Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で
第3話 白い世界で
V


 アシュアランスにとって二度目の実戦、第三中隊に与えられた任務はシュヴァルツマウアー橋の予備制圧だった。「橋」とは三次元的には遠距離にある二個所を空間歪曲によってつなぐ装置で、恒星間移動の手段として一般的に使用されている。
 「橋」の名の由来は「二点間をつなぐ」その機能からであるが、外見的には「門」に近い。出入り口方向からは輪状の構造物によって移動先の空間が切り取られたように見える。そこをくぐればもう、数光年離れた場所にでも到達する。ただし一度造った「橋」は、行き先の変更ができない。あくまで所定の二箇所を結ぶだけである。一般的にその名称はつなぐ二点の名を冠せられる、すなわちこの場合客観的に見れば「ロックストーム=シュヴァルツマウアー橋」である。ただしその付近にいる場合には省略して行き先のみを表記し、「シュヴァルツマウアー橋」となる。
 予備制圧とは主力が通行する前に橋を通過し出口の安全を確保する、いわば尖兵である。艦船では戦闘が発生した場合橋その物を傷つけて使用不能にすることがあるため、ディーフ部隊の代表的な任務の一つだ。
「リーグ中級曹、今度は実戦ですから、勝手に何かに激突して損傷するなどという足手まといな真似は止めていただきたいですな」
 橋に接近した所で、僚機からそんな通信が入った。相手は考えるまでもない。アシュアランスは私用で通信回線を使うのが、平和戦略軍規則第何条何項に違反するのか思い出そうとして、止めた。機体のデータを検索すればすぐにわかることだが、戦闘中にそんな余計なことをするのも軍規違反だ。多分。
「了解」
 それだけ言って前方に注意を戻す。橋の周囲に、敵影はなかった。
「こいつがブラックホールか…」
 一見すると何もない、しかしちょっとした注意によって星の光を遮っていると分かる黒い塊。その周囲でわずかな光を発しているのがバイゼン管プラントだ。光さえも取り込む高重力を、部分的に中和、利用しているためそのような様子になる。この巨大天体の全エネルギーを吸収し尽くすことは、現実問題として不可能である。
「ここから先はもう重力圏だ。遠心力を保っている限り問題はないが、一歩間違えると落ちてそれきりだ。それに通信障害も激しい。気をつけろ」
 ファノアが部下に向けて注意を促す。他の小隊ではそのような通信は行われていないので、経験の浅い部下達をフォローするつもりらしい。その間、本隊へ向けては通行可能との報告が為されていた。しかしその直後、新たな報告をすることになる。
 巨大な闇を背景にしたプラント群の淡い輝きが、急にその力強さを増したのだ。ダルデキューア軍が行動を開始した。

 ダルデキューア軍はアストラント軍との交戦に当たって、まず占拠していた全てのバイゼン管プラントを破壊する作戦を実行していた。みすみす敵に奪い返されたのでは不毛だし、かといって長時間粘って死守するほどの価値もない、その程度の施設だったのである。元来敵の物である施設を破壊できればそれで十分、自分たちがいる間はその設備を使っていたに過ぎない。
 破壊する、とは言ってもプラントは個々の施設だけでも空母数隻分の容積があり、爆薬や砲を使っていたのでは埒があかない。しかしそんなものを使わなくとも膨大なエネルギーが真下にある。エネルギー変換を少しいじってやれば、後は勝手に重力の巨大な口の中へと引きずり込まれて行くのだ。
 巨大な闇と、バランスを失い、そして余剰エネルギーが溢れ出して発光するプラント、その上で戦闘が開始された。陣容は両軍ともに空母一隻とそれに随伴する中小戦闘艦。戦力的には互角、とするのが通常の見方である。戦艦、A級戦術艦は含まれていないためそれらによる砲戦は行われず、まずディーフ部隊同士が衝突する事になる。
 ファイアザードディーフ部隊は常道に従い、艦隊正面に展開した。これに対しダルデキューア軍ディーフが味方艦隊の付近を離れ、襲いかかってくる。攻撃的な部隊だ。
 敵の接近を告げる警報がアシュアランスの頭の中で鳴り響く。方向は綺麗に真正面、完全にまっすぐ突っ込んできている。数は今の所一つ、とアシュアランスが外部センサーからの複合情報を見ているうちに、その周囲に複数の反応が確認された。まず姿を現し、そして現在中心にある反応だけがひときわ大きい…。
「小隊長、これは…」
 声が上ずっている。それを自覚しつつも、アシュアランスには抑える事ができなかった。実戦経験は一度しかないが、しかし覚えのある状況だ。
「騒ぐな、分かっている」
 ファノアの声は普段ほど眠そうではないが、しかしそれが実戦であるためか敵の正体を知っているかかは定かではない。
「全機後退、味方艦付近で再布陣する!」
 大隊長の決断は早かった。待っていたとばかりにほとんどの機体が戦域離脱を始める。しかしただ一機、行動が遅れていた。これまで不振の続いていたアシュアランスの物…ではなくその僚機、実戦経験のないバートの物だった。他の皆が立ち去ってしまったので慌ててそれについて行っている、そのような状態になっている。このような事態に対するマニュアルも訓練所で教わるのだが、しかし経験のない人間がそれを生かすのは難しい。
「何をしている、さっさと逃げろ!」
 怒鳴り声、それが誰のものであるのか、アシュアランスにはとっさに分からなかった。当然、直属の上司であるファノアなのだが。叱咤されてバートも加速をかけるのだが、しかし全力を出している味方との距離は容易に縮まらない。野生動物の狩猟のように、そこへ敵が食らいついてきた。
