Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で
第3話 白い世界で
U
落ちついた、しかし張りのある声が響く。騒々しくはないが聞く者の注意を惹きつける、そんな話し方だ。若き英雄にふさわしい、そう形容する事もできるだろう。
「自分達がアストラント有数の精鋭である、諸君にその自覚は十分にあるだろう。新型空母の一番艦、最新の機体。いや、そんなものに裏付けられなくとも、戦績がそれを証明する。だから今更、健闘を祈るなどとは言わない。諸君ならば健闘など当然の事だ。私が諸君に望むのは、自分を見失わないことだ。この部隊はその特殊性ゆえに、恐らく多くのことを経験する事になるだろう。自信を失うかもしれない。あるいは国家に対する不信が芽生えるかもしれない。だがその時は思い出して欲しい。今日この日の気持ちを。あるいは故郷で軍に入ることを決めたその日の事を。そうでなければもっと別の何か…諸君には必ず原点となったものがあるはずだ。迷った時にはそこに戻るといい。それがきっと、諸君をつなぎ止めてくれる。生きる力に変わる。私はまず、生きて再会できる日を楽しみにしている」
敬礼が、短い挨拶を締めくくった。軍服こそ着ていないが、これほどその動作がさまになる人間も珍しい。その意味で、カイス=サファールはやはり英雄だった。
挨拶を受けた空母ファイアザードの乗員が一斉に答礼する。一糸乱れぬその動きは、やはり壮観なものだ。詰まる所戦争のための集団、それを示すものなのだが。そうしてファイアザードの処女航海を飾る式典が終了した。
去り際、カイスが一瞬だけ自分に視線をよこした。アシュアランスにはそれがはっきりと分かったが、目礼するだけにしておいた。自分自身はこれからそのまま乗艦して任務につかなければならないし、カイスの周囲にはその時既に階級章の星が多い人間による輪ができている。社会的な地位が高くなればなるほど、面倒事は増えるものだ。うかつに偉くなろうなどと思わないほうがいい。思ってなれるものでもないが。そんな事を考えながら配置場所である左舷格納庫に向かった。その途中、後ろからぽんと肩を叩かれる。
「やあ」
「ああ」
一々振り向かなくても相手はわかる。リファームだ。既に重力制御の始まっている廊下を並んで歩いて行く。
「さっきのカイスさんの挨拶ってさあ、あたし達に向けられてたんじゃないかな」
「そうかな」
「だと思うよ。だって、ベテラン中心のこの部隊に言い聞かせるような内容じゃなかった」
「そうとも取れるか。しかしあんまり人の善意を当てにしないほうがいいと思うぞ。いつもあんな挨拶をしているのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。いくら世話になったからって、そこまで期待するのはあの人に悪いだろう」
溜息と苦笑が、同時にもれた。
「それがあんたなりの慎重さと、遠慮なんだろうけど、あたしはもっと人の善意を当てにした方がいいと思う。人間知らない所で誰かに支えられているものよ。それがわからないうちは、まだ子供なんじゃないかな」
「へえ…」
その口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった、そう感じたが言わないでおく。実際どちらの言い分が正しいか、にわかには判別がつかない。
「それで、これからの予定はどうなっているんだっけ」
ふとリファームが話題を変える。もっとも、この状況ではこちらの方が一般的な話題だろう。
「ええと…あ、しまった」
左腕につけた軍用情報端末を操作して、アシュアランスはその中にまずいものを発見した。リファームがその表示をのぞき込む。
「何が?」
「カイスさんに借りた資料、返すのを忘れた」
初日に借り出した情報を自分の端末に転写していたのである。ここにファノアからもらった資料が加わって、所在を忘れていたのだ。
「別にいいんじゃない。マスターを持ってきた訳じゃないんだし」
「ああ、ただこれ機密資料らしいんだよな、ほら」
デライン=ガードナー大佐に関する情報を引出す。関係を持った女性の名前がずらずらと出てきた。個々の女性に関して更に詳細な情報もあるらしい。
「わあ、これはすごい。軍関係の情報だから確度も高いよね。報道されてないものもあるし、それにかなり新しい。しかしこれじゃあプライバシーも何もあったもんじゃないね」
