Alpha-Lord Episode 1.0
白い世界で
エピローグ
一条の光が蒼空を切り裂く。きらめく光をその身にまとった美姫が、軽やかに天空の舞いを演じている。闇よりも深い色の瞳で、一人の男がそれを追い続ける。風がその夜色の髪を乱したが、彼はそれを気にも止めなかった。
やがて彼女が舞い降りる。シルバーウルフ、ダルデキューア最強を謳われる機体が、アストラント連合大議事堂の前に姿を現した。一片の雪さながらに、接触音すら立てようとしない。
捧げ銃、賓客に対して伝統的な軍事儀礼を施したのは、百機にも及ぶディーフ群だった。第一連合艦隊所属サムソン型、バルクール=フォルガム少将の指揮下にある部隊は一糸乱れぬ集団行動を展開した。バルクール自身の機体、ポセイドンもその勇姿を見せている。それだけではない、ポセイドンに肩を並べる形でもう一人のアシャー、デライン=ガードナー大佐も愛機ベリアルを立てていた。
青と赤、二体のディーフの前で、黒髪の男が手をかざす。立ち並ぶ巨人達の中でその生身の姿はあまりに小さいはずであったが、しかし彼女は迷わず彼を選んだ。ひざまずき、差し出された手に機体の手を重ねる。そしてコックピットハッチが開放され、搭乗者が姿を現した。
長く艶やかな栗色の髪が風にゆれる。それに飾られた白皙の美貌には、活力に溢れるような笑みがたたえられていた。彫刻的に均整の取れた長身を、銀糸の刺繍が為された白い軍服が包む。ナディア=バルファリス監士、ダルデキューア民主共和国全権特使、民主共和国自己防衛軍艦隊総司令官オスカー=バルファリス総将令嬢である。
優美な曲面を描く装甲、それも元来鏡面構造を有している上極限まで磨き上げられて摩擦抵抗などゼロに等しい。絶対に歩けるはずのないその腕部装甲上を、彼女は危なげなく歩いて男の元へ歩み寄った。差し出された手を取って地面に降り立つ。
出迎えたのはカイス=サファール、アストラント国民主権国家連合代表議会議員、連合平和戦略軍予備役大佐、対ダルデキューア和平委員会委員である。彼が軽く視線を向けると、ディーフの群れがネプチューン、ベリアルを基点として左右に分かれた。白亜の大議事堂へと続く道が出来上がる。
ダルデキューア民主共和国国家「勇気と献身」の荘重な前奏が始まる中、二人の若きアシャーが歩き出す。長きに渡る戦争に終止符を打つため、そして新たな時代を…
息が漏れるような音とともに、画面が消えた。正確に言えば、消したのだ。そのコントローラーを玩びながら、リファームはなおも不機嫌そうな顔をしている。カイスの家のリビング、その居心地の良いソファーに、沈み込んでいた。
「ついこの前までダルデキューアを倒せとか何とか言ってたくせに…」
苛立ちを言葉にして吐き出す。マスコミニュケーションの変節ぶりは驚く程だった。これまで強硬に決戦を主張して来た媒体が、今や熱狂的に和平特集なるものを組んでいる。元来政府に批判的で、戦争継続に辛辣であったいわゆる左翼系報道機関の方が大人しいくらいである。
リファームとしても別に戦争が好きな訳ではない。二度の実戦を経験した身として、人が死ぬのはもうたくさんだと純粋にそう思う。しかしこうまであざといやり口を見せ付けられると、閉口するものがあった。何より同じような番組ばかりで飽きてしまう。今のシーンも何度となく見せられていた。
キッチンからは野菜を刻む、リズムに乗った軽快な音が聞こえてくる。しかしそれさえも、今のリファームには腹立たしかった。料理をしている背中に殺人的な眼光を向ける。しかしその忙しげだがどこか楽しげな後姿は、反応さえしなかった。
同刻、同じ建物の寝室にて。公式には国賓を迎えるためのゲストハウスに宿泊することになっているナディアであったが、実際はここに入り浸る気でいる。歓迎晩餐会なども、最大限さぼるつもりだ。何しろ今日来るなり、「長旅による疲労」を理由に国家元首である連合総評の私的招待を断っているのだから。
「土産だ」
そう言ってまず彼女が取り出したのは、ダルデキューア産のブランデーである。ダルデキューア最高…というより人類社会最高とされる銘柄で、アストラントにも密かに輸入されているものだとカイスは記憶していた。この国で買おうとするといくらになるのか、カイスには詮索する気もない。
