Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で
第一話 白い少年
U


 光と闇の海を漂う。アシュアランスにとっての初戦闘はそのようなものだった。下方には味方艦隊の無数の光点、上方には無限に広がる星々。宇宙の闇は、その間を埋めるかのようだ。光景としては訓練所のシミュレーターで何度も見た物ではある。しかし現に肌で感じてみると、それは全く異質なものだ。
 ディーフは外部センサーの情報を直接神経系に伝達してくる。そのシステムによって、搭乗者は自分が素肌のまま真空、無重力の世界に放り出されたような印象を受ける。それに極端な不安、不快感を覚える者もいるが、これを自由で、心地よいと感じることこそがディーフパイロットにとっては最も重要な適性だと言われている。無論、アシュアランスは後者に当たる。
 優雅なことをしているようだが、それも任務の内である。ディーフ部隊の役割は大きく分けて二つ、敵艦に対する攻撃と、敵ディーフ部隊に対しての味方艦防御で、アシュアランスの所属する中隊は後者に当たっている。つまり敵が接近してこなければすることがない。空母を発進して所定の位置につく、今の所それで終わりである。怠るべき任務ではないにせよ、やはり花形とは言いがたい。今ごろ敵艦へと突撃すべく、光と闇の海を翔けているパイロットもいるはずだ。しかしそれをうらやましいと思うような精神とは、アシュアランスは無縁だった。
 戦艦の大口径砲が火を噴き、巡洋艦が長距離ミサイルを一斉に射出する。足元の光点群は今や光の川となっていた。敵艦隊が有効射程圏内に達したのだ。しかし大型艦と異なり、ディーフの弱いセンサー系では敵の存在は今の所薄ぼんやりとした塊としてしか捕らえられない。適当な所へ撃っているようにも見える。
 しかしその直後、光の川は逆流して更に輝きを増していた。艦隊正面の各所で閃光が膨れ上がる。敵艦隊の攻撃、そしてそれに対する反応である。お互い照準を定めて撃っているのだ。ただビーム兵器は多層力場によって拡散させる事ができるし、ミサイルなどの実体弾は迎撃することも可能である。この距離では、余程運の悪い艦でない限り撃沈されない。互いに大した効果がないと分かっていて、しかし一方的に撃たれる訳にも行かないから撃っている、その程度のものだ。
 何か遊んでいるようだな、とアシュアランスは漠然と感じていた。この砲撃戦の段階でディーフの出番はない。下手にうろうろしても、砲撃の邪魔になるだけである。だから味方艦が恐らく必死になって攻撃し、防御しているのを傍観している。
「おいアッシュ、ぼやぼやするなよ」
 と、隊長から無線で声がかかった。シャザンは二十機を指揮する中隊長であると同時にアシュアランスの所属するA小隊四機の小隊長を兼任しているので、彼の様子を見て取れる位置にいる。これは人材が不足しているからではなく、常に複数で行動するというディーフ運用上の基本原則から来るものである。どれほど階級の高い、例えば中隊の更に上の区分となる大隊の長であっても、いずれかの小隊に所属する。その際は階級の都合上小隊長を兼任する方が不都合がない。例外は臨時編成の場合などごくわずかだ。
「いや、別にぼやっとなんてしてませんけど…」
「流れ弾で死んだ奴の名前を、俺は百人は楽に挙げられるぞ。その中に入りたいか。明後日の方向に弾を出す間抜けな砲手なんていくらでもいるんだからな」
 シャザンはアシュアランスの抗弁など聞いていなかった。仕方がないので、一言。
「了解です」
「それでいい。…来るぞ!」
 敵の接近を告げる警報がアシュアランスの頭の中で鳴り響く。方向は正面やや上、艦同士の砲撃戦を避けて来ていることを考えればほぼ真っ直ぐに突っ込んで来ているようなものだ。数は今の所一つ…とアシュアランスが外部センサーからの複合情報を見ているうちに、その周囲に複数の反応が確認された。まず姿を現し、そして現在中心にある反応だけがひときわ大きい。妙だ。
