Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で

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第一話 白い少年
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 人間の十数倍の全高を有し、合金とセラミックをその主成分とする巨人、それが彼の機体だった。主武装は右腕に装備された一三五ミリメートル機関砲、一発で数百人の命を奪いうる砲弾を毎分六百発発射可能な重火器である。この他にも両腕に切断機具としても使用可能な七五ミリメートル粒子機関銃を内蔵するなど、これ一機で小規模都市を壊滅に追い込むことも可能である。破壊と殺戮のみをその目的とした、戦闘兵器だ。この種の人型機械は、今では誰も知らない理由によって「ディーフ」と呼ばれている。
 そしてその日の彼の夕食は、牛百パーセントのハンバーグガーリックソースと黒糖パン、レンズ豆のスープにほうれん草のバターソテー、それから加工牛乳だった。滑稽で、そして悲しい人間の性である。殺し合わずにはいられないくせに、生きるために食べずにはいられない。ちなみにハンバーグは、余程良い肉を使わない限り百パーセント牛肉よりも豚肉を混ぜたもののほうが味に深みが出ておいしい。その代わり混ぜる手間が増えるため少し割高になる。
 アシュアランス=リーグ、それが彼の姓名だった。通称アッシュ。身分はアストラント平和戦略軍の初級曹。しかしその容貌から彼が軍籍を有し、しかもあらゆる兵種の中でも特に敵と肉薄するディーフパイロットであると想像することはまず不可能だろう。
 年齢は十七歳、まずそこから軍人と言うイメージから外れている。くせの全く無い細い髪は白に近い、ごく淡い色をしている。肌もその下に血が流れているとはとても思えない白さだ。輪郭や鼻筋にごつごつした所はみじんもなく、滑らかなカーブを描く。唇は小さく整っている。少年と言うよりは少女のような造作である。いや、ある種の人形のような、という形容の方がふさわしいかもしれない。外見上の生気という物が欠乏している。
 しかし何より印象的なのはその目である。緩やかな弧を描く眉の下の目の形はつぶらと言って良いものであるが、しかしそこにたたえられた瞳がその印象を大きく裏切る。極端に薄い、白目に溶けるような灰色、それは妖魔の瞳とさえ見えた。


「いよいよ初陣だが、気持ちの整理はついたか」
 アシュアランスが所属するディーフ中隊の中隊長、シャザン=ガーベル大尉が彼の前の席でほうれん草をつついていた。あごで透光装甲プラスティックの窓を示す。窓の外は空母の格納庫となっており、整備台に固定されたモスグリーンのディーフが居並んでいる。この艦に配備されているのは形式番号MT六八型、通称「ゴリアテ」である。端的に言って、旧式の機体だ。
「何というか、そう…実感が湧かないんですよね。何か悪い夢を見ているような…たまにあるでしょう、夢だとわかっていてそこから抜けられない、そんな感じです。そして朝起きたら自分のベッドに居て、学校に行く支度をしなきゃならないんです」
 そして彼は肩をすくめる。覚悟など決めてはいない、しかし死の恐怖を間近に感じるには、軍隊生活はそれまでの日常からあまりに遠すぎた。緊張感がないではないが、せいぜいゲームセンターの筐体に電子通貨を入力した、その程度のものだ。
「そいつは結構、ガタガタ震えている奴の面倒を見るのはごめん被るし、かといって戦いたくて仕方がないって変態を部下には持ちたくないからな。実力を出すにはそれが一番だろ」
 実の所アシュアランスの精神状態は見ればわかる。ただ自信をつけさせるために言ったまでだ。もっとも初出撃を前に平然としているのも、極端に珍しいことではない。その後の反応はさまざまで、敵弾がかすめた瞬間に恐慌状態に陥るものもいるし、何か感じる前に発艦に失敗して死んでしまうものもいる。
「実力、ですか。別に武勲を立てて故郷に錦を飾ろうなんて気はないですけど、生き残りたかったらその程度はしなきゃならないんでしょうね」
 アシュアランスは自分の機体を眺めやった。その向こうにはシャザンの機体も見える。同じゴリアテだが、シャザンの機体は指揮官用であるためバージョンが異なり、頭部などの外見にやや差異がある。
