Part2 長崎の鐘の音 (長崎・雲仙・島原・熊本)

27日〜29日



10月27日(水

金立(きんりゅう)SA

 わくわくし目が覚めたのは7:00am、天気はどうかと窓の外を見れば見事な青空が広がっていた。簡単に朝食を済ませようやくハイウェーを下りて長崎市内に向かう。 ちなみにここまでの距離は1600kmを超えていた。長崎市に着き、大浦天主堂近くの立体駐車場に車を停めたのだが、駐車場を出ると天主堂の場所がわからずどうしたものかと思っていたら、修学旅行生の群れがゾロゾロと同じ方向に向かって歩いていた。 きっとみなさん天主堂に向かうのだろうと、我が家もその後をゾロゾロと付いていく。これは正解で、天主堂に向かう坂道には両側に土産物屋さんが並び、これぞ観光地という風情でなんだかうれしくなってくる。
 坂道を登っていくと、少しずつ大浦天主堂が見えてきた。急な階段の上に白く天にとどけとばかりに建つ天主堂は、周りの修学旅行生がいなく静かならば我が身も天にとどけそうな荘厳さがあった。中に入ると館内放送からガイドアナウンスが流れ、内部は撮影禁止なので外に出てから窓越しにステンド・グラスの写真を撮った。  天主堂から裏道を歩いていくと、自然にグラバー園についた。立ち並ぶ洋館をひとつひとつ丁寧に見て周り、この町を愛した西洋人が多かったのは、この風景のせいかなとしばし洋館の2Fから港を眺めてみた。我が家もいづれ家を建替えしなければならないのだが、こんな木造の家を建ててみるのも良いかなと思ってしまう。グラバー園を出てまたみやげ物屋が並ぶ坂道を戻り、途中で思い出にビードロを2つ子供たちに購入した。昼食にはやはり名物「長崎チャンポン」と「皿うどん」を食べてみたが、う〜〜〜〜〜〜ん、美味しいことは美味しいのだがどこでたべても同じ味のような気がした。
 この後はオランダ坂・東山の手・新地の中華街と歩いたのだが、3才の娘は疲れた疲れたと騒ぎカミさんが抱っこして歩き、今度はカミさんが疲れた疲れたと騒いでいた。

  大浦天主堂に続くお土産屋が並ぶ坂道。
  修学旅行生と一緒で、いかにも観光地という風情にうれしくなってくる。

大浦天主堂!!

グラバー園内

園内にあるハート型の石畳。
これを見つけると幸せになれるとかで、結構皆さん探していました。
帰りの土産物屋で見つけた、何故か長崎のネコバス!!

