落日・第二章  前編




未遂事件−1回



 『未遂事件』

伊能忠久は大阪市内の安ホテルに泊まり、遠縁で不動産業を営んでいる大桑正と
密かに会っていた。10月末に東京から姿を消し、京都や奈良、和歌山の温泉地
を転々としながら観光客らしく振舞っていたが、11月初めに大桑に連絡を取っ
て大阪市内に潜り込んでいた。部下も数人ずつに分かれて近畿各地のホテル、旅
館に泊まっている。伊能は大桑の紹介で東大阪に小さな貸しビルを借りると金融
業を開いた。梅田や難波、天王寺などの歓楽街に近い場所を避け、東住吉区、生
野区や東大阪市など、町工場の多い場所に狙いを絞った。
小さな町工場には倒産した工場も多く、不動産屋には貸しビルや貸し事務所、貸
し工場の物件が多く存在している。大阪の梅田や難波などの中心地とは離れてい
るが、ここを拠点にして中心地を狙う予定でいた。

一階はリース会社から机や椅子などの事務機器を揃えて事務所らしくした。二階
は応接室に、三階を住居用にして道具を揃えた。事務所には山本金融という小さ
な看板を掲げて東京の時と同じように部下の山本に任せた。当然闇金融の会社だ
が伊瀬から預かった5000万では足りず、伊能組の資金である8000万も用
意した。三階には幹部の遠野と部下5人を常駐させ、他の組員も東大阪近辺にア
パートや賃貸マンションを借りて集結していた。伊能は一気に中心部を狙うよう
な事はせずに近辺からの制圧を狙った。金融のチラシを作るとアルバイトを雇い、
町工場や飲み屋街のポストに投げ入れた。不景気が続いている現在、小さな町工
場や飲み屋などは銀行の融資を簡単には受けられず、金策に困っている会社や店
も多くて結果は直ぐに表れた。

短期決済を謳い文句に高利で貸していたが、貸す時には仏のような顔で貸し、返
済が1日でも遅れると部下が乗り込んで強引に取り立てた。他に金策の手段が無
いために山本金融を利用する者たちに返済の当てなど有るはずもなく、店の権利
書、土地の権利書を取り上げた。権利書を出し渋る相手には容赦しなかった。
工場に、或いは店に乗り込んで凄み、暴行を加え、取引先を脅してしまえば倒産
するしかなかった。裏金融のかたわら、東大阪の暴力団の情勢も調べていた。
東大阪には小西組と生駒会という2つの暴力団が勢力を争っていた。伊能は小西
組の組員3人を痛めつけ、生駒会の幹部と思われる男を射殺した。警察は暴力団
の抗争事件として捜査を始め、新聞やテレビも暴力団の抗争事件と騒ぎ出した。
小西組と生駒会は警察の監視の目が厳しくなり動きが取れなくなった。

僅か3ヶ月の間に3軒の飲み屋と1軒の町工場を手に入れた伊能は、春の関東連
合会の西下まで待たずに一気に大阪の中心部への進出を企てた。
大阪の新町に貸事務所を借りて山本金融の看板を出し、幹部の高田と部下四人を
配置した。同時に事務所の近くに賃貸マンションを借りて居を移した。
「組長、おもしろい奴が見つかりましたで。4年前まで東京で憂国の会とかいう
政治結社をやっていた山形玄三で、今は高麗社という看板を出していますが山形
に間違いありません。今、若いのに調べさせていますが、どうやら憂国の会と同
じ事をしているようですな。山形が出て来た会社を調べた所、数年前に社長が死
に、20代の息子と娘が跡を継いでいる英(はなぶさ)建設という会社です。山形
も美味しい会社を見つけたもんですな。ひとつ締め上げてこちらも美味しい汁を
吸わせてもらいましょうか」高田が笑いながら伊能に報告した。

「山形が大阪に?奴め、いきなり姿を消したと思っていたら大阪に潜んでいたか。
よし、奴を引っ張って来て締め上げろ。美味しい会社ならこちらが頂くか」伊能
も高田に笑いながら言ったが、山形がどう動くか見極めてからでも遅くないと思
いながら、美味しい話なら早いに越した事はない。伊瀬から預かっていた資金は
使い果たし、伊能の資金も残り少なくなっていたからだ。
伊能は英(はなぶさ)建設の社長は、親の会社を引き継いだ世間知らずの若造だと
思っていた。20代の若造など伊能には一ひねりで物に出来ると思った。
伊能はこの時、英建設に手を掛ける事がどれほど危険で誤った判断だったかを知ら
なかった。伊能自身のみならず、関東連合会の屋台骨を揺るがす事になるとは想像
すらしていなかった。

          *

正月が終り、会社が営業を始めると数日間は年始回りの訪問客ばかりだ。年始回り
の客は浩貴と石田に任せ、瑞希は山脇の言った山形玄三の事を調べた。調べるとい
っても瑞希にはそれほどの情報網はなく、山脇の紹介で裏社会に詳しい大岩という
私立探偵を雇った。この大岩という探偵、裏社会に精通しているだけに一癖も二癖
もありそうな面構えだ。一般の企業や堅気の人からの依頼は受けず、常に裏の調査
で金になる依頼しか受けなかった。瑞希の依頼も山脇の紹介という事で受けていた。
大阪では『えべっさん』が終り、本格的な寒さが訪れても何も動きはなかった。
山形は動かず、香田興業の話では関東連合会にも動きは無いという。姿を消した伊
能組も何処に潜伏しているのか、未だに行方が分からなかった。溝口や浪花連合会
にもそれとなく聞いたが誰も何も知らなかった。