「ま、そんなところさ」
 シャザンの答え方が彼にしてはあいまいな理由がアシュアランスには分かる。実力があろうがなかろうが死ぬときには死ぬ、それが戦場だろう。アシュアランスにさえそれが分かるのだから、シャザンに分からないはずが無い。
「もっとも『アシャー』にでもなれば話は別だろうがね」
 見透かされたと気づいたのか、シャザンは話題の方向をずらした。悪いとは思ったのだが、アシュアランスは苦笑してしまう。
「そんなものなれたら苦労は無いですよ」
「アシャー」の話なら訓練所に居たときに何度も聞いたし、それ以前から知ってもいる。ただおとぎ話のようなものだとアシュアランスは思っている。初陣を迎えたパイロットが突然凄まじい力に目覚め、そして数十倍の敵を殲滅するというのだから。
 しかしこれはまぎれもない事実である。現にアストラント軍には「三銃士」と呼ばれるアシャーが在籍し、それぞれ総撃墜数三百機以上、撃沈艦数二十以上を誇る。これは明らかに普通の人間の出す数字ではない。もっとも「三銃士」とは言っても現役として軍に在籍しているのは〈青〉のバルクール、〈赤〉のデラインの二名で、今一人〈黒〉のカイスは予備役に退いて政界に転身している。
 アシュアランスはその実在を疑っているわけではない。ただ自分には関係のない話だと思っているのだ。新人パイロットが「アシャー」になれる確率は極めて低い。初出撃で撃墜される確率のほうが余程高いし、出撃する前に事故で死ぬ確率も楽にこれを上回る。そんなものを信じる暇があったら、訓練でもして生き残る確率を一万分の一でも高めたほうがいい、彼はそう思っており、そしてそれを実践してきた。おかげで訓練所での成績は良い方に入る。
 この冷めた反応に、シャザンは苦笑した。
「しかしおまえには可能性があるだろう、俺とは違う」
 誰がどのようにして「アシャー」となるのか、そのメカニズムはいまだ解明されていない。一つ確かなことは、初出撃から一年以上を経過してアシャーとなったパイロットはいない、逆に訓練中にそうなったものもいないし、はじめからそうであったものはいない、その程度の事だ。ごく少数の人間の中に眠る特殊な才能が実戦によって刺激され、開花するというのが妥当な推論だろう。
「〇.〇一パーセント、あるいはもう少し低い確率ですがね」
「おまえ若いんだからさ、もう少し希望に満ちた発言できないか」
 冗談半分にシャザンは言ってみるが、アシュアランスの反応は前にも増して冷たかった。「それぐらいありますよ、俺にだって。ただ軍隊にそれを見出せないだけです」
「除隊したら大学に行きたいって言っていたな。大学へ行って何をする気なんだ。目的を持って入らないと意味がないぞ、ああいうところは。でなきゃすぐ辞めるのが落ちだ」
「確かに勉強が大して好きでもないのは事実ですよ。でもそれ以上に、軍隊が嫌いなんです。大尉の前でこう言うのもなんですけど」
「別にそれは構わんさ。それよりも、だ。就職を考えているのなら別に大学出でなくてもいくらでも口はあるぞ。十七歳で初級曹ならそれなりの経歴だ。俺も顔の広いほうじゃないが、それでも心当たりがいくつかある」
「元軍人をとりたがるのは、つまり兵士としての従順さを求めているんでしょう。俺はそれが嫌なんですよ。上官には絶対服従、こういうところでは仕方のないことかもしれませんが、それをいいことに好き勝手をやるやつが多すぎやしませんかね」
 アシュアランスはわずかに険しい視線を格納庫に向けた。そうすると、彼の瞳は驚くほど不吉な光を帯びる。普通にしている時でさえ危険な印象を与える、それが極端に強まり、まるで呪ってでもいるかのようになるのだ。その視線がこの時捕らえていたのは、赤みがかった褐色の髪を束ね、作業帽の後ろの穴から出した一人の整備士だった。
「それはどこへ行ったって同じだと思うぞ」
「分かってるつもりですけどね。でもやっぱり少しでも可能性の低いところを選びたいでしょう。あんなのが就職先にいたんじゃまた辞めるしかないですよ。ったく実力もないくせに威張り散らしやがって」
 シャザンはアシュアランスの視線を追って苦笑を浮かべた。
「お前は他の整備士を知らんからそう言うが、彼女は優秀だぞ。でなけりゃ俺が自分の機体の担当にしておくはずがないだろう」