「全機に告ぐ。N隊形を取れ」
 シャザンの声が、かすれていた。鳥肌が立つような緊張感が隊全体に広がって行く。N隊形とは、ただ一つの目標を中隊二十機の火力全てを費やして攻撃する、包囲型の隊形である。周囲の友軍ディーフ部隊も、あわただしく動き出した。
「何だ…?」
 アシュアランスだけが状況を把握しきれていない。命令に従って位置を変え、火器の安全装置を開放するが、それだけだ。
「目標、敵一番機。雑魚には構うな」
 隊長機の戦術コンピュータが正面の敵に便宜上の認識番号を振り、それが隊の各機に伝達されている。「1」の表示がアシュアランスの視界の中心、最大の反応を見せる敵機に付加されていた。それも接近によって急速に拡大している。そろそろ機体識別も可能になる距離だ。
「まさか…」
 一つの単語がアシュアランスの脳裏をよぎった。ディーフパイロットにとって戦場で最も出くわしたくない敵、どんなエースパイロットでも狙われれば撃墜されるほかないという。人知を超えた存在…。
「アシャーだ!」
 アシュアランスは誰かの叫びを聞いた。それは、あるいは彼が無意識の内に発したものかもしれない。オレンジを基調とした機体上に描かれた銀色の竜の紋章が、彼の意識を占領する。敵国ダルデキューアのアシャー、〈銀竜騎士〉ペルグリュンの機体、通称シルバードラゴンだ。
 戦場の超人、アシャーは何もアストラントにだけいるのではない。パイロットの中にごくわずかながらも確率的に発生する以上、当然敵国たるダルデキューアにも存在するのだ。アストラントの〈三銃士〉に対してダルデキューアのアシャーは〈銀星三騎士〉と称される。中でも〈銀竜騎士〉ペルグリュンは長く戦場にあってダルデキューア最強の名を欲しいままにしてきた。現在存命の中では、アストラント兵を最も多く殺してきた男だ。
「撃てぇっ!」
 シャザンの号令が聴覚を揺るがした。これまでアシュアランスは、自分の隊長を軍人としてはむしろ物静かな方だと思っていた。仕事上大声を出す事もあるが、不必要に怒鳴り散らしたことは一度もない。しかし今、その声は間違いのない絶叫だった。やはり何か、下らない夢でも見ているかのようだ。現実感を覚えるには、あまりに日常から遊離している。シミュレーターでこれまで何度もやった通りに狙点を定め、引金を引く。それも現実とは思えない一因だった。
 中隊二十機、そして周囲のアストラント軍ディーフからも砲火が集中する。これに直面した側は、視界一面光になったはずだ。どれほど重装甲のディーフであってもこれだけの弾丸を受ければ跡形もなく砕け散る。どう考えてもこれで終わりだ。
「や…」
 シャザンがこの時何と言おうとしたのか、アシュアランスには分からなかった。とっさにはそもそも何が起きたのかさえも。通信途絶。爆発、閃光。あっけないものだ。死と言う巨大であるはずの現実も。
「嘘だろ…」
 あの炎の嵐の中からごくわずかな安全圏を見出し、そこに正確に機体を移動させる。そしてその上で多数の敵機が自分の回避を認識しない一瞬の内に狙点を定め、発砲する。それだけのことが起きるとは、現にそれを目の当たりにしてさえ信じる事ができなかった。
 しかも恐らく、敵はシャザン機を指揮官機と判断して狙って来たのだ。指揮官を倒すことができればその隊は混乱を免れない。それを意図して何十という敵のうちから機体形状がわずかに異なる指揮官機を識別し、破壊したのだ。それも主武装の有効射程に入ってすぐという遠距離で。しかし、それを可能とするのがアシャーのアシャーたるゆえんなのだ。
「退避!」
「各小隊、隊形を崩すな、撃ち続けろ!」
「撃て!」
「撃て!」
 命令が交錯する。その中で辛うじて、アシュアランスは自分の従うべき命令を選び出した。退避だ。発信元は所属A小隊の先任士官、隊長であるシャザンが倒されたときに小隊の指揮を取るよう定められている。隊長を失った小隊はまず態勢を立て直す必要がある。そのまま留まっても戦力として機能しない。それゆえの退避命令だ。残りの命令は同じくシャザンが倒された際に中隊全体の指揮を取るよう定められているB小隊隊長のもの、そしてその他小隊長のものだろう。
