Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で
第2話 白い人々
T


 アストラント、それは本来恒星の名前であった。語源は独逸語で「星の国」を意味するアストロラントが詰まったものとされる。恒星なのだから星があって当然、あまりにいい加減な命名ではあるが、本来それは無理からぬことだった。何しろ元々、恒星アストラントは惑星を持たない特徴も何もない星だったからだ。いい加減になりたくもなる。
 しかし、その特徴のなさが逆に、後にこの星とその名を有名にするきっかけとなった。複数の国家が連合を形成するにあたり、不平等を回避すべく恒星しかない星系で連合条約を締結し、そこを首都と定めたのである。それがアストラント国民主権国家連合の始まりだった。
「いい加減な国民にふさわしいいい加減な名さ」
 ダルデキューアのアシャー、〈銀狼姫〉ナディア=バルファリスはそう語ったと伝えられる。しかしそもそも何故敵国の人間がアストラントについて論評し、そしてそれがアストラントに知られている理由までは定かではない。
 アシュアランスとリファームは、その首都を構成する人口惑星の一つ、センタストUの第三宇宙港に降り立っていた。センタストUは首都機能のうち軍事部分を分担し、第三宇宙港はその中で中小規模の輸送船、その他艦艇を収容する。花形である空母や戦艦を収容するその他の港に比べれば、やや場末との感が否めない。
 二人がここに下ろされる事になったのは、結局アシュアランスの選択の結果であった。空母を探したがすぐには見つからず、やむなく積荷の空いていた輸送船に強引に便乗したのである。着艦甲板を必要とはしないので何とかならないものではないが、もちろん整備などはできない。倉庫の中で全機能を凍結させただけだ。しかし元来同じ艦隊の人間同士には仲間意識があるし、「船」と呼ばれるものに乗る人間が遭難者を救助するのは、それが地球の海を行くものであった時代以来の伝統だ。輸送船の乗員ははた迷惑なはずの珍客を快く迎えてくれた。それでここまで乗ってきたのである。
「しかしこれからどうすりゃいいんだ」
 世話になった人々に一通り礼を済ませて船を下りたアシュアランスは思わず溜息をついた。輸送船の乗員にはそれぞれ任務があるからあまり長居もしていられなかったのだ。母艦は撃沈、隊長は戦死、他の同僚達も生死すら分からない。行く当てもない。
「ぼやかないぼやかない。とりあえずは艦隊司令部に出頭、かな」
 寸の合わない軍用作業服を着たリファームが答える。服の類は全て母艦とともに宇宙塵に変わってしまったため、やむなく間に合わせを着ている。それはアシュアランスも同様だが、彼には幸いサイズの合う物が輸送船にあった。要は女性用がなかったのだ。
「面倒だな…どうせお役所仕事でたらい回しにされるんだぜ。かといって放っておけば軍務放棄で監獄行きになりかねない」
「だからぼやくんじゃないの。さあ、行こう」
「やれやれ…」
 仕方なく歩き出そうとする。しかし足を止めざるを得なくなった。声をかける者があったのだ。それも名指しで。
「失礼ですが、アシュアランス=リーグ初級曹、リファーム=クラスト中級曹でいらっしゃいますか」
 非常に丁寧な物言いで、二人ともむしろ緊張した。ここしばらく軍隊式の言葉使いに慣れてしまっている。
「はい」
 リファームがそう言って、アシュアランスは無言でそちらに向き直る。目にとまったのは、昔ながらのスーツに身を包んだ若い男だった。アシュアランスがこれまで見たことがないほど、真っ黒な髪と瞳が印象的だ。しかし何より目立つのが顔にかかった黒ぶちの眼鏡である。今時近視遠視はもちろん、乱視でも日帰り外科手術で治る。それで眼鏡というのはよほど手術に対して偏見があるか、一風変わったファッションセンスの持ち主だ。どちらにせよ、ちょっと距離を置きたくなる。しかしリファームの反応はまるで異なっていた。