「じゃあ何で、このボロ船で旧式のゴリアテをいじっていなきゃならないんです。あれの出身地はたしかタルーバでしたよね」
 ゴリアテは旧式だし、それが積まれているこの艦も新鋭艦とは言いがたい。艦名は「マワーズ」一応ディーフの運用を目的とした空母に分類される艦ではあるが、場合によっては輸送艦にも転用される。正規の空母ではないのだ。ディーフに関わる人間としてここに配属されるなど、余程運がなかったかあるいは冷遇されている。アシュアランスもシャザンも人の事は言えないが。
「女だからさ」
 つまらなそうにそう言って、シャザンはコーヒーをすすった。
「大尉が差別主義者だとは知りませんでした。ばれたら出世に響きますよ」
 少年が皮肉な笑顔をしてみせるが、ベテランパイロットに動じた様子はない。
「もとから出世コースからは外れてるさ。…って言わすなそういうことを。さておき、俺は逆差別主義者だぞ。俺だったら間違いなく女を優遇するね」
「ああ、だから自分の機体を任せているんですね」
「それもある。しかし他の奴等はそうでもないからな。男が女に負けるわけには行かないなどとつまらん意地を張るやつもいるさ。性差別禁止法があるから表立っては色々と理由はつけるが、中身はそんなものだろう。出身地差別が厳然と行われているんだ、女性差別がない訳がない。おまえならわかるだろ」
「……」
「彼女も彼女で、かわいい女を演じて男を手玉に取るような真似のできる人間じゃないからな」
「恐いこと言わないでくださいよ。あれがかわいいだなんて、考えただけで気持ちが悪いです」
 アシュアランスはわざとらしく身震いしてみせたが、この直後に身をすくめることになる。話題の人物が不意に振り返って満面の笑みを浮かべたのだった。リファーム=クラスト中級曹、マワーズディーフ中隊整備班の中では最も若い整備士で、シャザン機、アシュアランス機、そして予備機を一機主任整備士として扱っている。
「ま、まさか聞こえてはいないですよね」
「盗聴でもされていない限りは…な」
 男二人は顔を見合わせたが、その彼らをよそにリファームは二人からは死角になっている所に消えてしまった。アシュアランスは安堵のため息を吐いたが、それは甘かった。
「おーいアッシュ、無駄話してる暇があったらこっちへ来て整備手伝えーっ」
 艦内放送が響いた。アッシュことアシュアランスが彼女を毛嫌いしている理由は主にこのあたりにある。彼女は十八歳でこの船には彼女よりも若い人間がアシュアランスしかいない、そのため何かと彼がこき使われるのである。階級上、中級曹は初級曹の一つ上になる。一応軍隊では階級が上のものが下のものを使ってよいことになっているが、つい最近まで学生をしていた人間にしてみれば年上の人間は使いにくい。理由のないことではなかったが、それで雑用係にされているアシュアランスが納得するわけでもなかった。
 彼に言わせれば、彼女は高飛車で恥知らずなメカフェチ女ということになる。彼は意味もなく悪口雑言を並べ立てる人間ではないので、一応これらの言い分にはそれぞれ根拠がある。例えば「メカフェチ」については、彼女がうら若い女性の身で軍隊に籍を置いているのが最新鋭の機体をいじりたくてそれで志願した、という確かにとんでもない理由に由来する。もっともマワーズに配属されてしまったので希望がかなったとは言い難い。
「恥知らず」については、知り合って間も無いある日彼女が彼にもって行くように命令した洗濯物の一番上に彼女の下着が乗っていたのが事の起こりである。恥を知らなくなったら人間として終わりだ、とはアシュアランス=リーグ初級曹の意見。そのようなこと気にするほうがおかしい、妙な気があるに違いない、とはリファーム=クラスト中級曹の主張である。なおこの一件に関してはマワーズパイロット、整備士組合連合が二分間の協議の末「それは頭にかぶるべきだった」との公式見解を出しており、反対意見として「騒ぐ前に俺にくれ」との声があったという。
 アシュアランスは勢いよく立ち上がって格納庫と直通回線でつながっているマイクをつかんだ。これは本来仕事で使うものなので私用で使ってはいけない。艦内放送もそうなのだが、しかし誰も止めるものはいなかった。
「俺は今待機任務中だ、遊んでるわけじゃない。用ならよそのやつに言え!」
「要するに暇だっていうのよ、それは。ほら、がたがた言わずにさっさと降りてきなさい、男の子でしょ」