 アシュアランスはやや遅れて後退した。しかしその間にも、惨劇は続く。次いで撃墜されたのは、B小隊長だった。指揮を取るべく盛んに通信を行っていたため、狙われたのだ。更にD、E小隊の隊長が消える。そして最後、C小隊の隊長は戦闘を放棄した。機体を翻して戦域を離脱しようとする。軍人として賞賛できるかどうかはともかく、一人の人間としては賢明と言う以前に正常の判断だ。逃げた方向は先に退避しようとしていたアシュアランスの機体の付近である。
「卑怯者が!」
 アストラントの通信回線に割りこんで、確かにそんな声が響いた。暗号化されているので敵同士の交信はそう簡単には理解できないが、敵へ向けて暗号化されていない音声を送信することは容易である。本来は降伏など、敵同士でも必要最低限の通話を確保するための物だ。発信源は敵機シルバードラゴン、そしてその直後、その機体が進路を急転させた。
 一瞬でC小隊長機との距離が零に等しくなる。その胴が超高エネルギーの刃によって貫かれた。即死以前に遺体すら残らない。代わりに機体が操作系の暴走によって痙攣しながら離れて行く。アシャーが得意とする零距離戦闘だった。特にダルデキューアのアシャー達は好んでこれを行い、専用の白兵戦用武装を装備している。銃火器ではなく剣、槍によって決着をつける、それが彼等に「騎士」の名が冠される理由の一つだ。
 所属中隊最後の小隊長機が撃墜されるのを、アシュアランスは至近距離で為すすべもなく見ていた。発砲しようにもこの混乱状態では味方に当てる恐れがあるし、逆に敵には当たらないと直感で分かる。そして、突き飛ばすようにC小隊長機から離れたシルバードラゴンは、慣性に任せて流れるアシュアランス機に接近してきた。
「うっ…」
 自分が死ぬ。それだけがアシュアランスにとって確かな現実だった。血が逆流するような感覚が全身を支配し、指の一本も動かす事ができない。喉が妙に、乾いていた。
「ふ…」
 シルバードラゴンは急加速して離れて行った。アストラント艦隊の中心部を目指しているらしい。その最後の一瞬確かにシルバードラゴンが、いやそのパイロットである〈銀竜騎士〉ペルグリュンが自分に一瞥をくれていたと、アシュアランスには分かっていた。パイロットの視覚に連動する機体の主光学センサー、「目」が自分を向いていたのだから。
 殺すことはたやすくできた。しかしそうしなかった。恐らく情ではない。そんな情け深い人間が、職業軍人などしているはずがない。発砲すればそれだけ弾薬を消費するし、近接戦闘にはエネルギーを食う。そこまでする価値はない、と見たのだろう。
 命拾いした安堵も、あるいは見くびられた怒りも、アシュアランスは感じることができなかった。光の雨が降り注ぐ。それはシルバードラゴンに続いて突入してきた敵機の砲火だった。文字通り必死になって回避運動を取る。少なくとも好き好んで死ぬ気はなかった。
 この時ダルデキューア軍ディーフ部隊が取った戦術は古典を通り越して原始的ですらあった。最強の者を先頭に突入して突破口を開き、そのまま奥へ斬り込んで行く。力任せで、それだけにその力さえ備えていれば有効な戦術だ。アシュアランスの部隊はその真っ先に破壊されるべき突破口に当たっていたのだった。幹部を全て失って、逃げ遅れた順に撃墜されて行く。周囲の味方も反撃を試みるが、一ヶ所が完全に崩壊した時点で態勢の立て直しは難しい。戦局全体としてはともかく、この戦域でのアストラントの負けが決まった。

 主武装である一三五ミリ機関砲は弾丸を全て撃ち尽くした時点で身軽になるために投棄、固定装備のビーム機銃も作動に必要な触媒を九割以上使い果たした。バイゼン管に蓄積されたエネルギーにまだ余裕はあるが、しかし何より推進剤の残量が二割を切っているのが致命的だ。この際装甲板が複数損傷しているなど些細なことと言って良い…。
