落日・第二章  後編




核の疑惑−3回



「野村さん、北の3隻が動き出しました」防衛省から野村に緊急の電話が入り、衛
星写真が電送されて来ると小林を呼んだ。
「小林さん、どう思う?」机の上に数枚の写真を広げて聞いた。
「まだ何とも言えんが・・・、後ろの船の色、これ、ひょっとしたらプルトニウム
じゃないですか?」小林は数枚の写真から熱感知画像処理してある写真を指差した。
「やっぱりそう思いますか。私もこの色具合からプルトニウムじゃないかって思っ
ているんです。直ぐに防衛省に詳しく分析するように頼んだんですが、もしプルト
ニウムだとしたらとんでもない事になりますよ。核だとしたら陸揚げする必要もな
いし、日本海沿岸で爆発させるだけで良いんですからね。直接の被害は無くてもそ
れ以降の被害は計り知れないでしょう。日本海側の漁業は汚染されて壊滅状態にな
るだろうし、水蒸気が雲を作り、それが日本に流れて来て雨になったら・・・・」
野村は後の言葉を飲み込んで小林の顔色を伺った。

小林は電話を取ると内閣調査室室長の黒部に電話を掛け、3隻の船のうち最後尾の
船の色具合を確認した。黒部もその事は知っていて大至急分析するように要請して
いると言った。防衛省だけでなく、アメリカ側にも分析を依頼していると言った。
今、首相官邸に防衛大臣や自治大臣、外務大臣など主要閣僚が集まって協議してい
るそうだ。
「しかし、北は本気で核を使う気でしょうか。核を使えばどういう事になるのかそ
れくらいどんな馬鹿でも分かるだろうに」小林は信じられないという顔で写真を見
ている。
「よっぽどの馬鹿か、すでに軍の上層部の意見を抑えきれないほど権力を失いかけ
ているかのどちらかでしょう」野村も写真を見ながら小林に頷いた。
P3Cから送られてきた情報では、北を出航した3隻の船舶は北の領海内をゆっく
り南下していたが、韓国との領海手前で東に向きを変えている。このまま真っ直ぐ
進めば日本の領海に入る事になる。

2隻の船からはカニの水揚げのため香住漁港に行くと連絡が有り、シーズン最後の
カニの水揚げだと言って来た。だが、後ろの核の疑惑が有る1隻は何処に行くとも
言わず、2隻の後ろに付いて南下している。
内閣調査室室長の黒部から電話が掛かって来た。海上保安庁の舞鶴第8管区、新潟
の第9管区に警戒出動を要請、舞鶴の海上自衛隊、小松の航空自衛隊にも出動待機
を要請した事を伝えて来た。万一の場合を想定して横須賀基地にいるアメリカの太
平洋第7艦隊が横須賀を出航し、すでに津軽海峡を抜けて秋田沖に展開中と言った。
更に外務省を通じて中国に働きかけ、北に圧力をかけて威嚇行動を思い留まらせる
よう要請した事も伝えて来た。海上保安庁で手が負えなくて自衛隊が出動という事
態になれば、戦争突入という最悪の事態を想定しなければならない。北の連中は何
を考えているのか・・・。野村と小林の顔に苦悩の色が浮かんだ。

北の船舶は自国領内をゆっくりと南下している。現時点では自国領内という事で何
も出来ないが、航空自衛隊の小松基地から航空機が飛び立ち、舞鶴の海上自衛隊も
舞鶴基地を出航している。だが、この事は国民にはまだ知らされていない。国民が
知ればパニックに陥り、収集がつかなくなる恐れが有るからだ。野村と小林はこの
事は国に任せ、アハマドの行方を追う事に専念する事にした。事がここまで大きく
なったら野村たちの出番は無く、国と国の問題だからだ。
翌日、3隻の船舶のうち核疑惑のある船が反転して北を目指した。しかし残りの2
隻は相変わらず南下を続けている。疑惑の船が北の港に入るのが衛星写真で確認さ
れると、秋田沖の第7艦隊は津軽海峡を抜けて横須賀に向かい、舞鶴の海上自衛隊
の艦隊も反転して舞鶴に向かった。ただ海上保安庁の船舶は残りの2隻の行方を睨
み、警戒態勢を解かなかった。

「2隻は漁船でカニの水揚げに香住に行くって、そんな事は前もって連絡が有るん
じゃないのか」野村は電話を取り上げると香住漁協に確認の電話を入れた。漁協の
話しでは、冬の海での漁は漁獲高が計算出来ないから直前に連絡が入る事は何時も
の事だと笑っていた。
「くそっ、北に好き勝手にされて、これじゃぁ臨検も何も出来んじゃないか」野村
は乱暴に電話を切るとイライラした様子で部屋の中を歩き回り、机の引き出しから
煙草を取り出して火を点けた。
「野村さん、禁煙したんじゃないんですか」小林が笑うと
「禁煙していたけど、こんなにイライラさせられたら煙草でも吸わんと落ち着かん
わ」と野村も笑った。