土産…と言いつつナディアは栓を開けるとまず自分で飲んでしまった。グラスなど使わない、瓶に直接口をつけている。それから瓶ごと差し出すのだ。礼を言って、カイスも芳醇な香りの液体を喉に流し込む。いつもの事だから別に驚かない。アシャーと通常の人間の差異はその戦闘力に留まらない。自然治癒能力の強化、消化能力の強化とそれに伴う食欲の異常増進など様々だが、薬物への耐性もその一つである。この場合、一瓶全て一人で飲み干したとしても、大して酔いはしない。
「まず謝っておこう。あのような事態になってしまったのは私のミスだ。あの人なら独自のルートでファイアザードの行動予定くらい入手できるだろうし、強敵との戦いを好む趣味を考えれば間違いなくそれに襲いかかると、すぐにわかったのに」
「別にいいですよ。こうして結局は予定通りになったのですから」
カイスは窓際に立って外を眺めた。ナディアもそれに並んで、そして酒瓶を受け取る。
「…そうか。では次の話だ。私に剣を向けたあの時、彼は間違いなくアシャーだった。正直な話ぞっとしたよ。君と初めて戦った時以来にね。ああして手足を叩き斬っていなければ、やられていたのは私だっただろう。他にも証拠は色々とあるが、私にとってはこれで十分だ」
「初戦闘後の精神的不安定、好戦性の増大、そして何よりアシャーである〈銀龍騎士〉と長時間戦闘を継続したこと、色々とはそんな所ですね。彼は環境のせいだと思っていたようですが、そんなことは問題にならない。条件が同じなら本来勝負は一瞬で決まるでしょう」
「将補も同意見だったな。しかし分からないのはその後だ。何故あのようになったのか、通常なら一度発現した力が失われることはない。それを…」
「彼は戦いを望んでいないからですよ、多分ね」
何度目かに回ってきた瓶をカイスが傾ける。ナディアはそれを奪い返してから聞いた。
「どういう事だ?」
「人を殺すという根源的な恐怖、それを克服できていなかったのでしょう。新兵には珍しくありません。彼は元来慎重で思慮深い、そして繊細な性格の持ち主です。頭がいいのでうまく軍隊教育を潜り抜けて来たようですが、しかし軍人としての本来的な適性は低いと言うべきでしょう。我々とは違います」
「まるで我々が無謀で短絡的で、がさつだとでも言いたげだな」
「特にあなたはね」
瓶底で殴り付けてから、ナディアは話を戻した。
「しかし殺す恐怖など、自分が死ぬ恐怖、生への欲求に比べればごく些細なものだろう」
「そういう人もいる、ということですよ。私はこれで良かったのだと思います。アシャーとなって後戻りの効かない血みどろの一生を送るよりは…」
溜息を、ナディアは恋人に吹きかけた。
「一つジンクスがある。アシャーが覚醒した後数年、戦争は激化する。君と私が相次いでアシャーとなった直後は、ダルデキューア・アストラント間の長い戦いの歴史の中でも最も激しい一時期だった」
「…………」
「君なら分かっているだろう。これから両国の最強硬派が動き出す。互いに対する憎悪は絶対に消えないし、君の国には戦争を利益にする軍需産業がある。私の父も今回は協力したが、しかしエスタート監士の行動を傍観したように、内心何を考えているのかわかりはしない。この前気になって少し調べてみたんだが、彼の故郷だけを取っても、独立派と連合派の間で激しい対立がある。いつどこが爆発してもおかしくない。戦いを避けられなどしないのだぞ」
「止めて見せますよ」
「心にもない。君自身火種なのだぞ。しかも発火の可能性が極めて高い。パイロットを辞めて議員になったのは、この国の権力に組み入れられるためではない。それを叩き潰す足がかりを築くためだ。以前私にそう言っただろう」
「だからといって私と同じ人間を作りたくはありません」
カイスがかぶりを振り、ナディアは更に強く首を振った。
「甘過ぎる。これから歩むべき道が平坦でないなどと、今更言う必要もあるまい。貴重な手札になる存在をみすみす逃すつもりか。それとも君自身の思いを諦め切れるのか。私としてはその方がありがたいがな。全てを忘れて私と一緒に暮らせるのなら…」
ナディアをさえぎったのはカイスではなく、屋内回線のコール音だった。済まなさそうに笑ってから、カイスがそれに答える。
「はいはい」
「支度ができました。こちらへどうぞ」
「分かった。さっきからいい匂いがしている。楽しみにしているよ」
「感想は食べてから言うものです」
不敵に笑って、相手は回線を切った。カイスがくすりと笑う。
「さ、空腹で話をしても深刻になるだけですよ。行きましょうか」
「そうだな」
苦笑して、ナディアもそれについて行った。
