落日・第二章 前編
密入国−1回
『密入国』
メリークリスマ〜ス。みんなが一斉に叫んでグラスを合わせると瑞希とナターシャ、 アイリーンも一緒にグラスを合わせた。 「兄ちゃん、呼んでくれてありがとう」瑞希が田畑靖彦に礼を言うとナターシャと アイリーンもありがとうと日本語で笑った。12月24日。田畑靖彦の連れ合いの 由美の店でのクリスマスパーティだ。 「お嬢、今年のクリスマスは何も考えんでゆっくり楽しんでや」田畑が笑いかける と瑞希も笑いながら孝二や靖夫、溝口たちとグラスを合わせた。 「この前ちょっと会ったけどボンも貫禄が出てきましたな。あれで髭を生やしたら 亡くなった親父さんにそっくりでっせ。うちの親父も喜んでるし青木の爺さんも喜 んでまっしゃろな」田畑は上機嫌な様子でグラスを空けているが、心配事でもある のか心なしか顔色が優れない。
「お嬢さん、よう来てくれはったね。大した事は出来んけどゆっくり楽しんでね」 由美が瑞希のグラスにシャンパンを注ぎに来た。瑞希もありがとうと言いながら、 靖彦の様子が気になっていた。 「お嬢はん、お元気でっか」小池貞夫が機嫌良く声をかけた。 「兄(あん)ちゃんも元気そうやね。香田のおじちゃんは元気 ?」瑞希は暫く会って いない香田荘一郎の機嫌を聞いた。 「えぇ、親父は元気ですよ。時々青木の爺さんと電話で話してますわ。ボンも先代 の後をしっかり継いでいるようで喜んでましたわ。お嬢はんもそろそろ身を固めは ったらどうでっか」小池が冷やかすように瑞希の顔を覗きこんで笑った。
「兄(あん)ちゃん、も〜」瑞希も小池の笑い顔につられて笑うと、周りに居た靖夫 や孝二も一緒に笑いだした。 「兄(あん)ちゃん、田畑の兄ちゃんの顔色が優れんようやけど何かあったん?」瑞 希が他の人に聞こえないように小さな声で聞いた。小池は一瞬返事に詰まって困っ たような表情を見せたが、直ぐに表情を和らげて何でもありませんよと笑った。 「靖彦兄ちゃん、何か心配事が有るみたいやん。何があったん」瑞希はみんなが楽 しんでいるのに、ソファに座ったまま難しそうな顔をしている靖彦に声をかけた。 「お嬢、いや、大した事やおまへんのや」靖彦は笑って誤魔化したが、瑞希は何か 有ると感じていた。 「兄ちゃん、水臭いやん。今まで香田のおじちゃんや兄ちゃんには何度も世話にな っているのに、うちに出来る事やったら手伝うから話してや」瑞希は言いながら田 畑の顔色を見ていた。
「お嬢、すんまへん。青木の爺さんや親父に口止めされてますんや。お嬢の頼みで もこればっかりは・・・すんまへん」田畑は申し訳なさそうに謝った。瑞希は圭爺 や香田のおじちゃんが口止めするほど大変な事が起きようとしているのだと感じ取 った。だが、これ以上田畑の兄ちゃんに聞き寄っては可哀相な気がした。圭爺や香 田のおじちゃんに口止めされているのを、無理に聞きだすと田畑の兄ちゃんの立場 がなくなる。瑞希はそれ以上聞く事は止めてアイリーンやナターシャ、孝二たちと クリスマスを楽しんだ。浩貴には今日は帰れないからクリスマスはみんなで楽しむ ように言っていた。宝塚の屋敷には浩貴と奈緒子、圭爺や佐伯優子に会社の何人か 来て楽しんでいる筈だ。
12時を回って瑞希は田畑や他のみんなに挨拶するとナターシャ、アイリーンと一 緒に店を出た。今日はマンションに泊まる予定でいた。3月まで住んでいたマンシ ョンは、今はアイリーンとナターシャが住んでいる。3人が道頓堀筋に来ると12 時を回っているのに大勢の人が歩いている。ミズキ、ナターシャが声をかけて笑っ た。瑞希も笑いながら頷くと戎橋南詰め近くのたこ焼き屋に寄った。 「メリークリスマス。お姉さん、お久しぶりです」たこ焼き屋の前には数人がたむ ろしてたこ焼きを食べていたが、3人を見て雄二が笑いかけた。 「メリークリスマス。クリスマスやのにケーキやなくてたこ焼きが売れてるって、 やっぱり大阪やなぁ」瑞希も笑いながらたこ焼きを食べている人たちの輪の中に入 った。