「え、嘘…」
 知人なのか、その顔を見てかなり驚いている。しかし第一声から判断して、男にリファームとの面識があるとは思えない。彼は微笑んでから用件を切り出した。
「少しお時間をいただけますでしょうか。お二人にお話したい事があるのですが」
「は、はい、喜んで」
 ほとんど飛びあがるようにリファームが承諾する。アシュアランスがあきれた声を出すのに、何の苦労もいらなかった。
「おい、具体的な用件もわからずについて行く気か。常識を疑うな」
「うるさいわね、嫌もおうも言えるはずないでしょ。すいません、こいつ本当にへりくつばかりで」
「いえいえ、そうでしたね。用件は…」
 あくまで丁寧に男は話を続ける。アシュアランスは手でそれを遮った。非礼であると承知の上で、敢えてやっている。
「その前に、まず名乗るのが先ではありませんか。あなたは我々の名前をご存知のようですが」
 それが礼儀だ。まず礼儀を破ったのは相手なのだからアシュアランスもそれを守ろうとしなかった、そのような理由である。言葉だけは丁寧だが。
 男は何故か驚いたように目を見開いて、それから苦笑した。
「失礼しました。私は…」
「あんた、この人を知らないの?」
 今度はリファームが割り込んだ。もはや礼儀も何もあったものではない。アシュアランスはにべもなく答えた。
「初対面だ。それに記憶喪失になった覚えもない」
「記憶喪失になったらそもそも覚えてないでしょ。それよりしかし、ここまで一般常識が欠落しているとは思わなかった。ちゃんと生きてる?」
「あんたが言うか」
「言わせてもらう。サファール議員よ、代表議会の」
 代表議会とは、いわゆる国会の事だ。連合を構成する各国から五十人が選出されて議院を構成する。連合は五十一ヶ国一地域(首都)の計五十二区からなるので議員定数が二千六百である。
「一々議員の名前なんて覚えていられるか。それに俺は未成年だから選挙に関心がないからって非難されるいわれはないぞ」
 アストラントの成年年齢は十八、つまりリファームには選挙権があるがアシュアランスにはない。しかし彼女は思いきり溜息をついた。
「パイロットとして恥をかかないように遠回しに言ってやったものを…カイス=サファール、通称〈黒〉のカイス、最強のアシャー、現在は予備役に退き政界に転出して代表議員となる。って、まさかここまで言って知らなかったらほんとにただのアホよ」
「本人より詳しい紹介、ありがとうございます」
 男、カイスはそう言ってリファームの言葉を肯定した。それなら知っている。〈黒〉のカイス、アストラント三銃士の一角。恐らく今この国で最も、英雄と呼ばれるにふさわしい男だ。
 先の大規模会戦では敵のアシャー〈銀獅子騎士〉カルダントを葬った。その他その華々しい戦果は数え上げればきりがない。放送に何度も登場しているし、軍事施設内部のポスターを飾る事はむしろあたり前になっていた。アシュアランスもさすがにその顔は覚えている。パイロットで知らないはずはない。
 ただ、ずいぶんとイメージが違っていた。これまでアシュアランスが見て来たのはそれこそいかにも英雄然とした、凛々しい姿である。眼鏡もかけていない。しかし今現に目の前にいるのはむしろどこにでもいそうな、若い男だ。戦歴からして二十代後半のはずだがもう少し若く、半ばほどに見える。物腰から軍人らしさがない。市役所、あるいは銀行勤務と言われた方が余程しっくり来る。それでとっさには分からなかったのだ。
「済みません、すぐに分からなくて」
「いえいえ、私がうぬぼれていたんですよ。きちんと自己紹介をすべきでした」
 とりあえず謝ったアシュアランスに対し、カイスはかぶりを振った。あくまで丁寧で、そして謙虚な反応だ。元来アシュアランスは有名人と呼ばれる人々に好意的ではないが、この対応には好感が持てた。もっともこれだけで全人格を判断するのは愚かだが
