落日・第二章  前編




密入国−2回



「明けましておめでとう」青木圭三が杯を挙げると、みんながおめでとうと言いな
がら杯を、グラスを挙げて挨拶した。
「浩貴、奈緒子、おめでとう」瑞希が2人に言ってグラスを合わせると、浩貴と奈
緒子もおめでとうとグラスを合わせた。
圭三夫婦に浩貴と奈緒子、瑞希、ナターシャ、アイリーン、佐伯優子、森下勳と長
岡瑠美が新しい年を祝った。芳江と長岡瑠美、佐伯優子がおせち料理を運んでくる
とみんなが料理に手を伸ばした。
31日の大晦日には副社長の石田や秘書の清水たちが大勢来て餅つきをしていた。
瑞希も1年前に木曽福島の山荘で餅つきした事を思い出し、みんなと笑いながら搗
いていた。アイリーンとナターシャは初めての経験で最初は珍しそうに見ていたが、
石田が搗き方を教えて杵を渡すと見よう見まねで搗いていた。

元旦には何時も顔を出す香田荘一郎は来なかった。3日前に忙しいからと圭爺に電
話があったそうだ。瑞希は忙しい理由は関東連合会の事だと思っていた。
「お嬢さん、大原さんの事、正月明けの五日の土曜日に会えるように手筈を整えま
したから。工務店の方は6日の日曜まで休みで7日が仕事始めだそうです。事務所
と自宅のどちらでと聞かれましたので自宅の方でお願いしました。自宅の方だと希
ちゃんも居ると思いますので」昨日の餅つきの後、清水は最後のひと言を笑いなが
ら言った。瑞希も最後のひと言に思わず微笑んでいた。
午後からは初詣帰りの社員や取引先の会社が新年の挨拶に訪れ、広いリビングも大
勢の社員で賑わっている。圭爺は新年の挨拶の電話に応対するため部屋に戻った。

「お嬢様、お客様です。近藤千佳子さんという方ですが」長岡瑠美が来訪者を告げ
ると、瑞希は一瞬考える素振りをしたが思い出したように玄関に走った。玄関には
瑞希と同じ年頃の女性が待っていた。
「千佳〜、久しぶり〜。元気やったんか。何年ぶりやろ〜。さぁ、上がって」瑞希
が嬉しそうに声を掛けると女性も懐かしそうに瑞希を見て微笑んだ。瑞希は賑わっ
ているリビングの奥の方に案内した。
「瑞希、久しぶりだね〜。瑞希が留学中におじさんが亡くなったって聞いて、瑞希
は帰って来ぃへんし、この屋敷もそのまま閉鎖されてしまったから引っ越したんか
と思ったんよ。5月ごろにお母ちゃんから、一之宮のお嬢さんが帰って来てるみた
いだよって電話があったんよ。直ぐにでも会いに来たかったんやけど、中々時間が
取れんやってん。でも、元気で良かった〜」千佳と呼ばれた女の人が懐かしそうに
瑞希を見つめた。

「浩貴、奈緒子、千佳やねん。覚えてるやろ」瑞希が浩貴と奈緒子を呼んで千佳子
に会わせた。
「千佳姉ちゃん?いや〜、久しぶりやね〜」浩貴も懐かしそうに千佳子を見ている。
「浩ちゃんに会うのは何年ぶりやろ。浩ちゃんが高校の頃はよく会っていたけど、
防衛大学に行ってからは盆と正月くらいやったもんね。おじさんが亡くなってから
は帰って来なくなったし、かれこれ5年くらいになるんやね。奈緒ちゃん?まぁ大
きくなって〜。浩ちゃんと結婚したんやてね。おめでとう。浩ちゃんと奈緒ちゃん
は小学生の頃から仲良しで、何処に行くにも2人一緒やったやん。あの頃から結婚
するって決めてたん?」千佳子が笑いながら浩貴と奈緒子の顔を覗いた。