ならば見せるな見るな、という所だが二人ともそれを止めない。基本的に機密情報だとか他人のプライバシーへの感覚など、そんなものである。
「だろ。さてどうしたものか…」
「全消去しちゃうのはもったいないよね」
「ああ。まだ見ていないものもあるし…」
正確に言えばアシャー関連のものを除けばほとんど手付かずだ。とりあえずどうするか考えている間に、漠然と情報を探って行く。
「ナディア=バルファリス…」
アシュアランスの手と足が止まった。
「ん? ああ、確かにナディア=バルファリスだ。ダルデキューア最強のアシャー、通称〈銀狼姫〉機体はシルバーウルフ。〈黒〉のカイスとただ一人引き分けた、人類最強の女」
顔の映像を確かめた後は画面を見もせずに、リファームはそれだけのことを言った。聞けばもっと教えてくれるだろう。
「で、この人がどうかしたの? まさか敵方に女がいることも知らなかったわけ? それとも美人に目をつけてるとか。まったくしょうがないなあ…」
「…いや、何でもない。別にな。…予定は…辺境域に達してから実地訓練開始。グレッグス、ロックストームからシュヴァルツマウアー星域を回る、か」
機械的に、アシュアランスは読み上げた。リファームが一歩近づいてくる。
「アッシュ、どうしたの? 顔色悪いよ」
「馬鹿言え。血色が悪いのはいつもの事だ」
いいながらすたすたと歩き出す。リファームが追いすがってきた。
「そんなはずない。確かにいつも青白いけど、今はほとんど土気色になってる」
「気のせいだ」
アシュアランスは足を止めなかった。「また会う事になるだろう。その時を楽しみにしている」去り際の台詞と、美しい笑顔が鮮やかによみがえる。カイスと肉体関係を持っている、あの女だ。相争う二大国の英雄、それが親密な間柄にあるとすれば、どちらかが母国を裏切っている。あるいはその両方が。もしそれがカイスであるとしたら、その影響下で動いているこの艦は、裏切りの手駒として使われることになる。あるいは捨て駒か。
「ちょっとアッシュってば、ねえ!」
「うるさい!」
叩き付けて、アシュアランスは歩調を速めた。今リファームにその事を告げた所で絶対に信用されない。決して見間違えではないが、しかし初対面の時にカイスを判別できなかったいきさつがある。それ以前に誰に話したとて、宿敵であるはずの二人が関係を持っていなどと誰も信用しないだろう。目撃しない限りは。
巨大な距離を、アシュアランスは周囲全てに対して感じていた。
「何、一体…」
リファームももう追おうとはせず、ただ立ち去る少年の背中を見送った。
ダルデキューア民主共和国、首都惑星ライズレン。人類社会でも希少な環境改造が成功した、人間が特殊な装置なしに生活できる惑星の一つである。貴重な水と緑の惑星、であるがライズレンという単語には大概の人間が陰鬱なイメージを抱いている。民主共和とは名ばかりの中央集権、軍部独裁国家、その中枢だからだ。二世紀半前の軍人達が民主制を形骸化し、以後権力を営々と世襲してきた、その結晶との表現もできるだろう。
その惑星上に存在するのが民主共和国自己防衛軍艦隊総司令部、それは八個の主力艦隊全てを常時モニターし、さらに必要に応じてその他艦隊、分艦隊、戦隊の全てを監視可能な施設である。これはつまり、人類社会有数の軍事大国ダルデキューアの実戦兵力ほとんどを掌握することを意味する。権力中枢中の権力中枢だ。総司令官はオスカー=バルファリス総将、軍事政権内部でも常に前線に立ち続けてきた武門の名流、バルファリス家の当主である。
全く関係のないことだが、スタイルの良い女性が軍服を着ると妙に色っぽかったり、場合によってはいやらしく見えたりする。男女平等を標榜するアストラントでさえ軍における男女比は一対一に程遠い、主力十個連合艦隊の司令官に女性が就任した前例もない。まして民主主義原理を既にかなぐり捨て、男女平等が叫ばれることさえ既にないダルデキューアでは、軍役につく女性は極少数である。その詰襟の軍服は、男が着るために作られている。だから、女性が着ると体型がかなりはっきり出る。無論裸ではない、むしろ露出している部分はほとんどないが、しかし見えないがために余計な想像力をかきたてる。そんな服装になる。
さておき、ナディア=バルファリス監士、通称〈銀狼姫〉は艦隊総司令部の総司令官席正面に立ちはだかっていた。総司令官席は肉眼で総司令部中央司令室の全容を見下ろせる位置にある。例えるならピラミッドの頂点、その裾野に各艦隊をモニターする司令部要員達が席を占めている。その視界を、今かなりの部分塞いでいるのだ。
