「神話と伝説の山 冠着山」 探訪(2)
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■「さらしなの里」に伝わる伝説
いまから1100年ほど前の「古今和歌集」にある読人不詳の「わが心なぐさめかねつ更科や、おばすて山に照る月を見て」をはじめ、嘉永年間の歌川(安藤)広重の「姨捨十三景」などにある棚田や姨捨山の情景版画は、よりこの山を有名にしたと思われます。
冠着山山頂から、善光寺平
山頂から眼下の千曲市及び長野市や戸隠連峰を眺望

                                         当時の「更級の郷」はこんな風景であったでしょうか?[円光房遺跡(縄文中期)]より見た冠着山
★「さらしなの里」と姨捨伝説
信濃の国更級の郷(千曲市更級地区)に一人の若者が住んでいました。若者は養ってくれた伯母を母のように慕い、大切にしていました。ところがこの国の殿様は、年寄りが大嫌いで、「六十歳以上になった者は山奥に捨てよと」と、おふれを出していました。伯母も七十歳になってしまい、若者は泣く泣く背負って、姨捨山に捨てたのでした。けれども、後ろ髪がひかれ一人で帰る気になれません。  若者はそっと引き返し、老婆を背負って帰えりましたが、道に迷ってしまいました。すると老婆は「おまえが道に迷わないように、小枝を折ってあるからそれを目印に歩きなさい。」と教えてくれましたので、無事帰ることができました。誰にも分からぬように匿っていました。殿様は隣の国から難題を仕掛けられ「灰の縄を献上しなければ攻め入る」困った殿様は「灰の縄を見事に作った者には、褒美を取らす」と里人におふれを出した。若者は、早速老婆に相談すると「縄に塩をたっぷりと染み込ませ蒸し焼にすると良い」と教えてくれました。それを持っていくと殿様は感心した。「ご褒美はいらないから老人を捨てることをお許し下さい」と、殿様に一部始終を話しお願いをすると、それからは経験の尊さを知り、老人を大切にしたそうです。
昨年地元の更級小学校の生徒さんが伝説を参考に「灰の縄」を造る実験をしていのがテレビで放映されていました。
  淺川かよ子著「更級埴科の民話」参照

大和物語・今昔物語集に姨をこの山に捨てた男性が、名月を見て後悔に耐えられず、翌日連れ帰ったという逸話が残されており、当時平安奈良の遠く離れた都にもこの話は伝わっていた模様。

さらしなの里からの冠着山                      

★「天の岩戸」神話  
神代の時代日の神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は、弟の「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」が田の畦を壊し、田に水を引く溝を埋める等の乱暴な振る舞いに腹を立て外部から開けることの出来ない頑丈に造られた「天の岩屋」に隠れてしまい、この世は天も地も暗闇となり悪い神が暴れだし混然とした世間を立て直すために「天照大御神」に岩屋からお出まししてもらう必要があります。
そこで、八百万の神々は、天の安河原に集まって協議し、岩屋戸の前において日の神、「天照大御神」を引き出す呪術的神事を行ったのである。 「天宇津女命(あまのうづめのみこと)」の踊りで、八百万の神々は天地がひっくり返ったような大声で笑った。
神々の笑いを不審に思われた「天照大御神」は、岩戸を細めに開いたその隙に、隠れ待ち構えていた「手力男命(たじからおのみこと)」が、鏡を「天照大御神」の前に差し出したため鏡が反射したため自分の他にも天地に春の太陽の光を放つ神がいるのだと迷っているすきに岩戸に手を差し入れて戸を開けてしまいました。同時に「手力男命」が岩戸を背負って二度とこもる事が出来ないように何処かへ隠しに、天翔けてきた途中、この美しい峰にひかれてここでひと休みして冠を付け直し、当たりを見渡し岩戸を隠す格好な場所を探していたところ一際高い峰を見つけたという。
冠を付け直した山が「冠着山」で岩戸を隠したところが「戸隠山」(長野市戸隠)とされています。
  淺川かよ子著「更級埴科の民話」参照
ひと休みし冠を付け直した「冠着山]                            一際高い峰を見つけ岩戸を隠した戸隠連峰
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