2005年3月25〜26日。 所用で高知市に行く機会があり、ついでに観光してきました。 高知は12年ぶりです。
飛行機で行くため、羽田に向かいました。 駅で料金を見てあれっと思いました。 YRP野比から羽田空港まで930円だけど、その手前の天空橋までなら690円で済みます。 天空橋で乗換えたほうが安いかも。 家に帰って調べたら天空橋駅と羽田空港駅間はモノレールで190円、京急で150円で、 なんと京急線で行く場合も、一度天空橋駅で降りたほうが安くなります。 変なのぉ。
ANAなので、羽田空港第2旅客ターミナルになります。 初めてです。 少し早めに行って空港内を探検してみることにしました。 空港に着いてまず展望デッキに出てみました。 人はほとんどいなかったので、ゆっくり飛行機をみる事ができました。 デッキではやや強めの風が滑走路とほぼ平行に吹いていました。 飛行機の離着陸にはいい風だったためか、短い距離で離着陸しているように見えました。 視界も良好で、ディズニーランドのオフィシャルホテルが向かいに見えていました。
時間になったので飛行機に乗りました。 風が強かったので、飛行中はかなり揺れました。 高知竜馬空港は海沿いにあり、海から進入するようになっていました。 飛行機のカメラ映像を見ていると着陸の様子が面白かったです。
25日は仕事でした。
翌日の朝、時間があったので高知城とはりまや橋に行きました。 高知城に入るとまず板垣退助の像がありました。 高知(土佐)は江戸末期から明治初期の有名人物をたくさん輩出していますね。
階段を登っていくと、工事中の石垣がありました。
傷んだ石垣の修復と発掘を兼ねて行っているみたいです。
石組みを除いた跡の土の層に、○○の盛土とか書いてありました。
高知城は地理的にいい場所みたいで、何度も築かれているようですね。
高知城は階段がかなりきつく、下に杖が置いてあるほどです。 登っていくとまた上から見られている格好になり、防衛を強く意識した作りである事が感じられます。 階段を登って普通に進むと、詰門がありました。 先に本丸が見えるのでこのまま進めば本丸に行けそうですが、 実はこれ本丸への道ではなく、敵が攻めてきたときに間違って進ませるような構造になってる様です。 本当の本丸への道は、少し手前を右か左に行く必要があります。
二の丸は元は御殿があったそうですが、今は何もない空き地です。
桜がたくさんあったので、もう少し後に来たら花見が出来たと思います。
二の丸から詰門の2階を渡って進むと本丸があります。
高知城の本丸は、江戸時代の建物がほぼそのまま残っているらしいです。 本丸書院には藩主が座ったと思われる1段高い部屋がありました。 その脇に一見、納戸の様な部屋があり、藩主を守る武士が隠れたらしいです。 本丸書院はそれほど大きいものではないのですが、構造が複雑で迷いやすく作っている様に見えました。
天守閣は太い木でつくってありました。
床はキイキイなります。
鴬張りではなく、単に長い歴史で老朽化しているのではないかと思います。
急な階段を何度も登ると最上階に着きました。
最上階のすぐ下に、階段の周りに空間がありましたが、
壁の位置が変で、隠し部屋がありそうな気配でした。
最上階に出ると高知市内が一望に出来ました。 一望して驚いたのは、山に囲まれている事でした。 てっきり高知市は海沿いの平地にあるとばかり思っていました。
そのあと土佐電鉄に乗ってはりまや橋に行きました。
土佐電鉄は路面電車で、はりまや橋を中心に東西方向と南北方向に十字型に線路が延びています。
南北方向の線路は最近整備されたようで、架線がきれいになっていました。
東西方向は昔ながらの架線の張り方で、道路上にいくつもの線が張られていました。
電線電話線の地下化がされているようで、電柱がなくなっているのに、
路面電車の架線だけが取り残されているようでした。
土佐電鉄は世界の路面電車を走らせたことで有名になったのですが、
時々変った車輌が走る程度で、あまり見かけませんでいた。
いつのまにかなくなったのかなぁ?