たこ焼きを3皿頼むとアイリーンにはタコ以外の具で焼いている。アイリーンがタ コを食べられない事を雄二は知っている。店舗の中で雄二と一緒に若い女がたこ焼 きを焼いていた。 「姉さん、連れ合いの麻耶です。よろしくお願いします」雄二が若い女を紹介した。 「麻耶といいます。11月に一緒になりました。お姉さんの事は聞いています。こ れからもよろしくお願いします」若い女が瑞希たちに挨拶した。 「一緒になったって、結婚したんか?おめでとう。ここんとこ忙しくて中々こっち に来れんやったけど何時の間に一緒になったんや。これはほんの気持ちだけやけど 受け取ってや」瑞希が財布から20万を取り出し裸ですまんけど、と2人に渡した。
雄二はとんでもないですと断ったが、祝い事やからと再度差し出すと、ありがとう ございますと快く受け取ってくれた。麻耶という女の子もありがとうございますと 笑顔を見せた。 「お姉さん、久しぶりです。メリークリスマス」後ろから声をかけられて振り向く と悟が笑っていた。 「メリークリスマス。暫く忙しくて来れんやったからな。悟も元気そうやな」瑞希 が笑うと悟も笑いながら雄二に挨拶している。 「悟、あんたこの辺に詳しいって言ってたやろ。田畑の兄ちゃんや小池の兄(あん) ちゃんたちの様子が普通やないねん。何か変わった事でもあったんか?」瑞希が聞 くと悟は瑞希の袖を引っ張ってみんなから離れた。
「あんまり詳しい事は知りまへんけど近いうちに戦争が始まりそうなんですわ。東 京の関東連合会とかいう組織の中でも武闘派と言われていた組が、急に解散届けを 出して地下に潜ったみたいで、きっと大阪を狙った先鋒隊として来るんやないかっ て噂ですねん。2月に浅野興業が潰れてこの辺も静かになったと思ったのに、東西 戦争になったらこの辺も危なくなりそうですね」悟は詳しくは知らないと言いなが ら知っている事を話してくれた。
東京のヤクザが関西に進出して来る。瑞希は田畑の兄ちゃんや小池の兄(あん)ちゃ んが口を閉ざしていた理由が分かった。圭爺も香田のおじちゃんもうちには黙って いるようにと口止めしたのは、うちに余計な心配をかけたくないという配慮からだ と思った。浅野興業の時には父の仇という大義名分があったが、今回の事はヤクザ 同士の抗争だから、うちとは関係の無い事だと思っているのだろう。だが、うちに とって香田のおじちゃんは父の親友であり、子供の頃から可愛がってもらった恩義 がある。もし、戦争になれば出来る限りの手助けをしようと思った。
☆
12月28日。ほとんどの会社は今日が仕事納めで明日から正月休暇に入る。夜の 10時を過ぎたころ、買い物客や若者でごった返す渋谷の繁華街で、私服の刑事、 土方や浮浪者風の男、清掃人夫などに変装した刑事が数人張り込んでいた。あるビ ルの入り口横で若者と外国人の男が3人、周りを気にしながら立ち話をしている。 外国人の男がセカンドバックから小さな包みを取り出すと、若い男が現金と引き換 えに包みを受け取った。 かかれ、イヤホーンから聞こえた声に、変装していた刑事が一斉に4人を取り囲ん だ。4人は慌てて逃げようとしたが周りはすでに取り囲まれて逃げ道はなかった。 それでも強引に逃げようとした外国人に一人の刑事が腕を掴んで背負い投げをかけ ると、男は歩道のタイルに頭を打ちつけて呻いている。直ぐに他の刑事が手錠を掛 け他の3人と一緒に連行された。赤色灯を回しながらパトカーが数台駆けつけると 周りは騒然としている。