「用件ですが、その前にまずお悔やみを申し上げます。乗艦を失われたそうで」
 カイスが一礼し、アシュアランスもリファームも頭を下げた。少し間を置いてから、カイスが続ける。
「しかし生き残って軍籍にある以上は、何であれ新たな任務につかなければなりません。そこで、あなた方の新しい配属先について少し考えていただきたいことがあるのです。艦隊司令部にはもう話をつけてありますから、少なくとも今日一日時間はあるはずですが」
 少し考えて、アシュアランスは答えた。
「質問したいこともありますが、とりあえずお話はうかがいます」
「ありがとうございます。お見せしたいものもあるので、まず私の車までいらして下さい」
「はい」
 元気良く答えたのはリファームだった。意外ににミーハーだな、とアシュアランスは思ったが、しかしふと気がついた。ディーフの機構についてから単なる罵声に至るまで、今までかなり長時間会話をする機会があった。それなのに自分は彼女の、特に私生活についてはほとんど知らないな、と。知ろうとしなかったので当然ではあるが。
 カイスの車に関して、アシュアランスは運転手つきリムジンを想像していた。議員なのだからそのくらい当然だろう。テロ対策などの安全性を考えてもそれが常識である。しかし少し歩いた所で彼が示したのは特に高級そうでもない中型車だった。
 別に失望もせず歩き続けようとしたアシュアランスであったが、はたと足を止めた。そして飛びすさるように位置を変え、あたりを素早く見渡す。
「どうしました」
「何よ、アッシュ」
 カイスもリファームも疑問の言葉を口にする。警戒しながら、アシュアランスは答えた。
「誰かに見られてる。…狙われてるような…」
「何それ。誰もいないよ、そんな」
 リファームは笑い飛ばそうとしたが、カイスの反応は異なっていた。
「もしかして、あれですか」
 一見するとあてずっぽうのように、右やや上方を指差す。その方向を確かめて、アシュアランスはうなずいた。リファームだけは、そこに何がいるのか分からない。
「え、どれですか」
「あの白い建物の屋上です。双眼鏡を持ってこっちを見ている人がいるでしょう」
 かなり神経を集中して探して、リファームはようやく二人が何を見ているのかを理解した。確かにカイスの言う通り、そんな人物がいる。アシュアランスは完全に身構えていた。しかしカイスはのんびりとしている。
「ジャーナリストですよ。自称ですが。私をつけまわせば特ダネにでもありつけると思っているようですね」
 内容としてそれなりに深刻なはずだが、しかし意に介した様子もない。ほとんどそれを無視して、彼はまだ構えているアシュアランスの肩に手を置いた。
「大丈夫です。ここでは誰もあなたを狙ったりはしません。初陣から帰ったばかりで気が立っているのは分かりますが、しかしそうするだけ体力を使いますよ。安心して下さい」
 落ちついた調子で語りかける。何となく、アシュアランスは英雄としてのこの男の実力の一端を感じた気がした。恥じ入って頭を下げる。
「済みません」
「いいんですよ。それよりさっさと行きましょう。実害はないですが、見られていて気持ちのいいものでもありませんからね」
 そして再び歩き出す。リファームは思いきり首を傾げていた。どうして二人ともあれだけ遠くの相手を一瞬で見つけられたのだろうか、自分の感覚はそれほど鈍いのだろうかと。
 滑るように走り出した車内で、リファームが運転者に声をかける。
「運転手さんとか、いらっしゃらないんですか」
 アシュアランスと同じ事を気にしている。カイスは笑って答えた。
「好きなんですよ、運転するのは。まあ、ディーフを駆るあの快感の代償行為に過ぎませんが。リーグ初級曹になら分かるでしょう」