 追いすがる敵が射程内に入る、そこでたまらず、バートは牽制のため攻撃しようと機体を振り向かせた。
「止めろ当たらないっ!」
「食らうぞ!」
 彼の行動を視野に捉えていたパイロット達が口々に叫ぶ。ファノアには既に言葉がない。アシュアランスも無言だった。そして神秘的なほど正確な狙いの敵弾が、余分な運動によって隙の生じたバート機に襲いかかる。
 凄まじい衝撃、バート機がコマのように弾き飛ばされ、回転しながら離れて行く。それが一瞬前まで存在した空間を、弾丸が虚しく掠めて過ぎ去った。肌で感じられるような、アシュアランスの脇である。バートの機体を蹴り飛ばして、直撃を防いだのだ。少々強く蹴り過ぎたのでしばらく戦闘不能かもしれないが、しかし命に別状はないだろう。問題はむしろ、そのおかげで敵の正面に出てしまった自分の身の安全である。それも今目の前にしているのは並の敵ではない。
 オレンジを基調とした機体に、鮮やかに銀色の竜の紋章が浮かび上がる。シルバードラゴン、搭乗者は〈銀竜騎士〉ペルグリュンだ。あの惨劇を引き起こした男が、再びアシュアランスの前に現れていた。
 考えている暇など一瞬もない。機体と自分の肉体、相方の限界に挑戦するかのようにツァオロンの出力、推進力を最大まで跳ね上げた。それも直線軌道は取らずに急反転を繰り返す。ツァオロンは以前の機体、ゴリアテを全ての性能面において大きく上回る。普通ならばこれで完全に引き離せるはずだ。それでもなお、シルバードラゴンの火線はアシュアランス機の周囲にからみついてきた。完全に狙われている。
 ファノアはここで味方を見捨てようとはしなかった。まずファノア自身がシルバードラゴンめがけて砲火を浴びせ掛けてアシュアランスを援護し、残る小隊一機が意識を失っているらしいバート機救助へ向かう。これをきっかけに中隊各機、そして全てのアストラント軍ディーフが引き返して交戦を再開した。
 しかしそれでもなお、バートはともかくアシュアランスは一向に救われない。複数の火線を集中されてなおシルバードラゴンはアシュアランスを追い続ける。シルバードラゴンに従うダルデキューア軍ディーフがアストラント軍の行動を妨害し始めたため、援護射撃も層の厚い物とはならなかった。ペルグリュン直属部隊もファイアザード隊に劣らぬ精鋭だ。
 逃げ切れない。アシュアランスが直感した直後、シルバードラゴンとの距離がゼロに近くなっていた。オレンジがひどく大きい。見えない速さで取り出された必殺の剣が異様な光を放つ。
「こんなものっ!」
 同じく白兵戦兵装を取り出していたアシュアランスは、それを弾き返していた。この距離でペルグリュンなら必ず剣を使ってくる。そう分かっていれば防ぐことも可能である。予測可能な攻撃は効果がない。その基礎にペルグリュンは背いていたのだ。そして驚きで敵の動きがわずかに鈍ったのを機に、アシュアランスはまた可能な限り距離を取る。
「お前は…!」
 その声が確かに聞こえた。紛れもなくペルグリュンのものだ。そして飽きることなくアシュアランスに追いすがってくる。砲火は止まない。やはり逃げるしかなかった。
「そっちは駄目だ、落ちるぞ!」
「高重力体に接近、機体破壊の危険があります」
 ファノア、機体の航法コンピュータが前後して警告を発し、警報がそれにかぶさる。わずかな間に、アシュアランスはブラックホールの接近限界域まで追い詰められていた。アシャーの実力は伊達ではない。もう一度敵の攻撃を防げる保証はどこにもなかった。
 そして…アシュアランス機はそのまま直進を続けた。見えざる重力の手がゆっくりと、しかし確実に青と白のディーフを抱擁する。軌道が変わった。
「アッシュ!」
 叫び声に、しかし反応はない。そこまで彼を追い込んだシルバードラゴンは、やがて重力の淵に身を躍らせた。敵味方の手のとどかぬ所へ、二機のディーフは落ちていった。

 ディーフには強力な対衝撃機構が装備されているが、しかし戦闘時の急激な運動はその能力を上回り、しばしば激しい重力加速度をもたらす。それに慣れた者にとって、徐々に重力が増して行く感覚は異様だった。
 自分の機体だけでなく、シルバードラゴンもその影響下に入ってきたとアシュアランス機のセンサーが捕らえた。思わず舌打ちがもれる。
「…ばれたか。しかししつこいぞ!」
 再び急旋回をかけ、予定した場所へ予定より早く移動する。それはバイゼン管プラントが稼動することによって生じる重力の空白帯だった。とりあえずそこに逃げ込んでしまえば、すぐに潰される事はない。もっともプラント自体がずるずると引きずり込まれているので、うかうかしていると結果は同じになるが。それを計算してアシュアランスはここまで機体を動かしたのだが、どうやら見抜かれたらしい。
 再び、砲火が襲いかかってきた。出口と言える重力の逆方向、つまり上がシルバードラゴンによって塞がれているので今はプラントに逃げ込むしかない。そこで撒く手段を講じる以外に、アシュアランスに道はなかった。
 単独で空母数隻分の体積を有する巨大なプラントは、各所から光が溢れ出していた。重力変換が異常な状態にあるため、エネルギーが暴走しているのだ。ツァオロンがその表面に降り立つ。足下から湧き上がった光が凄まじい闇へと吸い込まれて行く…それはその光が生身の人間を一瞬で焼き殺すだけの熱量を有し、闇は戦艦すらも引き千切る重力を内包する、その知識が頭を離れなくともなお幻想的な光景だった。