覚醒剤密売容疑で逮捕された3人の外国人は密入国していたイラン人で、買ってい た若者は普通の大学生だった。ただ単に勉強に集中するために買ったと釈明したが、 法を犯した罪は逃れる事は出来ない。一方、3人のイラン人を取り調べていた渋谷 署は、3人が持っていたセカンドバックから出てきた大量の覚醒剤、偽造用のキャ ッシュカードなどから、背後に大掛かりな犯罪組織が有るとみて身柄を警視庁に移 されさらなる取調べが行われた。取調べの結果、3人は中国からの密航者で11月 に横浜に上陸していた事が判明した。蛇頭の絡んだ密入国で同じ船のコンテナには 数十人の中国人が居た事が分かり、イラン人以外に上客と思われる2人の男が居た 事も判明した。
密入国の話は警察庁外事課や公安にも連絡が行き詳しく調査された。3人のイラン 人は正月明けに強制送還される事が決まったが、上客と思われる2人の身元につい ては何一つ手掛かりが無かったが、イラン人の自供ではアラブ系のようだったと話 した。 警察庁外事課の野村康介は今年の2月、神戸の摩耶埠頭で一之宮瑞希と外国人の仲 間の助けを借りてテロの計画、立案者を船共々抹殺したが新たなテロ計画者が入国 したと推測した。先日の川崎と横浜の石油基地爆破事件は『イスラム同胞団・自由 の戦士』とマスコミに犯行声明が送られたが、声明内容からイスラム過激派が再び 日本を狙っていると感じた。東京と横浜が狙われ、次のターゲットは名古屋か大阪 か。野村は犯人の足取りが掴めない苛立たしさに部下に怒鳴り散らした。
2月に抹殺した2人のアラブ人は一之宮瑞希と2人の仲間の外国人から、パレスチ ナ過激派組織の人物だった事が判明した。前回はマニラからの密入国だったが今回 は中国からだという。最近は蛇頭の絡んだ密入国は中国の福建省からが多く、イラ ン人の3人も福建省から出た船に乗ったと自供していた。当然アラブ系と思われる 2人も福建省から出た事になるが、パレスチナからどういうルートで中国に入った のか見当もつかない。 川崎と横浜の石油基地爆破は2人だけで出来る仕事じゃなく、もっと大勢の過激派 入国しているのか、それとも日本人で彼らを手助けしている人物が居るのか、野村 は外事課の全力を上げて調査するように指示を出すと、考え事をしながらポケット から携帯電話を取り出した。
「小林さん、野村だが、ちょっと話したい事が有るけど時間を作れるかな」野村は 内閣調査室付特務課の小林に電話し、小林の指定した時間と場所を頭に叩き込んだ。 激しくドアを開けて1人の刑事が入って来た。 「野村さん、長官を狙撃した犯人が捕まったそうです。いま品川署で取り調べてい ますが、犯人は元自衛隊員で上官と喧嘩して除隊しています。金で雇われたようで すが雇い主の特定には至っていません。青山という男で、自衛隊に居たころも射撃 の腕はいまいちだったようです。もし、射撃の腕が良かったら長官は・・・・」と 後の言葉を飲み込んだ。自衛隊員か・・・野村は神戸での時も大阪府警の警部や市 会議員が居たが、警察官や消防隊員、学校の先生などが不祥事を起したニュースを 見る度に、最近の国家公務員、地方公務員などの堕落振りを嘆いていた。
その日の夜、あるホテルの一室で野村康介と小林真二が会っていた。 「小林さん、今度の事はどう思う?」野村が聞いた。 「神戸の続きだと思う。前回はマニラ政府の調査機関から連絡が有って未然に防げ たが、今回は公安の方でも把握してなかったらしい。室長の話では、政府を通して イスラエルやパレスチナに近いエジプト政府に働きかけ、パレスチナ過激派で死亡 が確認されていない人物で最近姿を見かけなくなった、話を聞かなくなった人物が 居ないか、至急調べてくれるように要請しています。それより長官を狙撃した犯人 が捕まったらしいけど、自衛隊員だったとはねぇ。金の為なら人でも殺すって何と いう世の中だ」小林も野村と同じように今の世の中を嘆いている。2人はカーテン を引いたホテルの一室で夜明け近くまで対策を相談していた。
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