落日・第二章 前編
思惑と誤算−2回
「浩貴、もう終わりやろ。そろそろ行こうか」瑞希が壁の時計を見て声を掛けた。 壁の時計の針は7時を少し過ぎている。瑞希は2日前、久しぶりにご飯食べに行こ うか、ちょっと会わせたい人が居るんやと声を掛けていた。朝、家を出る時、今日 は遅くなるからご飯は要らないからと言っていた。清水の車で道頓堀まで送っても らうと道頓堀筋をゆっくり歩いた。 「浩貴とこうして歩くのは何年ぶりやろな。浩貴が高校2年の頃やったかなぁ、初 めて香田のおじちゃんの事務所に連れて行ったのは。あれ以来こうして歩いた事が なかったな」瑞希は何年振りかで浩貴と歩きながら、あの頃に比べるとこの辺も少 し変わって来たと感じていた。 姉さん、たこ焼き屋の雄二と麻耶が手を上げて声を掛けた。瑞希も笑いながら手を 上げると、悟の親の店であるてっちりの店に入った。 「お嬢さん、いらっしゃい。みなさんお揃いですよ」悟が声を掛けると中居が奥の 座敷に案内した。おいでになりました。中居が声を掛けて襖を開けると5人の男が 待っていた。
「小隊長、お久しぶりです」浩貴を見て1人の男が立ち上がって敬礼すると、横の 2人も立ち上がって敬礼した。浩貴は呆気にとられて3人の男を凝視した。 「坂上か。それに後藤、岡村もか」浩貴は思い出したように名前を呼んだ。 「覚えておいででしたか。ありがとうございます」岡村という男が嬉しそうな顔を した。 「おい、もう自衛隊やないんやから敬礼はやめぇや」浩貴が笑うと3人も笑いなが ら挙手を降ろした。3人の他には小池貞夫と崎田孝二が居た。 「お嬢さん、今日はありがとうございます。どうぞ」孝二が挨拶して奥の席に案内 した。 「ボン、お久しぶりです。まぁ立派になりはって。先代もさぞお喜びでしょう」小 池が浩貴を見て涙を流した。
「浩貴、覚えているやろ。貞の兄(あん)ちゃんやねん」瑞希が名前を言うと、それ まで不思議そうな顔で小池を見ていた浩貴が驚いたような顔をした。 「貞の兄(あん)ちゃんって、小池の兄ちゃん?」浩貴が名前を呼び、まじまじと顔 を見つめると小池は嬉しそうに頷いた。 「ボン、覚えてくれてましたんか。おおきに」小池は浩貴の手を握りしめて再び涙 を流した。 「兄(あん)ちゃん、もう泣きなや」瑞希が笑うと、すんまへん、と言いながら涙を 拭いて浩貴のグラスにビールを注いでいる。瑞希は小池貞夫を見ながら、怒ったら 手が付けられなくなるほど喧嘩っ早いが情にもろく、涙にももろくて、感動すると 直ぐに涙を流す小池が好きだった。
「小隊長、姉君殿、今日はありがとうございます。遠慮なくいただきます」後藤が 2人に言うと、浩貴は苦笑いしながら小隊長はやめぇやと笑った。 「しかしこんな所で会うとは奇遇やなぁ。今は何をしてるんや?」浩貴が聞くと3 人は顔を見合わせて口篭った。 「浩貴、野暮な事聞くな。貞の兄(あん)ちゃんと一緒やねんで。聞かんでも分かる やろな。こっちは崎田孝二といって若い連中の兄貴分やねん」瑞希が3人を庇って 孝二を紹介した。 「崎田孝二といいます。若社長の事は親父や田畑の兄貴、お嬢さんから聞いていま す。よろしくお願いします」孝二が挨拶すると浩貴も挨拶した。 「何時除隊したんや。自衛隊に居ったら気楽やったろうな」浩貴が3人のグラスに ビールを注ぐと、3人はありがとうございますと恐縮している。
「小隊長が除隊された後、後任の小隊長とはどうしても合いませんで。で、夏前に 除隊したんです。我々の後からも除隊したもんが居ると思いますわ。みんな後任の 浅田小隊長を嫌っていましたから。ここに来たのは、小隊長が何度か話されていた 姉君の事と香田興業の事を思い出して、香田興業に居たら何時か会えるかも知れな いと思いまして。先日姉君にお会いし、小隊長の話をされた時はびっくりしました がお会い出来て光栄です」後藤が話すと浩貴は頷きながら聞いている。 「なっ、浩貴はどんなんやったんや?」瑞希が笑いながら聞いて浩貴を見ると、姉 さん、と言いながら笑っている。 「小隊長は訓練の時には結構厳しかったです。ちょっと手を抜くと、こらぁ、何や っとんじゃぁって怒鳴られて鉄拳制裁ですわ。けど、それ以外の時は凄く可愛がっ てもらいました。休みになると飲んで来いって小遣いを貰った事もあります。