 そしてその光景に、炎の雨が降り注ぐ。シルバードラゴンの弾丸だ。時折エネルギーの通過点を貫通するらしく、そこから更に光が噴き出す。咲き乱れるような光の乱舞から、アシュアランスは可能な限りの速さで逃げ出した。止まっていれば撃たれるのはもちろんだが、下手に反撃しようとしてもそこを狙い撃ちされる。最も近い入り口へ素早く滑り込んだ。
 防御隔壁を閉鎖、そしてディーフが一機やっと通れるかどうかの通路を推進力最大で突っ切る。この速度だと例えわずかでも機体が壁面に引っかかれば、そのままスピンして叩き付けられるだろう。一瞬で戦闘不能だ。通常なら歩行が義務付けられるような所だが、今それをやったら追い付かれて撃たれるだけだ。アシャーならばこの程度の通路、なんでもなく通過してくるに違いない。この細い一本の道が、生きて帰る可能性のわずかさを暗示している。
 しかしアシュアランスは、更に無謀な行動に出た。機体を安定させながら、このプラントに関するデータを呼び出す。当初からの訓練予定地となっていたことが幸いし、正確な三次元内部構造図が戦術コンピュータに記録されていた。無茶をした甲斐がある、戦闘においては地形を把握している方が圧倒的に有利なのだ。普通の人間とアシャーとの巨大な差を埋めるにはまだ足りないが。
 巨大とは言っても、ディーフの速力を持ってすればプラント内部の移動にそう時間はかからない。程なく、ツァオロンは狭い通路を脱した。構造図を頼りにプラント中枢部を目指す。内部のエネルギー暴走は更に激しく、光が渦巻いていた。自動調整機構も追い付かなくなり、光学センサー、赤外線センサーの機能が低下する。
「…新型機とやの性能を知ろうとわざわざこんな辺境までやってきたが、しかしその甲斐はあったな。これほどの敵に会えるとは正直思っていなかったぞ」
 不意に声が響く。雑音混じりではあったが、しかし視覚が正常に機能しない今では妙にはっきりと聞こえてきた。力強さを感じさせる中年とおぼしき男の声だ。アシュアランスは慌てて周囲を確かめて、止める。接近しているのではない。どうやらプラントの回線に侵入してそのスピーカーから音声を出力しているらしい。
「チッ…いい機械を積んでるじゃないか」
 アシュアランスは毒づきながら中枢部への移動を続けた。アストラントとダルデキューアでは使用されている機械言語がかなり異なる。理論上どんなコンピュータにでも時間さえかければ侵入できるし、それに両国軍ともハッキングソフトの開発に力を注いでいる。しかしこれだけ短時間に敵施設機能の一部を乗っ取るとなると、シルバードラゴンには相当な処理速度を誇るコンピューターが積まれているに違いない。
「カイスがあの年で前線から逃げ、バルクールはもう長くない。残ったのはデラインの未熟者のみ、こちらもカルダントを失った…。いよいよつまらなくなって来たと思っていたが、中々どうして、楽しませてくれる。待っていろ、今からそちらへ行くぞ」
 重厚さを基調とした声が、しかし沸き立っている。本人が言っている通り、戦いを楽しんでいるのだ。アシュアランスは反応しようとは思わなかった。価値観が百八十度違う。話すだけ不毛に違いない。待ってと言われても、当然逃げる。
 しかし冷たく染み渡るような疑問が、アシュアランスの脳裏に浮かんだ。ペルグリュンはツァオロンが配備される事だけでなく、ファイアザードの行動計画まで知っていた。どこから漏れたのか、それは…。
 ツァオロンが首を振った。正確に言えば、アシュアランスが半ば無意識に首を振ろうとして、そうなってしまったのだ。今それを考えるのも不毛だ。彼自身の価値観にもそぐわない。誰がアストラントの敵かなど、本来彼にはどうでも良い。自分が生きて帰る、それだけが大事なのだから。そして今この状況では、思考回路の全てを逃げ切ることに費やしたとしても、可能性は極小だ。余計な事を考えている暇などどこにもない。
 機体の正面に、一枚の壁が立ちはだかる。中枢部はこの先だ。構造図で主要な回線、配管などが埋め込まれていないことを確認してから壁の破壊を決断した。機体左腕部に内蔵された「ベイアネット」を取り出す。本来両腕に装備された粒子機銃の一部なのだが、切断器具として転用できるのだ。さらにこの特性を利用して白兵戦用兵装としても使用できる。先程シルバードラゴンの剣を払ったのがこのベイアネットであり、払われた側の剣もこれを発展させた物だ。
 出力を上げ、かつ余計な部分を破壊しないよう刃となるエネルギーの発生部分は短く設定する。ディーフと比較して丁度ナイフのような長さだ。これを壁に突き立て、何とか通りぬけられるだけの穴を開ける。無闇に破壊を広げようとしなかったのは、今この状況を考えたためだ。エネルギーが各所で暴走している、これを傷つければ爆発しかねない。それにもし中枢部を破壊しようものなら、プラント自体が一瞬で重力に叩き潰されるだろう。
 辛うじてたどり着いた中枢部、アシュアランスは思わず小さく溜息をついた。ここが機能しなくなると即全体の崩壊を意味するだけに、厳重に保護されている。エネルギーの暴走もまだここでは見られない。そしてプラント中枢コンピューターに接続して、ダルデキューア軍によって異常な状態にされていた重力変換を元に戻した。これでプラントの落下は止められる。後はシルバードラゴンから逃げる算段をすれば良い。
 振動、そしてプラント全体を支配していた重力が消え去る。とりあえず予定の一部を消化して、アシュアランスはもう一度溜息をつこうとした。その刹那、今度は先程の比ではない激しい振動がツァオロンを襲う。これまで無事だった中枢部の床、天井、壁面、見える全ての所に亀裂が入って光が漏れ出した。
「まずい…!」