「何となくは。しかしそれなら、何故政治家になられたのですか。ディーフに乗るのが好きなら軍人を続けていれば良かったのに。あなたなら戦死の心配もないでしょう」
「戦場にいて感じませんでしたか。自分の、パイロットの無力さを」
「しかしあなたは…」
「同じですよ。いずれ分かります」
 正面を見据えたまま、カイスは答えた。そして話題を変えてしまう。
「では、リーグ初級曹は除隊したら何をしようとかそう言う考えはありますか」
「とりあえず大学に行きたいですね」
「どんな学問を?」
「今色々と考えている所です」
「なるほど」
「あれ、アッシュって、軍人になりたいんじゃないの」
 割りこんで来たリファームに、アシュアランスはすかさず言い返した。
「誰が好き好んでするか」
「じゃあなんで今軍にいる訳?」
「サイランスは徴兵制を敷いていますから。元の人口が少なくて、志願兵では連合が要求する定数を満たせないんです」
 答えたのはカイスだった。アシュアランスが不機嫌になっているのを察している。
「でも、未成年ですよ」
「未成年者まで徴用しなければならないほど苦しい状況のようですね。連合と言っても、各国の国情は様々ですよ。自分の基準で計らない方がいいです」
 カイスが語るが、アシュアランスは反応すらしない。そして不意に口を開いた。
「二台後ろの車…後をつけているみたいです。さっきからずっと後ろをうろついています」
「え、どこどこ?」
 リファームが慌てて振りかえろうとするので、アシュアランスは耳を引っ張った。
「痛っ! 何するのよ!」
「お約束のボケをかますな。振りかえったら相手に勘付かれるだろうが。後部モニターを見るんだよ後部モニターを。馬鹿か?」
「ううっ…」
 さすがに反論できずに黙るしかない。クラシックカーのイミテーションでない限り、車には後部監視用のモニターが備え付けられているのが普通だ。その情報はフロントガラスの脇などに投影される。カイスの肩越しにそれを見れば良いのだ。
「ああ、あれですか。あの自称ジャーナリストの車ですね。しつこいなあ…」
 カイスが振り返ってリアガラスから直接目視する
「…………」
 アシュアランスが思考力を回復するまで、三秒を要した。
「前見て下さい、前っ!」
 後をつけてくるものに勘付かれてはならないとか、それ以前の問題だ。しかしカイスは笑ってそのままの姿勢を保つ。
「大丈夫ですよ。後席で振り返るならともかく、運転席なら光の関係で見えやしません。この車のガラス反射性が高いんですよ」
「そういう問題じゃなくて!」
「ああ、はいはい。大丈夫、コントローラーから手を離したりしていませんから」
 空いている手で操作盤に置かれた方の手を示す。この車はディーフに類似した操縦系を有しており、操作盤に置いた手から情報を発信して車体各部を動かすのだ。大概の車で採用されている機構である。無論ディーフの脊髄接続ほど細かい情報は伝わらないし、フィードバックもしない。つまりシートにきちんと座っていなければ、正確な周囲の状況はわからないのだ。
「前を見ずにどうやって運転するんですか!」
 まさかこんな言葉を発する機会があるとは、アシュアランスには信じられなかった。
「前くらい見なくても運転できますよ。ほら」
 しかしカイスの台詞は更に常識から遊離している。いい加減後方を確認する必要などないくせに、後ろを向いたままカーブを切ってみせた。
「わ、凄い凄い!」
 リファームが手を叩く。アシュアランスとしては怒鳴らずにはいられなかった。
「そういう問題じゃないっ!」
「ああ、確かについてきてますね。今回はちょっと秘密にしたいですし、撒いてしまいましょう。二人とも、ベルトを締めてください」