 指揮官を失い、その他僚機ともはぐれて逃げ回っていたアシュアランスの機体は、さほど時間もかからずにそのような状況に追いこまれていた。周囲には味方の艦船もいるが、しかし艦列に進入してきた敵ディーフの排除にかかりきりでとても孤立した味方ディーフ一機に構っている余裕はない。アシュアランスは何とか自力で敵を振り切っていた。とは言え、それは敵がはぐれディーフ一機よりもアストラント軍全体の壊滅を優先させた結果でもあり、もし執拗に追撃されていれば撃破は免れない所だが。
「はあ…はあ…とりあえずは母艦に戻らないとな」
 荒い息がヘルメットのバイザーを曇らせる。理論上ディーフの操縦に必要なのは脳と脊髄だけだが、無論それで体力を消耗しないということはありえない。それでも何とか、アシュアランスは自分の体を駆りたてていた。まず艦に戻って補給をしないと、じきに推進剤を使い果たして動けず救助を待つしかない状況に陥る。その後艦内で戦闘終了まで待機するにせよ、戻って来た他のディーフと臨時編成の隊を組んで再出撃するにせよ、まず帰還しなければ始まらない。空母の識別信号を探し当て、その方向に機体を向けた。
 錯綜する敵味方を避けているうちに、推進剤残量が一割強まで追いこまれた。しかし何とか、光学センサーで母艦マワーズの船体を確認できる距離まで接近する。ねぎを背負ったフォアグラなどと怪しげなあだ名を奉られる不恰好なシルエットも、この時だけは頼もしく見えた。
「ふう…。こちらリーグ初級曹、マワーズ管制、応答願います。こちらリーグ初級曹、マワーズ管制、応答願います」
「こちらマワーズ管制。アッシュ、良く戻って来た!」
 通信回線がすぐに確保される。管制官の声は聞き覚えのあるものだった。規模が小さいだけに、関連部署の間ではほぼ全員が顔と名前を覚えるような仲になる。
「今誘導を始めるが、敵艦が接近しているから細かい事はできない。後は自力でやれ」
「了解です」
 一息ついて、アシュアランスは周囲の状況を確認する余裕を持った。既に両軍の艦艇もかなり接近しており、ディーフの光学センサーでも敵の艦影をはっきりと捕らえる事ができる。そして彼は、敵の戦艦がこちらに砲塔を向けている事に気がついた。思わず叫ぶ。
「マワーズ、回避を!」
「そんな事は操舵手に任せておけ! お前は自分の事だけ…」
 管制官が怒鳴り返した。戦艦の主砲は一回の射撃でディーフの最大保有量を楽に上回るだけのエネルギーを放出する。そのエネルギーの奔流がかすめ去った余波で、通信が途絶した。マワーズは敵戦艦の一撃をかろうじてかわしている。
 しかし、戦艦に装備された主砲塔は一つではない。激しい回避運動で無理の来ている所に狙いを定めている。そしてその光が、軽空母の貧弱な防御力場と装甲を易々と貫いた。
「あっ、あっ…」
 艦その物が串刺しになり、エネルギー供給系にそって逆流、暴走による小爆発が連続する。更にそこから弾薬に引火、爆発が起きる。その光景も、アシュアランスは見ているしかなかった。一人のパイロットの力など、そんなものだ。
 その艦内、格納庫。ディーフ中隊が出て行ったきり戻って来ないため、整備士であるリファームは予備機の点検に当たっていた。もっとも普段から万全の状態にしてあるからさしてすることがある訳でもない。結局最後にコックピット内部を掃除して離れようとした。艦が激しく振動したのがその時である。
 リファームも実戦を経験するのはこれが初めてだった。とっさには何が起きたのか状況を把握できない。そしてゆっくり考える時間も、与えられなかった。格納庫の艦本体に面した壁面が爆発する。原因を考える前に、リファームはまず助かる方法を探さなければならなかった。爆発は一度でとどまらず、瞬時に視界全てが光と炎に変わる。これではどこへも逃げようがない。艦そのものが死を迎えようとしているのだ。脱出艇まで逃げる時間もないだろう。