 とっさには何が起きたのか分からない。しかし理解する前に、体が動いていた。ここは危険だ。中枢部が、ではない。プラントその物が危険な状態にある。先程開けた穴から、機体が這い出した。
 そこは白い世界だった。溢れ出した光が視界の全てを覆い尽くし、乱舞している。美しい光景…とは言えなかった。ほとんど光しか見えない。呆然と立ちすくんでから、アシュアランスは何とか視覚を回復しようと赤外線センサーに切り替えたが、無駄だった。ここでは光イコール熱源である。可視光同様塞がれるだけだ。諦めて構造図を頼りに、アシュアランスは半ば手探りで機体を動かし始めた。
 この白い世界、それはプラントがブラックホールに接近しすぎているのが原因だとアシュアランスは推測した。接近しているために受ける重力も大きい、それを変換したものが処理能力の限界を超え、プラント内部に噴き出しているのだろう。変換を戻しても暴走は止まらず、むしろ激しくなるだけだ。このままでは噴出するエネルギーによってプラントその物が崩壊するだろう。しかしまた元の状態に戻そうとすればプラントはブラックホールに引きずり込まれる。こうするしかなかった。崩壊の前にここを離れなければならない。
 天国は光り溢れる世界だと言う。昔の人間の大半はそう信じていたらしいし、今でも信仰にしがみついている人間はそうだろう。しかし地獄だな、とアシュアランスは思った。可視光、赤外線、電波センサーはほぼ機能停止、音響センサーも各所で発生する轟音によって役に立たない。機体表面に配された感熱センサーも、強烈な熱の感覚がパイロットに負担を与えないよう遮断されている。唯一機能する触覚系も、激しい振動ばかりを伝えてくる。これ以上の極限状況は、そう簡単にはない。そこからゆっくりと、アシュアランスは離れようとした。
 そしてようやくたどり着いた出口付近、エネルギーの充填されたバイゼン管を整理するためにやや広く開けられた空間に…オレンジの影がたたずんでいた。白一色の世界でそれがひどく鮮やかに目を突き刺す。銀の紋章も、光の塊となって判然としない。
「短時間で重力変換異常を元に戻す。優秀だな。信用して正解だった。私も君と心中するつもりはないのでな」
 雑音は更に激しくなっている。しかし聞き取れないほどではなかった。元来はっきりとした発音をするのだろう。〈銀竜騎士〉ペルグリュン=エスタート、ダルデキューアの英雄にふさわしい話ぶりだった。
「…そのつもりなら、一時休戦にしないか。分かるだろう、このプラントも長くはない。俺だってごつい中年と心中するつもりはないぞ」
 言いながら、アシュアランスは自分のうかつさ加減を呪っていた。相手がプラントの施設を使って話しかけてきた時点で気がつくべきだったのだ。最重要の機構であるため重力変換は中枢部でないと操作できないが、その他の設備なら手近な回線から侵入して自由に扱える。プラント内部には当然保存されている三次元構造図を呼び出して、それをもとにアシュアランスの帰還経路を予測し待ち伏せするなど、ペルグリュンにとっては容易な事だったのだ。
「まだ多少の時間はある。君と戦うくらいの時間はな。私はダルデキューア民主共和国自己防衛軍将補、ペルグリュン=エスタートだ。君の名を聞いておこうか」
「失礼だとは思うが、断らせてもらう。下手に名を知られて付け狙われたんじゃ叶わない」
「ほう…この私に勝つつもりか」
 声がかすかに笑いを含む。極力冷静に、アシュアランスは言い返した。
「逃げ切ってやるさ」
「なるほど。しかしそれも簡単ではないぞ」
 言われなくても分かっている。今下手に背を向ければ、そこを撃たれる。しかし前に進むには最強の敵を排除しなければならない。しかしここで死ぬ気は全くなかった。
「やってやる。諦めてたまるか」
「その意気は買おう。だが手加減はしない」
 シルバードラゴンが抜剣する。ベイアネット技術の転用であるが、専用武装であるためツァオロンの物などより出力が大きい。ディーフの機体を一撃で貫く、それはアシュアランス自身が見ている。ペルグリュンはそれをまず垂直に立てた。はるか古代の、騎士の礼法である。
 アシュアランスも応じて機体左腕のベイアネットを取り出した。多少威力に劣ることになるが、ある程度の長さがなければ相手の剣を受けるのも難しくなる。そこで長剣ほどの長さに設定した。ペルグリュンの剣ほどの破壊力はなくなるが、しかし粒子同士の反発力を利用して敵の武器を弾き返すことができる。
 そして…構えたシルバードラゴンはすぐには襲いかかってこなかった。
「私の剣を受けた先程から気になってはいたが、その剣術…誰に習った」
「……」
 嫌な予感、というより確信がしてアシュアランスは答えない。構わず、ペルグリュンは続けた。
「動作に特有の癖がある。グリューンベルク大隊のパイロットにも、そこまで酷似した癖の持ち主はいなかった」
「そこまで分かっているのなら、一々聞かなくてもいいだろう。身の上話をさせてから殺すのがあんたの趣味か」
 危険は承知、それでも挑発した。時間がない。一か八か決着を急がなければ、このプラント自体が崩壊する。シルバードラゴンの機体が、脈動して膨らんだように見えた。
「ふむ、いたしかたないな。では…行くぞ!」
 強烈な踏み込み、そこへ同時に推進力を乗せて一息に接近する。最強の名にふさわしい、機体の能力を最大限に生かした機動だ。一瞬を待たずに距離がゼロに等しくなる。コックピット貫通軌道の一撃を、ツァオロンの剣が払いのけた。
 この空間はディーフが二次元的に動くには十分な広さを有しているが、しかし天井高がやや不足している。剣を振りかぶれば天井に当ててしまうのだ。更に突進時の攻撃で剣を横なぎにしたりすれば間違いなくバランスを崩す。来るのはまず間違いなく突きと分かっていた。それに賭けて、死の一撃を防いだのだった。