「教えていただけませんか」
指揮卓に両手をついて、実父である司令官に尋ねる。しかし返答はない。吸血鬼伯爵閣下、などとあだ名される細く鋭く整った顔を上げることさえしない。ただデータ上の機密書類に目を通し、決済している。聞こえていないのではない。無視しているだけだと実の娘は誰よりも承知している。返答する必要を認めていないのだ。
「よりによって今、この時期に! 全てをぶち壊しにするおつもりですか。計画を推し進めたのは私だけではない、他ならぬご自分もでしょう」
そんなことは言われなくても分かっている、私なりの考えがあってのことだ。ただそれをお前に説明した所で納得もすまい。話しても無駄だ。…と父は考えているに違いない。そうして決済を続ける。アストラントに情報を流していた軍幹部の処刑命令書もあったが、お互いこれに関しては眉一つ動かさない。
「今すぐ中止命令を出してください。さもなければ私にも考えがあります」
その必要はない、考えがあるなら好きにするがいい、私の考えの邪魔にはならない。相手がそう考えているとナディアは判断した。この男が黙っているとはそういうことだ。中止命令を出すならすぐに出すし、娘の行動を止めたければ即座にそうしている。こうなるとは直談判をしに来た時点でわかっていたが、しかしナディアは自分の中で煮えたぎる殺意を抑えるのに相当の努力を必要とした。
アシャーとしての戦闘力にものを言わせれば、実行は簡単である。頚動脈を切断して真紅の噴水を作る、頭蓋を叩き割って脳漿を吹き出させ大脳灰白質を握り潰す、階下に叩き付けて頚骨を破壊する…最新医学の粋を尽しても復元不可能な致命傷、即死状態を作り出すなど訳はない。その後この場にいる数百人が敵に回ったとしても、勝利する自信がある。
しかしそんな事をすれば、軍も政府も滅茶苦茶になる。それ自体彼女にはどうでも良いが、彼女の目的を達成するためにはそれらのシステムが必要なのだ。それを承知しているから、手が出せない。そして父は娘がそう判断すると知っている。だから平然としているのだ。それだけにはらわたが煮え繰り返るのだが。
これ以上怒鳴ったりわめいたりした所で仕事の妨害さえできない、ナディアはそれを再確認させられた。始めから分かっていたことではある。グランドピアノを目の前で力いっぱい演奏されても、表情を変えずにすることをする人間である。十年ほど前、嫌がらせのために現にこの場所でやった事があるので間違いない。翌日の国営放送と軍放送には「バルファリス総将令嬢、艦隊総司令部を訪問し、自らピアノ演奏を行って総将閣下以下の慰問を行われる。民主共和国の婦人はかくあるべきだ」と報道されたが。
「では好きにいたします」
ナディアは総司令官指揮卓の脇にある副操作盤に手をかけた。完全な越権行為で目撃者は山といるが、しかし総司令官自身が制止しないので誰も止めようとしない。そしてすぐに目的の人間が呼び出された。正面のスクリーンに不精髭を生やした中年の軍人が表示される。
「艦長、何事ですか」
相手は驚いている。無理もない事だ。何しろ送信元が艦隊総司令部、一大事と考えるのが普通である。もっともナディアは現に、これから一大事を告げようとしているのだが。因みに驚いているのは通信相手だけではなく、スクリーンを占拠された司令部要員達もである。総司令官卓で操作をしたものだから、こちらが優先されたのだ。
「私がそちらに着き次第出撃する。そのように準備をしてくれ」
「は? 失礼ながら、何か勘違いをしておられませんか。緊急出撃訓練にしても、艦載機がありません。乗員の召集もまだ、何よりこの艦はテストすらしていないのですよ」
「これは実戦だ! 機体は私のシルバーウルフ一機で十分だ。乗員も最小限で構わん、すぐに集めろ。それにそこで建造した艦にテストなど必要ない」
「最小限にも色々とあります。どこまで行って、何をするのか。それによって限度は変わってきます」
優秀な士官だ。無茶な命令に対し、冷静に応じている。ナディアもそれですべきことを思い出した。
「シュヴァルツマウアーで戦闘を行う」
「…了解です。エイリンヒャル、直ちに出航準備にかかります。機体も二個小隊程度は揃えられるでしょう。ただシュヴァルツマウアーで戦闘した後、ここまで帰還するだけの余力があるとはお考えにならないで下さい。最悪、漂流します」
「済まん。では頼むぞ」