小隊長は休みになっても出歩く事をしませんで、よく空手を教えてもらいましたが まぁ強いこと強いこと。3人がかりでも勝てませんでしたから。後で聞いたら子供 の時から習ってはって、中学の時に県の大会で優勝されてたそうで、道理で強い筈 ですわ。小隊長と一緒に乗っていたのは1年そこそこでしたが、模擬訓練でも負け た事がなかったなぁ。自分は砲手(ほうしゅ)でしたが一緒に乗れて楽しかったです」 岡村がみんなに話すと浩貴は照れくさそうに笑っている。瑞希は自衛隊での浩貴を 知らなかったが、これだけ部下に慕われていた浩貴を自慢に思った。厳しい時には 厳しく、それでいて優しさも忘れない。まるで父親の血をそのまま受け継いでいる ような気がした。瑞希は弟の会社に少しでもちょっかいを出すような者がいたら、 命を賭してでも潰してやる、と心に誓った。 「兄(あん)ちゃん、山本の事調べてみた?」瑞希が小池に聞くと頷きながら瑞希の 耳元で囁いた。瑞希は小池の話を聞きながら伊能の隠れ蓑である事を確信した。瑞 希が小池に耳打ちすると小池は驚いた顔をしたが、瑞希は笑いながら黙って頷いた。
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「なに〜、今日も留守だと。何時来ても社長も副社長も留守とは、この会社いった いなんや。まさか居留守を使っているんじゃないだろうな」山形玄三は営業部長の 山本という男に怒鳴った。2月も終わりに近い今の時期、3月決算を間近に控えて 忙しい今が絶好のチャンスだと思っていた。山形と一緒に来た社員の村田は黙って いても威圧感のある男で、こういう場にはピッタリの男だと思っていた。 「いえ、けっしてそのような事はございません。決算を半月後に控えて社長も副社 長も忙しく走り回っています。先日御来社頂いた事は伝えておりますが、なにせ忙 しい時期ですのでほとんど会社に居ませんので。はい。もしご迷惑でなければ時間 が取れ次第御社の方に伺うからと申しておりまして。近いうちにこちらからお電話 を差し上げるからと伺っております。ですから、今日のところはどうぞお引取り願 いまして・・・はい」山形は山本という営業部長のおどおどした態度に勝ちを確信 した。
「分かった。今日のところはあんたに免じて帰るが、今言った事忘れんようにな。 そちらの社長が今週中に直々に来るようにな」山形は勝ちを誇ったように英建設を 出た。 「社長、ちょろいもんですな。営業部長があの体たらくでは若社長も知れてますわ。 ここはひとつ思い切って行きますか」村田が笑うと山形も先ほど見た営業部長の態 度に自信を持った。ここが最後の勝負どころで、搾れるだけ搾り取ったら大阪とも おさらばだ、と思っていた。 関東連合会の西下は桜の頃だとの噂を耳にしていた山形は、それまでに勝負をつけ れば関東ヤクザと会う事もなく姿を隠せると楽観してほくそ笑んだ。だがその笑み が数分後には恐怖に変わった。立売堀の英建設を出た山形はタクシーを拾おうと、 なにわ筋でタクシーが通るのを待っていた。そこに1台の車が止まった。
「よう山形、久しぶりやなぁ。こんな所で会うとはこれも何かの縁かな」車から降 りた男が薄笑いを浮かべながら声を掛けた。山形と村田は誰だか分からず相手の顔 を見詰めていたが急に山形の顔色が変わった。 「どうした、何をビクついている。何も怖がる事はないからそこまで付き合っても らおうか」男の言葉に逆らう事が出来ず、山形と村田は車に押し込まれた。ものの 300メートルも走らないうちに車が止まった。無理やり降ろされてビルに入ると、 2階の山本金融と看板の掛かっている部屋に入れられた。奥の机に座っている男を 見て山形の顔が恐怖に震えた。 「山形、何で東京から姿を消した?お前が姿を消したお陰でこちらはさっぱり金に ならなくなってしまったわ。困ったもんやのう山形」奥の机の伊能忠久が不気味な 笑い顔を作った。山形はここで見つかったのが運の尽き、と死を悟った。
「山形、美味しい話があるらしいのう。そんなに美味しい話なら独り占めはいかん なぁ。ここはひとつ共同作戦といこうか」山形は伊能の口振りに、英建設の話を譲 れば何とか命だけは助かりそうだと思った。命さえ助かれば英建設を渡しても良い と思った。今まで稼いだ金を持って姿を隠せば何とか一生遊んで暮らせる。英建設 を手放せば命までとは言わんだろうと思った。山形が英建設の事を話すと伊能は黙 って聞いている。先ほど営業部長と会った時の様子を話し、向こうから連絡して来 る事を話した。 「なるほど、まさしく金の成る木だな。山形、こんなに美味しい話を俺にくれるの か。勘違いするなよ。これくらいではお前の命の値段にはほど遠いわ。とりあえず 連絡が有ったらここで会うように指示しろ。分かったな。山形、何時でも見張って いるからな、逃げるなよ」伊能の鋭い眼光に睨まれると山形には何も言い返せなか った。とにかく暫くは殺される事はなさそうだ。山形は吹き出る汗を拭きながら安 堵した。
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