 つかず離れずの距離を保って追尾する車を確認してから、ようやくカイスはシートに座りなおした。そしてまず自分からベルトを締める。強烈に嫌な予感がして、アシュアランスは大人しく言われた通りにした。シート脇のボタンを押せば、後は車の方で自動的に座っている人間に合った形にベルトを調節して締めてくれる。ふと隣のリファームを見ると、こちらは楽しい予感でも覚えているのか嬉々としてベルトを締めにかかっている。うんざりせずにはいられなかった。
「さあ…行きます」
 カイスの声が鋭く引き締まったものになる。それに応じて車体のエンジンが唸りを上げた。この人口環境下で使われている以上水素動力の筈だから、余程回転数を上げない限りごく静かなはずなのだが。
「ちょっとま…」
「行っけえ!」
 後席二人の対照的な反応を他所に、カイスの車が凄まじい勢いで加速した。戦闘時のディーフに乗っているのではと錯覚するような強烈なGがシートにアシュアランス達を押しつける。本当に一瞬で、後をつけてくる車は見えなくなった。
「…法定速度を百キロ以上オーバーしていますね」
「もう五十は楽に出せますが」
「勘弁して下さいよ…」
「えー、出せるのならやっちゃいましょうよ」
 素晴らしい早さで流れる景色を前に、リファームが無責任な事を言う。アシュアランスは頭を抱えた。
「阿呆。捕まったらどうする気だ」
「大丈夫。違反切符なんて切られたりしませんよ」
「逃げ切る自信がありますからね」
「ああ、それもあるんですけれどもし万が一捕捉された所で、代表議会の議員相手に違反切符を切れる警官なんてまずいませんよ。今更言う事でもないですが、この国は結構腐敗していますからね」
「なるほど、出世はしておくものですね」
「まあそうですよ」
 カイスとリファームが暴走車の中で呑気に会話する。もう一人の同乗者はもう何か言う気力もなくしてシートに沈み込んだ。
「あ、ここ曲がらなきゃ」
 なんの気なしにそう言って、カイスが車体を傾ける。車道を本当に目一杯使って、アウト・イン・アウトで、直角にターンを決めた。後一センチ三ミリ車体が外に振れていれば路側帯に乗り上げ、そして吹き飛ばされていた所だったとか、アシュアランスはもう気にしないことにした。

 視覚情報が全て遮断されるとのは、あまり気持ちのいいものではない。長い間完全な闇の中に置かれると人間は発狂するとも言われる。紆余曲折を経てアシュアランスとリファームが案内されたのはそんな部屋だった。いや、部屋という形容はふさわしくないのかもしれない。音の広がり方からして、もっと巨大な空間のようだ。
「間違いない、ディーフだ…」
 リファームの興奮したつぶやきだけが聞こえる。アシュアランスはわざとらしく溜息をついた。
「そりゃまあ、ここはダーネスの工場か研究所らしいからな」
 建物に入る際に壁面に大きく描かれた社名と社章を確認している。ダーネス総合機械、アストラントでも一、二を争う軍需企業だ。その施設にパイロットと整備士が連れてこられた時点で、用件はそれしかあるまい。しかしリファームの反応は、微妙に異なっていた。
「違う、臭いで分かる」
「臭いね…」
 アシュアランスにはむしろ無臭であると感じられた。ごく清潔な施設だ。カイスの方へ顔を向けて答を求めてみる。もちろん何も見えないが、しかし向こうは気配その他に異常なほど敏感らしいので、恐らく分かるだろう。
「ふ…」
 カイスは笑っていた。やはり分かるらしい。そして照明が灯される。アシュアランスはつぶる寸前まで目を細めた。瞳の色素が少ないので光にはあまり強くない。急に明るくされると、ほとんど何も見えなくなる。
「フェイロンAT!」
 リファームの叫び声が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、白を背景に黒い影が浮かび上がる。いや、正確に言えば暗い灰色だ。視力が回復するに連れてそう分かる。ディーフ…にしては奇異なシルエットをしている。二つの翼を背負う、ただ天使と形容するにはその全体像はあまりに獰猛だった。フェイロンAT、〈黒〉のカイスの愛機として有名な機体だ。ダーネス社製フェイロン型の改造機とされている。