 しかしただ一度防いだ所で勝機など見えてこない。払われたはずの剣が信じられない速さで戻って来てアシュアランスの反撃を許さない。それどころか更に攻撃してきた。辛うじて受け止めるが、衝撃でかなりずり下がる。そこを逃さず、ペルグリュンは攻撃の手を緩めず、アシュアランスは下がるしかない。
 シルバードラゴンは強力なカスタム機であるが、ツァオロンも最新型の機体だ。性能そのものに極端な開きはない。それでここまで力負けするのが、技量の差というものである。普通に戦っていたのでは勝てない、絶対に。しかしわずかでも勝機はある、とアシュアランスは踏んでいた。自分が一撃で倒されないのがその何よりの証拠だ。
 目で見るだけでなく、耳で聞き肌で感じる、カイスはそう言っていた。その人間離れした感覚が、圧倒的な強さにつながっているのだろう。しかし今視覚センサー系は圧倒的な光に閉ざされ、聴覚系は轟音に封じられ、触覚系は強烈な熱に麻痺している。アシャーと言えどもその力を最大限には発揮できない。
 当たらない攻撃に苛立ったのか、ペルグリュンの攻撃がわずかに大ぶりになる。アシュアランスはそこに反撃を繰り出した。渾身の一撃、しかしそれはあっけなく受け流される。フェイントだったのだ。ツァオロンの剣は大きく外され、そこに出来た隙にシルバードラゴンの剣が食らいつく。そして光が爆ぜた。
 小爆発が連続する。直撃を受けたのは、オレンジの装甲だった。この至近距離で、アシュアランスは右腕部に装備された機銃を使ったのである。剣の勝負に応じたと見せかけて、始めからこの機会を狙っていた。シルバードラゴンの剣がツァオロンの胸部装甲をかすめ、表面を沸騰させるが大したダメージではない。この機を逃さず、アシュアランスは敵機の首をはねようと剣を振るった。
 凄まじい衝撃がツァオロンを襲う。先程アシュアランス自身がバートを助けた時も、このくらいのものだったのだろう。バランスを崩しながらも、シルバードラゴンは蹴りを放って距離を取ったのだった。両機とも転倒は免れたが、さすがにとっさには動けない。
「貴様卑怯だぞ!」
 ペルグリュンの声は叫びを通り越して咆哮になっている。頭部正面の装甲が傷つき、凄惨な姿になっている。しかし全体が吹き飛んでいないとはどういう防御力だ、とアシュアランスは内心毒づいた。かすめたのではなく、複数直撃させている。
「やかましい! 戦闘狂の趣味に付き合っていられるか!」
 怒鳴り返したのは、別に戦術でも何でもなかった。これまで生き残ることを考えて極力冷静でいたが、それに耐え切れなくなったのだ。自分が文字通り必死になっているというのに、戦闘を楽しみ、そしてあまつさえ敵にまで道徳を要求する相手の姿勢に本気で腹が立っていた。それだけではない、望まない従軍を強いられて以来の不満まで、叩き付けるべき目標を得て噴き出している。ツァオロンの手の中で、ベイアネットがきしみを上げた。
「何をっ!」
 叫びとともに、シルバードラゴンが再び突進する。ツァオロンも待っていずに踏み込んでそれを迎え撃った。
 白い世界で、蒼と橙、二機のディーフが激突した。奇しくも両機とも、「竜」をその名に冠している。乱舞する光の中で、二本の光の剣が猛り狂う。巨人の踏み込みに耐え切れず、ひしゃげた床の隙間から更なる光が溢れ出す。既に光しかない、そんな戦場だった。ディーフの多重装甲も、高熱に長時間晒され内部発生熱を逃すこともできず安全領域を既に越えている。
 肩部、頭部、左腕、ツァオロンの表面装甲が次々とえぐられ、弾き飛ばされて行く。実力の差はやはり歴然だった。戦えば戦うほど、ペルグリュンの剣はその鋭さを増してアシュアランスに襲いかかる。防御も難しくなり、致命的な一撃を回避するだけで精一杯だ。反撃などとてもできない。無理にそうすればそこで真っ二つにされる。終わりが近づきつつある事を戦う両者が認識していた。ツァオロンが広いはずの空間を使い果たして、とうとう壁際に追い詰められる。
「おおっ!」
 アシュアランスは剣を大きく振りかぶった。普通にやっていたのでは殺されるだけだと今改めて証明されている。賭けに出るしかない。
「そこまでか!」
 早く鋭く、モーションとしては小さく、ペルグリュンは剣を突き出した。振りかぶったのではそれだけ時間がかかるだけでなく、天井に剣をぶつけて動きが致命的に鈍る。勝負はこれで決まりだ。
 案の定、ツァオロンの剣が天井に突き刺さる。そして、そこから光が溢れ出した。
「なっ…」
 その時ペルグリュンが見たもの、それは巨大な光の柱だった。全高二十五メートルのディーフよりも更に大きい何かが、シルバードラゴンめがけて倒れ込む。前に出た剣はあっけなく弾かれ、そして機体本体も直撃を受けて吹き飛ばされた。
 ツァオロンの剣が突き刺したもの、それはただの天井ではなく太い動力パイプを内蔵した部分である。今は莫大なエネルギーが出口を求めて氾濫している場所だ。そこに開けられたわずかな穴は極小時間内に暴走する力によって割り広げられ、巨大な噴出口となる。噴き出したエネルギーはツァオロンの剣に巻き込まれ、そのまま塊となってシルバードラゴンに襲いかかったのだった。
 その機体は光の壁の向こう、ツァオロンの現在の索敵範囲外に消えてしまった。
「ハア、ハア…」
 息が荒い。アシュアランスは今ようやくそのことに気がついた。疲労は頂点もとうに超えているが、しかし思考回路が急速に動き出す。敵の安否を確かめ、まだ生きているのなら止めを刺すべきか?