ナディアは通信を切った。特殊機動母艦エイリンヒャル、長射程主砲を少ないながら搭載し、かつディーフの母艦機能を有し、更に中型艦並の機動性を持つ。アシャーの戦闘を支援する、それのみを目的とした、ナディア=バルファリス自身を艦長とする新造艦である。
ファイアザードを旗艦とする第二連合艦隊第十二独立任務部隊が作戦計画の変更を迫られたのは、ロックストーム星系での訓練第二段階が終盤に差しかかっていた時である。第三段階を行う予定のシュヴァルツマウアーが、敵軍によって占拠されたのだった。
シュヴァルツマウアーはいわゆるブラックホール、その周囲に高重力を利用可能なエネルギーに変換するバイゼン管プラントが点在する。状況次第では重要な戦略拠点となった所であるが、しかし敵国ダルデキューアに近いため周辺の開発が遅れ、少ない需要のために細々とプラントが稼動する状況にある。
訓練に使われるのもその稼働率の低さを見越してのことである。そのような場所のため駐留部隊もごく少数、正規艦隊の巡回路からも外れている。それで簡単に、敵の陣容も分からぬうちに占拠されてしまった。
重要性が低いとはいえ放置して置く訳にも行かず、軍上層部としてはファイアザード以下の第二連合艦隊独立第十二戦隊にシュヴァルツマウアーの強行偵察を命じた。周辺にはこれ以外にまとまった戦力がないのだ。強行偵察とは敵の勢力下にある区域に進入してその状況を探る、事実上の戦闘命令である。余程戦力に差がない限り、敵の反撃は必至だからだ。
独立第十二戦隊司令兼空母ファイアザード艦長、リック=ハント准将はこれに応じ、ロックストームでの訓練は予定通りに行った後、シュヴァルツマウアーでの作戦を訓練から実戦に切り替えるものとした。
事故が起こったのはその直後である。
アシュアランスは自分の機体を見上げていた。新鋭機ツァオロン、しかし今は装甲がひしゃげ、塗装面も大きく傷ついている。照明が中途半端であるため、陰影がついて損傷が目立つ。小惑星を多量に有するロックストームにおいての障害物戦闘訓練、それに失敗して小惑星に接触した結果だった。あと少しでも衝突角度が深ければ、機体は大破しパイロットは死亡していた。
元来一歩間違えばそうなる、それを覚悟での訓練であったが、この部隊ではパイロットに要求される技量の水準が他とは大きく違う。全員がエース級、できて当たり前のことを復習していたに過ぎない。現に出撃前に精神的な未熟さをさらけ出し、実力まで危ぶまれていたバート=ドワイト初級曹も無事に過程を終えていた。
元々、恒星以外に星系間を空間歪曲でつなぐ「橋」しかないグレッグスでの基礎戦闘訓練の時から、不穏な点があった。ファイアザードには四個中隊を構成すべく八十人のパイロットが乗り込み、一六機の予備機と合わせて総数九十六のツァオロンを駆る事になっていたが、アシュアランスのみがその訓練について行き損ねていたのだ。バートも平均以下であったが、しかし集団を構成してはいた。
事故を受けてのアシュアランスが所属する第三中隊の中隊長、艦載機全機を指揮する大隊長らの判断は処分保留。しかしシュヴァルツマウアーでの行動次第で残留を検討するとの、事実上の更迭命令だった。最強のアシャーでこの部隊の後援者であるカイスの後押し、そして戦闘が迫っているという状況がなければ、即時命令になっていただろう。小隊長であるファノアも反対はしていない。
「さて…始めるか」
傷ついた巨人を前につぶやく。いずれ手放す事になるが、しかし今は自分の機体だ。ミスによる損傷を整備士達に押しつけるのもためらわれる。手におえない部分が多いにせよ、しかしできる限りの事はしておくつもりだった。工具一式、持参している。
「リーグ中級曹」
名を呼ばれて、振りかえる。冷たく、固い、知らない声だった、ような気がした。
「なんだ」
ちょっと背の高い、作業帽から赤みがかった髪をはみ出させた少女、リファームだ。作業服姿であるが、そのデザインも新しく、見慣れたマワーズの物と違う。アシュアランスは薄く笑った。
「変に改まるから、誰だか分からなかったよ」
「ここへ来てからずっとよそよそしかったから、その方がいいかと思って。今まで通りで構わないかな」
「別に。よそよそしくしたつもりもないが。ただちょっと話さなかっただけだろう」
「挨拶と、それから整備に必要な最小限の台詞、それだけ。それがちょっと? ずっと一緒の艦で仕事をして来て、二人だけ生き残って、それから二週間とちょっと同じ家で暮らした。普通はもうちょっと何かあっていいものだと思うけど」