「わあ…触ってもいいですか?」
「どうぞ」
 リファームが駆け出して行く。その前から待ちきれないらしく足を動かしていたが。ちなみに、実はかなり距離がある。サイズが大きいので近かったら全体像が見えないのだ。その間、アシュアランスは周囲の状況を再確認していた。がらんとした、倉庫のような空間だが天井、壁面、床、全てが白いパネルで覆われている。相当に広く、照明のついていない部分は闇に沈んで見通せない。カイスがゆっくりと歩み寄って来ていた。
「あれを見せるために、自慢をするために俺達をここへ呼んだのではないのでしょう」
「はい。まあ言ってみればついでです」
 カイスが愛機を見つめる。アシュアランスはその横顔を見ていた。〈青〉のバルクール、〈赤〉のデライン、この両名の機体はそれぞれ青と赤に塗られている。また、ダルデキューアのアシャーに関しても〈銀竜騎士〉〈銀獅子騎士〉〈銀狼姫〉それぞれが自分の称号にあった紋章を機体につけており、見ただけで分かる。
 機体を一瞥しただけで二つ名の由来が分からないのは、この男だけだ。その漆黒の髪と瞳の色が由来となっているとも言われるが、しかしもう一説の方がはるかに有力だ。出撃時には灰色のその機体が、帰還時には敵を破壊した際に発生する汚染物によって真っ黒になる…。「最強」の二つ名は膨大な量の流血によってあがなわれたものだ。伝説の機体ではあるが、それだけにそれを作り上げたほどの英雄が、わざわざたかが下士官二人を自ら迎えに来てまで自慢をするとも考えられなかった。目的は間違いなく別にある。
「あ、あれ? 何これ」
 フェイロンATに触っていたリファームが頓狂な声を上げた。何かとんでもない異常に気がついたらしい。カイスが済まなさそうに笑う。よく笑う男だ。
「だますつもりはなかったのですがね。そこにあるのは外部装甲板の予備と背面の追加装備だけなんです。本体は別の所にあります」
 つまり端的に言って、ここにあるのは張りぼてらしい。とっさに声も出せないリファームに代わって、アシュアランスが口を開く。
「何故そんな面倒な事を」
「そこにあるのは展示用です。何でもこれからダーネス本社の正面に飾るとかで。私としては恥ずかしいから止めて欲しいのですがね。本体はちょっと、部品の消耗が激し過ぎて人様に見せられる状態じゃないんですよ」
「普通うまいパイロットほど消耗が抑えられるって聞きますけど」
 ディーフに限らず機械というものは大体そうである。熟練者ほど余計な負担をかけない。
「下手なんですよ」
 別に冗談めかすでもなく、カイスは言った。それからまだ闇の中にある一点を指差す。
「しかしあっちにいる奴はちゃんと中身も入っていますから、許して下さい」
 そちらの照明も点灯する。もう光に目が慣れているので、アシュアランスもすぐにそこにある物を見ることができた。
 やはりディーフだ。塗装は青を基調として白いラインが入る。スマート、あるいはシャープ、そんな形容がふさわしいシルエットだ。見たことのない型の機体である。アシュアランスにも、そしてディーフに関しては莫大な知識量を有するはずのリファームにも。
「ツァオロン、ですか」
 リファームが半ば呆然とたずねる。アシュアランスの知らない名前だった。ダーネス社のディーフで有名なものの名前には大体語尾に「ロン」がつくのでその系統であるとは分かるが。
「はい。蒼き竜神、ダーネス社の新型機ですよ」
「すごい…! 一般公開どころか実用テストもまだ、ぴっかぴかの最新モデルじゃないですか。感動です。あれも触っていいんですか」
 リファームにとっては今日何度目の感動だろうか。しかし少なくとも嘘ではないとはっきり分かる。これが演技だったら役者になれるだろう。