新しい衛星写真の分析結果が送られてくると、野村と小林は机の上に広げた。
「どうやら戦争は避けられたようだが、北は人騒がせが好きというか・・・」小林
は笑いながら漁船と思われる2隻の船の写真を見ていた。
「ところで小林さん、特務機関の協力者はどうしているんです?」野村も写真を見
ながら聞いた。
「何時でも出られる態勢にいます。アハマドの居場所が分かれば直ぐに対応出来ま
すよ。ただ、何処に居るのか所在が掴めないから・・野村さん、これは」突然小林
の声色が変わった。野村は驚いて小林が指差している写真の一部分を凝視すると電
話を取り上げ、防衛省の衛星画像分析担当官に電話した。
「野村だが、さっき貰った2隻の漁船の写真で、ナンバー6の写真の後ろの漁船の
後部を最大限に拡大してくれ。大至急だ」野村は電話を切ると机から拡大鏡を取り
出して写真を見つめた。

「これは何だろう。何年か前に海上保安庁と銃撃戦の末沈んだ北朝鮮の船があった
な。あの船、後部に扉が付いていて小型船舶が収納出来るようになっていたやろ。
これは漁船だと言っているがひょっとして後部に細工しているんかも知れん。これ
では分かりにくいが、もしかして潜水艇かも・・・」野村は2隻の漁船の後ろの船
の波の形が不自然に見えた。直ぐに拡大した写真が電送されて来ると同時に電話が
鳴った。先ほど野村が電話した画像分析担当官で、防衛省の方でも大騒ぎになって
いると言った。
野村は写真を見ながら電話を取ると第8管区、第9管区の海上保安庁に電話をかけ
て出動を要請し、防衛省に電話を掛けP3Cを飛ばして確認させると共にソナーの
投下を要請した。防衛省でも写真を分析して直ぐに手は打ったと話した。
「野村さん、これはひょっとして潜水艇かもしれませんね」小林は拡大されて送っ
て来た漁船の後部に、ぼんやりとだか細い陰みたいな物が写っているように見える。

「ひょっとせんでも潜水艇でしょう。くそっ、やつらめ、核疑惑の船を帰して安心
させ、その隙に潜水艇とは・・・」野村も影のような物が写っている写真を見なが
ら呻いた。
「野村さん、インターチェンジの監視カメラの解析が終りました」野村と小林が部
屋を出ると、監視カメラの解析をしていた刑事が声を掛けた。対策本部の部屋に入
ると数名の刑事がテープを見ている。
「高岡の車は宝塚で降りて宝塚から乗っています。宝塚を降りたのが9時28分で
再び乗ったのが10時51分です。この間約1時間20分の間に3人を降ろして戻
って来ています。宝塚から片道40分で行ける所はかなり広範囲になります。時間
的にも道路は空いているでしょうしね。もし大阪なら宝塚やなくて池田か吹田で降
りて阪神高速か近畿道に乗って大阪の方に行くでしょう。しかし、時間からみてそ
んなに遠くじゃないでしょう。

宝塚から尼宝線(あまほうせん)で171号線に出て、伊丹か川西、西宮、芦屋まで
がギリギリで神戸は時間的に無理でしょうね。伊丹、川西、西宮、芦屋辺りが可能
性としては大きいです」平林という刑事がテープを見ながら説明した。
「大阪市内や堺の方はどうです?」小林が聞いた。
「今も言いましたが、大阪市内なら宝塚やなくて池田で降りて阪神高速が普通です。
阪神高速なら堺まで行けますが時間的にも無理でしょう。ぶっ飛ばせば不可能じゃ
ないけど、運んでいる荷物が荷物だけに捕まるようなスピードは出さんでしょう。
普通に走って片道40分、荷物を降ろして少し話しでもすれば30分ですから、伊
丹か川西、西宮、芦屋辺りまでが限度だと思います」平林が説明すると他の刑事も
頷いた。野村は平林刑事の話を聞きながら伊丹は青木圭三と一之宮瑞希が居る宝塚
の隣だ。野村は兵庫県警に連絡して伊丹、川西、西宮、芦屋の各警察署に緊急配備
をするよう頼んだ。

野村は一度青木圭三、一之宮瑞希に会った方が良いだろうと考えた。一之宮家には
佐伯優子と工藤健治が入り込んで警護しているし、青木圭三と一之宮瑞希の正体は
誰も知らない筈だ。今は工務店の人間が出入りしているらしいが、瑞希自身が信用
の出来る人物だと言っていたから大丈夫だろう。
「小林さん、一度一之宮家に顔を出した方が良いかも知れませんね」部屋に戻って
野村が言った。
「私も同じ事を考えていました。青木様や瑞希様の事は誰も知らないし、工藤と佐
伯が一緒だから大丈夫と思いますが、もしかしたら瑞希様が・・・」小林が意味有
りげに笑いながら野村を見た。
「小林さん、あんまり期待し過ぎない方がいいですよ。大阪府警と兵庫県警、さら
には京都府警までが掛かっているのに、未だにアハマドの行方を掴めていないんで
すよ」野村は小林に期待しないように言ったが、野村自身が淡い期待を持っていた
のは確かだ。  
            
