2004年9月5日。 テレビを見ていて突然、三溪園にいってみたくなりました。 ネットを見ると根岸駅からバスで行くようです。 根岸駅からバスですぐ三溪園の入口に着きました。 バス停は高速道路の真下で、そこは本牧市民公園でした。 公園の向こうに見える崖の先が三溪園らしいです。 でも、なんでこんな所に崖があるのかな? もしかしたら、昔はここが海岸の崖だったのかもしれません。
本牧市民公園の中には、上海から贈られた中国式の庭園がありました。 突然現われて、映画のセットみたいです。 三溪園の入口は、その先、崖の間にありました。 門を入って林を抜けると、沢山の家が建っていました。 三溪園は鎌倉や京都や和歌山など、いろいろな所から移築した日本家屋からなる苑でした (そんな事も知らずに行ってました)。
園の中ほどに三溪記念館がありました。 ここは移築された建物ではなく、美術品を保管するための建物の様です。 中で抹茶(菓子付)を頂きました。 子供がやりたぁい、と言ったらお茶をたてさせてもらえていました。 お菓子がおいしいねぇと食べていたら、昼食を食べていない事を思い出しました。
大池に出ると、子供が鯉にエサをやっていました。
面白かったので、エサを買ってあげてみました。
鯉は丸々と太って美味しそうです。
亀もいたのですが、なにかのんきな感じで、鯉に圧倒されているのかエサを食べれていませんでした。
カモ(かな?)もいたのですが、これまた鯉に圧倒されて、岸辺に近づけない状態でした。
奥のほうの待春軒でお昼にしました。
ここは三溪そばが有名みたいです。
そばと言ってもほそいうどんで、中華の汁のない麺といった感じでした。
子供は餅を食っていました。
量はなかったけど、とりあえず空腹は治まりました。
三溪そばの由来
三溪園の創始者であります原三溪翁は非常に多趣味であられましたことは
皆様ご承知の通りでありますが、その一つとして食べものにも、
一家言をなし食通を以って自ら任じて居られました。 日本料理は勿論、西洋料理中華料理とあらゆる世界の国々の美味しい料理を 食べて歩かれましたが、自らもまたいろいろな料理を考案してお客様に 饗されて楽しまれました。 そのうちの一つに「三溪麺」なるものがありますが、 翁が自信をもって招客に饗されました自慢作だったと存知ます。 これを一人でも多くの方々に味わって戴き翁の思い出として 後世に残して行きたいと存じます。 この三溪麺を御賞味賜わりますでばこれに過ぎるよろこびはございません。 昭和四十年四月 待春軒 |
池のほとりを回って正門から外に出ました。
ちょっと歩くとバス停があり、バスで横浜に向かいました。
三渓園(http://www.sankeien.or.jp/)
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