「それは条件次第ですね」
「やります! やります! 何でもやります!」
「またそんなことを言って…」
 アシュアランスは溜息をついたが、しかし目でカイスに説明をうながした。
「話自体はそれほど難しくはありません。この会社はあの機体を配備した部隊を試験的に実戦に投入して、その運用実績を元に次期正式採用ディーフを狙っています。何しろここ数年ライバルのメルトンに採用競争で敗れていますから、巻き返しを目指した一大プロジェクトですよ。そこでお二人には、これに参加していただきたいのです」
「喜んで!」
 すかさずリファームが声を上げたが、カイスは笑ってかぶりを振った。
「その熱意はありがたいのですが、もう少し話を聞いて下さい。説明不足のまま承諾させるなどという悪質セールスまがいの事はしたくないですからね」
「…はい」
「参加するのであれば、配属先は新型空母の一番艦になります。乗員の確保もほぼ終わっていて、パイロットならばエース級、その他の部署に関してもそれに見合った人員を揃えています。私としてはあなた方の才能を高く評価していますが、しかしお二人ともごくお若いですから見くびられたり、あるいはないがしろにされたりすることが多いかもしれません。特に初級曹は小国の出身、中級曹は女性ですから風当たりは強いと思います。アストラントは国民の自由と平等を標榜していますが、少なくともあなた方はこの国が平等などでは絶対にないと、良くご存知でしょう。違いますか」
 違わない。差別はそこに、そしてここにある。日頃不機嫌そうなアシュアランスはもとより、快活なリファームも今は黙っていた。カイスが続ける。
「それを覚悟で参加する意志があなた方にあるのかどうか、それを確かめておきたいのです。恐らくですが、精神的には今のままでいたほうが楽でしょう。いずれまた重要度の低い部隊に配属されて、軍役が終わるまでそのまま勤め上げる。やりがいはないかもしれませんがね。しかし一度これを離れたからにはもう後戻りはできませんよ。辛くなって戻ろうとしても、戻った側からも落伍者、裏切り者と蔑まれる。私が言いたいのはそういうことです。どうしますか」
「構いません。それでも、やります」
 話の途中から決めていたのだろう。リファームは即答した。
「ありがとうございます」
 礼を言ってからカイスはアシュアランスに向き直った。
「イエスかノーかを聞く前に質問にお答えするべきでしょうね。あなたには疑問に思われていることがあるそうですから」
 良く覚えている。車に乗る前に言ったことだ。
「はい。これだけ親切にしていただいて失礼なのでしょうが、何故そもそもたかが初級曹と中級曹に、議員にまでなった人がこうも構うのですか。リファームは気がついていないようですが、良く考えてみればおかしいでしょう。もちろんたかが初級曹と中級曹をだましてもあなたに利益があるとは思えませんから、疑っている訳ではないのですが」
 リファームが今更驚いていた。恐らく、詐欺には引っかかりやすい性格だろう。カイスはまた笑った。
「若いのに冷静ですね。士官になれますよ、その気さえあればの話ですが。理由はそう難しくありません。この会社の顧問としてプロジェクトに適当なパイロットを物色していた時にあなたの戦闘データに行き当たった、それだけです。艦隊所属の全ての艦、機体の戦闘データが旗艦を通して一足先にこちらへ送られてくるのはご存知でしょう」
「初めてにしては良くやったと自分自身思っていますが、しかしここまで注目されるほどの数字でしょうか」
「そうですね。撃墜二、撃墜補助二、エース級の戦績ですが、一度の戦闘なら運次第で出せない数でもありません。私が着目したのは特記事項ですよ」
 カイスの手がリファームを指し示した。
「クラスト中級曹を救助、しかも機体に乗せたままでの戦闘。これはまぐれではできないと、私は思いましたよ」
