落日・第二章 後編
春爛漫−1回
『春爛漫』
「野村さん、船の人物はアハマドである事を確認したそうです。しかしこの2日動 きがありません。何かを待っているんでしょうか」小林が聞いた。 「どうかな、それは私にも分からん。奴が動く時は目標が決定してからだと思うが、 動きがないという事は目標を決められないのか、それとも・・・・」野村が言葉を 飲み込んだ。 「それとも、何です?」小林は野村が言いかけた言葉が気になった。 「目標を決めても爆薬が来てないのかも知れない。名古屋で押収した爆薬の量から 考えても簡単に手に入る量じゃないだろう。劉が絡んでいるという事は台湾か中国 辺りから運んでくるのか、或いはアハマドの組織であるイスラム過激派が運ぶのか。 もしかして、アハマドが船にいるという事は、船で運んで来て途中で受け取るのか も知れない。去年の神戸の時のように途中で何度か積み替え、最後にアハマドの船 で受け取る事も有りうるな」野村の言葉を聞いて小林は唖然とした。
日本海側の事ばかりに気を取られていて西宮の港に入る事は考えていなかった。香 住漁港に入った船から何か出て来ると期待していたが、何も出て来ず翌日には出航 したと連絡が有った。潜水艇らしき物も魚雷で海の底に沈んだままだ。それにもか かわらずアハマドはひっそりと船の中に潜んで動く気配が無いという事は、荷物は 確実にアハマドに近づいているという事なのか。小林は神戸の港湾局に電話して、 今後1週間以内に台湾、中国、或いは中近東からの船が寄港する予定を調べてもら った。2時間後に返事が来たが、1週間以内には台湾からの船は無く、2日後に中 国から3隻が神戸港に入港予定だといった。中近東からの入港予定は無く、インド からの1隻が3日後、マレーシアからの2隻が2日後と3日後、それぞれ1隻ずつ 入港する予定である事が分かった。
「中国からの船は神戸だから県警に臨検させましょう。問題はインドとマレーシア の船か。アハマドがインドに居た事から手配していた可能性は有るし、マレーシア もイスラム過激派組織が多い事から呼応している可能性もありますね」小林はイン ドとマレーシアの可能性を考えた。 「それが全てじゃないでしょう。劉が絡んでいれば九州や四国、或いは山陰の港で 上げて陸送の可能性も有るでしょう。この際、アハマドと一緒に劉にも消えてもら わなければなりませんね」野村が小林の顔を見ながら笑った。小林も野村の笑い顔 に頷きながら、人知れず消えてもらうにはどういう方法が一番良いのかを考えた。 「野村さん、伊瀬の方はどうします。警視庁の方で抑えているようですが、何時ま でも抑えきれないでしょう。末端の組織が動いたら警視庁にも抑えられないかも知 れない。この際思い切って伊瀬にも消えてもらった方が・・・」
「小林さん、それは私も考えています。しかし、警視庁の人間には無理でしょう。 東京の協力者はどうなんですか?あの3人は東京の地理には不案内だから無理でし ょう。何とか東京の協力者で出来ませんかね」野村の言葉に小林も考えた。だが、 東京の協力者の中にあれほどの狙撃者は居なかった。何とか3人に協力してもらう 方法を考えたが、野村の言うように3人には東京の西も東も分からないから無理だ ろうと思った。何とか東京の人間で対処しなければならないだろう。小林はそう思 いながら神戸で見た瑞希たちの狙撃の腕を忘れる事が出来なかった。 「野村さん、3人は東京は不案内だけど、我々が舞台設定して3人を待機させ、そ こに伊瀬を誘い出せば可能でしょう。アハマドの件が片付くまで何とか警視庁に抑 えていてもらって、後の舞台設定は我々で何とかしましょう」小林は椅子に座った まま野村に笑いかけた。野村も小林の提案に笑って答えた。
野村に緊急電話が入った。内閣調査室室長の黒部からだ。つい先ほどマレーシア政 府、国家安全委員会からの連絡で、マレーシアのイスラム過激派の幹部が1人国外 に出た可能性があり、先日寄港していたインドの貨物船『ムガール』という船に乗 ったのが確認されたそうだ。すでに公海上でマレーシアとしては手が出せないから と日本政府に要請があった。処置は貴国に任せるというものだった。電話を受けた 野村の顔が曇った。いよいよ来たか。インドからの船が入るのは3日後の予定だ。 神戸の時のように積み替えるのか、それともアハマド、或いはアハマドの部下が直 接受け取るつもりなのか。だが、インドからの貨物船ムガールは神戸港に寄港する ようになっているがアハマドが潜んでいるのは西宮だ。3日後に船が神戸に着く。 野村は2日でアハマドを始末し、神戸の劉も3日以内に始末しようと腹を括り、一 之宮瑞希の携帯電話の番号を押した。