 リファームは予備機のコックピット内に逃げ込んでいた。ここならば多重の装甲に守られ、余波で生じた爆発程度なら防ぐことができる。また機体そのものに移動能力があり、整備士であるから操縦系に理解があるので、何とか動かせないこともない。そう考えたのはシートに身を沈めてからである。反射的な行動だった。
 コックピット内部に装備された予備の頚部コントローラーを気密服越しに装着し、機体を起動させる。周囲の情況に反応した安全機構が作動し、ハッチが自動で閉じられた。
「うっく…」 
 自分の体以外の物を自分のものとして扱う事は、本来異常な体験だ。慣れていない者にとっては激しい不快感をもたらす。それを回避するために本来ならパイロットに合わせた調整が行われるのだが、もちろんそれもない。胃が反転するような嘔吐感に耐えながら、機体を出口に向かわせた。本来は着艦する機体を迎えるものであったが、手近で開いているのはそこしかない。何とかそこにたどり着いた所で、新たな爆発が生じた。格納庫内部の弾薬に引火したのだった。現在格納庫内部は与圧されていないから爆風は生じないが、雑多な破片が機体の背面を打ち据える。彼女の意識も、そこで途絶えた。
「駄目か…」
 アシュアランスがつぶやく。艦の命運も尽きた。生存者がいれば、それは奇跡と言うものだろう。自分の機体も危うい。敵味方が至近距離で砲火を交える中で別の味方空母を探し、着艦を要請してそれを実行に移すまで推進剤をもたせる事は極めて難しい。熟練兵ならうまく節約する事もできるが、しかし彼にはその技量がないのだ。
 マワーズを葬った敵戦艦は、既に新たな獲物を求めて移動していた。撃沈した敵の周囲に一機のディーフがいたことくらいは把握していただろうが、それをわざわざ追うこともしない。当然である。アシュアランスには、それに対して憎悪を覚えるだけの精神力も残されてはいなかった。ただ何となく、破片になって行くかつての母艦を眺めている。
 と、その中に一機のディーフが流れて行くのを発見した。目立った損傷もない。予備機が何かの拍子で流れ出たのだろう、とアシュアランスは判断した。主武装となる機関砲あるいはライフルなどは装備していないようだが、それでも推進剤や両腕部の機銃触媒が十分に充填されていれば、少なくとも現在の自分の機体よりは使える。試してみる価値はあるだろう。アシュアランスはその機体に自機を寄せた。
 組みつくようにして二機のディーフを固定し、自機のハッチを開放する。この状況で狙撃でもされれば間違いなく即死だが、しかしアシュアランスはためらわなかった。
 まず操作系を遮断して生身の感覚を取り戻す。そしてシートと装甲服の固定具を全て外した。装甲服は気密服の一種だが、パイロットを守る最後の壁としての役割を果たすと同時に、パイロットの体とシートを安定して固定させる機能も持つ。これは戦闘時の急旋回や被弾による衝撃で体がシートから浮き上がり、頭部を壁面等に激突させる事故を防ぐためだ。しかしその機能を優先させた結果、中世騎士の甲冑のような形状となり、通常の気密服に比べて動きにくい。
 多少苦労しながら機外に出て、アシュアランスは予備機のコックピットハッチに取りついた。脇の操作盤を開いてハッチを外部操作で開ける。中のパイロットが気絶などしている際に、これを救出するための機構である。そしてその予定通り、つまりアシュアランスの予定とは異なって、彼は中で気絶している人間を見出した。装甲服ではなく、通常の気密服を着ている。外光がバイザーに反射して顔は見えないが、胸の認識票で姓名、階級を知る事はできた。もっともそのあたりが膨らんでいる時点で、見当はつくのだが。リファーム=クラスト中級曹だ。
「何をやっているんだ、こいつは」
 死んでいるのかと思ったが、見ると呼吸をしている。とりあえず邪魔なので機外に放り出そうとして、アシュアランスは自分がひどく非人道的な事をしているのに気がついた。いくら毛嫌いしているからと言って、人間を真空、しかも戦場に放り出すのはあまり関心できる行為ではない。いくら気密服を着ていても限度というものがある。渋々、半分ほど体が出てしまったのを引き戻そうとした。