瑞希は会社が終わるとアイリーン、ナターシャと連れ立ってミナミのジムに通って
体を鍛えた。1月も終わろうとした頃、瑞希はアイリーン、ナターシャと連れ立っ
て食事をするためにミナミに足を運んだ。
焼肉を食べた後たこ焼き屋の雄二と麻耶に声を掛け、香田興業に寄ろうと戎橋にさ
しかかった時、橋の上で女の怒鳴り声がした。3人が近寄ると2人の女が2人連れ
の男に怒鳴っている。どうやらナンパの揉め事のようだ。瑞希たちが通り過ぎよう
とした時、男の声で東京と言ったように聞こえた。思わず立ち止まって振り返ると
先ほどの2人連れの男がしきりに喋っている。男の言葉に関西訛りや地方訛りはな
く、首都圏の言葉に聞こえて男を見つめた。1人の男は笑っているがもう1人の若
い男がしきりに話し掛けている。

「大阪は初めてで何も分からんし、お茶くらい付き合ってくれても良いじゃん」若
い男が女の顔を覗くように話している。
「やめぇや、東京の人間なんて気色悪いわ。その、じゃん、じゃん、って何やねん。
とっとと消えてや」女が怒鳴ると男は面白がっている。姉さん、声をかけて雄二と
悟が来た。これ以上揉めそうなら雄二が仲裁に入るみたいだ。だが、2人の男は面
白がって笑っていたがあっさり諦めて歩き出した。
「悟、あの2人、何処に行くか後を付けてくれへんか?くれぐれも危険な真似はせ
んときや。見つからんように後を付けて何処のもんか調べて欲しいんや。もし、気
づかれたらさっさと逃げや」瑞希が笑うと、悟も笑いながら得意満面の顔で後を付
けて歩き出した。姉さん、雄二が瑞希を見て何か言いたそうな顔をしている。

「雄二、関東連合会が大阪に進出して来るって噂は知ってるやろ。その先鋒隊とし
て、10月に解散届けを出した伊能組が姿を消したんや。今の2人連れは関東弁み
たいやったし東京と言ってたように聞こえたんや。だからひょっとしてって思って
な。単なる旅行者や遊びの人間やったらそれに越した事はないけど」瑞希が話すと、
雄二も関東連合会と大阪の暴力団との間で戦争が始まりそうだとの噂は知っている
らしく黙って頷いた。
雄二と別れて宗右衛門町から三っ寺筋に入り、香田興業の入っている雑居ビルの階
段を上がった。
「お嬢さん、いらっしゃい。アイリーンさんもナターシャさんも、クリスマス以来
やね」3人がドアを開けると真っ先に靖夫が声をかけた。靖夫の声にみんなが挨拶
すると3人も挨拶した。

「貞の兄(あん)ちゃん、どう、元気にしてるん」瑞希が笑うと小池貞夫も笑いなが
らソファーを勧めた。瑞希の知らない顔が3人居て小池貞夫が紹介した。
「最近入ったもんですわ。いい体してまっしゃろ。3人とも自衛隊上がりでこっち
の方は滅法強うおまっせ」と喧嘩の格好をした。
「こちらの3人は親分の遠縁にあたる方やさいよく顔を覚えておくんやで。粗相の
無いようにな」小池が瑞希と3人に言うと、3人はよろしくお願いします、と頭を
下げた。
「3人とも自衛隊上がりか。そういえば雄二も元自衛隊って言ってたし、浩貴も自
衛隊に居たな。そのうちミナミは元自衛隊員でいっぱいになるんとちゃうか」瑞希
が笑うと、瑞希の言い方が可笑しかったのかみんなが笑い出した。
「しかし同時に元自衛隊員が3人もって、みんな一緒のとこに居ったんか?」瑞希
が笑いながら3人に聞いた。

「3人とも同じ戦車隊に居たんです。前の小隊長は面倒見の良い人やったけど3月
いっぱいで除隊されて、後釜の小隊長とはどうも合わんやって、それで除隊したん
です」3人の男がお互いを見ながら話した。
「戦車隊かぁ。弟も3月に除隊するまで戦車に乗ってたんやで。確か、北富士第一
戦車大隊とかで指揮を執ってたと言ってたわ。みんなは何処の戦車隊にいたんや」
瑞希は戦車隊と聞いて弟の浩貴の事を話した。
「わたしらも北富士第一戦車大隊です。指揮官で3月に除隊されたって、もしかし
て一之宮小隊長じゃないでしょうね」3人のうち1人が驚いたような顔で聞いた。
「そうやで、弟は一之宮浩貴っていって、戦車隊で指揮をしていたって言ってたわ。
ひょっとして浩貴の部下やったんか?」今度は瑞希の方が驚いて聞いた。3人は更
に驚いた顔でお互いを見つめ合っている。

「そうであります。自分は一之宮小隊長の下(もと)、操車(そうしゃ)を担当してい
ました坂上一等陸士であります。小隊長殿の姉君に敬礼」坂上と言った男が大袈裟
に敬礼すると、2人の男も瑞希に敬礼した。
「ちょっと、止め〜や。それにしても奇遇過ぎるわ。こんな所で浩貴の元部下に会
うとはなぁ。良かったら一度浩貴と飯でも食ったらどうや。うちから言うとくわ。
坂上って言ったな。後の2人の名前も教えてや」瑞希が3人に言うと、ありがとう
ございます。光栄であります。と再び敬礼すると後藤と岡村と名乗った。
「おじちゃんと靖彦兄ちゃんは ?」若い男が入れてくれたコーヒーを飲みながら、
田畑の姿が見えなかったので小池に聞いた。
「へぇ、実は・・・・その・・・・」小池は言い難そうに口ごもった。瑞希は小池
の態度から関東連合会に関係ある事だと思ってそれ以上は聞かなかった。



 目次へ

 密入国3回へ  未遂事件2回へ