東京湾を一望の下に見晴らすここ田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府指令長官の官舎として、1913年(大正2年)に建設されました。
建設時の横須賀鎮守府指令長官はアメリカ海軍兵学校を1881年(明治14年)に卒業した海軍中将瓜生外吉であり、 令婦人は1871年(明治4年)日本政府が始めて勉学のためにアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、 1881年(明治14年)にアメリカの大学を卒業されています。 更に企画設計に当たった桜井小太郎は、ロンドン大学で学び、日本人初の英国公認設計士の称号を得た人で、 帰国後海軍技師となり、呉の建築科長を経て1908年(明治41年)から3年間横須賀海軍経理部建築科長を務めました。 呉時代の1905年(明治38年)に設計した呉鎮守府司令長官官舎は、国の重要文化財に指定され「入船山記念館」として一般公開されています。 田戸台分庁舎は瓜生御夫妻と桜井小太郎氏の3人の博識と想像力による合作であります。 洋風館と和風館の接続住宅で、 洋風部分は木造平屋建て、亜鉛葺切妻屋根、イギリス住宅の特徴であるハーフティンバー(柱をそのまま見せて、その間の壁を漆喰等で埋めたもの)を基本にした建物で、 現在は煉瓦タイル張りになっておりますが、もとは下見板張りでした。 暖炉はリビングルームと現在は記念館としている応接室の二ヶ所にあり、基礎部分と同じ石張りの煙突が突き出ています。 もっとも美しく特徴的なのは、庭園に面したベランダ側でリビング部分の張り出した切妻屋根と、 三連のチューダーアーチを挟んだ位置にあるトンガリ屋根のベイウィンドーであり、 流れるようなカーブの屋根に設けられた屋根窓と、ベイウィンドーの上部の小窓は、屋根裏部屋の明かり取りになっています。 和風館部分は二階建てで、階下には8帖畳の和室が2部屋と会議室などがあり、 二階には10帖と12帖の和室を備えており、いずれも簡素で機能的に作られております。 約13,000mの敷地には桜、サルスベリ、モミジ等の古木の他、梅、センダン、ビワと多くの草木が生え茂っており、 見晴台からは横須賀の町と海を見渡す事が出来ます。 初代入邸者は海隅中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20年)の終戦まで34代(31人)の歴代司令長官が居住されました。 終戦後アメリカ合衆国に接収され1964年(昭和39年)まで9人の在日米海軍司令官等が居住されました。 1969年(昭和44年)防衛庁に移管され、現在海上自衛隊横須賀地方総監部が管理しています。 |
2005年4月10日。 旧横須賀鎮守府長官邸(海上自衛隊田戸台分庁舎)が桜の季節だけ開放されるとのチラシを見て行ってみました。 場所は京急線の県立大学駅のすぐ裏手に当たります。 県立大学駅は最近改装したようできれいになっていました。 駅に手作りっぽい案内が張ってありました。
長官邸の入口は石造りの立派な門でした。 中に入ると谷間の感じでした。 もしかしたら山を切り込んで意図的に外部から見難い様にしているのかもしれません。
中に入ると洋風の建物がありました。 南側に回ると庭があります。 桜の木が何本もあり、風に舞う花びらがきれいでした。
庭は枯山水のある日本庭園風で、一方でパーティーを開けるぐらい空間に余裕がありました。 鎮守府長官邸だっただけあって、人が集れるような作りです。
南側から入って正面部屋にはテーブルがあり、14脚の椅子がありました。
ここで会議でもしていたのでしょうか。
中には入れなかったのですが、他にも広々とした奥にも見えました。
置いてあった案内板によるとここは大正2年から使われ、
昭和21年から39年までは米軍将校に使われていたようです。
昭和44年に防衛庁に移管され現在は海上自衛隊の管理下にあるそうです。
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