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近代化遺産ツアー 地図

ろ過池全景

2005年2月25日。 横須賀市博物館が主催の近代化遺産ツアーがありました。 全て徒歩だけど、参加費は保険料の50円と超格安です(笑)。 (ルートはこちら) 参加者は約40人。 平日なので、参加者の顔ぶれをみると、年齢層が高いか、専業主婦といった感じです。

逸見から海側へ行くとJR横須賀駅と、海上自衛隊があります。 つまり逸見は、昔、海軍への玄関口にあたる場所になり、昔は賑わっていたと思います。

カフェ 逸見駅を出て商店街を歩くと、古いつくりの建物があります。 1階を見てもわからないけど、2階の外装は特徴的です。 昔のカフェ(洋酒や洋食を出す店だそうです)だったそうです。 表面は銅で、緑青の緑色になっていました。

逸見館 昔はメイン通りだった、現在の狭い旧道を歩くと、 逸見館という旅館がありました。 戦前からの旅館で、まだやっているそうです。 出兵する息子と最後に泊まったとか、そういった話もあるそうです。 扉や格子に特徴があり、この前で撮影すると、いい感じになるそうです。。

このあたりの古い家は、出し桁という、軒下に桁が出ている構造の家が多くあります。 軒下を長くするためらしいです。

逸見浄水場への坂 今回のツアーのメインは、逸見浄水場の見学です。 幕末に横須賀製鉄所が出来たときに、製鉄所で必要な水を確保するため、 明治9年に観音崎の近くの走水で取水し、製鉄所まで水を引いてました。 明治41年に走水の水を市内に供給したのが横須賀の水道は始まりです。 現在でも横須賀市の水源の1つです。

その後、水需要が増え、大正10年に完成した、海軍が作ったのが逸見浄水場です。 逸見浄水場は戦後横須賀市に無償とされ、現在でもほぼそのまま使われています。

横須賀にはこれらを含めて6系統の水がありますが、 横須賀市内に浄水場があるのはここだけだそうです。

逸見浄水場の水源は逸見から53km離れた、相模川の支流の中津川の半原にあります。 逸見浄水場は標高60mほどの高いところにありますが、 半原はそれより70m高いところで、直径50cmの水道管で、 高低差だけで1日1万トンの水を送っています。 そのため半原から流れてきた魚が浄水場の池に入り込んでいたりするそうです。 現在の横須賀市内の水の消費は1日20万トンほどで、 したがって逸見浄水場でまかなえるのは5%程度になります。

英国ジョージケント社自記録流量計 水道の上はほぼ道になっていますが、海軍が水道のために作っただけあって、 強引な用地買収で作った直線部分が多くあるそうです。 (曲がると抵抗が大きくて流れが悪くなる) 水道管は1本しかありませんが、2本目の計画があったらしく、 7mの道の片側に寄せて水道管が敷設してあり、 橋なども2本目を通すための穴が開いているそうでは、現在の河川の法ができる前の物で、 橋脚が(間隔や、流線型でないなど)現在の基準では違反になる形だそうです。 現在も横須賀市水道局の土地で、道のあちこちに横須賀と書かれているそうです。

逸見浄水場へはきつい坂を登っていきます。 昔の車では登れなかったそうです。 水道管もこの坂の下を通っているそうです。 道にマンホールがあります。 水道のマンホールの蓋は、水道管の方向を示しているそうです。

坂の脇に、長い、途中に平らな部分が全くない、階段があります。 これは昔の巻き上げ機の跡みたいです。

海軍の境柱 道の脇には波型マークが入っている海軍の境柱も残っていました。

逸見浄水場の建物は新しくなっていますが、 浄水設備はほぼ昔のままでした。

英国ジョージケント社自記録流量計地下部分 坂を登りきったあたりに水道の流量を計る流速計を設置したベンチュリーメータ室があります。 中に設置されている流速系は、1915年(大正4年)製で、浄水場が出来た時の物です。 水道管に細い部分を作り、太い部分と細い部分の水圧差から計る、現在では使われていない方式のものです (現在の流速計は音波を出してドップラー効果で計ったり、 水の流れで発生する電磁界を計測して計るものだそうです)。 残念ながら今では壊れています。 同じものが半原にあり、そちらは現役だそうです。

