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貨幣博物館地図

貨幣は私たちの生活と密接に関わっており、貨幣そのものや、関連する道具・文書等により貨幣の歴史を研究する事は、文化、社会の変遷を窺い知るための有効な方法であるといえます。
明治末期からの古貨幣収集家・研究家であった田中啓文氏は、わが国の古代から近代に至る貨幣ばかりでなく、中国を中心とする東アジア地域の貨幣ならびに貨幣に関する様々な資料も収集していました。この収集資料が展示・保管されていた博物館が「銭幣館」です。戦局が悪化した昭和19年、戦火による喪失を避けるため、収集資料約10万点は日本銀行に寄贈されました。
現在、日本銀行金融研究所は、この銭幣館の資料を中心として約20万点に及ぶ資料を所蔵し、歴史的、文化的な資料として適切に保管すると共に、こうした資料による研究活動を進めております。 貨幣博物館は、これらの資料をより広く公開するため、日本銀行創立百周年(昭和57年)を記念して昭和60年11月に開館し、所蔵資料の中から約5,500点を選び出して展示しております。貨幣そのものや関係資料、あるいは研究成果をご覧いただくことにより、貨幣の歴史や貨幣と文化、社会の関わりを考えていただくきっかけとなれば幸いです。

中国の古代の貨幣 2004年6月22日。 日本銀行金融研究所貨幣博物館に行きました。 1時半に館の方が解説をしてくれました。 「お金とは何か」という話です。

古代、人々は欲しいものを手に入れるため、物々交換をしていました。 物々交換はお互いの希望が一致しないといった難点があった。 そこで、誰でも欲しがり、集めたり分けたりして任意の値打ちを表現できて、 容易に持ち運び保存が出来るものが貨幣として使用されるようになりました。 このような物品貨幣はいろいろあり、稲、矢じり、砂金、麻布、などあります。 貝の手に入らない山岳地帯では貝殻が用いられたのもあります。 初期の中国貨幣は農具や刃物で、それが抽象化された形の貨幣があります。 やがて金属そのものを貨幣とするようになりました。 中国の貨幣はの鋳物で、紀元前8〜7世紀に始まり、紀元前3世紀の秦の始皇帝が、 円形で鋳型からはみ出したバリを磨くために中央に棒を差し込む四角の穴が空いた貨幣に統一しました。 この形態はその後2000年間のアジア圏の貨幣の形態として使われました。 一方ヨーロッパでも紀元前7世紀ごろに現在のトルコの辺りで金属に動物や人を打刻した貨幣が使われだしました。 これがギリシヤやローマを通じてヨーロッパ全土に広まりました。 ヨーロッパの貨幣は人物が打刻されているため、穴が開いていません。

日本では8世紀に中国の唐銭(開元通宝)をモデルに和同開珎(読み方は、「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の2説がある) という貨幣を鋳造したのが始まりです。 その後250年間調停は全部で銅貨12種類、銀貨2種類、金貨1種類を作っています。 これらを皇朝銭と言います。 律令政府の政策により皇朝銭は徐々に流通していきました。 しかし、政府の財政悪化や同の枯渇から皇朝銭の質が悪化し、皇朝銭の価値が下落し、 やがて民衆の間で銭離れが起こり、10世紀末には皇朝銭の鋳造が廃止され、 再び稲などの物品主体の貨幣が主体になりました。 政府が作ったからといって貨幣に価値が出るわけではないのがわかりますね。

三貨制度 平安末期(12世紀ごろ)になると交換経済が発達し、銭貨の需要が高まってきました。 しかし皇朝銭の鋳造が中止されていたため中国銭が使われました。 更に足りなかったため中国銭を模した私鋳貨幣が使われました。 この私鋳貨幣は質が悪かったので鐚銭(びたせん)と呼ばれました。 「びた一文」の言葉の由来です。 当然、鐚銭は受取らないかったり割増し要求の行為があり、 流通の弊害がひどいため度々大名による中止命令が出ていましたが、 容易には無くなりませんでした。 ちなみに、当時、勝手に貨幣を作ることを禁止する法律はなく、私鋳貨幣は違法ではありませんでした。 私人が作っても、それが貨幣になりうるのがわかりますね。

戦国時代になると金山銀山の開発や銅の精錬技術の発展で、金銀銅貨が流通するようになりました。 武田信玄の甲州では金貨の貨幣単位を設けました。 これは4進法で、金1両=4分=16朱=64糸目となります。 「金に糸目をつけない」の言葉の由来です。

銀を計るための天秤 江戸幕府は貨幣発行の集中化と貨幣様式の統一のため、金、銀、銭(銅)の3種類の貨幣からなる三貨制度を作りました。 金は小判1枚(1両)を基準に4進法の単位で表す計数貨幣、 銀は重さで価値を表す秤量貨幣、銭は1枚が1問の計数貨幣で、 相互の交換は日々の時価相場で決まるものでした。 庶民は主に銭を使用していましたが、 高額なものは関東では金何両何分と金貨建てで、関西ではでは主に銀何貫何匁との銀貨建てで表示されるのが普通でした。 関東には金の山地が多かった事、関西では銀の産地が多く中国や南蛮貿易では銀貨の使用の習慣があったためです。 銀は重さで価値が決まるため、売買に天秤が不可欠でした。 また関東と関西の間の商売のため、両替商が活躍しました。

