正しい同人誌即売会の過ごし方(?)

16 サークルの間のつながりは大切にしましょう

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 雑談がひと段落した所を見計らってか、横から声をかけてくるものがあった。
「おうおう、仲がいいねえ、三人して」
 物好きな、と思って裕也が視線を転じている間に、美月は歓声を上げていた。さっきまで光樹で遊んでいたことなど、完全に忘れ去っているようだ
「うわー、やっぱり、三人揃い踏みは壮観だねえ」
 惚れ惚れと眺め渡されたのは、リサ、ケン、そしてアレクの三人である。売りものがなくなってしまったリサのスペースを後にして、こちらへやってきたのだろう。
 それは、それは奇妙な光景だった。
 リサの装いは、先程見た際とほとんど変わりがない。初対面の際には長い髪を自然に流していたのだが、今はポニーテールで結んでいる。しかし落ち着いて良く観察してみれば、その服装がそもそも、少なくとも裕也自身が知っているあらゆる民族のものに当てはまらないと、気がついたことだろう。強いて言うならば服に染め抜かれた紋様の一部がアイヌ民族のそれに似ている、などと分かるのは、光樹のようなごく例外的な人間だけである。
 ただ、どうにも奇妙なのが、その耳だった。何故か、羽根状のものをつけている。しかしあまりに当たり前のようについているので、正面切って尋ねてよいのか微妙だと、裕也としては感じてしまう。


 一方アレクは、先程裕也と美月、そして光樹が、見たままの姿だ。この平和な、しかもとてつもなく蒸し暑い東京では通常ありえない、鎧を着込んだ装いである。その鎧も純和風の縅鎧とも、あるいは西洋の金属板の集合体である甲冑とも異なる、どこか奇妙な姿だった。そしてリサに触発されてよくよく見てみると、耳の先端に少し気のようなものがついている。
 ただ、何より、ケンの姿ははっきり言って常軌を逸していた。和服的な長衣にすそを絞った袴、足元には足袋。そこまではまあ、日本あるいはアジアのどこかの地域の装いとも思えないではない。ただ、彼は上部の両端に突起物のある、何故かある種の「鬼」を思わせる面をつけていた。ある種能面のようでもあるが、それにしては口の周辺が完全に開いており、不自然だ。
 しかしその正体を、美月は正確に理解しているようだった。別に驚くでもなく賞賛している。そしてリサは、それを大きくうなずいて受け取った。
「でしょー。今回は頑張っちゃったんだから。先生に生地や小道具を買って送ってもらったりして」
「あたしに言ってくれれば用意したのに」
「それじゃあ、驚かせられないじゃない」
 それが宇宙の真理である、そんな顔でリサは言い放った。さすがの美月が、眉を微妙な角度に動かす。
「いや、そりゃそうだけどさ。そこまでする?」
「全く。私も慣れない買い物をさせられマシタよ。分からないノデ彼女に何度も確認を取ったりしナガラね。さすがに面倒になって止めるかと思っていマシタが、結局最後までやり遂げてシマッタのですから、やはりマニアの根性は凄いと思いマス」
 買出しに使われたあげく、着る所までやらされているケンが口を挟む。言い終えてから、彼は手にしていた扇を開いた。親指を使ってまず少しだけ開いてから、その部分を持って手首を勢い良く翻す反動で残り全てを広げる。つまり、片手だけで全てを行っているのだ。日本人でもできない人が少なくないのだが、実に手馴れたものである。
 ただ、それは別に格好をつけているのでもない。扇の用法そのままに、はたはたと扇いでいる。要するに暑いのだ。
「大変ですねえ」
 思わず裕也はそう声をかけてしまう。しかしケンは苦笑して首を振った。
「背広にネクタイよりは楽デスよ。襟が開いていマスし、実は生地も薄いノデ」
「そんなものですか」
「エエ。それに私より、アレクのほうが暑いはずデスよ」
「あー」