「…しかしそれでも、命令一つで済む事です。あなたか、あるいはこの会社がちょっと圧力をかければ下士官二人の人事なんて簡単に左右できるでしょう」
「主義の問題です。そんなこの国の現状が嫌で、私は議員になったのですから。状況次第でやむを得ない事もありますが、できる限り権力を好き勝手に使って人の運命を左右することは避けているつもりです。まあさっきのスピード違反のように誰にも迷惑をかけないことは平気でやりますけどね」
 何か、違う。返答は合理的だし嘘をついているような動揺も見られないが、しかしどこか違和感があるのだ。自分を選別した理由はもっと他にある、そんな気がする。しかし今のアシュアランスにはそれを追及する材料がない。手持ちの情報のみで判断するしかない。
「分かりました。やりましょう」
 結局迷ったのもそう長い事ではなかった。理由はどうあれ、この話は自分にとってもメリットがある。そう結論づけたのだった。
「ありがとうございます。では、以後よろしくお願いします」
 カイスはアシュアランス、リファームの順で握手した。
「改めて、以後よろしくね、アッシュ。上官として、また面倒見てあげるから」
 アシュアランスが考えているよりは常識があるのか、カイスとの話のときには黙っていたリファームが素晴らしい笑顔で手を差し出してきた。アシュアランスが凶悪な目つきで、しかしその手を握り返す。承諾すれば彼女とまた同じ職場になる、それはもちろん考えていた。その上での決断だ。
「あ…いけない、大事なことを言うのを忘れていました。何故思い出さなかったんだろう…」
 嫌に固い握手の最中に、カイスがつぶやいた。とっさにアシュアランスが手を振り解く。
「承諾した後でそういうのはなしですよ。場合によっては考え直させてもらいますから」
「大丈夫。直接関係のない話のはずです。そもそも朗報ですよ。今回の戦果を総合的にかんがみ、アシュアランス=リーグ初級曹を中級曹に昇進させる、と内定が出ています。正式な辞令は配属命令と同時になるでしょう。ともあれ、おめでとうございます、リーグ中級曹」
 アシュアランスは長い睫毛を三回ほどしばたかせ、それから大きく笑い出した。
「はっはっはっはっは。そういうわけだ。改めて、以後よろしく、中級曹」
 かなり強く、しかも何度もリファームの肩を叩く。リファームの声は悲鳴に近かった。
「え、え? ええーっ! あ、あの、あたしも昇進とか、そう言う話はないんですか。だってアッシュがあれだけやったのも全部あたしがあの機体を持ち出したからですし、そもそもあたしだって自力で脱出したんですから。半分、いや七割がたあたしのお陰ですよ。それがわかればあたしだって…」
「事情は全て承知の上です。私だけでなく昇進を決定した係官も。それ以前にあなたの場合処分が検討されていたんですから」
「そんな馬鹿な!」
「今思い出したんだが、例え正規のパイロットでもディーフの無断使用は軍法会議ものの立派な軍事犯罪だったな。まして整備士が命令もなしにディーフを動かしたとなると…」
 意地悪くアシュアランスが指摘する。確かにその通りだ。
「ち、ちょっと待ってよ。あれは緊急避難で…」
「とまあ、軍法会議で主張するのも面倒ですからね、処分と昇進と相殺してチャラ、ということで係りの人を説得しておいたのですが、まずかったですか」
 さすがにこの人は大人、かつ政治家である。妥協のし方がうまい。
「ぐ…」
 もう反論できない。アシュアランスがもう一度肩を叩いた。
「世の中自分の意にそまないことも多いさ。でも気を落とすな、戦友。俺がついてるぞ」
「この野郎…」
「いやいや、二人とも喜んでくれたようで良かった良かった…」
 わざとらしく、カイスが的を外したことを言っていた。


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