「千佳姉ちゃん、そんな〜」奈緒子は照れくさそうに笑いながら、何年振りかで会
う千佳子を懐かしい思いで見つめた。近藤千佳子は奈緒子が一之宮家に来た頃から
よく遊びに来ていて、瑞希とは小学校からの友達で中学、高校、大学と同じ学校に
行っていた。瑞希がロンドンに留学中もよく来ていて、奈緒子や浩貴をよく可愛が
っていた。芳江がダイニングから顔を出すと瑞希が呼んだ。
「おばあちゃん、久しぶり〜」千佳子が飲み物を持ってきた芳江に声を掛けた。
「千佳ちゃんやないの。久しぶりだねぇ。元気にしてたん?」芳江は懐かしそうに
千佳子を見つめた。
「千佳、今何してるんや?」社員が気を利かせて空けてくれたソファーに腰を下ろ
しながら聞いた。

「今はお父ちゃんの会社を手伝ってんねん。大学を出て中学校の教師になったやん。
けど、どうも上手く行かんでね。生徒は可愛かったんやけど先生同士がギクシャク
しててね。そんな時お父ちゃんの会社で経理をしてたお母ちゃんが倒れて、いや、
大した事はなかったんやけどね。それで良い機会やから戻って来たんよ。瑞希は何
してんの。浩ちゃんはおじさんの会社を継いでるんやろ?浩ちゃんも立派になって
貫禄も出て来たやん。おじさんもきっと喜んではるわ」千佳子は瑞希に話しながら
浩貴と奈緒子を優しく見ている。
「なっ、高校の時、ミナミの引っ掛け橋で喧嘩になりかけたヤクザさんがいたやん。
最初はおじさんのお友達と知らんやったけど、親分みたいな人が出て来ておじさん
の友達と分かったけど、あの人たちも元気なん?しかし、あの時の瑞希は凄かった
もんなぁ。ヤクザ相手に喧嘩をしかけるんやもん」千佳子は思い出したように笑う
と昔の話を始めた。瑞希もその頃の事を思い出しながら、千佳子との思い出話に時
が過ぎた。夕方には年賀挨拶の客も帰り、賑やかだったリビングも静かになった。

          *

正月3ガ日が終わって4日の午後、香田荘一郎と田畑靖彦が1人の男を連れて訪ね
て来た。
「香田のおじちゃん、靖彦兄ちゃん、おめでとう」部屋に居た瑞希を佐伯優子が呼
びに来てリビングに降り、圭爺、浩貴と話している2人に挨拶すると、横に座って
いる見知らぬ男に会釈した。
「お嬢、おめでとう」香田と田畑も瑞希に笑いながら挨拶した。
「こちらは天満の方に事務所を構えている右翼団体の社長で山脇幸三という人やね
ん。青木さんとボンには話したんやけど、お嬢の耳にも入れてた方が良いと思って」
田畑が山脇という男を瑞希に紹介した。
「初めてお目にかかります。山脇幸三といいます。先ほど若社長にもお話ししたん
ですが、みなさんがお嬢さんにも話していた方がいいという事なので」山脇と名乗
った男が瑞希に挨拶した。年の頃は50歳前後か、少し小太りの体形だが鋭い眼光
をしている。瑞希が浩貴の横に座ると長岡瑠美がお茶を持って来た。

「奈緒子は?」瑠美が下がると浩貴に聞いた。
「部屋に居てるわ。この話は奈緒子には聞かせたくないねん」浩貴は瑞希に言って
みんなを見渡した。
「お嬢、実は・・・・」田畑が言い掛けると
「関東連合会の事?。関東連合会でも武闘派といわれた伊能組が突然解散届けを出
し、組員共々姿を消したらしいね。どうやら関西進出の先鋒隊らしいという噂やけ
どほんまなん?」瑞希が田畑を制して言いながらみんなの顔を見渡した。
「お嬢、どうしてその事を?組のみんなには口止めしていたのに」田畑が驚いた顔
をした。
「兄ちゃん、おじちゃんとこのみんなは誰も話してくれなんだわ。これはおじちゃ
んのとこ以外から仕入れてん。みんなを責めんといてや」瑞希は田畑を見ながら、
この話の出所は香田興業の人間じゃない事を強調した。