浄水池の入口の塔 ろ過池も、昔のままの設備でした。 比較的きれいな水に対して使われる方式で、 1mぐらいの砂の層に水をゆっくり通し、 自然発生するバクテリアなどの力で浄化をする緩速ろ過方式です。 自然に流れるのでコストが安い方式です。 浄水池は1000平方メートルの広さの池が4つあり、全部で1日1万トンの処理能力があります。 池は、2ヶ月に1度汚れた砂表面の清掃し、4年に1度の砂の入れ替えをします。

浄水池の隣に水を保管する浄水池があります。 池といっても、水の淀みが出て塩素濃度にむらが出るのを防ぐため、 実際は蛇行した水路で、水が流れた状態だそうです。

浄水池の入口には背が高い塔が立っています。 昔から塔で、内部は特に何もなく、なぜ高い塔なのかは不明だそうです。

20インチ立型仕切弁
これは、半原系統の導水管に取り付けられていた20インチ仕切り弁です。仕切り弁は、管路の中間に設けられ、水の流れを止めて間の修理などを行うために設置されます。大正7年に布設された半原系統は現在も現役で働いていますが、これは補修工事のために撤去されたものです。海軍水道地上式消火栓(頭部)
消火栓は、水道管の途中に設けられ火事の時の消火活動に利用されます。古いものは、このように道路の上に設置されていましたが、現在は交通の支障のないように地下のボックスの中に設置されています。排水池バルブ操作台
これは、排水池の底にある流出管の弁の開閉操作を上から行うためのものです。以前の操作は職員が現場に行ってハンドルを廻して行っていました。現在は、電動弁が設置され、遠隔操作によって動かす事が出来るようになっています。海軍水道汽艇給水栓鉄蓋
これは、旧海軍水道が軍艦に給水するために設置していた給水栓ボックスの鉄蓋です。錨のマークが彫られており、海軍水道によって設置された事を伺うことが出来ます。戦後は横須賀市がその施設を譲り受けましたが、現在では不要になったため撤去されたものです。大量の水を送る水道管
この水道管は、明治から昭和30年代まで使用されたインロウ継ぎ手式鋳鉄管(管と管の継ぎ手部分を麻と鉛で止水した方式)と、昭和39年に有馬浄水場から横須賀市内に送水するために布設された鋼管です。20インチ鋳鉄製点検ハッチ
これは半原系統の導水管に取り付けられていたものです。点検ハッチは、管を設置した際に管内部の検査を行うために設けられたものと思われます。大正7年に布設された半原系統は現在も現役で働いていますが、これは補修工事のために撤去されたものです。

浄水場の敷地の池と反対側に、ポンプや水道管や消火栓など、 現役を引退した器材や、最新の器材などが展示してありました。 よくみると海軍の波型マークの入ったものが多数ありました。

ここでツアーは解散になりましたが、汐入の市民活動サポートセンターで 懐かしい建物写真展が開かれているとの事で、いける人は見に行きましょうとなりました。

途中、横須賀駅で面白い事を聞きました。 横須賀駅は現在2番ホームと3番ホームしかありません。 1番ホームの場所はトイレになっています。 1番ホームは以前は皇族専用のホームだったそうです。 海軍の軍艦は菊の紋が入っていましたが、その浸水式に皇族が出席していたそうです。

横須賀駅の建物もよく探すと古い部材の転用が見つかったりするそうです。

横須賀駅前の交番と自転車置き場の間に壁がありますが、 これが旧海軍基地の堺になるそうです。

逸見波止場衛門 ヴェルニー公園に逸見波止場衛門がありますが、この壁のレンガの間の目地は膨らんでいます。 これは境目をくっきりさせるための手間のかかる目地の入れ方だそうで、 当時、しっかり作られていたことがわかるそうです。

ガントリークレーン跡? 横渚港の奥のショッパーズプラザの脇の岸壁はよく見ると石積みの土台が残っています。 昔の図面と見比べるとちょうどガントリークレーンがあった場所になります。 この石積みはもしかしたらガントリークレーンの土台であったかもしれないとの事です。

懐かしい建物写真展は、市民活動サポートセンターの一角でやっていました。 横須賀に残る歴史ある建物の写真を展示していました。 中には昨年の12月とか、つい数週間前とかに壊されてしまった建物もありました。 とてもきれいに撮れていました。 写真は素人の方が撮ったらしいですが、太陽のの向きや天気がちょうどよくなるまで 何度も通って写真を撮ったそうです。

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Presented by Ishida So