「出撃前に体力使わせて俺を殺す気か!」
「そのくらいで死にゃしないわよ。把握してもいない機体で外に出るほうが余程危ないって。所でさっきから聞いてるけどその言葉使い何とかならない? 上官反抗罪ものよ。あたしは寛大だからそのくらいは許してあげないことも無いけど、これ以上ぐずるようなら考えとくわよ」
 ここまで言われるとアシュアランスとしては更に上の階級の人間を頼るしかない。彼はリファームよりもいくつか階級が上の人間を省みたが、彼は笑ってこう言っただけである。
「あれ、さっき言ったよな。俺は…」
「逆差別主義者でしたね。わかりました、行きますよ、行けばいいんでしょう、大尉殿、中級曹殿!」
 ぶつぶついいながらアシュアランスは席を離れる。ついでにいつの間にか空になった食事のトレイも持って行った。

 人類が宇宙に進出してから早千年が過ぎていた。この間に彼らは空間をねじ曲げて移動する方法を手に入れ、重力すらもその支配下に置くようになった。むしろ重力に関してはエネルギー源としての利用さえ可能となっている。ディーフから戦艦、果ては宇宙空間都市に至るまで、規模の大小はあれバイゼン管と呼ばれる重力制御技術の転用品を用いているのだ。
 煩雑な理論、技術を省いてごく大雑把にその運用だけを説明すれば、ブラックホールないし白色歪星のような超高重力天体の周囲にプラントを配し、重力を特殊な管に閉じ込める。これがバイゼン管である。エネルギーが必要な時にはこの閉じ込められた重力を変換するのだ。同じ容積の核融合炉に出力において匹敵し、更に小型化が可能である。なにより運用が容易というのが、普及の理由だった。
 しかし人間のあり方そのものにはこれといった変化はなかった。アシュアランスが一年前まで使っていた歴史の教科書をひもとけば、そこには相も変らぬ戦いの記録が羅列されている。どこの国が勝って、どこそこの場所を手に入れた、どこそこの国が負けて勝った国の属国になった、痛み分けに終わって両国とも衰退した、延々、そんなものの繰り返し。
 少しだけ目新しい記述を探そうとするのなら、現代史の項目がいい。アストラント連合教育省指定の教科書にはそれまでの冷静かつ客観的な記述をかなぐり捨ててこう書かれている。「隣国ダルデキューアは民主主義の名を騙り独裁を行い億単位の民衆を苦しめている。これと戦い、悪政を打破することはアストラントの全国家および国民に課せられた神聖な義務である!」そしてアストラントの国民であるアシュアランスは敵国ダルデキューアとの戦いに赴いている…はずだ。
 ちなみに、先ほどの教科書をもう少し読み進んで行くとこんな記述がある。「アストラント暦百二十六年、この崇高な義務に賛同したグリーンステート、ネオアトランティスその他の国々が連合に加わり、我が国は更なる繁栄の時代を…」そして昨年発禁になった、サイランス人の手による小学生向けの歴史読本にはこうなっている。「サイランス暦三百二十六年(アストラント暦百二十六年)アストラント軍が我が国に攻め込み占領した…」サイランス立憲王国、アシュアランスの故郷である。
「アッシュ、なにぼーっとしてるのよ。次は機体状況の点検よ」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい中級曹」
 一つ確かなことは、彼は今戦場へと向かう船の中で仕事にいそしんでいるということだった。
 ディーフの操縦は基本的に神経波コントロール、頚部に三次元センサーを内蔵したコントローラーを装着し、脊椎の内部電流を感知して機体に伝える。操縦者は自分の体を動かすのと同様の感覚で機体を操るのだ。これは本来重度の障害者のために開発されたシステムであると言われているが、もとから軍事目的が前提にあったとの話もある。
 機体胸部に設けられた座席に座ってコントローラーを装着、まずこれで機体各部のセンサーが予備電源で起動し、周囲の情報を操縦者に伝達する。この時操縦者は自分自身の体と機体、二重の感覚を持つことになるので慣れていないと酔う。時には慣れていても酔う。アシュアランスはこの「ディーフ酔い」には強い方だ。現に今も、平然としている。
「で、これからどうするの?」
 操縦席のすぐ前に座り込んだリファームが興味津々といった面持ちで聞いてくる。アシュアランスはそれを薄灰色の目で少し見やってから教本通りの作業を始めた。