 答えは簡単だった。否だ。まだ生きているとしたら、今度はこちらがやられる可能性が極端に高い。これ以上今のような奇策を出せるとは思えなかった。今のうちに逃げてしまうのが利巧である。そして死んでいるのなら、生前親しくもなかった死者に時間を割くだけ無駄である。このプラントも長くは持たないと先程からアシュアランス自身が言っているのだ。これも今まで気づかなかったが、プラントを包む振動が大きくなっている。いずれにせよ、この場を離れた方が良い。
 決断するなり、アシュアランスは機体を駆った。疲労が厳然とあるくせに、これまで死闘を演じていたのが嘘のような活力が体中にみなぎる。そして、アシュアランス機ツァオロンはプラントの外部に達した。
 巨大な闇が視界一杯に広がる。それがこれほどまでに美しいものだと、アシュアランスはこの時初めて知った。人間は欠乏しているものを求める、それは有史以来変わっていない。
 そして闇の一角を切り裂いて、一機のディーフがプラント上に舞い降りた。四肢が細く長く、装甲版がなまめかしいとさえ言える曲線を描く。左腕の盾には狼の像が刻まれている。しかし何より印象的なのは、溢れ出す光を浴びて輝く銀色の装甲だった。光の彫像、それは神像にも見えた。
「シルバー…ウルフ…」
 対応さえ忘れて、アシュアランスはその姿に魅入っていた。ダルデキューアのアシャー、〈銀狼姫〉ナディア=バルファリスの乗機だ。
「久し振りだな、アッシュ」
 声が聞こえる。紛れもない、カイスの家で会った、あの女のものだ。しかしその声調は大きく異なる。ふざけたところはみじんもなく、鋭く冴え冴えと響き渡る。これが戦場の、言うなれば真の姿なのだろう。その冷たさが、アシュアランスの認識を確かなものにした。敵だ。それもペルグリュン以上の実力を誇る。
「くっ…ここまで来て…ここまで来て!」
 自分の叫びすら聞こえずに、アシュアランスは機体の全能力を開放した。跳躍に推進力を重ねて最大限の加速を出し、シルバーウルフに襲いかかる。一筋の閃光が、光の彫像を刺し貫こうとした。
 しかし実力の差は、巨大だった。もう運もなければまぐれもない。シルバーウルフの専用白兵戦兵装は長大な槍、それがかわしざまに振るわれてツァオロンの右腕部、更には右脚部まで切断する。切り離された先は闇に飲まれ、残った部分はプラント表面に叩き付けられ、転がった。
「誰に剣を習っているっ! 相手を良く見ろ!」
 ナディアの叱咤が聴覚を揺さぶる。しかしそれはアシュアランスの精神にまでは届かなかった。もう終わりだ。
「…人の獲物を横取りとは、どういう了見だ、ナディアどの」
 更に一機、ディーフがプラント表面に姿を現した。シルバードラゴン、全ての正面装甲が無残に焼けただれているが、それでもなお機能している。凄まじいまでの頑強さだ。戦意そのものを具現化しているようでもある。
「そうおっしゃられましても、これは私の領分です。手を出さないでいただけませんか、閣下」
 ナディアの声はあくまで冷たい。そうしてシルバーウルフをツァオロンとシルバードラゴンの間に割り込ませた。
「何を勝手な…。いかに艦隊総司令官閣下の令嬢とは言え、階級が上である以上指揮命令権は私にある。そのようなわがままが通じるとお思いになるな。さあ、そこをどいていただこう。さもなければ…」
 シルバードラゴンが一歩を踏み出す。剣がぎらりと光った。シルバーウルフの長槍も応じて緩やかな弧を描く。
「私と戦うおつもりですか。そう言えば以前、本気で戦ってみたいとおっしゃっていましたね。私も一度剣の師匠の一人であるあなたとは戦ってみたいとは思いますが…今、この場でですか。その状態ではシルバードラゴンも泣きますよ」
 彼女はやや苦笑しているようだった。不利を自覚して、ペルグリュンは答えない。
「そもそも停戦が発効している今、敵…いえアストラント軍の機体を攻撃したとあっては輝かしい名声に傷がつきます。ここはお退き下さい」
 そう言って、ナディアは槍を収めた。シルバードラゴンが機体ごと身じろぎする。
「何? 停戦だと?」
「通信が途絶していたようですね。それでは改めてお伝えします。本日付けをもって、ダルデキューア、アストラント両軍の間に停戦協定が成立しました。よって艦隊総司令部よりの命令です。直ちに戦闘を停止し、母港に帰還せよ。以上です」
「馬鹿な、何故そんな…」
 ダルデキューアの英雄が動揺を隠せない。今一人の英雄は、くすりと笑った。
「いくら私でも、彼に会うためだけにアストラントに一ヶ月も入り浸ったりしませんよ。平和条約締結の交渉をしていました。停戦はそれに先立つものです」
 ナディアはそう言いながら、シルバーウルフを傷ついたツァオロンに近づけ、助け起こした。
「さあ、立つんだ。謝りはしないぞ、こちらは停戦信号を発しているというのに、それに気付かず斬りかかって来た君が悪いのだから。まったく、君のいる部隊に将補が興味を示したと聞いて慌ててやって来たのに、これでは割に合わない」