 何しろアレクはマントまで羽織っている。いくら薄手の生地でも、保温効果はかなりのものだろう。そこで光樹がそれで平気かとたずねていた。
「アツイDeath
 ただ一言、それも日本語での簡潔な返答だった。語尾は丁寧語の「です」のつもりなのだろうが、どう聞いても「Death」()としか、聞こえない。
「マタ変な日本語を教えて」
 ケンは苦笑してリサを見やるが、彼女はしらばっくれた。
「合ってるもーん」
「マアイイでしょう。それよりリサ、ただ雑談をしにこちらへうかがったのではないはずダヨ」
 ぽん、と扇を閉じたケンが促す。それまで彼女は、用件をすっかり忘れていたようだった。そして忘れていた、という事実もなかったようにして、話を切り替える。
「あのね、ミッキー。手伝ってくれたお礼に、あたしたちが売り子やろうか? その間にゆっくり辺りを見てくるのもいいと思うんだけど」
 労働力の礼は労働力で。健全なやり取りというものである。これが金品だったら受け取らなかったかもしれないが、美月は表情を輝かせた。
「あ、ほんとに? じゃあ、お願いしちゃおっかな。今日は裕也にも光樹くんにも、色々見せてあげたいし」
「まーかせて」
 流暢な日本語だが、あわせて親指を立てる動作が様になるのはやはりアメリカ人という印象を受ける。美月もそれに応じて、親指を立てた。
「まかせる! あとろしくう!」
 小柄な美月は、机の下をくぐって外へ出てしまう。さすがにそういうわけにも行かない裕也と光樹は、普通に通路から出ることとなった。やってできないこともないのだが、そうするためには匍匐前進が必要になるのだ。
「いってらっしゃーい」
 そうしてぶんぶんと手を振るリサと、丁寧に頭を下げるケン、アレクに見送られて、三人はスペースを後にした。
「暑いのに良くやるよな、本当に」
 自分の装いがいわば初心者向けだったのだと、思い知らされた。まあ、上級者向けに挑戦するつもりもないのだが。美月は苦笑してうなずく。
「まあ、少なくともリサは好きでやってるんだからいいんだけどね。それに彼女の本があの勢いで売れたのも、一つにはコスプレのせいなんじゃないかな。あれはやっぱり、何よりディスプレイ効果があるもの」
「確かに目立つもんな。実益はあるって訳だ」
「うん。やっぱりね、品物の良し悪しだけが売り上げを決めるわけじゃない、っていうのはどこも一緒よ」
 宣伝力は、販売力の優劣を決する極めて大きな要素だ。美月のアルバイト先であるCDショップ、裕也のそれであるコンビニエンスストアとも、商品の入れ替わりが激しいので良く分かる。明らかに歌唱力に乏しい人間の曲でも、変な味だとしか思えない食べ物でも、やりようによっては飛ぶように売れるのだ。まあ、もちろんその種の代物の寿命は大概短いのだが。
「同人じゃなくて商業のほうが、その点シビアでしょ」
「まあな。以前は確かに秀作が多くて名前が売れてはいるが、現在では最早発想が枯渇して駄作しかない、そんな作家の本でも平積みにはなる」
 光樹はちょっと遠くを見つめて、言い放った。
「お前、恐ろしいこと平然と言うよな。それってもしかしたら、十年後の自分かもしれないじゃないか」
「所詮はやくざ稼業だ。その覚悟がないなら、小説家などやろうとしないほうがいい。まあ、今は勤め人になった所で安泰とも言えない時代だがな」
 自虐的な要素が濃いことは否定できないものの、この場合「やくざ」は、博打うちなどという意味だろう。確かに創作や芸能など、人気に左右される職業が堅実とは形容しにくい。トップクラスに上り詰めた場合の収入は高額だが、その分保障にも乏しく、典型的な「ハイリスクハイリターン」である。
 しかし一方で、昔なら典型的な堅気、真っ当な勤め先だと思われていた大企業でも、簡単に潰れるようなご時世である。就職をするという時点で、ある意味では大博打だ。無論職探しをする以上その企業の将来性は極めて重要な判断材料になるが、実際はたかが一学生に、将来像の正確な読みができるはずもない。もしできるのなら、就職ではなく経営コンサルタントでも始めたほうが良いだろう。