食欲をそそる匂いの漂うダイニングでは、既にリファームがテーブルについていた。しかし脚も腕も組んで、不機嫌さを隠そうともしていない。カイスが少し驚いて聞いた。
「どうしました。さっきまであんなに嬉しそうだったのに」
「いえ、別に、何も…」
目上の人間がやってきたのでリファームは姿勢を改めたが、しかし表情にはほとんど変化がない。そこへ笑い声がかかった。
「口喧嘩で一方的に負けたんですよ」
笑いながら、細く白い手で深皿を並べる。アシュアランス特製の料理が、食卓に展開されつつあった。
エイリンヒャルに救助された時、アシュアランスは意識を失っていた。ペルグリュンとの戦闘で精神的に激しく消耗していたにもかかわらず、ブラックホールからの脱出の際に機体に全力以上の力を出させようとして脳や神経に負担がかかったのが原因らしい。
エイリンヒャルからファイアザードへと移された後意識は回復したが、記憶の混乱が見られたうえにその他体機能も全般的に低下しており、ファイアザードの医務室から更にセンタストUの病院へ直行した。ようやく退院できたのがつい昨日のことである。
そしてこの日、朝から食料品の買出しを始めていた。突然のその行動に付き添っていたリファームは本気で心配したが、アシュアランスは笑って答えたのである。「本当にうまい料理を食べさせる」その約束を果たすのだ、と。これでリファームの心配はより深いものになってしまったのだが、しかしこの家に帰って実際に料理を始めるアシュアランスを見ると、考えを改めた。
実に効率良く、流れるような手つきで食材の下ごしらえを進めて行く、それは魔法でもかけているようだった。プロでもここまでの技量の者は珍しい…と、少なくとも見ているリファームには思えた。とりあえずアシュアランスに相当な自信があることだけは確かである。その頭脳は極めて正常に働いている。
安心すると、ついいつものからかい癖が出てしまった。
「これならいつでもお嫁に行けるね」
これでいつものように激しい反撃が…と身構えたリファームであったが、甘かった。アシュアランスは確かに変わってしまっていたのである。
総毛立つような不吉な笑顔で、彼は振り返った。なまじ造形的に美しいだけに凄絶である。魔王というものがいるとしたら、多分そんな顔をしているのだろう。
「違うよ。俺は男だから、『お婿』だろう?」
「う…うん」
言っていることが嫌に穏当で、ほとんど瘴気のようなものが吹き付けてくる。リファームはのけぞってしまった。そして、そのままアシュアランスが続ける。
「この程度の事誰にでもできると思うんだが…君にはできないのかな」
「そ…そうね」
実の所料理の心得など全くない。物心ついたときから機械をいじってきたために天才を自称してはばからないだけの能力を身につけたが、しかしその分家事一般に関してはからきしである。薄灰色の瞳が、それを見透かしていた。
「駄目だね。別に女だから料理の一つくらいなんて言うつもりはないが、一人の独立した社会人として最低限の生活能力くらいないと…」
薄い唇が三日月型に開かれる。全く反論のしようもなかった。それ以来、リファームは不機嫌だったのである。
「口喧嘩…ですか」
いきさつを聞いて、カイスは苦笑した。
「いかんなあ、口喧嘩で一方的にやられたなどと、女が廃るぞ。やり返さなければ」
ナディアがけしかける。リファームはむっつりと黙り込んでいたが、しかし席を立とうとはしない。それだけ並べられた料理の発する匂いが魅力的でもあるのだ。
「さ、できましたよ」
メインはたっぷり六時間煮込んだビーフシチュー。脇には魚介類とトマトソースという二種類のパスタ。更にピラフも蟹と鳥の二種類。三種類のオリジナルドレッシングが添えられたサラダ、ほうれん草とセロリのスープ、数種類の野菜のグラッセ、フライの盛り合わせ、南瓜のパイ…と一人で作ったとは信じられない量と種類の料理が食卓一杯に並ぶ。カイス・ナディアの大食いカップルにも不満を感じさせない。
「あ、酒臭いですね。二人とも部屋で飲んでいたんですか。せっかく酒も用意したのに…」
苦笑しながら、アシュアランスはワインの瓶を取り出した。サイランス産の白、年代はそれほど古くはない。
「オライオン? 知らないワイナリーだが…」
ナディアがラベルを見て首をかしげる。アストラントのものも含めて、質が良いとされるワイナリーは大概把握しているつもりなのだ。そもそもサイランス産ワインというものが、あまり有名ではない。