「自己診断機構作動」
「了解、自己診断を開始します」
 目をつぶってつぶやくと、機体の中枢コンピューターが機体各部の点検を開始した。これは操縦系統とは独立した機能で、人間で言うところの自律神経に当たる。無論機械であるから完全に自律していては不都合が出るので、操縦系とはあまり縁の無い音声で起動命令を出している。目をつぶったのは、点検の結果に集中するためだ。
「本システムに異常は認められません」
「主動力源の機能を確認、エネルギー充填率九十九.九パーセント」
 チェックが進むにつれ、コックピット内部にはコンピューターからのメッセージが音声となって伝達される。高度に合成されているので、ちょっと聞いた感じでは普通の人間が話しているのと区別がつかない。十代後半の少年の声であるように聞こえる。
「ねえ、前から気になってたんだけど、この声誰のなの」
 リファームの肉声が聞こえる。アシュアランスは目を開くのさえ面倒臭がった。
「さあ、誰かだろ」
 コンピューターの音声は基本的に使用者が自由に選択できる。ディーフに限らず、ある一定以上の音声出力機能を持ったコンピューターならどれにでもついている機能だ。好きな女優、あるいは歌手の声を使うのが一般的だが、完全に機械合成された「理想的な女性の声」とやらを使うものも少なくない。
 恋人の声を録音して使う手もある。十分なサンプルさえ入力してやれば、後はコンピュータがその声を編集して必要なメッセージを合成してくれる。自分の声を使ったパイロットが居たという噂もあるが、その男はすぐさま撃墜されたらしい。少なくとも同性の声を使うのが少数派であることは確かだ。
「もしかして、カレシィ?」
 やたら語尾を上げるような発音でリファームが問い掛ける。彼女の故郷、アストラント連合の中でも有力国であるタルーバで流行しているしゃべり方らしいが、アシュアランスはこれが嫌いだった。しかし今はそれ以上に大きな問題がある。
「ふざけるなよテメェ!」
 目をかっと見開きながら叫ぶ。リファームの顔はさっきよりも近くにあった。
「あ、怒ったってことは、マジ?」
 アシュアランスの間近で、彼女は目を輝かせてにやにや笑いをしている。おそらく目をつぶっていたときからそうだったのだろう。ここで感情的になってはますます彼女の思うつぼ、アシュアランスは短く深呼吸して自分を押さえつけた。
「初期設定の中から適当に選んだんだよ。気が楽だから同い年っぽい物にしただけだ」
「そもそもなんで男なの? やっぱり趣味?」
 わざとらしく、彼はため息をついた。
「なあ、ちょっとばかり想像力を働かせてみなよ。要するにこの声はこいつがしゃべっているんだぜ」
「上腕部駆動系、異常ありません」
「外へ出てこいつの顔を見てみろよ、女声でしゃべるほうが気持ち悪いぞ」
 ゴリアテは、数あるディーフの中でも特にいかついシルエットを有する機体である。製造元メルトン社の広報によれば、「あふれるパワーを具現するデザイン」だが、小型化に失敗した肥満体の駄作との酷評も少なくない。
「ふうん、意外とロマンチストなんだ。みんなそれぞれ機体に愛着もってるけど、人格までは認めていないから女の声を使ってるのにね」
 リファームは何度もうなずいた。アシュアランスは返答を刺々しくする。
「悪かったな」
「悪くないよ」
 リファームは言葉を返すのに間髪を入れなかった。とっさのことにアシュアランスが反応せずにいると、リファームが笑って続ける。
「あたしも同じように思うもの。案外気が合いそうじゃない」
 さっきまでのいやみったらしい笑いは消えて、童女のように無邪気で、それでいて母親のように優しげな笑顔がそこにあった。こうしてみるとはっとするほど美しい。いや、元々彼女はそれなりの美人なのである。目鼻立ちがくっきりと整っていて、唇の形も良い。真顔でいると少々きつめの印象を受けるが、笑顔だとそれが完全に払拭されるのだ。
 が、しかし、人間大事なのは性格であって外見ではない。断じて。もとからアシュアランスはこういう考え方をする少年であったが、最近この信念は確固たるものとなっている。
「それはお互い人間だからな。何一つ共通点がないなんてことはないだろうさ。ま、あんたがロブスターから進化した人間とは別個の生命体だったとしても、俺は別に驚かないがね。それでも同じ知性体である以上何らかの接点はあるだろう」
