彼はそれを単なるギャグに終わらせず、高級官僚からも一目置かれる、タレント出身としては珍しい議員にまでなった。つまりはむしろ光樹が得意な、政治ネタでもあるのだ。
 一応それだけはツッコミを入れておこうかと思った裕也であったが、その先手を取った美月はというと、話をえらい方向へ持っていき始めた。
「なるほど、良く分かったわ。対人地雷なんて半端に残虐なものを使ったら、スタッフさんの手を煩わせちゃう。どうせならパーっと派手に、対戦車地雷で後腐れなく吹き飛ばしちゃった方がいい訳だ」
 いや、違う。それは違うだろう。そう思った裕也は、しかし絶句していた。間違っているのは明らかだ。しかしどこからそれを否定してやればよいやら、と思っているうちに、光樹が口を開いてしまう。
「どうせやるならな。ただ、威力が強いだけに対戦車地雷は高価な兵器だ。だから『たかが人間ごとき』が、踏んだ程度では爆発しないようにできている。そこを工夫する必要はあるだろう」
「それも何だか癪よね。他に何かない?」
「人間の集団が相手なら、基本は重機関銃だ。別に最新式、あるいは第二次大戦期の物でさえなくていい。帝政ロシア軍が二〇三高地に据え付けた程度の性能であれば十分だろう。信頼性などの面はともかく、威力は現代のものとそう変わらん」
 帝政ロシア軍が二〇三高地に設置した重機関銃、その標的は、日本人だった。
 日露戦争時の出来事である。当時の大日本帝国陸軍は辛うじて当該高地の占領には成功したものの、その代償として凄まじいまでの犠牲を払った。
 優勢な火力の前には、歩兵の突撃などあまりに無力である。そんな戦訓が得られたはずであったが、結果としての戦勝によって陸軍は首脳部から中堅幹部までのほとんどがそれを忘れてしまった。後にそれが、彼らが言うところの「大東亜戦争」における、不毛な「バンザイ突撃」につながっている。
 この戦いの際、日本側の指揮官は乃木将軍、明治天皇崩御の際に殉死した結果、現在も「乃木坂」として名を残している軍人である。そこまで深い話を、本来さほど戦史に詳しくもない裕也が覚えていた。理由は、目の前にいる学友だ。
「おい、それって」
「ああ、あたしの家の話? あれはあくまであたしのひいおじいちゃんのヨタよ。本気にしたってしょうがないって。言わなかったっけ」
 美月が苦笑する。彼女の姓は菱乃木、と書く。菱餅の菱に乃木坂の乃木、である。家伝によればその由来は、
「かの乃木将軍と祖先を同じくし、土着の地名から一字を加えて『菱乃木』とした」
 とのことだ。頭から信じていないくせに、話のネタにはしてしまう。美月の性格は、そんなものである。そして彼女は、自分自身の出自などどうでも良いらしく、重機関銃の能力について訊ねている。
「その程度でいいの?」
「まあ、私も実際に撃ったことがあるのではないから、恐らくだがな。あれだけの密集隊形に軍用弾を打ち込んだら、貫通した弾丸がさらに後方の人間を傷つける。第一列を軽く横なぎにするだけで、何十人と負傷するだろうな。後は倒れた人間たちが障害物になるから、そこで動きの止まった後続を順次始末してゆけばいい。給弾を考えれば一丁では不足する恐れがあるが、逆に言えば二丁もあれば十分かもしれない」
 いや、良くないッス。それを世間的には、阿鼻叫喚の地獄絵図、と言う。何故か若干丁寧語での裕也の内心のツッコミは、しかしあっさりかき消された。
「さっすが光樹くん、頭いい!
「この程度は少し考えれば誰でもわかる」
 しかし普通は考えない。そんな裕也のみならず、声の届く範囲にいる全ての人間の内心の指摘も、しかし里中には届かなかった。周囲には他のサークルの人々もいるのだが、そこは根っからの傍若無人人間である。
「後は、火炎放射器だな。射程は機関銃よりはるかに落ちるが、しかしその範囲内での対人殺傷力は極めて高い。ひめゆり部隊が立て篭もっていたりする洞窟を、一瞬で『無人』にできる」
 いくらなんでも、そしてあまりにも、凄惨な話題である。ひめゆり部隊とは、第二次世界大戦の終盤、沖縄戦において看護兵代わりに借り出された女学生に与えられた名称だ。彼女たちの多くは、圧倒的な戦力を有するアメリカ軍により殺されているか、さもなければそうなる前に自決している。裕也などは詳しい事情を知らないのだが、少なくとも光樹の話し振りから察するに、上陸した米軍は火炎放射器を用たのだろう。
 それを光樹は、人間をまとめて焼き殺していったアメリカ軍の視点から語っているのだ。しかもそもそも「残酷でない戦争はない」が、「残酷だからと言って全ての努力を放棄すべきではない」との認識を示した直後に、である。残酷であることを承知でしゃべっているとしか、思えない。
 さすがに無理にでも止めるべきではないか、と感じたのだが、しかしここは美月のほうが早かった。
「それはダメよ! 光樹くん」
「ん?」
 強い口調でとがめられて、光樹が首をかしげる。動揺を全く感じさせないその表情は、「何か文句でもあるのか」と言いたげに見えなくもない。しかしそれが少なくとも彼にとっては、純粋な疑問の表現に過ぎないと、美月は知っていた。だから遠慮なく指摘する。
「会場内は火気厳禁よ。燃えやすい本が本当に山ほどあるんだから、火の手が上がったら冗談抜きで一大事なんだから」
「そうじゃねえだろ! 火炎放射器の『火気』と、重機関銃の『火器』と、どこが違うんだよ!」
 実は微妙に違う。火炎放射器は火薬を用いた長射程武器の「火器」であり、また引火の危険がある「火気」であるが、それは「火器」の常識ではない。
 例えば最も普及している「火器」である拳銃を用いても、標的がガソリンなどの強い可燃性の物質でない限り、火の手は上がらない。場所によっては日常的に使われている標的は多くの場合紙製または木製、つまり一応は可燃物なのである。
 ただ、銃弾の場合それは発射の際に用いられる火薬によってかなりの高温になってはいるが、高速であるがために瞬間的に標的を貫通してしまうため、それを炎上させることはあまり考えられない。
 ハリウッドけっこう見ている裕也としては、実の所その程度の知識がある。一匹狼刑事がどれほど標的に穴を開けても、それがいきなり燃え上がったりはしない。
 裕也はそれを理解したうえで、しかし力一杯ツッコミを入れた。要するに人間を殺傷する危険性があるという時点で、火炎放射器と重機関銃と本質的な差違は絶対にない。規制というのは危険だから行われている、はずである。
 そして光樹は、軽くうなずいた。
「ふむ。それは考えつかなかったな。確かにその通りだ」
 とりあえず素直だ。これで片がつけば良いのだが、と思いつつ、実際そう簡単ではないと、薄々感づいている裕也ではあった。

続く


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