「お嬢、その事はその事として実は別の問題がありますんや。英(はなぶさ)建設に
関係する事やねん」香田荘一郎が瑞希、浩貴を見て山脇を促した。
「伊能組の事は東京から連絡を受けて知っています。私の方も対処に困って香田さ
んにお願いしたんです。その事よりも英建設の事でお耳に入れてた方がいいと思う
事がありまして、京都の遠縁に頼んで香田さんとお会いしたんです。香田さんは英
建設の先代とは兄弟の間柄と伺っていたもんで」山脇は瑞希に英建設の事で、と言
いながら中々本題に入らなかった。瑞希は山脇の遠回しな言い方にイライラして来
て煙草に火を点けた。瑞希の態度を見て田畑が本題を促した。

「大阪の本町に高麗社という政治結社が有るのはご存知ですか?高麗社は政治結社
という看板を揚げていますが、社長の山形玄三はヤクザ上がりで暴力団まがいの事
をやっています。12年前に東京で憂国の会という政治結社を作って目を付けた会
社に紙屑同然の小冊子を法外な値段で売りつけ、断ると日雇いやフリーターを雇っ
て連日嫌がらせを繰り返し、一度でも金を出せば徹底的に搾り取るのが奴のやり方
で倒産した会社も有るみたいです。当然そういう話はヤクザの耳にも入って関東連
合会に半分以上を搾り取られていたようで。4年前に憂国の会の看板を降ろし、密
かに関西に流れて来て2年前に高麗社の看板を揚げています。伊能組が大阪に来て
山形の名前を知ったら山形は生きていられんでしょう。どうやら戦争が始まる前に
荒稼ぎをして姿を消すようですね。そのリストに英建設さんも入っているようでし
て、それで香田さんからご忠告をと思いまして」山脇は瑞希に話しながら、時折香
田の顔色を伺うような仕草を見せた。

「東京と大阪の戦争だけやなくてそんな動きがあったんか。浩貴、高麗社って知っ
てるんか?」瑞希が聞くと浩貴は首を振って山脇を見ている。
「ところで山脇さんと言いはったな。その話を香田に持って来て何を要求したんや。
事と次第によってはうちが相手になってもいいんやで」瑞希は山脇という男の話を
聞きながら、何も無しにこんな話を持って来るほどお人好しには見えない。瑞希の
厳しい顔を見て香田が口を開いた。
「お嬢、山脇は英建築に何も要求はしてへんわ。山脇も東京から流れて来た人間や
から、もし、東京との戦争になったら逃げ場がないんや。それで京都の兄弟を通じ
て保護を求めて来たんや。高麗社の話はその手土産やねん。わしも話を聞いてうち
のもんに調べさせているけどな。お嬢、心配いらんで。秀英(しゅうえい)の築き上
げた会社をそんな連中の食い物にさせる訳にはいかんからな」香田は瑞希と浩貴に
笑いながら頷いた。

「しかしおじちゃん、戦争になったらそれどころやないやろ。大阪だけの組織で対
抗できるん?」瑞希は関東連合会がどれほどの組織か知らないが、大阪にはそれほ
どの組織力は無いはずだ。
「お嬢、大阪で戦争が始まれば神戸も黙ってはおらんやろ。京都や名古屋も東京の
兵隊をすんなり通すとは思われへんしな。伊能組が何処に拠点を作るのか知らんが、
その前に伊能を叩いてしまえば関東連合会も出て来れんやろ。お嬢とボンは心配せ
んで秀英の築き上げてきたもんをしっかり守りや」香田は圭爺と顔を見合わせ瑞希
と浩貴に頷いた。


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