展示されている大判 なお、大判は貨幣として流通していましたが、本来、褒美用に作られたもので、流通を目的としていないため、 表面には墨で量や発行者の銘が書かれています。 一方小判は流通の目的で作られていたため、打刻で銘が書かれています。 大判は全部で6種類あり、貨幣博物館では全部見る事ができます。 こういう貴重品が多いので、博物館では常に警備員が立っていて、鏡や監視カメラがいっぱい付いていました。

小判の包み 江戸時代、小判や銀貨を一定量パッケージしたものが商取引に使われるようになりました。 包みは封印され中身を確認する事無くしようされていました。 この様なものが使われた理由の1つは真贋鑑定が簡単になることです。 このため包みは幕府の責任者や信用の高い両替商が作成しました。 理由の2つ目は貨幣を削るなど悪貨を排除できることです。 第3は重さでやり取りする銀貨で、重さを計る手間を省ける事です。 この封印は厳重に扱われ、偽の包みを見抜けなかった両替商は咎めを受け、施封者が包みの中身を間違えた場合は弁償を求められました。 ただし、流通過程で封を切られると無効になり、中身に問題があったと訴えても無効とされたようです。 貨幣博物館に封をしたままの包みが保管されています。 封をされている事に価値があるため、中身の確認はできないそうです。

千両箱 小判50枚を包んだもの、これが20個入るのが正真正銘の千両箱です。 千両入ると重さは相当なもので、鼠小僧が持つのは大変だったでしょう。 千両箱は500枚入るものや2000枚以上はいるものなどいろいろあります。

山田羽書 金属貨幣は便利ではありますが重いのが欠点でした。 このため紙幣が発行されました。 世界最初の紙幣は10世紀の中国だそうです。 ヨーロッパでは17世紀に旅行者が盗難を避けるため、金匠に貨幣を預け、その預り証を携帯し、 目的地で指定された金匠に提示して貨幣と交換するというのが始まりました。 日本では伊勢山田地方で1600年ごろに、信用の高い商人が秤量銀貨のつり銭代わりに発行した山田羽書、 銀貨の預り証、が紙幣の発祥と言われています。 つり銭代わりなので元々は羽書でなく端書だったらしいです。 やがて各地で幕府貨幣との交換を原則とした私札や藩札が発行されるようになりました。 なお、江戸時代は三貨制度を取っていたため、札には必ず「金」か「銀」か「銭」かが明記されています。 現在、ご祝儀などで、「金○○円」と書く際の「金」はこの名残かもしれないとか。

此券引かへふ銀貨拾圓相渡可申候也此券引換ニ金貨拾圓相渡可申候也 明治に入り、明治政府は金1.5gを1円とした貨幣制度をつくり、や銀との交換を保障に、 各地の銀行に紙幣(兌換銀行券)の発行を認めました。 明治15年に通貨価値の安定のため兌換銀行券の一元的な発行の必要性が認識され、日本銀行が設立されました。 日本銀行が江戸時代の金座(金貨の製造所)後に作られ、工事の過程で金が見つかったとか。 明治17年に銀貨と引き換えが出来る兌換銀行券として、日本銀行券の発行が始まりました。 兌換できる事を示すために、兌換銀行券には、銀と交換します(此券引かへふ銀貨拾圓相渡可申候也)とか、 金と交換します(此券引換ニ金貨拾圓相渡可申候也)、といった文言がかかれています。 お札に価値があるのは、金属と交換できるなどでその価値が保障されているからなんですね。

第1次大戦後、各国で金本位制度からの離脱が始まり、日本でも日本銀行券の兌換が停止され、 昭和16年には金の保有量に関係なく銀行券の発行が可能になり、管理通貨制度へ移行しました。 管理通貨制度では、中央銀行が銀行券の発行量を管理する事で、銀行券の価値が維持されます。 つまり通貨価値の維持のための金融政策が重要な意味を持ちます。 いまのお札に価値があるのは、日本銀行がお札の流通量を管理して、お札の価値を維持しているからなんですね。 勉強になりました。

1億円持ってみませんか 博物館の中央付近に「1億円を持ってみませんか?」というコーナーがありました。 この紙束、紙は本物のお札の紙で、印刷はしていないそうです。 つまり重さは本物で、価値は偽物です。

ヤップ島の石貨 南洋ヤップ島で使われている石貨の置いてありました。 誰がいつ持ってきたのか気になります。

未裁断ドル札 未裁断のドル札も展示してありました。 収集家向けに売り出しているものだそうです。 アメリカ人の考える事はユニークです。

変ったコインも展示してありました。 プルーフコインと言われる、表面を磨き、模様を鮮明にするために打刻を2度行い(通常貨は1回)、 光沢を保つためにコーディングをしたコインがありました。 日本で発行されたものもあります。 とてもピカピカしてきれいです。 マニア向けですね。 どうやって作るのかわかりませんが、ホログラム付きのコインや、色付きのカラーコインもありました。 流通過程で剥がれたりしないのか心配です。 2種類以上の金属を使ったコインもありました。 主に貴重な金属の使用量を減らすためらしいですが、内側が銀色で外側が金色(あるいは逆)のコインは、 製造コストが高そうだけど、とてもきれいです。

ホログラム付きコインカラーコインカラーコイン複数の金属でできたコイン

スタンプ

大黒拾圓探してね スタンプを押すためのパンフレットは子供用だそうです。 大人だけど特別にもらいました。 機械に挿して押したら、位置がずれて枠にスタンプがかかってしまいました。

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