早く、復旧、復興してほしい。
まだまだの状態である。

そんな思いの中、精一杯暮らしている人たちの姿がまぶしい一日であった。

木下君の11年4月からの勤務地である。陸前高田小学校にも立ち寄らせていただいた。
校舎の前庭は、海を向いており、こうしゃより1〜2mほど低い。その前庭と、
校舎1階まで津波が来た。(詳しくは、ユーチューブに動画がある。動画)がれきで埋まったらしい。

がれきの撤去作業、最後は人の手で撤去されたようだ。木下君は、全国の人たちに感謝していた。
校長室には、震災でなくなった児童の写真が7枚貼ってあった。さすがに写すことができなかった。

私にとっては、衝撃の訪問であった。まだまだ支援が足りない。何かできないか?という気持ちだけが残った。

                                              

諏訪神社から下を眺める。この石段の真ん中より上部まで水が来た。
非難された方々は、陸前高田市が水没するのを見て、この諏訪神社
に居ても危ないのではないかと思ったらしい。
それは恐怖以外の何者でもないだろう。
2ページ目に映っていた木の枝。
諏訪神社ここは残った。
市街地があった方角
木下君の家があった角度。前ページと比較してほしい。
祭りの山車をおいてある空き地
橋脚だけ残った橋の跡
遠くに見える、パイプライのようなものは、右手の山を切り崩し、
かさ上げ防波堤を作る土砂を運んでいる、ベルトコンベアー。2年後
完成予定らしい。
しかし、この場所は、完成後、居住禁止区域で、居住者は、
12m以上の切り崩した山の上に住まなければならないらしい。
市場の跡。盛んだった頃の写真が飾られている。
かさ上げ防波堤の工事。
波にのまれた道の駅。
後ろは「奇跡の一本松。」向かって左が、陸前高田小学校校長
木下邦男校長先生。
遠くにベルトコンベアーが見える。
奇跡の一本松の方角
被災後の校舎
奇跡の一本松。遠景
道の駅跡
震災の記録を残してある展示施設。ガソリンスタンドの看板の
真ん中まで、波が来た跡がある。
写真だと看板の高さが伝わらない。
震災記録施設。
慰霊碑
震災記録施設。
奇跡の一本松(今は、レプリカ)
後ろはユースホステル。
雇用促進住宅跡。5階建て。5階の床部分まで波の跡がある。
元々2棟あったらしいが、1棟は解体。1棟は残すらしい。
災害に負けないという意識を持った市民。
祭りで少しでも明るい地域を。そういう強さが感じられた。
この山車が、ぶつかり合うらしい。
丸太の太さはすごいもの