オランダ坂

東山の手には洋館が立ち並んでいた。 新地・中華街、横浜、神戸よりは小さいようだ。
いらぬお世話か・・・・

平和の像

路面電車

 車に戻り平和公園・原爆資料館へと向かい、途中市内では路面電車が走っているのが見え、これに息子は大喜びで手を振っていた。公園に着き、まずは平和の像を訪れた。像の色が水色だったのに驚いたのだが、平和というものを表す色があるとしたならば、それは水色が合っているのかもしれないと思われた。次に原爆資料館に行ったのだが、以前に広島の原爆資料館で見た被爆後の悲惨な状態をジオラマにしたものが、ここにもあったら幼い子供たちにはちょっとどぎついだろうな、と気にしたのだがここではそのようなものがなくほっとした。息子に写真と展示物を見ながら、昔ここに戦争で大きな爆弾が落とされて多くの人が死んだんだよと教えたら、一言ボソっと「戦争なんてしなけりゃいいのに」とつぶやいた。ここを見ていると、幼稚園児でも素直に戦争が嫌いという感覚を覚えるのだろう。
 さて長崎市内でPキャンをするのはちょっときついかなと、観光ペンションなるところを素泊まりで予約していたので、夕方になり一度チェックインに向かった。ペンションで風呂に入りさっぱりした後は、稲佐山に夜景見物に向かった。時期はずれで寒く平日のせいかロープウェイにもお客さんは我が家だけ、展望台にいっても観光客はまばらで寂しいくらいだった。しかし、夜景はすばらしい。これで俺は日本3大夜景を全部見たことになる。3大夜景の中では長崎が光の量と色合いのバランスで、一番すばらしいと思われた。ちなみに函館は世界の3大夜景のひとつでもあるのだが、小学校の修学旅行で函館で夜景を見学し、その感想文を書いた時に「世界3大夜景といわれるが、ちょっとネオンが少なくさびしかった。」と書いたのを思い出した。(函館の人ごめんなさい!)
 さて遅い夕食をとらなくてはと思ったのだが展望台にレストランは無く、夜の街で探してみたのだが駐車場付で食事のできるところが探せない。しょうがなく目に付いた「ほかほか弁当」屋さんで弁当を買いペンションに帰り、長崎の夜は弁当と共に更けていった。(「ほかほか弁当」はすごい、地元青森にも仙台にもあり、九州にもあるという事は全国チェーンなのだろう)


10月28日(木)


めがね橋

出島・ジオラマ

浦上天主堂

左のボタンにマウスカーソルをのせると、神々しい浦上天主堂の 鐘の音が聞こえます。(1分位)

 今日も朝から天気が良い。早めにペンションをチェックアウトし、多少迷いながらも向かったのは、長崎といえば忘れちゃならないメガネ橋だ。すでに修学旅行生たちが来ていたので、学生たちに混じり遊歩道を散策した。確かにひとつ手前の橋から眺めると、水面に写る橋の映像は鏡に写したようにまん丸なメガネに見えた。単純におぅ〜すげぇ〜と子供たちと感動した。
 次に訪れしは、やはり長崎といえばここ出島です。ここも修学旅行生で埋め尽くされている中、彼らに混じり久々に歴史の勉強をした。園内には出島のジオラマが作られており、ガリバーになった気分だ。現在は当時のままに復元しようと工事を行っているが、何年か後に訪れたときには出来上がっているのだろうか。ここで記念のお土産に、出島のショップだけで売っているという西洋風レトロな陶器の醤油つぎを購入した。毎日、食卓で見られ使われる物なら、この旅を忘れることもないだろうと思ったからだ。
 長崎の町は見所が実に多い、次には平和公園の近くにある浦上天主堂を訪ねた。ここはレンガ造りの実にでかい建物で、何か魂に呼びかけてくるものがあった。雲ひとつ無い青空をバックに天にそびえるカリオン(鐘楼)を見上げれば、太陽燦燦のもとなぜか寒気がしてきた。なぜだろ・・・・・・・と思っているところに、ガラ〜〜ン・ガラ〜〜ンと鐘が鳴り出し、腕時計を見るとちょうど12時になっていた。長崎の鐘の音!!これはいい思い出になるかもと、夢中でビデオカメラを回しカリオンと鐘の音を録った。(上の浦上天主堂の写真下にある四角いボタンにマウスカーソルを置くとそのときの鐘の音が流れます。ボリュームを上げといてね!!)
 昼になり、昨日・今日と歩き回り子供たちは疲れてきたようなので、エキゾチック長崎にグッバイ、別れを告げ雲仙に向かった。(本当に長崎は見所が多いので、時間が少ないと体力勝負になってしまう。)
 雲仙は別荘地のようにゆったりとした温泉街で、散策していると日本で最初の国立公園という歴史も感じられる。(ちなみに今年平成16年で国立公園指定70周年だそうだ)ここでは会社の保養所をキープしていたのだが、予定では長崎観光を十分にし夜つく予定だったので夕食を頼んでいなかった。時間が余ったので雲仙地獄なるところへ観光に行ってみた。ここは無料なのだが、駐車場は有料だった。 岩の瓦礫から熱泉、蒸気が噴出し殺伐とした風景、それなりに面白い。途中のたて看板には、「真知子岩」なる表示があった。真知子という名前を見れば、見たことは無いが「君の名は」という往年の人気TVドラマ主人公のことだろうと推測はできたが、なぜここにという疑問が残った。きっと真知子と春樹も旅人で、雲仙地獄でのキス・シーンでもあったのだろうと勝手に納得した。
 地獄巡りをしても、保養所に行くにはまだ早い。観光マップをながめていたら仁井田峠有料道路があり、そこを通るとかの有名な?平成深山・溶岩ドームがみえるらしい。有料道路のお代金は七百円ちょいで高いなぁ〜どうしようかと悩んでいたが、えぇ〜〜〜〜〜い、行ってしまえと有料道路を通り、溶岩ドームの見える展望台に行く。なるほど溶岩モリモリで裸山のような男性的な岩山が見えた。これが一時期毎日の様にニュースに映し出されていた山かと思えば、おとなしくなったもんです。仁田峠の頂上に着き誰もいない駐車場に車を止め、秋の夕暮れの中散歩すると、我等家族だけでこの山を貸しきったようなすばらしい夕日を拝むことができた。