「それは確かに、あなた方がいつも飲んでいるような高級品ではありませんけれどね。ただこの味付けにはやはりこっちの方が合うと思いますよ」
「そうかもな」
「私は普段そんなに高い物は飲んでいないよ」
何気なく高級品を飲んでいることを認めるナディアと苦笑して否定するカイス、反応が分かれた。その間もアシュアランスは手を止めず、今度はワインを注いで行く。グラスは四つ、アシュアランスが未成年だとか、そんなことは誰も気にしなかった。一通りの準備を終えて、彼も席につく。
「じゃあ、アシュアランスとリファームさんの生還を祝して」
「それからアストラントとダルデキューアの和平に」
カイス、ナディアがグラスを掲げる。気の効いた台詞が思いつかなかったのでアシュアランスは黙って、しかし笑って二人に習った。リファームも黙ったままそうする。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
声の響きが消えないうちに、ナディアは一杯干してしまった。更にさっそくビーフシチューにスプーンを入れる。仕方がないな、という顔をしながらカイスはグラスを傾けていた。そんな光景を、アシュアランスが笑って眺めている。
「そう言えば帰る便は決まったのかな」
グラスを下ろしてカイスが聞いたのは、アシュアランスの帰省についてだった。予定外の事態が起こったものの、ファイアザードの訓練計画は一応終了したために乗員には休暇が出されているのである。戦時下なら訓練が終わり次第前線へ、となるはずだったのだが、その戦うべき敵がいなくなってしまった。
「ええ、明日の昼に発つ予定です。それでなんですが、荷物をある程度ここに置いていて構いませんか。どうせまたこっちへ戻って来ても待機命令が出るかもしれませんし」
「そんな遠慮がちに切り出さなくてもいいよ。どうせ使っていない部屋なんだし、私は始めからそのつもりだから」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
男二人の会話の間、女性陣は黙々と食べている。ナディアは楽しんでいるようだが、リファームはというとどうもやけが混じっている。いくら言い負かされたからと言って、ここまでになるのはおかしいとアシュアランスは判断した。基本的に立ち直りは早いはずだ。
「君は実家に帰ったりしないのか。俺と同じだけ休暇が出ているはずだけど」
とりあえず流れからして自然な話題を振ってみる。しかしこれが直撃してしまった。派手な音とともにフォークが置かれる。
「ほんとに無神経だね、全く…。こっちは明日からどうしようかと真剣に悩んでいるのに」
「どうして?」
「頑固親父と喧嘩別れして軍隊に入ったっていうのに、仕事が終わったからはいただいまって帰れるわけないじゃない。あーあ、兵舎とかは規則や何やらが面倒だしな…」
「あれ? ここにいないつもりですか。リファームさんだってそんな遠慮しなくていいのに。私達は気にしませんよ」
カイスがこう言い、ナディアもうなずくがリファームはかぶりを振った。
「あたしが気にしますよ。事実上の新婚家庭になんていられませんから」
誰も反論できなかった。他人がいちゃいちゃベタベタする光景など見たいものではない。他に仲間がいれば精神的な逃げ場もあるが、一人取り残されたのではかなりつらい。
「じゃあやっぱり帰るしかないんじゃないかな。喧嘩を覚悟でも家族に顔くらい見せたほうがいいと思うよ。後は友達の家に強引に泊めてもらうとか」
苦笑がちに、アシュアランスが妥協案のようなものを示した。
「うー…それしかないかなあ…」
リファームがうめく。ここで乾杯以来黙っていたナディアが口を開いたが、しかしこれまでの話の流れとは全く関係のないことだった。
「いい腕をしているじゃないか。プロでもここまでの味を出せる人間は中々いないぞ」
突然、料理の話である。もっとも食事中である以上最も無難であるが。
「どうも」
「あ…もう一通り口をつけたんですか。全くこの人は…」
「特にこのビーフシチューが良くできている。一周間苦労して煮込んでも中々ここまでにはならないのに、たった一日でどうやったのだ」
カイスのつぶやきを意に介さず、ナディアが続ける。アシュアランスは機嫌良く答えた。
