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円覚寺地図

北鎌倉駅 2004年4月30日。 横須賀線のホームはとても長いのに、北鎌倉の駅の改札口は鎌倉側の末端にあります。 1号車から降りたら出口まで長い長い。 北鎌倉の駅は、珍しく駅の構内に踏切があります。 そして、両方のホーム側に出入口があります。 但し、山側(鎌倉に向かって左側)の出入り口には自動改札機や切符売り場がなく 定期を持ってるかスイカを持っていなければ入れません(切符でも出る事はできます)。 スイカをかざして出入りを記録する機械は始めて見ました。

円覚寺参道 北鎌倉の駅から50mで円覚寺になります。 横須賀線は円覚寺の参道を突っ切って延びています。 現在ではこんな路線設置は考えられない事ですが、明治時代に横須賀まで線路を延ばしたい軍が強引に通したのでしょうか?

円覚寺妙香池方丈の裏の庭

円覚寺の中は多くの建物がありますが、ほとんど入れませんでした。 案内を見る限り、熱心に座禅会を催しているようで、 修行で使ってるから入れないみたいです。 円覚寺は方丈の裏や妙香池など、いくつかの日本庭園があり、絵になるきれいさでした。 三脚を立てて写真を撮りたくなる気分ですが、三脚禁止があっちこっちに出ていました。 紅葉(もみじ)がきれいに黄緑色の葉をつけていました。 紅葉(こうよう)の季節にはさぞかし綺麗なのでしょう。 庭園がきれいなので手入れも大変あんおでしょう。 奥の黄梅院を見たら、 目的とする延び方をしていない枝は切り、意図的にコケ等を植えるなど、 かなり木を作っていました。 結果的にかっこいい木になっているので感心します。

国宝洪鐘 奥まで行って引き返してきたら、『国宝洪鐘(おおがね)』と書かれた看板がありました。 国宝とあらば見に行きたいと歩いていくと、長い階段がありました。 円覚寺は山中にあるとはいえ、全般的にゆるい斜面で、急階段はここぐらいかと思います。 この日は春先で乾いていましたが、階段の手すりはボロボロに錆びていて、夏場の湿度の高さをうかがわせます。 階段の上には弁天堂がありました。 江ノ島の弁才天と何か関係があるみたいです。 国宝の鐘は正安3年(1301)8月7日に北条貞時が国家安泰を祈って鋳造したものです。 鐘は現役のようで、太い柱のりっぱだけど、古くてボロボロの鐘付き堂に釣ってありました。 国宝といっても雨ざらしです。 鐘付き堂の土台が地面から浮いて見えました。 七百年の間に地面の土が流れてしまったのでしょうか。

(臨済宗) (ずい) 鹿(ろく) (さん) (だい) (えん) (がく) (こう) (しょう) (ぜん) ()
当山は、臨済宗円覚寺派の大本山にして 弘安五年(1282)の開創。開山は中国(宋)より 渡来の仏光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の 執政北条時宗公。国師は時宗公の熱心な招請に接し 弘安二年来朝。初め建長寺に住し、時宗公はじめ 鎌倉の武将を教化し、多くの門弟を育てた。 時宗公は弘安四年再度の蒙古の来襲を撃滅した後 翌五年正法を興隆し、師恩に報じ、また文永・弘安の 両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うために当山 を建設した。 国師の流派を世に仏光派と称し、弟子に仏国国師 孫弟子に夢窓国師が出て、室町時代には国師の 法孫は天下に満ち、五山の学僧の主流となった。 禅師が出、明治に至って今北洪川、釈宗演の二大禅師 出世され再び関東禅界の中心となり、禅風を門外 に宣揚げた。

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