 どうせ博打なのだ。それならば、面白い博打の方がいいに決まっている。だから会社勤めではなく、自分が好きな物書きという職業に賭けている。この男は、「理屈ではそうだ」ということをそのまま実践しているらしい。
「うへえ。何だか就職活動するのが嫌になってきたな」
 勤める気があるのなら、遅くとも半年後には裕也も美月も本格的に就職活動をはじめなければならない。大学の就職部では、既にそのための準備となる催しがいくつか行われている。
 同じ学年でそれらに興味がないのは、大学院進学を既に決めていたり、あるいは司法試験や公務員試験など就職に直結する試験の受験準備を進めていたりと、むしろ進路に関しては普通の学生よりも進んだ所にある少数派だ。光樹のように既に自力で職を確保している人間などは裕也の知る限り彼一人だし、親の事業を継ぐことにしている、という恵まれた人間も極めて少ない。
 そして裕也は、そのような才能あるいはコネクションがあるわけでもなく、大学を出たらとにかく働かざるを得ない身分だった。
「いや、てゆーか、裕也は始めっから就職活動嫌がってたじゃない」
 すかさず美月が指摘する。彼女とは、今年度に入ってから最初の就職部による説明会に一緒に参加しているので、その発言には説得力が有り余っている。実際、だるいとか嫌だとか、消極的な発言を繰り返していた。反論しても負けるだけだと分かっているので、裕也は流すことにする。
「はいはい。どうせ俺は、ダメ人間だよ。働く気なんてありゃしねえ」
「労働、とは自由時間を代償にして、生活に必要な金銭を得る行為だ。そうする意欲がないからといって、その人間が『駄目』だということは、絶対にありえない。必要な行為を必要なだけ行える時点で、その人間には一定の生活能力がある。『仕事が生きがい』という人間も確かにいるだろうが、しかしそれを万人に求めるのは不可能だ」
 流したはずが、光樹は生真面目に反論した。それも、むしろ裕也を擁護するような言いようである。裕也としては戸惑ってしまって、とっさに何も言えなかった。
 そこへ、とにかく口数の多い美月が割って入る。
「あ、そうだ。光樹くん的には、裕也ってどんな業界に就職するといいと思う?」
 考えなしに変なことを言うのは止めろ。心底そう言いたい裕也ではあったが、しかし例の奇天烈な眼鏡越しの、真面目そうな視線を前に、黙らざるを得なかった。
「過不足がない、それが長見の最大の特徴だ。誰とでも比較的円満につきあえる、これは人事、総務などの総合、調整的な部署では欠くことのできない能力だ。そしてそのような部署なら、どんな企業にもある。しかし短い就職試験の間に、それを採用担当者に理解させることは簡単ではないだろう。不足がない分その他のどんな部署へ入れてもある程度の働きはするだろうが、しかし突出して目立つ能力がない以上、採用上有利とは言い難いな」
「んー。確かに裕也が頼れるって、多少長く付き合ってみないと分かんないのよね。飲み会二、三回でいいんだけど、それが難しいよね」
 採用試験に「飲み会」がある企業など、ありえないだろう。そしてもしあったとしても、裕也としてそんな企業に就職したいかどうか、微妙な所だ。
「それならば、酒造業はどうだろうか」
「ああ、それがいいわね。裕也はお酒なら何でも好きだし、がんがんテレビCMを打てる優良企業がいっぱいあるもの」
「それに酒造業なら、潰れる可能性が小さい」
「そりゃあ、酒飲みのタネは尽きないもんね」
「本質的にはそれが最大の要因だが、もう少し複雑な事情もある。酒税は国家財政の中でも欠くことのできない財源の一つだ。だから財務省、正確に言えばその外局である国税庁が、酒造業者を厳しく監督、同時に保護している。その中の有力企業なら、倒産の可能性は極めて少ない」