「ベースは市販のソースを使うんですよ。あれはそれなりに煮込んでありますから。ただそれだとどうしても香りが足りないのでスパイスやハーブは自分で足して、後は自分の好みと勘で味を整える、そんな所です。肉の方はこれだけ煮てやれば十分柔らかくなって味も出てきますから。後は…ベースになるソースを選ぶ事くらいでしょうか。ちょっと苦労して、サイランスで作っている奴を探してきたんですよ」
「なるほど…除隊したらシェフを目指してもうまく行くのではないかな。今から修行をすれば十分に一流になれる」
「そうお墨付きをもらえると心強いですけれど、国に帰ればこれくらい普通の家庭料理の延長ですから。できれば向こうで働きたいですし」
「これが普通か…。ならば一度は本場サイランスの料理を食べに行かねばなるまいな。それともサイランス人の料理人を何人か連れて帰ろうか…」
真剣に考えつつ、ナディアは食べるのを止めようとしない。カイスが大人しくなったかと思えば、今度は彼が黙々と食べている。アシュアランスも自分の労作を口に運んで二回ほどうなずいた。
「あーっ、そうだ!」
と、不意にリファームが大声を上げる。
「行儀が悪いぞ」
アシュアランスが食べる合間にたしなめたが、彼女は意に介さなかった。
「ナディアさんは料理なんて作らないですよね」
「ん? まあそうだな。大体どこへ行っても作ってくれる人間がいるから。家には専属の料理人がいるし、艦なら食堂だ。ここならカイスに作らせるし。それがどうかしたのか」
「ほら見なさい、アッシュ! 料理なんてできなくったって立派に社会人はやって行けるのよ。そうですよね、ナディアさん」
勝ち誇るリファームであったが、それを無残に叩き壊したのはアシュアランスではなく、ナディアだった。
「私は料理くらいできるぞ。世間一般の人間にできて私にできないことなどない。ただ必要がないからしないだけだ」
別に怒るでもなく、強がる様子もなく、ごく平静に彼女は説明した。つまり発言の内容が真実である可能性は極めて高い。リファームは固まってしまった。アシュアランスがカイスに視線で問いかけると、彼は小さくうなずいた。これで決まりだ。
アシュアランスは飛びきり邪悪な笑顔をリファームに向けた。
「つまりこの中で料理ができないのはリファーム、君だけなのさ。可愛そうに」
そして肩を叩く。リファームとしても別に料理ができないことに関して極度の劣等感を持っていはしなかったが、しかしこの笑顔で馬鹿にされるのには耐えられなかった。
「があーっ!」
怒りに任せてテーブルをひっくり返そうとする。しかしこれは残る三人が本気でテーブルを押さえにかかったので未遂に終わった。せっかくの料理を台無しにされてはたまらない。
「このおっ!」
今度はアシュアランスにつかみかかる。しかし整備士であるため略式の戦闘訓練しか受けていない人間の攻撃など、かすりもしなかった。カイス、ナディアはとりあえず自分達に害はないと判断して食べることに専念する。
「はっはっは。その程度か」
「きーーーーっ!」
リファームが今度は拳を固めて顔を狙ってくるが、しかしそれをあっさり受け止めた。本質的な力が違う。
軍隊生活はもうしばらく続くだろう。和平合意がなったからといってそれが決裂しない保障はどこにもないし、その他の地域紛争が発生してこれに駆り出される可能性も少なくない、と覚悟している。
しかしこうして料理をしたり、何気ない会話を楽しんだり、あるいは喧嘩をしたり、そうした日常にいつか戻れることも、また確かなことだった。生きている限りは。だから、状況がどのように変化しようと、誰が敵に回ろうと、精一杯生きる努力を続けようとアシュアランスは思っていた。
などと、余計な思考に入っていたものだから油断が生じた。すねを思いきり蹴り付けられ、フットワークが止まった所でみぞおちに強烈な一撃が食い込む。更に顔面に十分にためを作ってから放たれた見事なストレート。加減というものを知らない分、時として素人の方が格闘において危険な存在となる。…と、戦闘訓練の途中で教わったような気がしたが、脳震盪を起こしかけている今のアシュアランスに確かな事はちょっと分からなかった。
Alpha-Lord Episode 1.0 白い世界で 了
↑
この作品を登録していただいている小説検索サイト、
「NovelSearch」のランキングへの投票ボタンとなっています。
もしこの作品を気に入っていただけたのなら、一票を
投じていただきたいと存じます。
なお、連続投票や30日以内の同一作品への再投票は
禁止だそうですので、投票なさる場合はその点に
おきをつけ下さい