「!」
 すると素晴らしい勢いで戻ってくる。どうも一連の動きで意識を取り戻したらしい。何か猛然と、身振り手振りを交えて怒鳴っているようだが、しかし真空状態で通信回線も使わずに音は伝わらない。間が抜けるだけだ。とりあえずアシュアランスは親切に、身振りで近距離通話を使うことを教えてやった。
「お前今何したぁっ!」
 開口一番、ではなく通話状態が確保されるなりそんな声が響く。アシュアランスはさりげなく音量を下げていた自分の抜け目のなさに感心した。
「いや、なんだか外に出そうだったから引き止めたんだが」
「その前に放り出そうとしたでしょ! コントローラーが外れてるし!」
「外れやすいんだよ、きっと。安全帯もしてないんだから、気絶した拍子に外れたんだ」
「ぐううううぅ…!」
 今にも噛みつきそうな、いやお互い機密服と装甲服を着ているような状態ではなければ噛み付いていたに違いない形相で睨みつけてくる。アシュアランスはそれを多少は気にしながら自分の体をシートに固定し、操作系を装甲服内臓のコントローラーに切り替えた。
「いがみ合ってる暇はないな。これから未調整の機体でお荷物を抱えて何とか逃げ切らなきゃならない。大人しくしていてくれよ」
 機体を再起動させながらそう言ってみる。本来ディーフはパイロットに合わせて調整するものであるが、予備機にはそれがない。一応誰にでも動かせるようにしてあるが、その分反応が鈍くなるのだ。しかし相手は黙ってくれなかった。当座怒りを抑えて話す。
「未調整じゃないよ」
「あん?」
「未調整じゃない。どうせ予備機を必要とするのはあんたに違いないからって、大尉があんた用に調整するように指示していたのよ」
「…そうか」
「大尉は…亡くなったの?」
「…ああ」
「そう」
 シャザンらしい。アシュアランスはそんな事が行われているとは全く知らなかった。言われてみれば確かに、シートも操作感も違和感がない。エネルギーなども十分にある。これならいけるかもしれない、とそんな気もして来た。
 しかしそのわずかな自信は、すぐに打ち砕かれる事となった。未調整などよりもはるかに強烈な違和感がアシュアランスに文字通りのしかかっている。リファームだ。本来一人乗りのコックピットにもう一人入っているのだから、無理が生じない方がおかしい。座席の後ろには荷物を入れるためのスペースもあるが、人一人はちょっと入らない。
「おいもうちょっと何とかならないか」
「無茶言わないでよ、これでもこっちも相当がんばってるんだから。それより変な所さわんないで」
「馬鹿意識し過ぎだ。そもそも装甲服越しじゃあどこを触ってるかも分からない。こんな時だけ女ぶるな」
「何だってぇ!」
「…だから、いがみあってる場合じゃないぞ」
 敵ディーフが接近してくる。今日一日でもう聞き慣れた警報がアシュアランスの聴覚を刺激した。考えてみれば当然だ。ディーフが一機で漂っているのならともかく、今の状態でいるなら、そのどちらか一機、あるいは両機とも機能を停止していないと見るのが正常の判断である。人為が働かなければ二機組み合うなどと言う状態にはまずならない。
「え、なに、なに?」
 異変を察したリファームがきょろきょろと見回すが、今はコックピットの機器、壁面が見えるだけだ。外部センサーの情報はパイロットの神経に直接伝達されるから、中にいるだけでは外の様子がわからない。
「敵だよ」
 極力動かないようにしながら、アシュアランスは敵の様子だけを探った。機数一、方向は左。機種は「ニーズホッグ」、現在ダルデキューア軍の主力となっている機体だ。性能はアストラント軍のサムソンと互角とされている。つまり一段古いこのゴリアテよりは、普通に考えれば上になる。慎重に接近して来ているようで、まだ互いに攻撃できる距離ではない。ここで慌てて動いてはその攻撃を誘う事になって危険だ。