「…俺のために?」
 ひどく喉が乾いている。そんな事だけが感じられた。
「当たり前だ。愛する男の大事な弟分を、こんな所で死なせたとあっては〈銀狼姫〉の名がすたる。カイスに恨まれるのもことだ。あれは善人ぶっているが実は陰湿で執念深い。それよりまずは、早々にここを離れるとしよう。恐らくもう保たない。」
 溢れ出す光は飽きることなく闇へと吸い込まれて行く。アシュアランスは燦然と輝く機体を眺めようとして、止めた。自分の機体の推進力を再び上げる。右腕部、右脚部を失っており、機動に支障をきたすほどバランスが崩れているが、そこをシルバーウルフが支えていてくれる。二機はプラント表面を飛び立った。
「ナディアどの!」
 シルバードラゴンが追い付く。激しく損傷しているが、アシュアランス機をかばっているシルバーウルフと肩を並べるのは容易であるらしい。
「事情は追って。ライズレンまでご一緒しますから、道々お話するとしましょう。ファーヴニルへ参上します。エイリンヒャルへいらっしゃるのでしたら歓迎しますよ」
 ごく落ちついた話し振りだが、しかしその間にナディアは愛機に急激な加速をつけている。ペルグリュンも苦もなく並進し、一番苦労したのはアシュアランスだった。
「…ならば新造艦を拝見するとしよう」
「承知しました」
 敵方、正確に言えば先刻まで敵であったアシャー二人の会話がアシュアランスの脳裏を滑り落ちて行く。ただ一つ、最も近い位置に見える一隻の艦が意識を占領していた。白を基調とした塗装が複雑かつ繊細な艦形を浮かび上がらせる。アシュアランスの記憶しているどのアストラント艦、ダルデキューア艦とも異なる。
「…あの艦は?」
「あれがエイリンヒャル、私だけのために造られた艦だ。どうだ、美しいだろう」
「はあ…」
 実際美しいとは思ったが、しかしどうだなどと言われると芸のない返答をするしかない。脇でペルグリュンが苦笑したようだった。
 シルバーウルフの装甲が、不意に輝きを増した。隠蔽性を完全に無視した機体ではあるが、しかし自ら発光するようになどできていない。急速に膨れ上がった光源は、真下のプラントだった。
「まずいっ!」
 付近のディーフ三機、全てが推進力を全開にする。一瞬の輝きが消え、後には闇が残された。バイゼン管プラントの爆発、消滅である。それはつまり付近に展開されていた無重力帯の消失をも意味する。重力に姿を変えた死の見えざる手が、三機を抱擁した。
 この時点で既にかなりの距離を稼いだはずだが、しかしそれでも人工物のわずかな出力をあざ笑うかのように離そうとしない。加速が減速に変わり、そして停滞から後退へと落ち込もうとする。シルバードラゴンは辛うじて脱したが、しかしツァオロンとシルバーウルフが捕らえられた。一度落ちてしまえば、自力での脱出は不可能だ。
「捕まれ!」
 シルバードラゴンが投じたワイヤーが両機にからみつく。これでどうにか重力に拮抗したが、しかし好転の方向にまでは動かない。せっかく危険領域を脱しかけたシルバードラゴンまで同様の状態になる。最大出力、そして巨大な重力によって機体がきしみを上げた。
「くっ…! こうまでアシャーが揃って、このざまか!」
「まだだ!」
 アシュアランスと、そしてツァオロンが咆哮する。設計を超えた出力が自らを引きずり上げようとした。ゆっくりと、奇妙に絡み合う三機が浮かび上がる。
 そして…それまでだった。アシュアランス機ツァオロンの推進剤残量ゼロ、それがこの時点での現実だった。これまで機体能力を使えるだけ使って来た、その当然の結果である。もうどうしようもなく引きずり込まれて行く。
「そう、まだだ!」
 しかし一度は不毛な毒づきを発したナディアが諦めていない。それまで安全領域ぎりぎりに留まっていたエイリンヒャルが、限界を突破して接近して来たのだ。更にそこから強引に出撃した複数のディーフが、落下状態にある三機へ向けてワイヤーを放つ。ディーフ、フェンリル型、ナディア直属部隊にのみ配備された高性能機である。通常であれば発進するだけで事故につながりかねないこの極限状況下でそれだけの機動をする、パイロットの技量も恐ろしく高い。
「良し、いいぞ!」
「行けるか」
 ナディアとペルグリュンが素早くワイヤーをつかむ。この二人にとってアシュアランス機を抱えている事など問題ではないらしい。そしてフェンリル隊が巧みな連携を見せて、三機を着艦甲板まで引きずり上げた。本来そこにいるだけで危険なので、彼等も目的を達成した後速やかに艦内に逃げ込む。
「助かった、皆に礼を言う!」
 艦内回線に接続してナディアの声が響く。戦場を翔けてなお輝きを失わないシルバーウルフの勇姿、そして音楽的でありながら力強い声に乗員の間から歓声が上がった。
「まだ安心はできん」
 つぶやきと言うには重過ぎるペルグリュンの言葉が漏れる。激しく傷つきながらもなお力強く立つその姿は、他を圧するものがあった。
