その三、うらやまし花や蝶やといふめれど
 
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【本文】
 これを若き人びと聞きて、「いみじくさかしたまへど、心地こそまどへ、この御遊び
ものは。いかなる人、蝶めづる姫君につかまつらむ」とて、兵衛(ひやうゑ)といふ人、
 「いかでわれとかむかたないくしかなるかは虫ながら見るわざはせし」
と言へば、小大輔(こだいふ)といふ人笑ひて、
 「うらやまし花や蝶やといふめれどかは虫くさき世をも見るかな」
など言ひて笑へば、「からしや。眉はしもかは虫だちためり。さて歯ぐきは、皮のむけ
たるにやあらむ」とて、左近(さこん)といふ人、
 「冬くれば衣たのもし寒くともかは虫多く見ゆるあたりは
衣など着ずともあらなむかし」など言ひあへるを、とがとがしき女聞きて、「若人たち
は、何ごと言ひおはさうずるぞ。蝶めでたまふなる人も、もはらめでたうもおぼえず。
けしからずこそおぼゆれ。さてまた、かは虫ならべ、蝶といふ人ありなむやは。ただそ
れがもぬくるぞかし。そのほどをたづねてしたまふぞかし。それこそ心ふかけれ。蝶は
とらふれば、手にきりつきていとむつかしきものぞかし。また蝶はとらふれば、わらは
やみせさすなり。あな、ゆゆしともゆゆし」と言ふに、いとど憎さまさりて言ひあへり。

 
 
【現代語訳】
 これを若い女房たちが聞いて、
「ほんと得意そうにおっしゃるけれど、悩まされるばかりですよ、こんな遊び道具では。
どのような方が蝶を愛する姫君にお仕えしているのでしょう」
と言うので、兵衛という人が、
 「どうして私は、うちとけるすべもなく親しみにくい毛虫のような姫君なのに、お世
  話するつとめをしているのでしょう」
と言えば、小大輔という人は笑って、
 「うらやましいですねぇ、世間では花や蝶やと言っておられるようですけれど。私な
  んか毛虫臭い生活を送っているのですから」
などと言います。そして左近という人も、
「つらいですねぇ。眉毛はまるで毛虫みたい。そして歯茎は皮を脱いだあとみたいです。
  冬が来ていくら寒くなっても衣は間に合っています、毛虫がたくさんいるあたりは、
衣など着なくても大丈夫です」
などと言い合っているのを口うるさい女房が聞いて、
「若い人たちは何を言っておられるのですか。蝶を愛するという姫君も、まったく立派
                                   ↓つづく
 
 
 
 
 
だとは思いません。不届きだとさえ思います。それに、毛虫を並べて蝶という人がいる
でしょうか。ただそれが皮を脱ぐのです。そのなりゆきをつきつめておられるのです。
それこそ奥深いではありませんか。蝶は捕まえると手に粉が付いて、とてもわずらわし
いものです。それに蝶は捕まえると瘧病になります。ああ、忌まわしや、忌まわしや」
と言うので、さらに憎さが増して言い合いになるのでした。