「ど、どうするのよ」
「逃げるのが無難だろうな。今は一機だが、近くに仲間がいると考えた方がいい」
「じゃあ早く」
「まだだ。今奴は迷っている。生きているのがこの機体か、それとも俺の機体か。もし外れたら、今度は奴が危なくなる。それにもし二機とも生きていたら、完全に奴の負けだ。仲間を待つか、撃ってみるか…」
 射撃可能な距離まで接近しても、敵が狙点を定めきれていない。アシュアランスはその光景をじっと見ていた。もし向こうが気まぐれに自分の乗っている方ヘ発砲すれば、それだけで自分は死ぬ。汗が頬を伝った。
「待つ気だな…」
 撃って来ない。しかし狙いが二機の機体の中心ほどに固定されていて、こちらもうかつに動けない。
「どうすんのよ、仲間が来たら勝ち目なんて…」
「分かってる。だから黙ってろ!」
 推進力を一度に上げられるだけ上げる。機体を急旋回させ、先程まで自分が乗ってきた機体を敵との間に挟み込んだ。
「うわっ!」
 リファームが悲鳴を上げるが、構っていられない。敵の機関砲が火を噴くのが見えた。着弾の衝撃が機体を揺さぶる。盾を作ってはいるが、貫通してくる弾丸もある。しかしさすがに、この機体の装甲を破るだけの勢いは失っていた。それにも構わず前の機体の脇越しに、アシュアランスは両腕の機銃を発砲した。二筋の光の列が敵機を捕らえる。その動きが、止まった。
「済まない」
 謝ったのは殺した敵に対してではない。盾にした愛機に対してだった。そのままそれを引き剥がして離脱する。大量の被弾により爆散するまで、長い時間はかからなかった。
「やったの?」
「何とかな…」
「それにしてももうちょっと丁寧に操縦できない? 思いきりぶつけたんだけど」
「無茶言うな。それにまだ黙ってろ。舌噛むぞ」
 今倒した敵に集中しているうちに、新手が接近してきていた。機数三、機種は同じくニーズホッグ、恐らく今の敵と同じ小隊のものだ。一対三ではどう考えても逃げるしかない。迷わず反転、急加速する。
「痛ぁっ!」
 急な運動の結果コックピット内でリファームの体がはねたらしい。また悲鳴が上がった。しかしアシュアランスは神経を外部に集中しているのでそれを見てもいない。遠距離からではあるが砲火が追いすがってくる。回避しようとすると、更にリファームが体をいためたらしい。
「へたくそ! もう一人乗ってる事を考えろ!」
「うるさい! ゆっくりやったら撃ち落とされる!」
「このままじゃ全身打撲で死んじゃう!」
「それだけ喋る体力があれば死にはしない! 黙れって言っているが分からないのか、気が散る」
「嘘! このまま黙ってたらあたしの事忘れて操縦するでしょ」
 罵声を応酬させながらも逃げ続けている。周囲の状況も把握できていない。リファームの言う事にも一理はあったが、しかしそれを認めるのはしゃくだった。憎まれ口を叩く。
「ええい、使えない女だ! それならがんばっての一言も言えないのか。その方がこっちにもやる気が出て、君だって生き残る可能性が少しでも上がる。理屈で考えろ理屈で」
 わずかな間を置いて、頭部に鈍い衝撃が走った。どうも何かの備品で思いきり叩かれたらしい。装甲服越しにそれだから、生身で食らっていたら死んでいたかもしれない。
「何しやがる、血迷ったか!」
「そんな都合のいいことできる訳ない! いきなり戦場に放り出されて、損得勘定をして、そんな、そんな…」
 かすかな振動が感じられた。新兵とは言えアシュアランスもパイロットだからそれが機体から生まれたものではないとすぐに分かる。もう少しで肌が触れ合えるような距離で、生身の人間が震えている。それがアシュアランスにとって、この戦場で死の恐怖以外に初めて現実感のある出来事だった。
「…悪かった。俺もちょっと気が立ってたな。何とか二人で生き残る方法を考えよう。そう言えばお前にも挨拶がまだだったか。よろしく頼むぜ、相棒」