「生々しいねえ」
「金銭が絡んでいる以上、生々しくない話もなかろう」
「そりゃそうだけど」
 二人はごく当たり前のように、話を進める。裕也は仕方なく、口を挟んだ。
「おいちょっと待て。俺は酒を飲むことが全ての人間なのか
 しかしここは情け容赦なく、美月が切り返す。
「違うの?」
 そしてさらに、光樹が追い討ちをかけた。
「映画鑑賞が趣味とのことだが、作る側に回らない方が無難ではあるだろうな。そこまでの想像力があるとは、少なくとも私には感じられない」
 元々自分に創作の才能があるなどとは、一切思っていないつもりだ。しかしその才能があると思しき人間からそう指摘されるのは、何故か結構ショックだった。
「光樹くん、フォローがないよう」
 美月がそう言うが、そもそもこの話を振ったのは彼女自身であるはずだ。光樹はそれを承知しているので、眉を微妙な角度に動かした。
「別に。採用担当者に人を見る目があるのなら、長見はどんな企業へも採用される可能性がある。そして結果として採用されたのなら、その企業にとっては言わば『当たり』の人材だったということだ。想像力というのも、ありすぎるのは組織人として考えものだぞ」
 例えば光樹自身など、想像力が組織人として悪い方向に行ってしまう典型だろう。文句を言わずに上司の言うことをはいはいと聞く、そんな性格では絶対にない。ビジネス誌などの中吊り広告には、これからのサラリーマンたるもの問題意識を持って仕事に取り組まねばならない云々ともっともらしく書いてあるが、そもそも組織の存在そのものに頭から疑問を持つような人間は、その構成員として不適格である。
 なるほど、それももっともだ、と、裕也も美月も光樹の顔を見てうなずいた。普通の人間であれば怒るところだが、そこは里中光樹である。むしろその通りだと言わんばかりにうなずきを返してから、続ける。
「後は、そうだな。地方公務員などどうだろう。均衡の取れた、ゼネラリスト向けの職業だ」
「うお。その手があったね!」
 美月が手を叩く。彼女にとってはかなりいい考えだったらしい。裕也自身としては違和感の強い提案だったが、しかしあながちむげにもできなかった。嫌々出た就職説明会で教わったのだが、他人が自分をどう評価しているのかを知っておくのは、就職活動においてかなり重要な要素なのだ。
 まずどんな業界を目指すのが良いかという、向き不向きに関する客観的な資料になる。それにその人間の人間関係を推し量る材料になるので、採用面接における典型的な質問になっているのだという。さらに、他人の目から見てどう、という考え方は、採用を直接作用する面接担当者の視点と共通する部分がある。
「そうなのか」
「うん。裕也ってさあ、何か無難な感じがあるじゃない」
「それ、褒めてるのかけなしてるのか」
「さあ。でもさあ、変に癖のある公務員って、嫌じゃん」
 確かに、無難に仕事をするのが何よりの職種かもしれない。最近の知事や市長には強烈な個性を持った人が増えているが、部下全員がそんな感じの自治体がもしあるとしたら、少なくとも裕也としてはあまり住みたいとは思えない。
 それに、これは国家公務員に関する話だが、公務員としては突出したキャラクターを持った人間が、詰まる所違法行為をしたとして次々逮捕されたり辞職に追い込まれたりもする。これもご時世である。
「まあな。でもあれって、最近不況のあおりとかで試験の倍率厳しいんだろ。今からやって間に合うかな」
「それは君の努力次第だろう。どうせ民間も、厳しいことに変わりはない」
 簡潔にして情け容赦なく、光樹が総括する。裕也は頭をかいた。
「あー、また嫌になってきたな」
「それも人生だ」
 彼にしては月並みな台詞だったが、止めとばかりに与えた精神的な打撃はかなり大きいのだった。

続く


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