「人付き合いの悪い性格だって、知っているだろう」
「基本的に閉鎖的な奴だからね。でも一度仲良くなったら付き合いやすいって、そんな事も知ってる」
その表情は先ほどからずっと硬いままだった。
アシュアランスは床を蹴った。格納庫に重力制御が働く事はまずない。ディーフを運用するのと同様の〇Gに保たれる。それですぐに、補修可能な個所に取りついた。
「あたしもやろう」
リファームもそこへ近づく。アシュアランスはゆっくりと首を振った。
「今は作業時間じゃないだろ。戦闘突入にもしばらくかかる。休んだらどうだ」
「分かってないね。目の前に動かない機体があるなんて許せない、それが整備士魂ってものよ。別にあんたのためじゃない、その子が可愛そうだと思うだけ」
「そうだな…済まない事をした」
二人して修理にかかる。しばらくやはり必要な会話だけして、そしておもむろにリファームが口を開いた。
「何があったの? 急に何故そんなことを、なんて聞き返すほど馬鹿じゃないよね」
「別に何も。これが俺の実力だったのさ」
「あんたにしてはまずい言い訳。他の人にならともかく、そんなものがあたしに通じると考えるとは、確かに不調は間違いないよね」
「…………」
「ま、いいけど。言いたくないならこれ以上は聞かない。その判断が間違ってるなんて確証はあたしにはないから。ただ一つ言わせてもらっていいかな」
「ああ」
「困るんだけど、ちゃんとやってもらわないと」
「ああ、済まない。仕事を増やしちまって、悪いと思ってる」
「そうじゃない。さっき言ったでしょ。あたしはこの子がかわいそうだからやってるだけだって。アッシュは関係ない。あたしが言いたいのはこれからの事。パイロットがしっかりしてくれなきゃ、この艦沈んじゃうのよ。あたしはまだ死にたくないんだからね」
「俺以外のパイロット…それだけじゃない、艦長その他この船の乗組員も歴戦の勇者なら護衛の巡洋艦、駆逐艦も相当な戦歴を持っているそうだ。何とかなるだろ」
溜息が、妙に響いた。周囲には二人しかいない。
「困ることがもう一つ。すっかり忘れてたけど、あの時助けられたお礼をしてなかった。センタストに帰ったら何かおごってあげるから、覚えといて。恩知らずになりたくないから」
罵声を浴びせ合いながらでも作業のできる手が、止まっている。アシュアランスはそれをじっと見据えた。
「気持ちだけ受け取って、遠慮しておく。センタストの料理はあまり口に合わないんだ」
そしてこう答える。さすがにリファームもいきり立った。
「あんた、どこまでひねくれて…」
二の句が告げず、怒りのやり場を求めた手がつかみかかろうとする。軽く笑って、アシュアランスはそれを防いだ。
「いや、本当にありがたいとは思ってるんだよ。ただ口に合わないのも本当。サイランス人の味覚は他の所より敏感なんだ。サイランスじゃアストラントの料理はまずいっていうのが常識でね。あの家の食事はまあまあだったけど、他のは正直な話うまいとは思わなかったんだ。この船のシェフも悪くないんだけど、趣味からはちょっと外れているしね」
リファームの顔に戸惑った色が浮かぶ。
「同じアストラントだと思うけど…いや、でもそういえばサイランスの料理は美味しいって聞いたことがあるか。じゃあどうしようかな…」
「その気持ちだけで十分。大体あれはお互い様だよ。俺だって君があの機体を持ってきてくれなければ危なかったんだから。そうそう、どうせだから。後で本当にうまい料理ってものを食べさせてやるよ。おごりにはしないけれどね」
「あ、何? 取っておきのサイランス料理店とか、知ってる訳? 年下のくせに生意気…」
「まあまあ。とにかく食べるか食べないか、どっちだ」
「食べる」
「じゃあ楽しみにしていてくれ。さて、修理修理…と」
そしてまたしばらく必要最小限の会話のみ。その後整備士が自称天才ぶりを発揮し、驚くほど早く作業は終了した。リファームが帽子を取って額の汗をぬぐう。
「後はまずパイロットによるセルフチェック…か。一度派手に吹っ飛んでるから、しばらくかかるなあ…」
「じゃあ俺一人でやるよ。俺の機体だからな」
「そう。じゃああたしは休ませてもらう。明日も早いんだ。またね」
リファームが優しく装甲板を蹴って機体を離れる。
「リファーム!」
「うん?」
「人間知らない所で誰かに支えられているものだ、そうだったよな」
彼女は笑って手を上げて、答えなかった。