          *

大里は乾商店の事務所で舞鶴の高岡から3人と荷物を受け取り、3人には奥の部屋
で休んでもらった。電話で荷物が届いた事を連絡すると、荷物はこれから何時もの
倉庫へ運び、3人は明日の夜、六甲の別荘に運ぶように指示を受けた。
大里は2人の社員に3人の世話を任せ、荷物を持って神戸に向かった。すでに夜の
11時を過ぎている。神戸の山手にある倉庫に行くと2人の男が待っていて、バッ
グを開けて中身を確認すると大里に封筒を渡した。封筒には帯付きの札束か5束入
っていた。
「大里、明日3人を別荘に運んだら乾商店を閉鎖しろ。明後日の夜神戸港から台湾
行きの貨物船が出るからそれに乗るんや。台湾に渡って3年ほど大人しくしてるん
やで。地検特捜部が高岡を調べ始めているみたいやからな。高岡が捕まればお前の
名前も出るやろ。お前に手が届けば劉さんまで危なくなるからな。台湾にある劉さ
んの店で客人として遇(もてな)してくれるからのんびり遊んだらいいわ。船長には
話しが通っているから安心して楽しんで来い」1人の男が笑いながら大里の肩を叩
いた。

大里も笑いながら礼を言って芦屋に戻った時には日付が変わっていた。事務所に戻
ると事務所を閉める事を話し、封筒から200万出して100万ずつ渡した。
「少ないけど退職金代わりや。ここも明日までやけどまだ若いから探せば幾らでも
あるやろ。奥の3人はどうや?もう寝てるんか」大里が笑うと若い社員も笑いなが
ら頷いた。
「大里さんが出られた後、飯を食ったらシャワーを浴びて直ぐに寝たようです。で
もここを閉められたらどうするんですか?新しい商売でもしはるんですか?」1人
の社員が笑いながら聞いたがもう1人の社員に促されて車で帰った。大里は金庫の
中を確認して必要な書類をカバンにいれ、不要な物は裏のゴミ焼釜で燃やして処分
すると、事務所のソファーで横になって仮眠を取った。

翌日の午後、3人を車に乗せると六甲山に向かった。表六甲ドライブウェイで山上
に上がり、六甲ゴルフ倶楽部の近くにある別荘に送った。別荘には外国人らしい夫
婦が住んでいて3人を迎え入れた。大里は六甲から西宮のアパートに帰ると部屋を
整理した。整理といっても布団と押入れの中にスーツが1着だけで後はガラクタば
かりだ。銀行に行って預金の全額を引き出した。僅か2年ほどで1600万とは、
多少ヤバイ仕事でも金になる事なら辞める気はなかった。
翌日の夕方、神戸港に行くと教えられていた船が待っていた。名前を言うとブリッ
ジに案内され、台湾人の船長が片言の日本語で挨拶した。乗組員は8人で、台湾か
ら機械の加工品を神戸まで運び、神戸で鋼材を積んで台湾まで運ぶのだと言った。
9時半過ぎにタラップが上げられると船は岸壁を離れた。神戸港をゆっくり進み、
幾つかの防波堤を出ると瀬戸内海を西に進んだ。右手に神戸の街明かりを見ながら
明石海峡大橋を潜ると明石の街明かり、左手に淡路島の明かりを見ながら、暫くは
この景色も見納めだと思うと妙に感傷的になった。

今夜中に瀬戸内海を抜け、日向灘から外洋に出ると台湾まで2日で着くそうだ。大
里はブリッジで街明かりを見ながら、出されたワインにほろ酔い気分になって来た。
眠くなってきた大里は案内されたキャビンで横になり、心地いい揺れに身を任せて
いるうちに眠ってしまった。しかし、大里は二度と目を覚ます事はなかった。
2日後、瀬戸内海で漁をしていた漁船が漂流している人間らしいものを発見して無
線で通報した。広島県の呉署に収容された遺体は、着ていた背広のネームから大里
らしいという事は分かったが、これが本人かどうかの断定にはかなりの日数が掛か
った。司法解剖の結果、死因はアルコールを飲んだ後の溺死だと分かったが持ち物
は何もなく、フェリー会社や船会社に問い合わせたが乗客や乗員に行方不明者はな
く、この男は何処で海に入ったのか、自殺か他殺の判定も難しく、新聞やテレビで
公開して縁故者や知人が現れるのを待つしかなかった。



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