残念です。
はりまや橋は、日本三大がっかり観光地の1つと言われています。 残り2つは、札幌の時計台と沖縄・首里の守礼門らしいです。 全部行ってるなぁ。 実際に、前に来た時は、広い道路が細い川を渡る短い欄干が赤いだけでした。 さすがに汚名返上のためか、橋の欄干がきれいになっていて、隣には江戸期のはりまや橋をイメージした橋が架けてありました。
ホテルに戻って他の人と合流して、貸しきりタクシーで観光に行く事にしました。
最初は、高知城・・・アレ・・・さっき行っちゃった、まあいいか。
次は五台山に行きました。 五台山も高知市街が一望できるところです。 展望台の手すりを見ると鍵が付けてありました。 誰が始めたかはしらないけど、こんな所でも流行ってます。
五台山から高知城を見ると、山から続く尾根の先端が平地の中に出ていて、 その先端の高い部分にあるようでした。 やはり地形的にいい所に立っているようです。
展望台のすぐ裏手に竹林寺と牧野植物園がありました。
植物図鑑で有名な牧野富太郎は高知出身でそれに由来する植物園かと思います。
入りませんでした。
竹林寺は第31番札所で、お遍路さんが何人もいました。
なかなかきれいは寺で、苔がいい感じにありました。
五重塔は台風で壊れたのを立て直したそうで、新しいものでした。
消防用と思われる放水機らしきのが回りにありました。
その脇の一言地蔵は願いがかなう事で有名らしいです。
次は桂浜に行きました。 行く途中にあった浦戸大橋はとても高い橋でした。 高知港へのフェリーも通るそうなので、無理に高くしたようです。 そのため、橋へののぼりはかなりの急坂でした。
桂浜の駐車場から竜馬像に向かって登っていくと、途中に立て札がありました。
浦戸砲台場跡。
こんな所にも砲台があったのですね。
幕末に外国船が日本近海に出没するようになって設けられたそうです。
竜馬像はとても高い台の上にありました。 本人はどうか知らないけど、高すぎて記念写真撮影には不便です。 平成11年に作り変えたそうです。 その前はもっと低い位置だったらしいです。
桂浜は砂浜ですが、海の近くは小石の浜でした。
昔は河から流れる5色の石が取れたらしいです。
浜の奥の岬に登ると太平洋がよく見えました。
もう少し視界がよければ室戸岬や足摺岬まで見えそうでした。
最後に龍河洞に行きました。 龍河洞の前には昔ながらの観光用の店が並んでいて、なぜか刃物も店が多くありました。 龍河洞の入口は高いところにあり、そこまでエスカレータがありました。 中は所々狭くて、上り下りも多くて、進むのは苦労しました。 複雑に穴が開いているようで、一般の観光ルート以外に、 ヘッドライトなどを付けて進む探検ルートもありました。
出口付近は弥生時代の遺跡になっていました。
弥生人が時々穴を利用していたらしいです。
当時、水を受けていたと思われる壷がそのまま残っていました。
そのままと言っても、長い年月で鍾乳石に埋まっていました。
同じものがどうできるかを調べる実験がおこなわれていました。
昭和12年に水が垂れる所に壷が置かれていて、現在68年目でした。
だいぶ埋まっていました。
内容 | 金額 |
パックツアー(飛行機代+宿泊代) | 35,800円 |
バス(→YRP野比) | 170円 |
電車(YRP野比→羽田空港) | 930円 |
バス(高知空港→県庁前) | 700円 |
昼食 | 1,000円 |
ペットボトルの飲み物2本 | 360円 |
夕食(宴会です) | 7,000円 |
高知城 | 400円 |
高知城 | 400円 |
お賽銭 | 10円 |
昼食 | 1,100円 |
お土産(なぜか松山の一六タルト) | 525円 |
龍河洞 | 1,000円 |
貸切タクシー代(人数割り後) | 4,500円 |
お土産(会社への人数割り後) | 350円 |
缶紅茶 | 120円 |
電車(羽田空港→京急久里浜) | 930円 |
バス(京急久里浜→) | 170円 |
合計 | 55,465円 |
Presented by Ishida So |