雲仙地獄

これが、まちこ岩です。

仁井田峠有料道路からながめた夕焼けの溶岩ドームです。

駐車場でのディナー、携帯用のテーブルとホットサンド+食べかけ!! これが我家の定番かな!?
 峠を下る途中で日が暮れ、途中の駐車場で夕食を作り食べることにした。メニューはいつものホットサンドと、珍しく焼きそばを作りビールを少しだけいただきプッハ〜〜〜です。(カミさんの運転なので俺はいくらでも飲めるのだけど・・・)
 さて保養所に着いたら浴衣に着替えてお風呂に直行する。ここは支配人の説明によれば掛け流しのお湯なので、湯あたりしない程度に堪能してくださいとのことだった。ちょうどほかの客が宴会の最中らしくお風呂には誰もいない。内湯・露天風呂とも我が家の貸しきりだぁ〜〜〜!!部屋に戻りビールをプッハァ〜とグビグビ、その後はもう一度風呂にザッブ〜ン、雲仙のお湯を十分に堪能し深い眠りに落ち込んだのだった。(掛値なし、本当にいいお湯だった。)
10月29日(金)

 朝風呂と食事をいただき、小雨が降り出しそうな曇り空のもと出発し、島原市にある道の駅みずなし本陣ふかえに向かった。ここでは平成2年11月に始まった雲仙普賢岳の噴火による土石流により埋もれた民家を、ドームで覆いそのまま残している「土石流被災家屋保存公園」(無料)がある。普賢岳からは結構離れているように見えるのだが、ここまで土石流が襲ってきたのかと、改めて自然の力ってすごいもんだと思ってしまった。そして道の駅内にはいろいろな店が並び、そこでは障害者の方々が普通に働き、売上金は災害復興のために使われているということだった。多少なりともという思いで、少々ながらみかんを購入した。このみかんは安くて小ぶりで甘く美味しかった。
 道の駅を後に島原市内にはいり、降り出した雨の中を武家屋敷水路を見に行く。ここは両脇には武家屋敷が並び、通路の真ん中を小さな堰といっても良い水路が通っている。武家屋敷の中には見学できる家屋があり、入ってみると昔の武家の暮らしを、主人・奥方・姑の三人が食事している様子を蝋人形で再現していた。なぜ子供の姿が無いのか不思議だし、この家族の顔を見ていると何故か嫁姑問題で苦労している主人の苦悩があるように感じられた。(俺も昔はこれで苦労した!!)別な所では子供に正座させ説教しているいるような場面があったので、俺もその真似をして息子の日ごろの態度を注意しようとしたのだが下の娘のおかげでただの漫才になってしまった。

島原・武家屋敷
通路の真ん中を堰が流れている。

昔、昔、嫁姑問題で苦労している男の人形
それを不思議そうに覗き込む我が娘
俺も父親の威厳を見せて息子に説教するの図。
けれど娘にじゃまされた!!