 新たな自機となったかつての予備機に声をかける。三機の敵に追いすがられてなお、それだけの余裕があった。守るべきものが自分自身だけではない、そう気持ちを変えるだけで何もかもが違って見える。激しく疲労しているはずの体もずいぶんと軽くなったようだ。まるで自分自身が、疲労を知らないディーフの体を手にいれたような気もする。正確に言えばその一部分か…。
「…後二回だけ旋回する。耐えられるか」
 周囲の状況を確認して、アシュアランスは当座の戦術を決めた。相変わらず混乱した戦場だ。敵もいれば味方もいる。念のために同乗者に了解を求めた。
「…がんばる」
「いいだろう。行くぞ!」
 予定していた点まで引っ張って行って緩やかに旋回、同時に狙いを定めず追ってくる敵めがけて機銃を撃ち放した。移動以外に推力を使ったため敵との距離が詰まる。やはり撃墜させることはできなかった敵が、激しく反撃してきた。何十発と掠めてくる。アシュアランスは更にもう少し逃げ、そして機体を反転させた。今度は何とか狙いを定めて発砲する。しかし敵の方が狙っている時間が長い。まず右脚部が持って行かれた。
「…くっ」
 その衝撃でリファームがうめく。しかしこらえているようだ。
「頼む!」
 自分の立てた策が半ば以上運任せのものであるとアシュアランスには分かっていた。だからそう言うしかない。しかしたった一機、しかも新兵が三機の敵を排除しようとすること自体が元々奇跡に近い。悪びれる気はなかった。これで撃破されたとしても、仕方がない。
 光の雨が横殴りに叩きつける。アシュアランスが期待した通りの反応が起きていた。その中で二機の敵機が崩れ去って行く。残る一機はそれを辛うじて回避したが、そこをアシュアランスが狙っていた。二機撃破、新兵として目覚ましい戦果を上げていた。
「こちらマワーズディーフ中隊のリーグ初級曹、戦艦ウィンスロー、聞こえますか」
 最も近くにいた戦艦と通信回線を開く。側面に記された艦名が確認できる距離だ。
「こちらウィンスロー、聞こえている。無事のようだな」
 すぐに応答がある。口の聞き方からして、通信士官だろう。
「何とか。援護、感謝します」
 敵機を二機まとめて葬った光の雨、それは戦艦からの攻撃だった。強力な主砲で敵艦を薙ぎ払うのがその主任務であるが、接近してくる敵ディーフを排除するために多数の対空火器を装備してもいる。アシュアランスはその正面に敵を誘い込んだのだった。その前に反撃したのはその目的を隠蔽するためだ。しかしその前に撃墜される可能性もあり、運試しの要素もかなり強かった。
「いや、こっちも銃座の連中に代わって礼を言おう。絶好の的を連れてきてくれたんだからな」
「それなら礼がてら、少し教えていただけませんか。手近な空母の位置を。母艦が沈んでしまいましたし、見ての通り機体も損傷しています」
「分かった…いや、少し待て」
 通信の向こう側が騒がしくなる。ここは待つしかない。やがて相手が会話に戻って来た。
「後退命令だ。どうも分が悪いらしい。逃げ遅れるとまずいが、しかし近くに使えそうな空母が見当たらない。機体を投棄してこちらに来るのなら収容させるが」
「…いえ、もう少し探してみることにします」
「そうか。では、健闘を…いや、無事を祈る」
「了解です」
 通信を切って、アシュアランスは収容可能な空母を探して移動を始めた。
「どうして、この子を捨てなかったの。その方が確実に生き残れるのに」
 リファームがたずねる。この子、とは今自分たちが乗っている機体の事だ。リファームはそういう口癖を持っている。
「一度の戦闘で二回も自分の機体を捨てるのが忍びなくてね。わがままにつき合わせて済まないが。それとも君だけ向こうに下ろそうか」
「いや、いいよ。それより外部データを予備モニターに回してくれる? 二人で探したほうが多分早いから」
「分かった」
 戦闘は終結しつつあった。


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