 艦全体がきしみを上げる。重力制御機関で中和しきれない力が巨大な艦をも引き裂こうとしているのだ。金属の主構造材がよじれて上がる音は、どこか人間の悲鳴に似ていた。
「大丈夫、並の艦とはわけが違います」
 軽く笑いさえして、ナディアは請け合った。エイリンヒャルの推進機構が炎を吹き上げる。この大型艦に中型艦クラスの加速力を与える、既存宇宙艦の中で最大の出力を誇るものだ。後半部を光の塊に変えた白い艦は、重力の見えざる手から軽々と逃れ出た。
「ほら、予算の無駄使いだ何だと言われ続けてきましたけれど、最初からきちんと役に立ったではありませんか。B級戦術艦なら重力制御が追い付かずに引き千切られていたでしょうし、機動母艦やA級戦術艦では脱出速度を得られなかったでしょう」
 シルバーウルフが人差し指を立てる。対するシルバードラゴンは首を振った。
「まったく…」
「所で閣下、お願いがあるのですが」
「何かな」
 ペルグリュンはやや警戒した。ナディアが幼い頃からの知り合いであるが、昔からこの女の「お願い」にはろくな事がなかった。自分の能力と実家の権力、大概のことは自力で片がつけられるのだから、他人を頼るとなると相当無茶な事だ。しかし彼の内心に構わず、ナディアは続ける。
「実は急いで首都を出てきたものですから、この艦少々物資その他が不足しておりまして。そちらの艦隊から分けていただけないでしょうか」
「できる限りはするが、こちらも小規模編成だからな。具体的に何が足りないのだ」
「まずバイゼン管の残量が…」
「…つまり全部だな」
 ペルグリュンは素早く遮った。バイゼン管のエネルギーは艦の存続に何より不可欠なもの、どんな時にでも最優先に補充される。それが不足しているとすれば、その他の物資などほとんどゼロに近いだろう。
「端的に言えばそうですね」
 ナディアがくすりと笑った。〈銀竜騎士〉と敵に恐れられ味方には最大限の畏敬を払われる男が、溜息をつく。
「どこかから補給艦を手配しなければならないようだな」
「それは困りました。なるべく急いで首都に帰りたいのですが」
「艦長、敵…いえ、アストラント艦が交信を求めていますが」
 本来艦長が戦闘時の指揮を取るべき中央戦闘司令室から、副長が呼びかけて来た。
「失礼します。ファイアザードからか?」
「はい。しかしロックストーム橋から一個艦隊規模のアストラント軍艦隊が侵入して来ています」
「遅い遅い…。そうだな、ファイアザードには責任者不在ゆえ三十分待てと伝えておけ」
「はあ? 三十分とは、何をするおつもりですか」
「シャワーだ。汗まみれの姿で記念すべき停戦以来初の通信画面に出たくない」
「あの…」
「うるさいな。三十分は最低限の妥協線だぞ。何なら二時間ばかり待たせてやろうか」
「…本国と連絡を取るため、しばらく待って欲しいと伝えておきます」
「いい考えだ。頼むぞ」
 回線が切れる。ペルグリュンが苦笑していた。
「何なら私がやっても良かったし、あの副長に任せても良かろうに」
「駄目ですよ。アストラントの連中にはダルデキューア人がいかに美人ぞろいか教えてやらねばなりませんのでね。そうそう、一ついい事を思いつきました。足りない物資、アストラント軍を当てにしましょう。この際必要なのは基礎的な物資ですから、規格が合わないことはないでしょう」
「また無茶苦茶を…相変わらず世界が自分中心に回っているとお考えのようだな。ついさっきまでの敵と交渉して補給を受けるなど、簡単ではないぞ」
「事実そうですから。それに今こっちにはこの子もいますからね。口をきいてもらいましょう。アッシュ、そのような事情だから、よろしく頼むぞ」
 返答はない。
「アッシュ、返事をしろ。せっかくカイスが一個艦隊もの迎えをよこしてくれたんだ。へばっている暇などないぞ。ファイアザードからの通信も、まずは君の身を気遣っているからではないかな」
 右腕、右脚を失ったツァオロンは、ただ浮かんでいる。
「…アッシュ?」
 シルバーウルフの指先が、焼けて変色した装甲に触れた。ツァオロンの機体がゆっくりと回転を始める。パイロットなら誰にでも分かる。これは機体が、既に意思を持たなくなっている証拠だ。
「何故…?」
 呆然とした声が漏れる。それが自分のものであると、ナディアはしばらく気がつかなかった。
「医療班を呼べ! 整備兵、機体ハッチを強制開放しろ!」
 ペルグリュンの指示が飛ぶ。本来なら艦長であるナディアが下すべきものだが、しかし誰も気にしなかった。
「こんな終わり方なんてない…そうだろう?」
 ナディアの問いに、答えるものはない。
「駄目です! 装甲版が過熱している上に変形していて…」
「固定台だ! 引き剥がすぞ」
 先刻までの敵兵を救助しようと、ダルデキューアの将兵が懸命の努力を続けている。これがナディアと、そしてカイスの望んだ結末であるはずだった。彼女はそれをただ眺めていた。
 戦争は、終わっていた。


前へ 小説の棚へ 続きへ