小雨の降る中、フェリー
から眺めた普賢岳。

かすんでよくは見えなか
ったが、グッバイ長崎・
雲仙と心でつぶやいた。

また是非に来てみたい
ものだが、遠いなぁ〜。
 ここからは子供たちにとって始めてのフェリーに乗船し熊本に向かうことにした。フェリー代の安いところを探し、島原市を通り過ぎ多比良港まで行きそこから有明フェリーで対岸の長洲に渡った。ここでの乗船手続きは高速の料金所のように車に乗ったままで料金を払い、指定された場所で待っていると放送により誘導されるという気軽さだ。料金は運転手込みで乗用車2240円、そのほか大人370円で幼児はただだった。 船の中では雨に煙る島原半島と普賢岳を眺め、サラバ雲仙・長崎、またくることがあるのかなと思った。
 長洲からは熊本城を目指し走る。熊本市内に入ったところで、現在地がわからなくなった。当然ながら我が車には、ナビなるものは俺の給金の関係で付いていない。カミさんナビを相手に、地図と建物から何とか現在地を割り出そうとするが、市電も通り道路も複雑に入り組みお手上げ状態だ。結局はどこをどう走ったのかもわからないままに、熊本城の広い駐車場に着いた。
 城内に入ってみると、まわりは韓国人の団体観光客でいっぱで日本人は我が家だけという状態だ。ちなみにうちのカミさんもおばさんになってきたのか「冬のソナタ」、ヨン様の大フアンなのだが周りの韓国人の団体さんを見ながら、「ヨン様みたいな人っていないものだね。」などとつぶやいている。あきれたぁ〜〜〜!!日本だってキムタクみたいなのが、そのへんを歩いているかい!?けどこの団体さんたちは、韓国語で怒鳴りあうようにめいめいが話しをしていてうるさかったぁ〜。ここだけは日本じゃないみたいだった。

御存知、熊本城   
トイレ問題でゆっくり見学できなかったが

 さて子供達には簡単に歴史の勉強でもしてあげようと思っていたのだが、城の中は薄暗くそれが怖くなったのか、下の娘が「おしっこぉ〜〜」と言い出した。この子は「おしっこぉ〜」と言えば、親がトイレに連れて行きとりあえず嫌な場所からは逃げ出せると思っているらしい。そうと思ってほっといていると、本当にお漏らしする時もあるので親としては判断に苦労する。この場所で万ヶ一にも本当ならシャレにならないと、素直にトイレを目指すが、城内では見つからず外まで駆け足をする羽目になった。土産屋のそばのトイレに連れて行ったのだが、「出ない!!」という娘の言葉、そうかそうなのねと言いながら「許さん!!」無理やりさせた。はっはっはぁ〜!!
 時刻は夕暮れ、そろそろ次に向かおうと高速道路のICを目指すが、またまた市内で方向を見失う、またまた「ここはどこ、私はだぁーれ」状態になってしまった。とりあえず南と思う方向目指したら、いつの間にか高速の近所に出た。熊本市内は難しい。ここでは本当にナビが欲しいと、痛切に思った。
 高速に乗る前に弁当屋さんで夕食を買い込み、松橋ICから鹿児島を目指した。宮原SAで買ってきた弁当で夕食をとりながら、昼ごろより雨足が強くなってきていたのでラジオの天気予報で確認すると、雨はこれから強くなり九州南部は明日も雨ということだった。明日は、鹿児島・天文館、桜島、そして佐多岬をシェルパ斉藤のように歩いて目指そうと思っていたのだが・・・・・。ルートは明日考えようということで、発泡酒を飲みDVDを見ながら眠りについた。どうも旅に出てから発泡酒の消費量が多くなってきたような気がするが、まぁいいか!!
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