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近代化遺産ツアー

2004年9月24日。 休みの合間の平日に、横須賀市博物館が主催の近代化遺産ツアーがありました。 全て徒歩だけど、参加費は保険料の50円と超格安です(笑)。 (ルートはこちら

旧田浦町町役場地図

旧田浦町町役場

関東大震災の少し後の大正15年に建築した当時のモダンな建物です。 田浦町は昭和8年に横須賀市と合併し、横須賀市の出張所などに使われていました。 現在は学童保育の会に貸し出されています。 防水のためか、表面にコンクリートが塗られていて、建築当時と外見は変わっている様です。 一部のアーチ型の窓や軒下の飾りの感じに古典的なヨーロッパ建築の雰囲気を残していますが、 全体的にはすっきりとした外観の現代建築に近い感じです。 しかし、内部は天井が高く、古い様式です。 参加者の中に元職員か何かの方がいて、昔の事を懐かしそうに話をしていました。

船越の町並み 船越の町並み地図

船越は海軍工廠の従業員相手の飲み屋街があった所だそうです。 きちんとした町並みではなく、ごちゃごちゃと飲み屋やカフェなどがあったらしいです。 いくつかの建物に当時の面影が残ります。

旧横須賀海軍工廠造兵部施設 旧横須賀海軍工廠造兵部施設地図

海軍工廠が出来た頃の明治19年の建築です。 レンガ造りの表面をモルタルで塗ってあります。

旧横須賀海軍工廠造兵部施設地図

旧横須賀海軍工廠造兵部施設

大正2年に建築した鉄筋コンクリート製の海軍工廠の建物です。 古典建築からの脱却をする途中の形で、こてこてした装飾は廃止してすっきりとした外見です。 この建物は表面に彫刻の様な感じの模様があるのが特徴です。 海の見えるところに立っていて、海軍の偉い人がいた場所らしいです。 今は民間の事務所になっています。

田浦中学校下地図

田浦中学校の校庭の下は、元機関銃の発射訓練所だったらしい。 トンネルの一部は封鎖されているらしいが、民家の脇から奥まで伸びている空間が確認できる。

梅田隧道 地図 地図 と梅田隧道の石碑 地図

梅田隧道

梅田隧道は軍用以外では横須賀市で最初のトンネルです。 近隣町村の有志が多額の費用を出し合い、明示20年3月に完成しました。 近くに道があるのですが、海軍が民間人の通行を制限していたためトンネルを掘ったらしいです。 碑は大正4年に建てられたもので、トンネルから少し離れてあります。 裏には発起人の名前が書かれていて、以前のツアーの参加者で、 祖父の名があるという方もおられたそうです。

榎戸湊跡榎戸湊跡 地図

貝塚などがあるので、昔から人が住んでいた地域で、古い家から貴重な資料が出てくるそうです。 江戸時代は海上交通中心だったため、浮世絵に出るほど大変栄えていました。 明治に入っても海軍相手に映画館などがある繁華街でした。 しかし、大正時代になると、陸上交通が中心となり港は廃れていきました。 現在は埋め立てられて、浦郷公園となっていて、当時の面影はありません。

実験水槽の工事跡 地図

追浜隧道のすぐ脇にある道路の上にかぶさるコンクリートの物体は、 海軍工廠がスクリューなどの実験とための作っていた実験水槽の建築跡です。 第二次世界大戦で工事がストップし、そのままになっています。

旧横須賀海軍航空技術廠の庁舎 地図

旧横須賀海軍航空技術廠の庁舎と石碑

昭和7年に海軍航空隊から独立した海軍航空技術廠は、 戦時中にジェットエンジンを完成したところとしても知られていて、 当時の技術や事務の日本トップクラスの人が集められていました。 後にプロジェクトXに出てくる技術者や無数の大学教授、会社社長を輩出したそうです。 今は民間の所有で、すでに使われていません。 近々なくなるかもしれません。 片隅に天皇陛下が来た事の記念の石碑が立っていました。 昭和13年8月11日に天皇陛下が来て何かをくれた、一同は感謝感激、さらにがんばるぞ、みたいな事が書いてあるみたいです。

第三海堡の構造物の展示場 地図

第三海堡の構造物の展示場

第三海堡の撤去工事で引き上げられたコンクリートブロックが展示してあります。 10人以上の見学予約をしないと入れないところです。 巨大なコンクリートブロックは迫力があります。

砲側庫 サーチライトのあった場所のコンクリートブロックには、 サーチライトを上下させるためのレールが錆びていました。 レールや周囲の形から想像するとサーチライトは1mぐらいの大きさがあったのかもしれません。

砲側庫は、砲弾を保管し、大砲に供給しする設備です。 砲弾を出す穴と、砲弾を送るためのレールが付いています。

割れ目 兵舎のブロックは1月15日に引き上げたもので、1200トンの重さがあります。 幅約3m、高さ約4m、奥行き約8mの空間が2つあります。 奥にはガラスの戸が付いていたそうです。

関東大震災で割れたのか、その後に割れたのかはわかりませんが、 割れているコンクリートブロックがありました。 割れ目には鉄筋が見当たらりませんでした。

コンクリートブロックは天井に丸い穴が開いたり、脇に金属板をつけた錆跡や穴跡がありました。 これは引き揚げ作業の際にロープを通したり、固定金具をつけるために付いたそうです。 引き上げ時には貝がいっぱいついていたが掻き落したそうです。

クレーン船 当時の建物は杭などで地面に固定しているのではなく、 地面に置くように作られていたそうである。 このため引き上げは持ち上げるだけだったそうです。

展示物には、工事用の階段や通路が付けられていて、 中を見たり、上ってみたりすることができるようになっていました。 航路整備の事業が終了した後の展示物の扱いは未定で、 行き先が見つからなければ海中に戻すとの事です。 横須賀市の公園などに設置できるといいですね。

ちょうど見上げるよなクレーン船が来ていました。 最大1400トンを持ち上げるクレーンがあるそうです。 安全のため1400トンを持ち上げる事はしないそうで、 兵舎のブロックを持ち上げる事はできないそうです。 つまりこれより大きな船があると言う事のようです。

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Presented by Ishida So