 社交辞令も愛想もあったものではない返事だったが、別に相手は怒ったりしなかった。それどころか今度は大笑いを始めてしまう。
「ぷっ…くくくくく、あはははははははははは! やっぱり気が合うよ、あたしたち。普通の人間の想像力じゃあ、絶対にそんな表現出てこないよ。くくくくくくくくく」
 どうやら止めようもないほど笑い転げている。アシュアランスはそのまま彼女が呼吸困難で死んでしまうことを期待しながら点検作業に戻ることにした。
「自己診断終了、左下脚部駆動系に軽度の伝達異常が認められます。詳細情報を携帯端末に転送しますので、修理および点検を行ってください。なお、エネルギー、推進剤、機銃触媒の充填量はすべて出撃可能なレベルにあります」
 このメッセージが出てもなお、リファームは笑い続けていた。まだ死んではいない。
「ご苦労」
 システム終了メッセージにこのような言葉を使うあたり、やはりアシュアランスはリファーム言うところの「気が合う人間」であるらしい。
「了解、自己診断システムを終了します」
 アシュアランスはうとましげにリファームを眺めやった。どうやら死なないらしいが、体を下に向けて大きく呼吸しており、胸が上下している。これが結構大きい。振幅もだがそのものの大きさがかなりあったりする。そのくせ腰がくびれているのが服越しにでもはっきり分かるのだから大したものだ。そして背は平均より高く、足も長い。これを種に芸能界入りするには全体としてやや不足だが、普通に暮らして行く分には何ら恥ずかしがるようなところがない。
 しかし繰り返すが人間大事なのは見た目ではない。アシュアランスはそれを見ても何らの感銘も受けなかった。
「ほれ、終わったぞ。こいつが言うことには左足の下のほうにまずいところがあるようだから、とっとと行って直してきてくれ」
「はっはっは、あーあ。笑った笑った。何言ってるの、自己診断させるだけのためにわざわざ呼びつけるわけないでしょ、自分で行って直してくるのよ」
 リファームはこぼれ出た涙をぬぐった。アシュアランスは胡散くさげに目を細める。これを正面から見ると実に恐ろしいものがある。
「…もしかして、わざと不備な点を残してないか?」
 しかしリファームは全く怯まなかった。元々ここで怯むようならアシュアランス相手に漫才などやっていない。そういう表情をしていても、極端に気分を害してはいないと分かっているのだ。
「あったりー! この天才メカニックリファームさんがミスなんてするはずないでしょ。あんたに修行をさせるためにわざと残しておいたのよ。さあ、さっさと行って直してきなさい。簡単なとこだから、わざわざあたしが行って手取り足取り教えるまでもないよ」
 今度こそアシュアランスはリファームを睨み付けた。それでもやはり、リファームに怯む様子はない。しかし彼女の余裕もそう長くは続かなかった。
 けたたましい音が艦内に鳴り響く。人間の耳に心地良い音はほかにいくらでもあるのに、わざわざ不快感を呼び起こすものを選んで使っている。戦闘警報以外にありえない。
「俺の訓練は後回しだな」
 アシュアランスはリファームを押しのけて飛び降りた。コックピットの高さは二十メートル以上あるが、格納庫は重力制御区画ではないので飛び降り自殺は難しい。それに〇G下で一G下以上に機敏に動けなければディーフパイロットの適性があるとは言えない。ディーフは無重力状態での戦闘を前提に作られているのだから。そのまま一直線に、アシュアランスは戦闘用の装甲服に着替えるべくパイロットの待機所へと向かう。
「ええい、気の利かない連中ね。きっともてないに違いないわ」
 リファームもそんなことを毒づきながら修理を必要とする個所に向かった。普通の人間にしては十分に機敏な動作だが、もちろんアシュアランスのように飛ぶように動けるわけではない。
「バカ! 戦闘警報が出たらまず機密服の着用だろうが」
 去り際にアシュアランスが叫んだが、リファームは聞こえないふりをした。
「あんなものすぐに終わるわよ。それにこんな大ボケちょっとでもそのままにはしておけない」
 結局彼女は自分の安全よりも機体の完全を優先させた。戦闘警報が出てもすぐに艦が被弾することなどまずありえない、それを承知の上ではあったが。


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