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三浦大佛 地図

三浦大佛

野比から三浦方面に向かうと右手の山に大きな大佛と五重塔が見えます。 これが三浦大佛です。 三浦大佛は久里浜霊園の上の方にあります。 大佛があっても、久里浜霊園は宗派にこだわらないみたいで、キリスト教系の墓地もあります。

霊園からの景色
大佛の下の仁王

横浜横須賀道路の佐原インターから三浦海岸方面への道は、野比駅付近で道が狭く信号が多いので、渋滞しやすくなっています。 野比駅付近を迂回する道が現在建設されています。 久里浜霊園の前の道路はその一部になるようで、片側2車線が取れそうな幅の舗装がされています。

久里浜霊園の入口には、用のない人は立ち入り禁止、とありますが、大佛を見る用があるからいいだろうと、入ってみました。 入口のすぐ右側はペット用の墓地がありました。

久里浜霊園の入口から三浦大佛までは、いくつかの道がありますが、わかりやすいのは車の通れる道を進んでいく方法です。 久里浜霊園は、裏手がちょうど三浦富士になると思いますが、山の斜面にあり、坂はかなりの急坂です。 急坂を登っていくと六地蔵がお迎えしてくれます。 六地蔵尊は地蔵菩薩の6つの分身で、地獄界、餓鬼道界、畜生界、修羅道界、人間界、天上界の 各界を輪廻転生する人間の救済をしてくれるそうです。

六地蔵のある場所のすぐ先にの展望のいい場所があります。 久里浜霊園は坂がきつい分だけ眺めは抜群です。 正面の方向には東京湾フェリーが走り、鋸山など房総半島が見えます。 大型船の航行も多いです。 その右手には金田湾が広がり、釣り船が多数出ています。 右側は三浦海岸が広がり、ウィンドサーフィンをしてる人達がいっぱい見えます。 三浦半島の先端の向こう(城ヶ島方向)には伊豆大島も見えます。

霊園内はあちこちに、2人の神様(猿田彦命と天鈿女命)が彫ってある、道祖神がありました。 道祖神は本来土着の神様、つまり神社系の神様なのですが、日本では江戸時代には仏教と神教の区別がなかったので、 六地蔵同様に神様として崇められたそうです。

坂を上りきったあたりに、三浦大佛、阿彌陀仏像がありました。 本体は岡崎自然御影石、十三・五メートル、積上石数七五個、総重量 四百余トン。 台座は鉄筋コンクリート 七・五メートル。 完成日は昭和五十八年十月。 阿彌陀仏に帰依すれば苦悩から超越できるそうです。 面白かったのは、発願建立者が宗教法人聖徳寺、住職、文学博士、菱川 馨とあった事です。 文学博士の住職とは、さすが仏教は学が深い。

大佛の周りには色々な彫像がありました。 解説つきなのでわかりやすいです。 唐から日本に渡ってきた鑑真和上の像、浄土真宗の念佛を唱えた親鸞聖人像、 釈迦佛入滅の五十六億七千万年後の彌勒佛の成佛まで苦悩の衆生を救済するといわれる地蔵菩薩像、など。

五重塔は三浦大佛のすぐ裏手にありましたが、1つの階の高さは大人の背丈より小さい様で、 遠くからの見た目よりも小さいものでした。 五重塔の付近は広場になっていて、暖かければお弁当を広げたいような気持ちのいいところでした(この日は寒かった)。 広場には大仏像(鎌倉大仏のミニチュアみたい)や、石像の達磨や、石で作った手や、その他多くの仏像など、 よくわからないものがいろいろありました。 仏像の数十体あるところに碑があり、 『昭和六十三年八月から平成元年六月までの十か月間に 埼玉県下に於いて幼女連続惨殺の被害者四子を供養 し今後この種の悲劇の絶無を祈念しつつ建之 合掌』とあるので、 供養のための仏像かもしれません。 それにしても仏像の数が多い。 何で埼玉のが三浦にあるのかもわかりませんし。

大佛の下の仁王
五重塔 達磨
地蔵菩薩 道祖神
鑑真和上 親鸞聖人
五重塔の下の仁王 五重塔の下の仁王
六地蔵 手

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