西宮ヨットハーバー西側の防波堤で工事が始まり立ち入り禁止になった。防波堤の 付け根には工事用車輌が数台来てバリケードを築き、ガードマンを数名置いて釣り 人たちが立ち入らないようにした。沖側の防波堤にも工事用の船が接岸して釣り人 が入れないようになった。 瑞希とアイリーンは5時半に会社を出るとマンションに向かった。ナターシャは仕 事で営業部の社員と一緒にロマノフと同行して東京に行っていて留守だ。途中で夕 食を済ませ、8時半に溝口が迎えに来るとベッドの下からジュラルミンケースを出 して和装柄の大判風呂敷に包んだ。溝口の車で鳴尾浜の河口まで行き、待っていた 野村と小さな漁船に乗り換えた。 船は阪神高速湾岸線の下を潜り西宮ヨットハーバーの沖側防波堤の作業船に接岸し そこから防波堤に上がった。岸から400メートルも無いだろう。ヨットハーバー 桟橋の先端からは僅かな距離だ。
夜の10時を回ってヨットハーバーは闇に包まれ、僅かにキャビンに明かりが点い ている船が3隻ほど有る。瑞希とアイリーン、野村の3人は防波堤の闇の中に姿を 消し、Blue Seaの見える位置に場所を変えた。野村の無線に連絡が入り何事か喋っ ている。 「もう直ぐです」野村の声で瑞希とアイリーンは狙撃銃ダコタとドラグノフをセッ トした。スコープを覗くとキャビンに髭面の男と恰幅のいい男、細面のアジア系と 思われる男が談笑している。ヨットハーバーの入り口に1台の車が止まり、1人の 男が桟橋を通りBlue Seaに乗り込んだ。直ぐに野村の無線に連絡が入った。 「今来たのは劉の使いの者のようです。神戸港での荷揚げの事を話しにでも来たの でしょう。何時でも随意に」野村が小さな声で言った。瑞希がアハマドの部下と思 われる男に、アイリーンがアハマドに照準を当てた。
レディ、直ぐ横でアイリーンの声が聞こえた。レディ、アタック。瑞希の声と同時 に消音器の鈍い音が響いた。キャビンのガラス窓が割れ、アハマドと部下が倒れた。 「かかれ」野村が無線に叫ぶと桟橋を走る数人の影が確認された。4、5人の影が Blue Seaを囲み、一気に乗り込むと残りの2人も射殺された。僅か1分足らずの出 来事だ。瑞希とアイリーンが狙撃銃を片付けているとBlue Seaがエンジンを掛けて 離岸した。野村は黙ったまま頷き3人は漁船に乗り移った。 漁船が離岸すると防波堤から出て来たBlue Seaは沖を目指した。暫く走ると突然止 まり大爆発を起して燃えている。 「操縦していたのは小林の協力者です。直ぐにボートが助けに行きます」野村の言 葉が終らないうちに小型のモーターボートが近づくと直ぐに離れていった。 瑞希たちの乗った漁船がゆっくりと鳴尾浜に向かっていると、芦屋浜の方から水上 消防艇が燃えているBlue Seaに近づいた。暫く船を止めて見ていたが、放水を始め た途端Blue Seaは沈んで行った。
翌日、インドからの貨物船は10時過ぎに神戸港に入港した。神戸税関、公安局、 神戸署署員が物々しいバリケードを敷いて貨物の臨検を行った結果、相当量の爆薬 や自動小銃、硝酸などが押収され、マレーシアから乗船したと思われるイスラム過 激派の幹部も逮捕された。 船長の自供から劉の手配物資と分かり、神戸署の刑事、SAT、機動隊が南京町に 急行し南京町は大混乱に陥った。劉の所在は野村から調査の依頼を受けた署員が常 に確認していてどの店に居るかも把握していた。 神戸署の刑事が任意同行を求めると劉は不適に笑いながら素直に応じた。弁護士を 呼べば直ぐに帰れる。劉はそう思っていた。刑事と一緒に店から出て来たところで 野次馬の中から数発の銃声が響いた。野次馬が我先に逃げ去ると、刑事の横で劉が 撃たれて倒れていた。犯人はその場で頭を撃って自殺したが、借金のために店を劉 に奪われた男の犯行だった。
これは全て小林の仕組んだ事で劉に恨みを持つ人物を探し出し、劉を殺せるのなら 自分は死んでも悔いは無いという男だ。国家権力の闇の部分を支える力を使えば、 人間1人を消し去る事がこんなに容易な事だとは。瑞希は野村に話を聞き、改めて 国家権力という力を思い知った。 「瑞希様、折り入ってお願いがあります」野村が笑いながら瑞希の顔を見た。瑞希 は野村の笑い顔が何を意味するものか分かったが、アハマドと劉が死んだ以上テロ の脅威は無くなった筈だ。残っている事といえば、何時か瑞希が言った 『伊瀬が生きている以上大阪進出は諦めないでしょう。伊瀬さえいなければ関東連 合会も分裂するんじゃないですか?』の事だと察して苦笑いした。
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